第31話 反魔法運動
朝日が窓から差し込み、私の目を覚ました。
シャルはまだ寝ている。
彼女の寝顔は、いつもの元気さとは打って変わって穏やかだ。
赤い髪が枕に広がり、静かな寝息を立てている。
昨夜、ルークが予約してくれた宿は予想以上に豪華だった。
柔らかなベッド、高級な家具、そして窓からは街の景色が一望できる。
こんな贅沢な部屋に泊まるのは初めてで、少し落ち着かない。
「シャ……シャル」
小さく名前を呼んで肩を揺する。最近はすっかり、シャルを起こすのは私の役目だ。
「んー、もう朝?」
シャルが目を擦りながら起き上がる。彼女の髪は寝癖で少し乱れていた。
私は髪が短いほうだからいいけど、シャルは長いから寝癖が付きやすいみたいだ。
「おはよ、ミュウちゃん。よく眠れた?」
私は小さく頷く。シャルは私の頭を軽く撫でると、大きな欠伸をしながらベッドから飛び降りた。
「よーし、今日から本格的な調査だね! 朝ごはん食べて、早く出発しよう!」
彼女の元気な声に、私も気持ちを引き締めた。杖を手に取り、部屋を出る。
朝食を済ませ、宿を出ると、入り口でルークが既に待っていた。
彼は昨日と同じような上質な服を着ている。そしてその手にはスケッチブックがあった。
「おはよう、2人とも。よく眠れたかな?」
「うん! めっちゃいいベッドだったなあ。一日中寝てたいくらい」
「それはよかった。……シングルベッドの部屋にしたほうが良かったか……いやそれは露骨すぎるかもしれない……」
ルークがなにかブツブツ言っている。よくわからないが、ろくでもないことは間違いない。
「おほん。今日は下町エリアを回ってみよう。
魔法暴走の影響を、一般の人々がどう感じているか聞いてみたい」
ルークの提案に、私たちは同意した。
下町エリアに向かう道すがら、街の様子を観察する。
昨日見た華やかで近代的な通りとは打って変わって、こちらは少し古い建物が立ち並んでいる。
それでも、至る所に魔法の痕跡が見られた。
店の看板が浮遊していたり、掃除用の箒が自動で動いていたり。
通りを歩く人々の表情は、昨日見た観光客たちとは違って少し疲れているように見える。魔法暴走の影響だろうか。
「あの、すみません」
シャルが、路地で野菜を売っている老婆に声をかけた。
「最近の魔法暴走について、どう思ってる?」
老婆は少し警戒した様子で私たちを見た後、ため息をついた。
「ああ、あれかい。困ったもんだよ。先週なんて、うちの店の前で暴走が起きてね。
野菜が突然巨大化して、みんな逃げ出す騒ぎになったんだ」
老婆の話を聞きながら、私は周囲を観察していた。
たしかに、建物の壁には修復したような跡が見える。でかい野菜が壁を押し潰したのだろうか……?
