第3話 馬車に乗り行こう
朝の明るい日差しが差し込む中、私は重たい荷物を抱えながら、シャルの後を歩いていた。
――結局あのあと、完全に出来上がるまで酒を飲んでいたシャルは酒場で眠ってしまい、私たちは宿で一晩を過ごすことになっていた。
「ごめんごめん、ホントーーにごめん! 今日こそはちゃんと出発しようね!」
シャルは起きた途端、ベッドの上で土下座を繰り返していた。
その喉の奥から漏れる言葉は、まだアルコールのぬくもりを感じさせる。
それを見ていると、先行きが不安になった。
(はぁ……この人はお酒飲ませないほうがいいのかもなぁ……)
通りには人々の喧噪が響き渡り、路上にはごみがちらほら落ちている。
色とりどりの衣装を身にまとった人々が行き交う町並みを、私は重い足取りで歩いていく。
装備や補給品の購入、次の目的地の検討など、やることはまだまだ多い。
「これが必要だ」「あれも欲しい」と、シャルは次から次へと別の店に行こうとするので、ついていくのも大変だ。
人付き合いが苦手な私にとって、こんなに長い間人と行動を共にするのは初めての経験で、非常に疲れる。
人ごみの中を歩くたび、周りの雑音がMPを奪っていくのがわかった……。
そんな歩くだけで疲労困憊な私に、シャルがにぎやかな声をかけてきた。
「ねぇミュウちゃん、アレ見て」
シャルが指差した先を見ると、そこには馬車が1台停まっている。
その周りには、浅黒い肌に民族衣装を身につけた商人たちがいた。
どこかから来た遠方の旅人のようだ。
シャルの目が輝き、そちらに走っていく。
何をしたいのかわからずに不安になりつつ、私も彼女の後を小走りで追った。
「ねえねえ、あなたたち行商人?」
「オー、そうダヨ。これカラまた別のとこに売りに行くネー」
「オーゥ、そりゃ素晴らしいネー! そんな行商人にお願いがあるんだけどネー!」
なぜシャルまでが訛りを使い始めたのかわからないが、初対面の人間とのコミュニケーションは私にとって大変だ。できるだけそこへ割り込もうとは思わない。
「あたし達、冒険者でね。次の街に行きたいから、一緒に馬車乗せてよ!」
「ハァ~? ありえナイネー! 馬車は商品積むものヨ~!」
「その代わりに、あたし達が道中護衛してあげるから! 知ってる? つい昨日の夜も、街の外れで魔物が出て襲われた人がいるんだよ!」
「ヒィ~! マジィ?」
「そうそう、マジ! でも大丈夫! あたしのパートナーは凄腕のヒーラーだから、もし何か起きてもすぐ治してくれるよ!」
私は心の中で、シャルの勝手な話に小さく溜息をついた。
とはいえ金がないのなら労働力を提供する、という交渉手法は悪くないと思う。
シャルの熱心なトークの末、商人たちも、護衛がついてくれるメリットを理解したようだ。
「フゥ~! そりゃ悪くないかもしれんネー!」
「よしっ、じゃあ交渉成立だ!」
交渉を終え、ニコニコ顔のシャルが私の元に戻ってきた。
「よかったね! タダで馬車に乗せてくれるんだって!」
(全部聞こえてたからね。タダじゃないでしょ)
私は心の中で突っ込む。でも、彼女のような明るい性格でなければ、この交渉も成立しなかっただろう。私にはできない業前だ。
(ま、行商人だけなら……他の人もいないし、いいかな……)
私は小さく頷き、シャルの案を了承した。馬車の護衛か。初めての体験だ……。
■
馬車は、ゆっくりと街を出て行った。
車輪が石畳を転がる音が規則正しく耳に届く。
私たちは馬車の後部に乗せてもらっている。
荷物の隙間に腰掛け、リズミカルに揺れる車体に身を任せながら、シャルと行商人たちの会話を聞いていた。
木の匂いのする荷物に囲まれ、時折風に乗って野花の香りが漂ってくる。
「ねえねえ、あなたたちはどこから来たの?」
「オー、遠い南の国カラネー。ここまで2ヶ月以上かかったヨ」
「へぇー! そりゃすごいね! どんな国なの?」
「とっても素敵なトコよー! 果物がたくさん採れて、みんなそれを食べてるネー!」
シャルの質問攻めに、行商人たちは嬉しそうに答えている。
依頼人との関係も良好のようだ。彼女のこういう明るさは、少し羨ましくさえある。
街を出てしばらくすると、周囲の景色が一変した。
舗装された道は土の道となり、建物に囲まれた景色は広々とした草原に変わる。
馬車の揺れも大きくなり、時折小石を踏む音が響く。
遠くには山々が連なり、青い空に白い雲がゆっくりと流れていく。のどかな風景だ。
(……なんか、癒やされるなぁ)
ギルド勤めのときは、こんなふうに遠くの景色を見たことなんてなかった。
この1年間で見ていた景色は、ギルドの内装ばかり。
たまに外に出ても、街の建物に塞がれて、遠くなんて見えるはずもなく。
こんなふうに空や地平線を見たのは、いつぶりだろう。
世界の広さに、青々とした草の匂いに、ギルド追放の悩みなんて小さいものに思えてくる。
風に吹かれる草の音が、静かな音楽のように耳に心地よい。
ふと、シャルが私の方を向いた。彼女の赤い髪が風に揺れている。
「ねえ、ミュウちゃん。あんまり喋らないけど大丈夫? 酔っちゃった?」
私は小さく首を横に振る。別に話さなくても平気なだけだ。
