第32話 潜入、魔法科学省!
「魔法科学省とかいうとこに潜入するよ!」
…………。
「……はっ!?」
思わず声が出てしまった。ルークも目を丸くしている。
夕暮れの街の喧噪が遠くに聞こえる中、シャルの声だけが異様に大きく響いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それは危険すぎる。
魔法科学省は厳重に警備されているんだ。簡単に入れるような場所じゃないぞ」
ルークの声には焦りが混じっている。彼の額に浮かぶ汗が、夕日に照らされて光る。
しかし、シャルの目は既に決意に満ちていた。
その瞳には、冒険への期待が燃えている。
……こうなったシャルを止めても無駄だ。まあ、私は止めたこともないけど。
「だからこそでしょ! アーサーのやつ、絶対裏でなんかやってる」
「だから待て。その証拠も根拠もないだろうに。
彼はただ熱心に研究し、暴走を抑止する装置を作っただけかもしれんのだぞ!」
「いーや違うね! あたしの勘がヤツは悪人だと言ってる!
ミュウちゃんの勘もね!」
「!?」
シャルが急にこちらを向く。
ルークまでも、こちらを見下ろして「そうなのか!?」みたいな顔をしている。
いや、あの……。
「い、いや、あの、その……」
言葉につまる私の声は、かすれて小さい。
「大丈夫! あたしはミュウちゃんの気持ちはわかってるよ。
あの怪しいオッサンを調べ上げてやろう!」
シャルの声には自信が満ちていて、その勢いに圧倒される。私はカクカクと頷いた。
「……う、うん」
「無理やり言わせてるじゃないか!」
ルークの鋭いツッコミが飛ぶ。
まぁそうなんだけど、たしかに私も彼は怪しいと思っている。
というのも、どうもこの魔法暴走によって、王家の威信が低下している様子が市民から見て取れた。
障壁の暴走で国王が閉じ込められているせいか、現状魔法暴走に対処できているのはあの「魔法科学省」とかいうところだけらしい。
それに従い、国民の信頼は王家から魔法科学省に移りつつある。
(……でも、もしそれが最初から魔法科学省による仕込みだったら?)
アーサーが魔法暴走を引き起こし、王を城に閉じ込め、その間にマッチポンプで暴走を止めて国民の信頼を魔法科学省に集める。
そういう陰謀だったとしたら……?
「ぜーんぶ暴くには、向こうの本拠地に乗り込むしかないんだよ!」
シャルの声が、夕暮れの街に響き渡る。
近くの通行人が振り返るほどの大声だ。やばい計画を大声で喋るのはやめようよ!
ルークは何か言いかけたが、シャルの熱意に押し切られてしまったようだ。
彼は深いため息をつくと、諦めたように言った。
「わかった。だが、私は一緒に行けない。
君たちの冒険譚を見届けたい思いはあるが……立場というものがあるからね」
「オッケー! じゃあルークは外で見張り役ね!」
「えっ、見張りはさせられるのか!?」
シャルは勝手に話を進めていく。
彼女の声には、もう冒険と潜入への高揚感が滲んでいる。
結局その夜、私たちは魔法科学省への潜入を決行することになった。
■
夜の帳が降りた頃、私たちは魔法科学省の裏手に忍び寄っていた。
建物は月明かりに照らされ、不気味な影を落としている。
冷たい夜風が私たちの頬を撫でる。
ルークは建物の構造や警備システムについて、驚くほど詳しい情報を教えてくれた。
どうやってそんな情報を手に入れたのかは謎だが、とにかく裏手は若干警備が手薄だそうだ。
「よし、ここから侵入するよ。ミュウちゃん、準備はいい?」
珍しく小声のシャルに、私は小さく頷いた。心臓が高鳴っている。
その鼓動が、耳元で大きく響く。
シャルが壁の突起を掴んで身軽に登っていき、鍵のかかっていない2階の窓を開け、中に滑り込む。
窓を開ける音が、静寂を破る。
「よしミュウちゃん、頑張って!」
そう言ってシャルは窓から地面に縄を垂らした。……えっ。
(も、もしかして私も登らなきゃだめなの!?)
「いけるいける! ミュウちゃん頑張れ! まず縄を掴んでみて!」
後衛職の筋力のなさをあまり甘く見ないでほしい。
……私はとりあえず、できるだけ高いところを掴む。
縄の手触りは予想以上に粗く、手のひらが痛い。
足を離しぶら下がると、肩と腕に一気に負荷が伝わってくる……!
(むっ、無理……! ここから腕を上げて登っていくの……!? 手、手を離すことすら……!)
