第34話 障壁を解除せよ
アーサーが連行されていく足音が遠ざかり、部屋に静寂が戻った。
その静けさの中で、私は自分の鼓動が耳に響くのを感じた。
心臓の音が、胸の中で大きく鳴り響いている。
ルーク――いや、ルシアン王が私たちの方へゆっくりと歩み寄ってきた。
彼の足音が重々しく響く。緊張感が高まる。
「さて、ミュウ、シャル。お前たちには説明しなければならないことがある」
彼の声は、先ほどまでの威厳ある調子から、少し柔らかくなっていた。
それでも、その声には王としての重みが感じられる。その声に私の背筋が少し伸びる。
「実は、予はお前たちのことを以前から知っていた」
その言葉にシャルの目が大きく見開かれ、驚きの色が浮かんでいる。赤い髪が揺れる。
「特にミュウ。『沈黙の聖女』という噂を聞いたことがあるかな?」
……私は小さく頷いた。
シャルが広めたあの噂がまさか、国王の耳にまで届いているとは……。頬が熱くなるのを感じる。
「ノルディアスでの『石の密議』の暗躍阻止、ラーナ村での疫病の治療、そしてレイクタウンでの湖の復活。
君の功績は、既にこの辺りの地域に広まっていたのだよ」
ルシアン王の口元に、優しい微笑みが浮かぶ。
その笑顔に、私は少し恥ずかしさを感じた。顔全体が熱くなり、耳まで赤くなっているのがわかる。
「やるねミュウちゃん! でも、まさか王様まで知ってるとはね」
シャルの声には、驚きと喜びが混じっている。彼女の目がキラキラと輝いている。
「ああ……実は予、百合が好きでね。
だから、君たち2人の女性冒険者の活躍には特に注目していたのさ」
「ええ……アレ変装の一環とかじゃなくて素だったの?」
「そうだ。百合は国教にしようかと思ってる」
ルシアン王はどうかしていた。
王様にあんまりこういうこと言うのはよくないけど……こういうこと言うから身内から反逆者が出たんじゃ……。
私は思わずため息を吐く。
「アーサーにも言ったとおり、予は王である身を隠して密かに調査を開始した。
そこで偶然にもお前たちに出会い、共に調査をさせてもらったのだ」
彼の言葉に、私は複雑な気持ちになった。なんだかすっかり顔が売れている気がする……。
この調子でどこに行っても目立つようになったりしたらどうしよう。
考えただけでもくらくらしてくる。
「さて、アーサーの件は一段落したが、まだやるべきことがある」
ルシアン王の表情が再び真剣になる。その目に決意の色が宿る。
「やるべきことって?」
「王宮の障壁を解除しなければならない。だが予1人では時間がかかりすぎてな……」
「障壁? ああ、魔法暴走で王族が閉じ込められてるってやつ?」
シャルが思い出したように言う。
「そうだ。アーサーが私を閉じ込めておき、そのうちに暗躍するために狙ったものだろう。
予は魔法には自信があるが、それでも地道に解除していくしかない」
「そっか……それって、中の人たちの食べ物とかは大丈夫?」
「食料や水はある程度備蓄があるが、あまり長くはかけられんな。急ぎ取り掛からねばならん」
ルシアン王の言葉に、部屋の空気が重くなる。その重さが、私の肩にのしかかるようだ。
「ねえ、それミュウちゃんの魔法で何とかならない?」
シャルの声が、その重い空気を破った。
「え?」
思わず声が出る。シャルの目が、期待に満ちて私を見つめている。
「だってさ、アーサーの魔法暴走も治めたじゃん。障壁だってなんとかなるんじゃない?」
「そうか! たしかに、それは可能性がありそうだ」
ルシアン王の声に、希望の色が混じる。彼の目が少し輝きを増した。
「どうだろう、ミュウ。試してみる気はないか?
