第30話 アランシアの夜
ルークは鉛筆を走らせながら、時折顔を上げては私たちをじっと見つめる。
その瞳は鋭く、まるで私たちの本質を見抜こうとしているかのようだ。
髪の毛一本一本まで細かく描こうとしているのだろうか。
鉛筆が紙の上を滑る音が、静かな広場に響いている。
「へぇー、ルーク。あなたの絵、すごくきれいだね!」
シャルが、ルークの隣に屈んで覗き込む。彼女の明るい声が私の緊張感を和らげてくれる。
シャルの赤い髪が風に揺れ、ほのかな花の香りが漂ってくる。
私は少し距離を置いて立ったまま、2人のやりとりを観察していた。
「描かれている最中なのにめちゃめちゃ普通に隣に来るな、君」
「だってずっと固まってるの退屈だし。あとは記憶で描いてよ」
「ええ……。仕方ないな。続きは帰ってから描くことにしよう」
彼は奔放なシャルに少し困ったように頬を掻く。スケッチブックをしまう音が聞こえる。
「それで、ルーク。あたしたち街の様子を調査してるんだけど、何か街の人から見てわかったこととかあるの?」
「ああ、いくつか気になる点があるよ。
たとえば魔法の暴走は、単なる偶発的な現象ではないと考えている者が多い」
「へえ! ガイウスも同じこと言ってたなぁ」
シャルは、アーケイディアのギルドマスターの言葉を思い返す。
たしかに、彼も人為的なものだと疑っていたっけ。
「まず、暴走の発生パターンだ。発生する時間も場所も、ある程度の規則性がある。
深夜にはあまり起きない。首都から大きく外れた範囲にも発生していないのだ。これはつまり……」
「人がやってる……しかも組織的じゃない、ってことかな?」
「その通り。聡明な女性だ」
ルークの説明は、詳細で論理的だった。ただの街の画家とは思えないほどに。
……そう語ったあと、彼は急に胸を押さえた。
「ぐぅっ……!」
「え、なになに。どうしたの? ミュウちゃん、治してあげれる?」
「い、いや……平気だ。ただ――」
彼は息を整える。フー、と長い息を吐いた。
「百合カップル相手に『聡明な女性だ』とか口説くみたいな口を効くのって、百合の間に挟まる男みたいだな……と、体が拒絶反応を起こしただけだ」
「まずあたし達別にカップルじゃないし……よくわかんないけどなんかキモいね!」
(辛辣……!)
いつになく辛辣なシャルに苦笑する。
けど、仕方ないかもしれない。この人明らかに不審者だし……。
しかし人物像はともかく、ルークがただの画家でないことは確かだ。
服装もただの白い市民服だが、よく見ると高価な素材で作られているようだ。
手入れの行き届いた爪や金髪、どことなく上品な物腰……。身分が高いのだろうか?
ルークの身につけている服から、かすかに高級な香水の香りがする。
「ミュウちゃんはどう思う? 魔法の暴走、見ててわかることとかあった?」
シャルの声に、私は我に返る。
「……あ、えっと……まだ……」
私は小さな声で答える。ルークの目が、一瞬だけ私に向けられる。
その瞳に、何か探るような色が浮かんでいるような気がした。
そのとき突然、地面が揺れ始めた。
近くの建物から、不気味なうなり声が聞こえる。
地面の振動が足の裏から伝わってくる。
「うわっ、また魔法の暴走!?」
シャルが叫ぶ。建物の壁に、不自然な亀裂が走る。
魔力のほとばしる青い光が、その亀裂から漏れ出している。
その光は、まるで生き物のように蠢いている。
道行く人々の悲鳴が響き渡った。パニックに陥った群衆の足音が、地面を震わせる。
「危ない! みんな下がってくれ!」
ルークの声が、突如として変わる。それは、まるで指揮官のような威厳に満ちた声だ。
彼は両手を広げ、複雑な詠唱を始める。
その姿は、もはや完全に画家のそれではない。
「我が意に従え。荒ぶる力鎮め、静寂を取り戻さん」
青白い光が、ルークの体を包み込む。
その光は徐々に広がり、暴走している建物を覆っていく。
光が広がるにつれ、空気が震えるのを感じる。
(これは……結界魔法? しかも、かなり高度な……)