「でもね、あれ、誰かがやってるんじゃないかって噂もあるんだよ」
「そうなの?」
私は老婆の言葉にドキリとする。
昨日の調査とルークの証言から、この暴走が人為的である可能性は高くなっている。
だがそれが、住民本人の口から出てきたとなれば話は別だ。私は彼女の言葉を聞く。
「ああ。だってさ、不思議なことに、お偉いさん方が住んでる高級住宅街じゃほとんど起きないらしいんだ。
下町ばっかりが狙われてる気がするんだよ」
その言葉に、ルークの表情が一瞬曇った気がした。
「へ~。でも、何が目的なんだろうね?」
「そんなことはアタシにはわからんよ。王も何も言わんしね」
「そっか。王様ってたしか、城に閉じ込められてるんだったよね」
「ふん、その話も本当かどうか……」
だいぶ王や国が嫌いそうな老婆との会話を終え、私たちは再び下町を歩きはじめた。
途中、魔法で動く水車や、空中に浮かぶ看板など、様々な魔法を目にする。
アランシアの街には、確かに魔法が深く根付いているようだ。
しかし同時に、至る所に魔法暴走の跡も見られた。
ひびの入った壁、歪んだ道路、そして住民たちの疲れた表情。
調査を続けるうち、魔法暴走に対する人々の不安や怒りが徐々に明らかになっていった。
特に下町の人々は、自分たちだけが被害を受けているという不満を抱えているようだった。
昼過ぎ、私たちが小さな広場に差し掛かったとき、突然喧騒が聞こえてきた。
「魔法反対! 我々の安全を守れ!」
広場の中央で、一団の人々がプラカードを掲げて叫んでいた。
「うわ、何アレ!?」
「反魔法派、だな。最近増加傾向にある、魔法技術からの脱却を訴える人々さ」
「ちょっと話を聞いてみようよ。これも調査の一環ってことでさ!」
「あ、おい……」
ルークは少し躊躇したが、結局シャルは1人でデモに突っ込んでいった。
私たち少し遅れてデモの群衆に近づいていく。
その時、群衆の中から1人の男性が私たちに気づき、近寄ってきた。
「君たち、どこから来たんだい? この街の人間じゃないようだね」
「うん、調査のためにノルディアスから来たんだ。これ何やってるの? 教えてくれない?」
男性は少し警戒しながらも、話し始めた。その声色は苛立っているように聞こえて、私のMPが少し削れていく……。
「我々は、この街の魔法政策に反対しているんだ。
魔法に依存しすぎて、今や制御不能になっている。
毎日のように魔法暴走が起きて、被害を受けるのはいつも我々庶民だ」
その言葉には怒りと諦めが混じっていた。なんだか耳や背中がぞわぞわする。
「でも、魔法のおかげで便利になったこともあるんじゃないの?」
「確かにな……。だが、その代償が大きすぎる。
魔法に頼りすぎて、自分たちの手で何かを作り出す力を失っているんだ。
そして今、その魔法さえも我々の手に負えなくなっている」
男性の言葉に、周囲のデモ参加者たちが同意の声を上げる。
その様子を見ながら、ルークの表情が曇っているのに気がつく。
彼は何か言いたげだったが、結局黙ったままだった。
(魔法研究員……だったっけ。この光景はきついよね……)
話を聞き終えて、私たちはデモの場を離れた。歩きながら、シャルが口を開く。
「ねえルーク、魔法って本当に安全なの? デモはともかく、現実に危ないことは起きてるよね?」
「魔法そのものは中立的なものだ。使い方次第さ。ただ……」
彼は言葉を切った。何か言いたげだったが、結局何も語らなかった。
私は黙ってルークの様子を観察していた。彼はまだ私たちに何かを隠しているように感じる。
だけどそんなもの、コミュ障にわかるはずもなく……。
私にできることはただ、彼を観察しておくことだけだった。
下町の雑踏を歩いていると、突如として異様な雰囲気が漂い始めた。
空気が重く、どこか不自然な静けさが広がる。
その瞬間だった。
「キャアアアッ!」
悲鳴が響き渡り、前方から人々が慌てふためいて逃げ出してくる。
見上げると、空中に浮いていた看板が激しく揺れ始めていた。
魔法で浮遊していたその看板は、突如として制御を失ったかのように暴れ出した。
長方形の金属に『ウィリーズバー』と書かれたその看板は、まるで生き物のように、鋭い角を人々に向けて突進していく。
「ミュウちゃん!」
シャルの声に振り返ると、彼女は既に剣を抜いていた。
その目は真剣そのもので、周囲の状況を素早く把握している。
「あたしが止める! ミュウちゃんは何かあったらサポートよろしく!」
「……!」
私は頷き、すぐさま杖を構える。
シャルは跳躍し、暴走する看板に向かって突進した。
鋭い金属音が響き渡る。