「おっけー! そのまま掴んでてね!」
すると、縄が勝手に上に登りはじめる。私の体が吊り上げられていく。
どうやらシャルが縄ごと上に引っ張ってくれているみたいだった。
縄の揺れに合わせて、体が左右に揺れる。目を閉じると、めまいがしそうだ。
(で、でも、腕が限界……っ)
「手を伸ばして、ミュウちゃん!」
体が限界を迎えそうな寸前で、シャルの声が聞こえ、私は無意識で手を伸ばす。
彼女の力強い手が私を掴み、一気に引っ張られる。
シャルの手は少し汗ばんでいて、温かい。
「よっ、と! 頑張ったね!」
気付けば私はシャルの腕の中に抱えられていた。
半ばいつものポジションになりつつあるお姫様抱っこだ……。シャルの体温が伝わってくる。
「さあて、潜入といこうか!」
シャルが私を床に下ろす。騒ぐ私の心臓と呼吸に反して、内部は驚くほど静かだった。
しかし、その静けさが逆に不気味に感じられる。
廊下には魔法の灯りが淡く灯っていて、私たちの影を長く伸ばしている。
数歩進んだところで、突然床が光り始めた。
青白い光が、足元から広がっていく。
「なにこれ! 警報装置!? やばっ――」
(状態異常回復魔法)
私は咄嗟に魔法を発動させた。青白い光が床を包み込む。
その光は、まるで生き物のように蠢いているように見える。
すると警報が鳴り響く前に光が消えた。間一髪だった。
静寂が戻り、私たちはほっと息をつく。
「おお! やるねミュウちゃん!」
警報装置の作動を「異常」と捉えて「回復」したことで、装置そのものが停止したようだ。
以前、ゴルドーと一緒に入った古代の遺跡でも使用したやり方だ。
私たちは慎重に歩を進める。時折現れる警報装置も、同じ方法で突破していく。
足音を立てないように気をつけながら、ゆっくりと前に進む。
しばらく歩いていると、大きな扉にたどり着いた。
扉には「研究室」と書かれた札が掛かっている。
「ふーん。ここが研究室みたいだね……中に何かあるかも」
扉を開けると、そこには様々な魔法器具や実験装置が並んでいた。魔法薬の香りが鼻をつく。
そして、その中に少し目を引くものがある。
それは、美しく輝く剣だった。剣身から漂う魔力が、肌に触れるのを感じる。
「わぁ……なんかすごい剣!」
シャルが目を輝かせながら剣に近づくと、そこに説明書きがあった。
『試作品:魔力増幅剣』
『魔力を注ぎ込むことで、一時的に剣の斬撃力を飛躍的に高める。魔法を発動させる必要はなく、魔力のみで動作する』
「……いいね。すっごく便利そう! ちょっと借りていこうか」
(……!?)
やばいよシャル……!
これでもしアーサーが何でもない普通の嫌味な人だったら私たち、ただ犯罪を重ねてるだけだよ!?
私はそんな思いを込めて彼女を見つめたが、結局シャルが剣を手に取るのを止められなかった。
剣を持ったシャルの表情には、子供のような喜びが浮かんでいる。
そのとき、廊下から足音が聞こえてきた。私たちは慌てて隠れる場所を探す。
心臓が口から飛び出しそうなほど激しく鼓動している。
「こっち!」
シャルが小声で言い、私を引っ張り、大きな実験装置の陰に身を潜めた。
扉が開き、誰かが入ってきた。
重々しい足音が、静寂を破る。白髪の頭のてっぺんがかすかに見える。
……アーサー・グリムソンだ。
彼は部屋の中を歩き回り、何かを探しているようだった。
そして、ある装置の前で立ち止まる。
装置からは、かすかに魔力が漏れ出ているのが感じられる。
「あったあった、これさえあれば……」
彼の独り言が聞こえてきた。その声には、底知れぬ野心が滲んでいる。
私たちは息を殺して、彼の様子を窺っていた。
私の心臓は高鳴り続けていた。アーサーの足音、私たちの殺した息、そして実験装置のかすかな稼働音だけが、静寂の中に響いている。
……しばらくしてアーサーが扉を開けて去り、部屋に静寂が戻った。
実験器具のかすかな振動音だけが、耳に届く。
私たちはしばらく息を潜めていたが、廊下の足音が完全に遠ざかったのを確認してから、ようやく隠れ場所から出た。
「ふう……危なかったね~!」
シャルがため息をつく。その声には、緊張と興奮が入り混じっている。
私は無言で頷いた。心臓の鼓動がまだ収まらない。
自分の脈拍が、耳元で大きく響いているのが聞こえる。
「よし、アーサーが触っていた装置を調べてみよう」
シャルが意気揚々と言う。その目は好奇心に満ちていた。
私たちは慎重に装置に近づいた。
それは、大きな金属製の箱のような形をしていて、表面にはいくつもの複雑な魔法陣が刻まれている。
かすかに魔力が漏れ出ているのが感じられ、肌がちくちくするような感覚がする。
「ふーん……なんだろうこれ」
シャルが首をかしげながら装置を眺める。彼女の指が、魔法陣の凹凸をなぞっていく。
私も注意深く観察した。すると、装置の側面に小さな引き出しのようなものが見えた。
「あ」
思わず声が漏れる。シャルが私の視線の先を追う。
「おお、なんかあるね。開けてみよう」
シャルが引き出しに手をかけた。ゆっくりと引き出しが開く音が、静寂の中で異様に大きく響く。
金属同士が擦れる乾いた音が耳障りだ。
中には、小さなカプセルが整然と並んでいた。
それぞれのカプセルは親指ほどの大きさで、半透明の外殻の中に複雑な魔法陣が封じ込められているのが見える。
カプセルからは、かすかに魔力のようなものが漏れ出ており、空気がわずかに歪んで見える。
「これ、なんだろう……」
シャルが一つのカプセルを手に取る。その瞬間、カプセルが淡く光り始めた。
青白い光が、シャルの指の間から漏れ出す。
「わっ!」
シャルが驚いて手を離す。カプセルが床に落ち、転がる。硬質な音が静寂を破る。
その音に、私たちは身を縮めた。しかし、幸い廊下からの物音はない。
落ちたカプセルは、床で割れることはなかったが、光の強さが増している。
そして、周囲の空気が少しずつ歪み始めた。
それを見ていると少し頭痛がする。目の前がちらつき、吐き気さえ感じる。
(これは……!)