私は息を呑む。これほどの魔法を、瞬時に詠唱し発動させるなんて。
少なくとも、過去に戦った石の密議のリーダーよりも魔法の実力は高いみたいだ。
光に包まれた建物は、ゆっくりとその形を元に戻していく。
亀裂は塞がり、漏れ出ていた魔力も収束していく。
建物が元の姿に戻る様子は、まるで時間が巻き戻っているかのようだ。
数分後、すべてが元通りになった。まるで何事もなかったかのように。
静寂が戻った広場に、人々の安堵のため息が漂う。
「おー、すごい! ルーク、魔法得意なの?」
ルークは、少し疲れた表情を浮かべながらこちらに向き直る。
額に浮かんだ汗が、陽の光を受けて輝いている。
「まぁそんなところかな。実は、私は魔法研究員なんだ。
美しき百合を描く画家というのは世を忍ぶ仮の姿さ」
彼は一瞬言葉を切り、私たちの反応を窺う。
シャルは後半については白けた目で見つめていた。
「君たちは街の様子を調査していると言ったね。それにガイウスとも知り合いらしい。
どうだろう。私も君たちの調査に同行させてはもらえないか?」
「うーん……まぁちょっとキモいけど、現地の人だし、知識もあるしね。
あたしはいいよ。ミュウちゃんは?」
シャルは不承不承ながらルークの提案を受け入れたようだ。
しかし私は、まだ少し躊躇している。ルークの正体が気になって仕方がない。
(でも、少なくとも悪い人ではなさそうだし……)
私はルークとシャルを見てから、ゆっくりと頷いた。
■
そんな騒動を終える頃には、日は沈み始めていた。
夕暮れ時のアランシア王国の街並みはオレンジに染まり、とても美しかった。
空が朱色に染まり始める中、私たちはルークに導かれるまま街を歩いていた。
シャルは相変わらず元気いっぱいで、あちこち指さしながら歩いている。
私は少し疲れを感じつつも、この不思議な街の雰囲気に魅了されていた。
「ほら、見てごらん。あれがアランシア王国の誇る魔法ランタンだ」
ルークが指さす方向に目をやると、街路樹に吊るされた美しいランタンが目に入った。
太陽が沈むにつれ、それらが次々と淡い光を放ち始める。
青や紫、淡いピンクなど、様々な色の光が街を彩っていく。
その光は、まるで生き物のように揺らめいている。
「わぁ、きれい! ミュウちゃん、見える?」
私は小さく頷く。確かに美しい光景だ。
ランタンの柔らかな光が、シャルの赤い髪を優しく照らしている。思わずドキッとしてしまう。
(ルークが変なことばっかり言うから……なんか意識しちゃう……)
「これらのランタンは、空気中の魔力を利用して自動で点灯するんだ」
ルークが説明を続ける。
「昼と夜の境目を感知して、徐々に明るくなっていく仕組みさ」
歩きながら耳を傾けていると、通りの向こうから賑やかな声が聞こえてきた。
「おや、ちょうどいいタイミングだ。夜市が始まったようだね」
ルークの案内で、私たちは夜市へと足を向ける。
通りに入ると、たくさんの屋台が並んでいるのが見えた。
様々な匂いが鼻をくすぐる。
「わぁ! なんかすっごくいい匂い! あたしあれ食べたい!」
彼女が指さしたのは、大きな鍋で煮込まれている何かだった。ルークが微笑んで説明してくれる。
「ああ、あれは『魔法使いの煮込み』というこの国の名物料理だよ。
様々な魔法薬草を使った煮込み料理なんだ」
「へぇ~。どんな効果があるの?」
「そうだな……食べた人の潜在能力を引き出す、なんて言われているけど。
正直、ただの美味しい煮込み料理さ」
私たちは屋台で「魔法使いの煮込み」を注文した。
屋台の前に広げられたテーブルの上に熱々の料理が置かれ、思わず顔がほころぶ。
肉と野菜がゴロゴロ入った濃厚なシチューのような料理だ。
スプーンですくうと、とろみのあるソースが絡みつく。
一口食べると、口の中に複雑な香辛料の風味が広がった。
「うまーい! ね、ミュウちゃんも食べてみて!」
言われるまでもなく、私も夢中で食べていた。確かに美味しい。でも、潜在能力が引き出されるような感じは……しない。
