第36話 夢枯れ病とエテルナ共和国
「エテルナ共和国という、アランシアの同盟国があってね。その地で騒動が起きているらしいんだ」
甘酸っぱいベリーの香りが漂う紅茶の湯気が立ち上る中、ルシアン王の言葉が響く。
カップを受け皿に置く音が、静かなレストランに鋭く響いた。
彼は自分が注文した紅茶を見つめながら、顔に憂いの色を浮かべていた。
天井から差し込む柔らかな照明が、テーブルクロスの上で揺らめいている。
「隣国のエテルナ共和国で、奇妙な病が蔓延しているそうだ。
でも奴ら――失礼、エテルナの指導者たちは、外部の介入を嫌がっていてな」
ルシアン王の言葉に、シャルが首を傾げる。彼女の赤い髪がその動きに合わせて揺れる。
「エテルナって、エルフの国だよね? あんまり人間と関わりたがらないって聞いたことあるよ。なのに同盟なの?」
「ああ、その通り。どうもあの国のエルフが、初代王と親交があったようでね。
エテルナは古くからの伝統を重んじる国。それゆえに今まで同盟も続いていたのだが、いかんせん、新しい問題への対処が苦手なんだ」
ルシアン王は紅茶に口をつけ、一瞬目を閉じる。
その仕草に、王としての威厳と、一人の若者としての不安が同居しているように見えた。
カップを置く音が、再び静寂を破る。
「時に伝統は、新しい問題の解決を妨げることもある。
だからこそ、予はミュウ、シャル。君たちの力を借りたいのだ」
(私たちの……?)
思わず私はシャルを見る。
彼女の目は既に輝いていて、新たな冒険の気配に沸き立っているようだった。
「ギルドからの正式な依頼ではない。あくまで、予からの個人的な依頼とさせてほしい。
エテルナに行って、この奇病の調査をしてもらえないだろうか?」
ルシアン王の真剣な眼差しに、私は小さく頷いた。それを見たシャルが、にっこりと笑う。
「任せてよ、ルシ……じゃなかった、ルーク!
ミュウちゃんならどんな病気だって何とかしてみせるよ!
ラーナの村だって助けたんだしね!」
シャルの明るい声が部屋中に響き渡る。ルシアン王の表情が少し和らいだ。
「ありがとう。君たちは本当に、頼もしい限りだ」
■
そして、エテルナ共和国。
国境を越えた瞬間から、空気が変わった気がした。
森林の香りが強くなり、風にのって漂う魔力の匂いが鼻をくすぐる。
木々のざわめきと、遠くで聞こえる鳥のさえずりが、この地の自然の豊かさを物語っていた。
首都エルミラに到着すると、その景色に息を呑んだ。
空に向かってそびえ立つ巨大な樹々。
その幹や枝に沿うように建てられた建物群。
まるで、自然と建築物が一体化したかのような光景だった。
街路樹の間を縫うように走る水路。
そこを行き交う、葉っぱの形をした小舟。
水面に映る木々の影が、幻想的な雰囲気を醸し出している。
そして、そこかしこに見られるエルフたちの姿。
長く尖った耳、すらりとした体躯、そして人間とは明らかに違う優雅な動き。
彼らの衣装は自然の色彩を基調としており、まるで風景の一部のようだった。
(綺麗……)
その景色に思わずため息が漏れる。
周囲から漂う花の香りと、どこかで奏でられている柔らかな調べが、この街の雰囲気をさらに引き立てていた。
「わぁ……すごい景色! ミュウちゃん見て見て! あの大きな木に家が生えてる!」
シャルが興奮気味に叫ぶ。
確かに、巨木の幹から突き出すように建てられた建物がある。
不思議と違和感はなく、まさに家が「生えている」かのようだ。
街を歩きながら、私たちは様々な光景に目を奪われていく。
エルフの子供たちが、空中に浮かぶ光の玉で遊んでいる。
その笑い声が、街の喧噪に混ざって心地よく響く。
道端の露店では、見たこともない果実や、きらめく宝石のような鉱石が並べられている。
色とりどりの商品が、私たちの目を楽しませてくれた。
だが、そんな幻想的な風景の中にも、違和感はあった。
(ん……?)