私は咄嗟に回復魔法を発動させた。青白い光がカプセルを包み込む。
すると、カプセルの光が弱まり、空気の歪みも消えていった。頭痛も和らいでいく。
「ミュウちゃん、これって……」
シャルの声が震えている。私も同じことを考えていた。
これは魔法暴走を引き起こす装置。それも、量産可能な小型のもの。
この歪みが魔法の暴走を引き起こすのだ。
「やっぱりアーサーのやつ、悪いことしてたんだ!」
シャルの声には怒りが滲んでいる。その声に、実験器具が共鳴するかのように微かに震える。
私はカプセルを拾い上げ、慎重に観察した。
確かに、これは魔法暴走を引き起こすための装置に違いない。
カプセルは冷たく、表面はつるつるしている。しかし、なぜこんなものを……。
「証拠を持って帰ろう。これがあれば、アーサーのやつを――」
シャルの言葉が途切れた。廊下から再び足音が聞こえてきたのだ。
重厚な足音が、次第に近づいてくる。
「しまった、戻ってきちゃったよ!?」
シャルが小声で叫ぶ。私たちは慌てて隠れ場所を探す。
しかし、今度は間に合わなかった。
ドアが開き、アーサーが入ってきた。ドアの軋む音が、私たちの耳に痛いほど響く。そして、彼の目が私たちに止まる。
一瞬の静寂。時間が止まったかのように感じる。
「おやおや……」
アーサーの声が、冷たく響く。
その目には怒りと同時に、何か計算するような色が浮かんでいる。
「これはこれは、お嬢さん方とこんなところでお会いするとは」
彼の口調は丁寧だが、その声には明らかな皮肉が込められている。
「アーサー! あんたが魔法暴走の黒幕だったんだね!」
シャルが叫ぶ。彼女は既に剣を構えている。その手に握られているのは、さっき「借りた」魔力増幅剣だ。
アーサーの目が、一瞬その剣に止まる。
「ほう、それは面白いものを手に入れましたね。
しかし、あなた方こそ、国の建物に忍び込んで試作の剣を盗むとは……なかなかの犯罪者ぶりです」
「うっ」
シャルが一瞬たじろぐ。確かに、私たちのほうが先に違法行為をしているのは間違いない。
「まあ、いいでしょう」
アーサーが続ける。彼の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。その笑みに背筋が凍る。
「どうせ、ここから無事に出られるとは思っていませんよね?」
その言葉と共に、アーサーが杖を取り出した。杖の先端が、不吉な光を放っている。
ただの木である私の杖とは大違いの近代的な武器だ。
その杖から放たれる魔力が、空気を震わせている。
「一応聞くけど、なんで暴走なんか起こしてたわけ?」
シャルの声が響く。しかし、アーサーの表情は変わらない。
「知りたいですか? いいでしょう。
……もはやこの国に王など必要ありません。
これからは、魔法科学省が……いや、この私が国を導くのです。これはそのための足がかりだ」
アーサーの声には狂気が滲み、蛇のような彼の目が異様な光を放っている。
「さあ、おとなしく捕まりなさい。そうすれば、痛い目には遭わせません」
アーサーがゆっくりと近づいてくる。彼の足音が、重々しく響く。
シャルは剣を構え直し、私の前に立ちはだかる。彼女の背中から、緊張が伝わってくる。
「ミュウちゃんは逃げて。あたしが食い止めるから」
「……!」
シャルの声が、小さく震えている。
この潜入が犯罪スレスレという自覚はあるのだろう。私を巻き込まないように、だろうか。
しかし、私は首を横に振る。逃げるつもりはない。
たとえ捕まってもシャルとは一緒だ。
アーサーの杖が、さらに強く光り始める。空気が重く、張り詰めていく。魔力の波動が、私たちの肌を刺すように感じられる。
戦いの予感に、私の体が震えた。
面白い、続きが気になると思ったら、ぜひブックマーク登録、評価をお願いします!