そんな食事を楽しみながら、私たちは夜市を歩き回った。
魔法の装飾品を売る屋台や、占い師の屋台などが並んでいる。
人々の笑い声や、屋台の呼び込みの声が賑やかに響いていた。
ふと気がつくと、ルークが少し離れたところで誰か白髪の老人と話をしているのが見えた。
「……ああ……問題ない……」
「では、引き続き……」
その人物は、どことなく身なりのいい様子。話し声は聞こえるが、何を言っているのかまではわからない。
ルークに会釈をして去っていく後ろ姿を見て、私は少し不思議に思った。
(あの人、かなり身なりが良かったけど……やっぱり、貴族とかなのかな)
考えているうちに、ルークが戻ってきた。
「さて、そろそろ宿に向かおうか。
今日はゆっくり休んで、明日から本格的に調査を始めよう」
私たちが頷くと、ルークは夜市を出て大通りへと案内してくれた。
街はすっかり闇に包まれ、魔法のランタンだけが道を照らしている。
歩きながら、ルークは街の歴史や文化について語ってくれた。
「この国は初代王の時代から、魔法と科学の融合を重視してきたんだ。
だからこそ、他の国にはない独特の文化が根付いているんだよ」
「だよね。いろんな種族がいるし、いい国だと思うよ!」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
彼の話を聞きながら、私は改めてこの街の不思議さを感じる。
確かに、見たことのない装置や魔法の痕跡が至るところにある。
人間以外の種族がこんなにいるのも意外だった。
「でも、最近の魔法暴走で、反魔法の声も出てきているらしい」
ルークの声が少し沈む。その目はかすかに鋭さを帯びていた。
「何とかしなければ……」
……そうだ。私たちがここにいるのは単なる観光のためではない。
この国の危機を何とかするためなのだ。
「大丈夫だよ、ルーク! あたしたちが何とかするから!」
シャルの言葉にルークは少し驚いたような、でも嬉しそうな表情を見せた。
「ありがとう。君たちの力を借りられて、本当に心強いよ」
私も小さく頷く。確かに不安はあるけれど、きっと何とかなるはず。
そう思わずにはいられなかった。
宿に向かう道すがら、私は今日一日のことを思い返していた。
不思議な魔法の街、美味しい料理、異種族、そして……ルークという謎の人物。
(ルークは本当に魔法研究員なのかな……)
その正体について、私はまだ釈然としない思いがあった。
明日からの調査では、もっと彼のことがわかるかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、シャルが私の腕を掴んだ。
「ねえミュウちゃん、あれ見て!」
彼女が指さす先には、大きな時計塔があった。
その頂上では、魔法の光で作られた幻想的な星座のような光が輝いている。
「わぁ……」
思わず私も声が漏れる。綺麗だ。その奥にある本物の星も、遥か遠くで輝いている。
「アランシアの星座の塔だ。毎晩0時になると、星座が変わるのさ」
私たちはしばらくその美しい光景に見とれていた。
星座の光が、シャルの目に映り込んでキラキラと輝いている。
(綺麗……)
私は思わず、シャルの横顔をじっと見つめてしまった。
ハッとして慌てて目をそらす。
ルークがそんな私たちの様子を、ものすごく口角が上がった顔でニヤニヤと見つめていた。顔怖いよ。
「さあ、宿はもうすぐだ。協力のお礼に金は払っておいたから、気兼ねなく休んでほしい」
「いいの? ありがとー! ルークって金持ちなんだねぇ」
「はっはっは。ある所にはあるものだからな。では私はこれで!」
颯爽と去っていくルークと別れ、私たちは宿への道を急いだ。
明日からは本格的な調査が始まる。今夜はゆっくり休んで、旅の疲れを癒やすことにしよう……。
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