第35話 夜のデート
翌朝、柔らかな日差しが私の目を覚ました。
宿の部屋の窓から差し込む光が、昨夜の出来事が夢ではなかったことを教えてくれる。
カーテンの隙間から漏れる光が、部屋の中に金色の線を描いている。
「おはよー、ミュウちゃん!」
シャルの元気な声が響く。彼女は珍しくもう起きていて、髪を整えていた。
その赤い髪が朝日に照らされ輝きを放っている。
シャルの髪から、甘い香りのシャンプーの匂いが漂ってくる。
「朝から緊張するね。まさか勲章なんかもらえるなんて!
あたし人生で勲章なんか貰ったの初めてかもなー!」
シャルの声には、興奮と緊張が混じっている。
私も同じ気持ちだった。心臓が少し早く鼓動しているのを感じる。
そう、勲章――。
あの後、さすがに夜遅いこともあって私たちは解散することになった。
その際ルシアン王から、明日の朝改めて王宮に来てほしいと伝えられたのだ。「勲章を授けるから」、と。
ギルドの隅で暇していた私が、あっという間に国王から勲章をもらうようになるなんて、今でも信じられない。
それもこれも、シャルと一緒にいられるからだろう。シャルの存在が、私に勇気を与えてくれている。
準備を整え、私たちは王宮へと向かった。
街の空気は明るくもざわついており、昨日の騒動の顛末は十分に市民に伝わりきってはいないらしい。
道行く人々の表情には、好奇心と不安が入り混じっている。
王宮に到着すると、入り口で衛兵たちが敬礼して私たちを出迎えた。
その姿勢から、昨日までとは明らかに違う扱いを受けているのがわかる。
鎧がこすれ合う音が、緊張感を高める。
謁見の間に案内された私たちを、玉座に座っていたルシアン王が温かな笑顔で迎えてくれた。
広間は大理石の床が光り、天井には美しいフレスコ画が描かれている。
その荘厳な雰囲気に、私は思わず息を呑む。
「よく来てくれた、ミュウ、シャル」
彼の声には、深い感謝の念が込められていた。
広間には多くの貴族や重要人物らしき人たちが集まっており、その視線を一身に浴びてかなり恥ずかしい。
衣擦れの音と、小さな囁き声が聞こえる。
ルシアン王の声が、広間に響き渡る。
その声は、天井のドームに反響して、より威厳を増しているように感じられた。
「魔法科学省次官アーサー・グリムソンの陰謀は、この2人の勇気ある行動によって阻止された。
彼女たちの功績を、ここに公式に認め、讃えたい」
私とシャルは促され、ルシアン王の前に進み出る。
シャルの手が、そっと私の手を握る。その温もりが、私に勇気と安心感を与えてくれた。
シャルの手は少し汗ばんでいて、彼女も緊張しているのがわかる。
「ミュウ、シャル。汝らの勇気と献身に対し、アランシア王国の栄誉である『英雄の星章』を授与する」
ルシアン王が、美しく輝く2つの勲章を取り上げる。
その勲章は星の形をしており、中央には大きな宝石がはめ込まれている。
宝石が屋内の照明を受けて、虹色に輝いていた。
ルシアン王が私たちの首に勲章をかける。その重みが、昨夜の出来事の重大さを改めて実感させる。
冷たい金属が揺れて、私の胸に触れる。
「おめでとう」
ルシアン王の言葉とともに、広間に大きな拍手が沸き起こる。その音が私の耳と胸に響く。
シャルは案外大人しく勲章を受け取り、堂々と胸を張って拍手を受け止めていた。
■
儀式が終わり、私たちはルシアン王の私室に案内された。
そこは豪華ではあるが、どこか温かみのある部屋だった。
窓からは王都の景色が一望でき、街の喧騒が遠くから聞こえてくる。
壁には絵画が――女性2人組を描いた絵画が大量に飾られている。
怖いんだけど……。
「さて、公式な儀式は終わったが、予からもう2つ贈り物がある」
ルシアン王がにこやかに言う。
彼の声にはどこか期待に満ちた色が混じっている。
「まず、シャル。君が『借りた』魔力増幅剣だが、正式に君に譲渡しよう」
「えっ、マジで!?」
シャルの声が弾む。その目が子供のようにキラキラと輝いている。
「ああ。君なら、きっとその剣を正しく使いこなせるだろう」
「やったー! いやー、あたしも何かと迷っててさー。
遠距離攻撃できないし、もっとやれること増えたらミュウちゃんを楽させられるかなって」
「動機が美しいッ……100点!」
ルシアン王は涙を流して拍手する。
ホントに泣いてるよ。やっぱり怖いって……。
「そして、もう1つ」
スッと泣き止んだルシアン王が、小さな封筒を取り出す。
その封筒は高級な紙で作られているようで、触れるだけで手触りの良さがわかる。
「今夜、2人だけの特別なディナーをプレゼントしよう。
王都で最高級のレストラン『星空の薔薇』の予約をしておいた」
その言葉に、私はシャルの顔を見た。高級レストラン? ……2人きり?