もし君が障壁を解除してくれれば、私も国民への説明を早めに行うことができる」
私は少し躊躇した。たしかに、これまでも魔法の暴走は治めてきた。
でも、王宮全体を覆う障壁となると……。不安が、胸の中で渦巻く。でも――
「……や、や、やって……み」
「やってみるって!」
「ウーンなるほど、沈黙の聖女って声が小さいということなのか……」
ルシアン王は何事かメモを書いている。
その筆記音がかすかに耳に届く。何を書くつもりなんだろう……。
とにかく不安はあるが、今は私にできることをするしかない。深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
「よし、では急ぎ王宮へ向かおう」
ルシアン王の声に、私たちは頷いた。
■
王宮までの道のりは静かだった。
夜の街を歩く私たちの、石畳を踏む音だけが規則正しく響く。
時折、遠くで犬の鳴き声が聞こえる。その声が、夜の空気に溶け込んでいく。
冷たい夜風が頬を撫でる。
その風に乗って、かすかに花の香りが漂ってくる。きっと、近くの庭園からだろう。
「あれが王宮だ」
ルシアン王の声に、顔を上げる。
月明かりに照らされた巨大な建物が、私たちの前に立ちはだかっていた。
その姿は荘厳というほかない。白い壁面が、月の光を反射して輝いている。
しかし、その美しい建物の周りを薄い膜のようなものが覆っている。
その表面には複雑な文様が蠢いていた。あれが障壁だ。
文様が動くたびに、かすかに空気が震えているのが感じられる。
近づくにつれ、障壁から放たれる魔力を肌で感じる。
それは、私がこれまで経験したどの魔法暴走よりも強大だった。
その魔力の波動が、体の芯まで響いてくる。
「さあ、ミュウ。頼むよ」
ルシアン王の声に、私は深呼吸をする。
冷たい夜気が肺に入り、少し落ち着きを取り戻す。
杖を構え、魔力を集中させる。
杖が、かすかに温かくなるのを感じる。
(状態異常回復魔法)
青い光が杖から放たれる。その光が障壁に向かって伸びていく。
光の軌跡が、夜空に美しい弧を描く。しかし――
「……あれ、効かない?」
シャルの声が聞こえる。障壁には何の変化も見られない。
光が障壁に当たった瞬間、まるで吸い込まれるように消えてしまった。
「もう一度、ミュウちゃん!」
シャルの声に、私は再び魔力を集中させる。額に汗が浮かぶのを感じる。
しかし、結果は同じだった。
「……っ」
歯がみする。これほどの規模の魔法暴走は、私にも手に負えないのかもしれない。
そう思った瞬間――
「大丈夫、ミュウちゃんならできる!」
シャルの声が、私の耳に届く。彼女の手が、そっと私の肩に置かれる。
その手の温もりが、私の体に広がっていく。
その言葉と手の温かさに、私の中に新たな力が湧いてくるのを感じた。
シャルの言葉に勇気づけられた私は、再び杖を構えた。
杖の木肌の感触が、手のひらに心地よく伝わる。
今度は、これまでとは違う方法を試してみようと思う。つまり、詠唱魔法を。
本当は人前であんまり喋りたくないんだけど……ここにはシャルと王様くらいしかいないし、まだいくらかマシかもしれない。
深呼吸をすると、夜の冷たい空気が肺に広がる。
その空気は、かすかに花の香りを含んでいた。
目を閉じ、心の中で言葉を紡ぎ始める。
「乱れし波を紡ぎ、蝕まれし水を清めよう。魔導王の名において、我が声に答えよ」
私の声が、静かな夜空に響く。
その声は、周囲の空気を震わせるように広がっていく。
自分で言うのもなんだけど、それは普段の私からは想像もつかないほどはっきりとした声だ。
「狂いし歯車に秩序を与え給え。
歪みと病よ、調和へと還れ――状態異常完全回復魔法!」