シャルの剣が看板に命中するが、看板は傷つくどころか、さらに激しく暴れ出した。
「なっ!?」
シャルの驚きの声が聞こえる。
看板は空中で彼女を払いのけ、今度は彼女に向かって突進してきた。
「シャル!」
彼女は間一髪で看板の攻撃をかわした。
しかし、状況は良いとはいえない。
シャルの攻撃は効果がなく、看板は空中を自在に旋回しながらシャルを襲う。
「もうっ、硬いな! もうちょっとなんとか……!」
シャルは地上に着地し、剣を構えて看板を睨む。そのとき、突然の静寂が訪れた。
暴れ回っていた看板が、まるで時が止まったかのように静止したのだ。それから、やかましい音を立ててがらんと落ちる。
「あれ、止まった? 何が……」
シャルの言葉が途切れる中、ゆっくりと1人の男性が道の向こうから現れた。
灰色の髪に整った髭、50代半ばといったところだろうか。
彼は高級な衣服に身を包み、右手には複雑な模様が刻まれたキューブのようなものを持っていた。
「皆さん、ご無事ですか?」
男の声は落ち着いており、どこか威厳すら感じられた。
「私はアーサー・グリムソン。魔法科学省の次官を務めております」
その名を聞いた途端、周囲にざわめきが起こった。
「グリムソンさん!」
「助かったよ! まったく、毎日ひでぇもんだ」
人々は安堵の表情を浮かべ、中には涙ぐむ者もいる。
アーサーは穏やかな笑みを浮かべながら、手に持った装置を掲げた。
「この装置は、この度開発に成功した魔法暴走抑制装置です。
今回の事態も、これで無事に収束させることができました」
歓声が上がる。人々は我先にとアーサーに駆け寄り、感謝の言葉を述べている。
「グリムソンさん、ありがとうございます!」
「何もしない王様よりよっぽど頼りになるよ」
「まったくだ。稀代の魔法使いだと言われてるが、この事態で何をしているやら」
その言葉に、アーサーはほくそ笑むような表情を浮かべたのを、私は見逃さなかった。
(……この人……)
そして、彼の視線が私とシャルに向けられた。
「おや、見慣れない顔ですね。調査のために来てくださった冒険者の方でしょうか」
「あ、うん! あたし達――」
シャルが答える前に、アーサーは続けた。
「申し訳ありませんが、そろそろこの件は解決するでしょう。
わざわざ来ていただいて恐縮ですが。ま、観光でもなされていくとよろしいでしょう」
その言葉には明らかな嫌味が込められていた。
アーサーは軽く会釈すると、人々に囲まれながら去っていった。
その姿を見送りながら、私は不意に気がついた。
ちょっと前からルークの姿が見えない。
アーサーが現れる少し前から、近くにいなかった気がする。私は周りを見渡した。
「ねえ、ミュウちゃん」
シャルの声に振り返ると、彼女は不満げな表情を浮かべていた。
「あの人、なーんか嫌な感じしない?
それに魔法暴走を止める装置なんて、本当にすぐ作れるの?」
私も同意見だった。アーサーの態度には何か引っかかるものがある。
少なくとも善意や正義心から行動している気配はなかった。気のせいかもしれないけど……。
考え込んでいると、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「すまない、少し離れていてな。どうなった?」
「あっ、ルーク! どこ行ってたの?」
ルークが小走りで戻ってきた。彼の表情には焦りの色が見える。
「ねえ、ルーク。さっきのアーサーって人、知ってる?」
「……ああ、聞いたことがある。魔法科学省の重鎮だ」
その答えに、私は違和感を覚えた。
ルークの態度には、何か隠し事をしているような様子が見え隠れする。
シャルは眉をひそめながら言った。
「なんかさ、あの人嫌な感じするんだよね。なんていうか……裏がありそうっていうか」
その言葉に、私も小さく頷いた。
確かに、アーサーの態度には何か不自然なものがあった。そして、ルークの行動にも。
「なーんか、わかんないことばっかでモヤモヤするよー! もっとガーッと調査進めらんないかなぁ?」
「それは……どうだろうか。なかなか難しいんじゃないか」
私もルークと同意見だった。私も、魔法の知識がそんなにあるわけでもない。
地道に話を聞いたりしていくしかない、ような気がするが……。
「決めた! ミュウちゃん、ルーク!」
シャルは自らの手のひらに拳をぶつける。そして、爽やかな笑みを浮かべた。
「魔法科学省とかいうとこに潜入するよ!」
…………。
「……はっ!?」
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