私の頬が、少し熱くなるのを感じる。心臓の鼓動が、また少し早くなる。
「わぁ! ありがとう!」
シャルはこちらの様子に気付かず嬉しそうに声を上げる。
「ミュウ、君はどうだろう? 嬉しくはないか?」
ルシアン王の声に、私は小さく首を横に振る。
嬉しい気持ちはある。それに少し緊張するが、シャルと一緒なら大丈夫かもしれない。
頬の熱さが、さらに増した気がする。
「よかった。では、夜までゆっくり休んでおくといい。
これからの君たちの冒険が、さらに素晴らしいものになることを願っている」
ルシアン王の言葉に、私は深々とお辞儀をした。
シャルは気安く手を振り別れる。彼女の明るさが、場の雰囲気を和らげる。
部屋を出ると、シャルが嬉しそうにチケットを取り出した。
高級感のある黒い紙が使われている。その紙から、かすかに香水のような香りがする。
「ねえねえミュウちゃん! 高級レストランだってー! どんな料理が出るんだろう?」
シャルの声には、まるで子供のような無邪気さが混じっている。
その姿を見ていると、私も自然と笑顔になる。
「それに、2人きりのディナーだって! まるでデートみたいだね!」
……が、直後のシャルの言葉に、私の顔が熱くなる。デート……私とシャルが……?
そういう意識が彼女にもあるのだろうか? 心臓が、また激しく鼓動し始める。
「あ、ごめんごめん。照れちゃった?」
シャルがくすくすと笑う。もう……私は肩を竦めた。
「でも、楽しみだよね! どんなものが食べられるのかなー?」
シャルの言葉に、私も小さく頷く。
今までの旅でも美味しいものは食べてきたが、いわゆる贅沢品を食べる機会はなかった。
期待よりも好奇心のほうが強く現れる。口の中に、想像上の美味しさが広がる。
私たちは宿に戻り、夜に備えて休息を取ることにした。
窓の外では、王都の人々が平和な日常を過ごしている。もう魔法暴走は起きていないようだ。
その光景を見ながら、昨夜の冒険が遠い昔のことのように感じられた。
街の喧騒が、かすかに窓越しに聞こえてくる。
しかし、胸元で輝く勲章が、私たちの行動が本当に王国を救ったのだと教えてくれる。
その重みを感じながら、私は今夜のディナーに思いを巡らせた。
シャルと2人きり。高級レストラン。どんな服を着ていけばいいのだろう。
(……服? 服!?)
しまった! 冒険用の服しか持ってない!
私が持っている服は私がいつも着ているフード付きのローブくらいだ。突然の恐怖に背筋が凍る。
「あ、あの、シャル……!」
「お? 話しかけてくれるとは珍しいねミュウちゃん。どしたの?」
「ふ、服が……」
「服? ……あー、ドレスコード? たしかに、ちょっと買っていったほうがいいか」
私は激しく何度も頷く。王様にチケットもらったけどドレスコード違反で叩き出されました、じゃあまりにも不甲斐ない。
私は夜までに、シャルとともにドレスを探しに行くことにした。
夜の街を歩きながら、私は自分の姿を確認する。
石畳の上を歩く靴音が、静かな夜に響く。
シャルと一緒に選んだ深紫のドレスが、月明かりに照らされてほのかに輝いている。
生地が肌に触れる感覚が新鮮で、少しくすぐったい。
普段着ない服にとてつもなく緊張する。足元はハイヒールで、歩くのも少し難しい。
かかとが石畳に当たるたびに、小さな音が鳴る。
「ミュウちゃんのドレス、やっぱ似合ってるよ! いいとこのお嬢様っぽいかも」
シャルの声が、夜の静けさを破る。その声には、素直な喜びが込められている。
(そうかな……)
私はちらりとシャルを見上げる。彼女は髪色と同じ赤いドレスを着ている。
普段の冒険者っぽさとは無縁で、彼女の方こそ貴族の女性のようだ。
「それにミュウちゃん、やっぱフードない方が可愛いよ!」
(かっ……!?)
シャルが私の頭を軽く撫でる。フードがないぶん、はっきりと彼女の姿が見え、目が合ってしまう。
(む、無理……! フード無しだと人と目が合いすぎる……!)