街の雰囲気は確かに活気に満ちている。
しかし、人々の表情には何か暗いものが垣間見える。
通りの片隅で横たわる病人。
彼らの周りには、心配そうな表情の家族が。咳き込む声が、時折耳に届く。
露店の店主たちも、客引きの声は明るいものの、その目は何か不安げだ。
彼らの声には、わずかに震えが混じっているように感じられた。
「ねえミュウちゃん。なんか変じゃない? みんな元気なようで元気じゃないっていうか……」
シャルの言葉に、小さく頷く。
私たちが宿を探して歩いていると、近くを通り過ぎるエルフたちの会話が耳に入ってきた。
「また『夢枯れ病』の患者が増えたそうよ」
「ああ、恐ろしい病気だ。もう助からんのか……?」
「伝統的な治療法じゃ、もう太刀打ちできないのかしらね」
(夢枯れ病……?)
聞いたこともない病名に、思わず足を止める。だが、その瞬間。
「おや、人間さんかい? 珍しいねぇ」
突然声をかけられ、びくりと肩が跳ねる。振り返ると、そこには年老いたエルフの男性が立っていた。
咄嗟にシャルの背後に隠れる。
白髪交じりの長い髪。
深いしわの刻まれた顔。だが、その目は若々しく輝いている。
彼の衣装は質素ながらも、どこか品格を感じさせるものだった。
「あ、うん! あたし達、他の国から来たんだ。エテルナの様子を見に」
シャルが明るく答える。だが、老エルフの表情が曇った。彼の目に、憂いの色が浮かぶ。
「そうかい。だが、今のエテルナは観光どころじゃないよ。
『夢枯れ病』っていう奇病が流行ってね。お嬢さんたちも気をつけなよ」
老エルフは、少し悲しそうな表情を浮かべた。
彼の声には、長年の経験から来る重みが感じられた。
「人間さんには悪いが、この国じゃ今、よそ者は歓迎されないかもしれない。特に人間はね」
その言葉に、シャルが困惑した表情を見せる。
「え、どうして?」
「この国じゃ、人間を見下すエルフが多いんだよ。『夢枯れ病』が広まってから、その傾向が強くなってね。
『人間の仕業だ』なんて言う奴もいるくらいさ」
老エルフはため息をつく。その息には長い歴史と疲労を感じた。
「まあ、私はそうは思わないがね。病気に種族も国境もない。
これも何かの縁だ。気をつけて過ごしなよ」
そう言って、老エルフは去っていった。彼の足音が、石畳の上でかすかに響く。
私たちは顔を見合わせる。シャルの表情には、珍しく真剣な色が浮かんでいた。
(状況は、想像以上に複雑みたい)
「わかってたけど、ただの観光じゃすまなそうだね。しっかり調査しよっか!」
私は小さく頷いた。シャルの声には、いつもの明るさと共に、決意が感じられた。
エルミラの空に、夕陽が沈みはじめていた。
オレンジ色に染まった空が、幻想的な木並みをさらに美しく彩る。
だが同時に、その光は不安の影をも長く伸ばしていた。
■
翌朝、私たちはエルミラの中心部へと向かった。
朝露に濡れた葉が陽光を受けて輝き、街全体が淡い光に包まれている。
エルフたちの優雅な足取りとは対照的に、私たちの周りには微妙な空気が漂う。
すれ違う人々の視線が、私たちに向けられては逸れていく。
その度に、シャルが身を寄せてくるのを感じる。
「ねえミュウちゃん、なーんか視線がヤな感じじゃない?」
シャルの声には珍しく緊張が混じっている。
私は小さく頷き、彼女の手を握った。
(……まぁ私は普段からずっと視線が気になってるから、今さらって感じはするけど)
そう思ったが口には出さない。変な人だと思われそうだ。
やがて、私たちは巨大な樹木の前に立っていた。