その瞬間、私の杖から青白い光が激しく溢れ出した。
その光が、夜の街を昼のように照らし、障壁へと伸びていく。
光の軌跡が、空気中に残像を作る。
光が障壁に触れると、そこから波紋が広がっていった。
まるで水面に石を投げ入れたかのような、美しい同心円が広がる。
障壁の表面に刻まれていた複雑な文様が、まるで融けていくように消えていく。
熱の中で氷が溶けていくのを見ているかのようだ。
「お、おお……!」
シャルの驚きの声が聞こえる。彼女の手が、私の肩をぎゅっと掴む。
その指の力から、彼女の興奮が伝わってくる。
「これは……」
ルシアン王の声にも、明らかな驚きの色が混じっている。
その声には、畏怖の念さえ感じられた。
私は目を開け、自分の魔法の効果を確認した。
障壁が、ゆっくりとではあるが確実に薄れていっている。
まるで朝霧が晴れていくようだった。
障壁が消えていくにつれ、王宮の輪郭がはっきりと見えてくる。
「すごい、ミュウちゃん! 効いてるよ!」
シャルの声が興奮に満ちている。彼女の目が喜びで輝いているのが見える。
やがて、障壁が音を立てて崩れ始めた。
ガラスが砕けるような音が、静かな夜に響く。
その音は、周囲の空気を震わせ、私の体にも伝わってくる。
そして――
「やった!」
シャルの歓声が上がる。障壁が完全に消え去り、王宮の姿がはっきりと現れた。
月明かりに照らされた王宮は、まるで幻想的な絵画のようだった。
魔法の反動で、少しめまいがする。
膝が震え、よろめきそうになる。視界が一瞬ぼやける。
「大丈夫?」
シャルが私を支えてくれる。
彼女の体温が心地よく感じられる。シャルの腕の中で、少しずつ平衡感覚を取り戻す。
「ミュウ」
ルシアン王が、真剣な表情で私を見つめている。
「今の詠唱――『魔導王の名のもとに』と言ったな?」
私は小さく頷く。なんだかゴルドーにも指摘されたような気がする。
何か問題があっただろうか。不安が胸の中に広がってしまう。
「その魔法、どこで覚えたのだ?」
ルシアン王の声には、驚きと興奮が混じっている。同時に、少しだけ威圧感を感じる。
「え、えっと……む、昔……」
私の言葉を遮るように、ルシアン王が続けた。
「千年以上の昔……アランシア王国の初代王は、魔導王の弟子だったと言われている。
だが魔導王の名を知る者は、もう誰もいない。
その魔法を使う者など、いるはずがないと思っていたのだが……」
ルシアン王の表情は、これまで見たことのないほど動揺しているように見えた。
「なんかゴルドーも似たこと言ってたよね。昔の人なんだっけ」
シャルの声が、緊張した空気を少し和らげる。
「ああ、昔どころではない。伝説の人物だ。彼が使った魔法は資料にも残されていない。
……もしやミュウ、君の使った魔法は……その魔導王のものなのではないか?」
鋭い視線を向けられ、私は血の気が引く感覚が大きくなっていくのを感じた。
ますます体から力が抜けるのをシャルが支えてくれる。
腕の中で、私の体が小さく震える。
しかし、その問答を終わらせる間もなく、王宮の中から人々が出てきた。
彼らの顔には、解放された喜びの表情が浮かんでいる。
「……まずは彼らを迎えてやらねば。事態は解決したと」
ルシアン王は彼らを一瞥したあと、私の前に跪いた。
その姿に、私は驚きのあまり言葉を失う。
「!?」
「ありがとう、ミュウ。そしてシャル。君たちの助けを、アランシア王国は決して忘れない」
ルシアン王の声には、深い感謝の念が込められていた。
その言葉に、私の心に温かいものが広がっていく。
夜風が吹き抜け、私たちの髪を優しく撫でていった。
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