「あ、ここみたい!」
シャルの声に顔を上げると、優雅な外観の建物が目に入った。
『星空の薔薇』と書かれた金色の看板が、夜空に浮かんでいる。魔法によるものだろう。
看板から放たれる柔らかな光が、周囲を優しく照らしている。
入口では燕尾服を着たエルフのスタッフが、にこやかに迎えてくれた。
彼の森のような香水の香りがかすかに漂う。
「ようこそ『星空の薔薇』へ。お2人様のお席へご案内いたします」
私たちは広々とした店内へと足を踏み入れた。
天井は黒く、本物の星空のような照明が施され、まるで野外で食事をしているかのような錯覚を覚える。
星々が瞬くたびに、かすかな光の波が店内を包む。
テーブルには真っ白なクロスが敷かれ、繊細な模様の食器が並んでいる。
クロスに触れてみると、その滑らかさに驚く。
席に着くと、ウェイターが今日のコースメニューを持ってきてくれた。
シャルが興奮気味に料理を読む様子を見ながら、私は周囲を観察した。
他のお客の小声での会話や、食器が触れ合う音が、小さく心地よい音楽に混じって耳に届く。
「まずは前菜の『森の息吹』です。季節の野菜を配置しました」
しばらくすると、美しく盛り付けられた前菜が運ばれてきた。
皿の上には、様々な色彩の野菜や花が、まるで小さな森のように配置されている。
その香りが、春の野原にいるような錯覚を起こさせる。
「おおっ、なんか綺麗だね! ちょっと少ない気がするけど」
ぜ、前菜だからね……。シャルに声のトーンを落とすよう仕草で伝えつつ、料理を一口食べる。
新鮮な野菜のシャキシャキとした食感と、香草の爽やかな香りが口の中に広がった。
野菜の甘みと、ドレッシングの酸味が絶妙なバランスを保っている。
それからいくつかの料理を挟んで運ばれてきたメインディッシュは、「星降る夜の煌めき」という名の魚料理だった。
銀色に輝く魚の身が、黒いソースの上に優雅に盛り付けられている。
ソースには小さな白い点が散りばめられ、まるで夜空の星のよう。皿から立ち上る湯気が、魚の香りを運んでくる。
「うわぁ、これも綺麗! 全体的に星っぽい感じの料理になってるんだねえ」
シャルの声に頷きながら、私はフォークを手に取る。
魚の身は柔らかく、口の中でとろけるような食感だ。もちろん、すごくおいしい。
黒いソースは、よくわからないが多分イカ墨……? を使ったもので、深みのある味わいが魚の繊細な風味を引き立てている……気がする。
舌の上で、複雑な味が広がっていく。私には理解できないくらいに複雑だ。
デザートは「恋する乙女の夢見る宝石箱」。なんかちょっと頼むのが恥ずかしい名前だ。
ピンク色のムースの中に、様々な果実のジュレが埋め込まれているみたいだ。
それぞれの果実が異なる味と食感を持ち、口の中で次々と味の変化を楽しむことができた。
食感も独特で、舌の上で小さな花火が弾けるような感覚だった。
「ねぇ、ミュウちゃん」
シャルの声に顔を上げると、彼女が柔らかな笑顔を向けていた。
「今日はありがとう。あたし、ミュウちゃんと旅ができてすっごく楽しいよ。
きっとあたし1人じゃ、これまでの敵も倒せなかったし。
こんなふうに表彰されたり、美味しい料理を食べるなんてできなかっただろうなあ」
その言葉に、私の頬が熱くなる。シャルの目が、キャンドルの光を受けて美しく輝いている。
その瞳に、自分の姿が映っているのが見える。
私は少し息が詰まるような感覚ののち、意を決して立ち上がった。椅子がかすかに軋む音がする。
「わっ、私も……! 私1人じゃ、その……! こんなところ、絶対……っ」
シャルは私の言葉に驚いた様子で目を開いていた。
それから柔和な笑みを浮かべる。その笑顔が、まるで太陽のように明るい。
「あたしね、ミュウちゃんと出会えて本当に――」
その時、私の目に見覚えのある姿が映った。奥のテーブルで、新聞で顔を隠している男性。
その金髪が、ちらりと見える。新聞の紙をめくる音が、かすかに聞こえる。
(まさか、あれは……)
私が目で合図を送ると、シャルもその方向を見た。
「あれ? あの人、どこかで……」
シャルの声が次第に大きくなる。
「ルシ――ルーク!? なんでここにいるの!」
シャルの声に、ルシアン王がびくりと肩を震わせた。
一応シャルも、店の人に気を使って偽名の方で呼んでくれているみたいだ。優しいなあ。
「あー、これは……その……偶然ですかな?」
ルシアン王の言い訳めいた言葉に、シャルが膨れっ面をする。
「嘘つけ! あたしとミュウちゃんのデートを見たかったんでしょ」
「ハイ……めちゃくちゃ見たくってつい……」
「少しは否定しろ!」
ルシアン王の言葉に思わず笑みがこぼれる。周りの客は、この珍事に何事かと視線を向けていた。
この珍事件でレストランの雰囲気は一変したが、それでも私の心に残ったのは、温かな思い出だった。
ずっと抱えていたシャルへの感謝を、少しでも伝えられたとしたら……私も、よかったと思う。
「じ、実はね。予がここに来たのはただ百合を見たかっただけではなく、君たちの耳に入れておきたいことがあったんだ」
それからルシアン王はほんの少しだけ真面目な雰囲気で、そんなことを言った。
「エテルナ共和国という、アランシアの同盟国があってね。その地で騒動が起きているらしいんだ――」
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