その幹には螺旋状の階段が刻まれ、頂上には荘厳な建物が見える。
エテルナ共和国の評議会だ。……階段で登らないといけないとは思わなかった。
そんなふうに気が滅入る中、入口で長身のエルフの衛兵が私たちの行く手を遮る。
「人間よ、ここは立ち入り禁止だ」
彼の声には冷たさが滲む。
私はゆっくりと懐から『英雄の星章』を取り出した。
アランシアでもらった、金色に輝く星型の勲章だ。衛兵の目が見開かれる。
「そ、それは……! アランシア王国の勲章なのか? よもや……」
「どう? 通してもらえる?」
「……ああ。通るがいい」
衛兵はバツが悪そうに道を開ける。私たちは螺旋階段を上り始めた。
最上部にある評議会の内部。
木々の枝が絡み合って天井を形作り、壁には生きた花々が咲いている。
床を踏むと、かすかに弾力を感じる。とても独特な建物だ……。
中央の広間には半円形に並んだ席があり、様々な装いのエルフたちが座っていた。
彼らの視線が、一斉に私たちに注がれる。
緊張で固まる私に、中央の席から白髪の老エルフが立ち上がった。
彼の深緑の長衣が、ゆったりと揺れる。
「よく来られた、人間の英雄たちよ。
私はエルダー・リーフハート、この評議会の長を務めている」
その声には威厳が満ちている。彼は私たちをじっと見つめ、ゆっくりと続けた。
「我々は、ルシアン王からの書簡を受け取っている。君たちの力を借りたい」
エルダーの言葉に、他の評議員たちがざわめく。不満げな表情を浮かべる者もいる。
「エルダー、人間に頼るなど……!」
「そうだ! 我々にはエルフの誇りがあるだろう!」
反対の声が上がる中、エルダーは静かに手を上げた。広間が静まり返る。
「諸君、我々の伝統的な方法では太刀打ちできないことは明らかだ。
今こそ、新しい知恵を受け入れるべき時なのだ」
エルダーは私たちに向き直り、深々と頭を下げた。
「どうか、我々の民を救ってほしい」
その言葉に、広間が再びざわめく。驚きと、わずかな希望の色が混じっている。
シャルが一歩前に出て、力強く宣言した。
「任せて! 私たちに出来ることは何でもするよ!」
私も小さく頷く。エルダーの表情が和らぐ。
「ありがとう。では、『夢枯れ病』について説明しよう」
エルダーが手をかざすと、空中に光の粒子が集まり、人型の姿を作り出す。高度な魔法だ。
「この病に罹ると、睡眠中に生命力が奪われていく。
患者は悪夢に悩まされ、起床時には極度の疲労を感じる」
光の人型が、苦しむような仕草を見せる。
「病状が進行すると、現実と夢の区別がつかなくなり、最終的には……昏睡状態に陥る」
光の人型が、ゆっくりと地面に横たわる。その姿に、胸が締め付けられる思いがした。
「我々の伝統的な治療魔法や薬は全く効果がない。君たちの力に期待したい」
エルダーの言葉に、私は決意を込めて頷いた。シャルも、真剣な表情で聞き入っている。
「まずは患者たちを診て、情報を集めてほしい。
そして、この病の原因を突き止めてほしい」
「……!」
「オッケー! あたしとミュウちゃんにお任せ!」
私たちが了承すると、エルダーは安堵の表情を浮かべた。
評議会を後にした私たちは、階段を降りて街へと戻る。朝の街並みが、緑と白に染まっている。
「ミュウちゃん、大変そうだけど……頑張ろうね!」
シャルの声に、私は静かに頷く。
そして、街の奥から聞こえてくる咳の音に、私は足を向けた。長い一日になりそうだ……。
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