むしろ、こうして景色を眺めているほうが落ち着く。しかし、シャルはそれで満足しなかったようだ。
「そっか、よかった! でもさ、せっかくだし少しお喋りしない? ね? 考えてみたらあたし、ミュウちゃんの声ほとんど聞いたことないし!」
……困ったなあ。こういう状況は本当に苦手だ。
でも、シャルの期待に満ちた目を見ると、何か言わなければという気持ちになる。喉が乾いたように感じる。
「ぁ……あの……え、えっと……ヘヘッ……」
目を泳がせ愛想笑いしながら言葉を探していると、突然馬車が大きく揺れた。
木箱が倒れる音と、驚いた馬の嘶きが響く。
「……っ!」
「なんだ!?」
シャルが立ち上がり、前方を見る。私もつられて顔を上げた。
そこには、大きな影が立ちはだかっていた。巨大なオーガだ。身長は3メートルはあるだろう。
豚鼻の顔、灰色の肌に、赤い目。片手に巨大な木の枝――というかもはや、丸太のようなものを持っている。
その姿から、獣のような臭いが風に乗って漂ってくる。
「魔物ダー! 止まれ!」
行商人の叫び声とともに、馬が急停止をかけた。
激しい嘶き声とともに、私たちは荷物もろとも後ろに転がる。
荷物が崩れそうになる音と、驚いた叫び声が入り混じる。
シャルは素早く立ち上がり、馬車から転がり降りると背中の大剣を抜いた。
鞘から抜かれる剣の金属音が鋭く響く。
「よーし、来た来た! ミュウちゃん、準備はいい?」
私は頷きながら、杖を握りしめる。
杖から魔力が伝わり、手のひらがほんのり温かくなる。
オーガは大きな声で吠えると、こちらに向かって走ってきた。
地面が揺れるのを感じる。その足音は、まるで小さな地震のようだ。
「行くよ!」
シャルが叫ぶと同時に、オーガに向かって飛び出した。
その背中を見送りながら、私は何があってもいいように杖を握りしめていた。
心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
シャルの剣とオーガの枝が激しくぶつかり合う音が響く。
金属音と木の砕ける音が交互に鳴り、目まぐるしい攻防が繰り広げられる。
空気を切り裂く剣の音と、オーガの荒い息遣いが混ざり合う。
シャルの動きは鮮やかだ。オーガの攻撃をかわしながら、隙を見つけては剣を振るう。
その細腕で扱うには厳しいであろう大剣も、遠心力でうまく扱っているみたいだ。
彼女の赤い髪が、剣の動きに合わせて舞う。
しかし、オーガの力は人間に比べてはるかに強大だ。
一撃でもまともに受ければ、シャルの体は吹き飛ばされてしまうだろう。
オーガの攻撃が空を切るたびに、突風のような音が響く。
私は必死にその攻防を見続ける。
シャルが傷ついたら、すぐ回復をしなければ。杖を握る手に力が入る。
そのとき、均衡が崩れた。
「くっ!」
オーガの攻撃が、シャルの左腕を掠めた。血が滴る。
――その瞬間、私の回復が完了した。
「……って、あれ?」
青白い光が一瞬シャルの腕を包み込む。
傷が瞬時に塞がり、まるで怪我など元々負わなかったかのようだ。
光の消えた後には、きれいな肌だけが残る。
「……!? あれ!? 今あたし攻撃受けなかった!? 気のせい? 敵の闘気にやられたみたいな感じ!?」
シャルの声が高速で響き渡る。戦闘中もこんな感じなんだ……。ギルドマスターに苦情が行くのもわかる気がする。
「いや、なるほど、わかったよ。これがミュウちゃんのヒールってことね!
実質怪我する心配はないってわけだ。なら全力でいける!」
彼女はそう理解すると剣の柄を握り直す。
新たな気力を得て、オーガに立ち向かっていった。
今までは大剣のリーチを活かして少しずつダメージを与えていたシャルの攻撃。
だが今度は違う。より深く懐に入り込む。
ヒールの力を確信しての、無謀にも思える接近。
それがかえってオーガの意表を突いた。
脂肪を蓄えた大きな腹の前で、シャルが剣を構え――
「そりゃああああっ!!」
一気に、振り上げた。
一拍遅れて血飛沫が舞い、オーガは断末魔の叫びを上げ、仰向けに倒れたのだった。
巨体が地面に倒れる大きな音と、土煙が立ち上る。
戦いの終わりを告げるかのように、風が吹き抜けていった。
■
「やったぁ!」
シャルが両手を挙げて喜ぶ。その赤い髪が、風に揺れて輝いていた。
(よかった……シャルも、他に怪我はないみたい)
私は小さくため息をつく。
緊張から解放された体に、疲労が押し寄せてくる。背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
ヒールを使用した疲労、ではない。
人の怪我の具合を見ておかないといけないという、全く別種の疲労感だった。喉の奥がカラカラに乾いている。
「ねえねえ、ミュウちゃん! あたしが攻撃受けた瞬間、すぐに傷が治ったんだけど! あれってミュウちゃんの魔法? すごいよね!」
シャルが興奮気味に私に話しかけてくる。
その目は輝いていて、まるで子供のようだ。
彼女の声には高揚感が溢れ、なんだかこちらの疲れが消えていくみたいだった。
「……」
私は小さく頷く。シャルの興奮ぶりに、少し圧倒されてしまいながら。
戦いで上がった彼女の体温が、近くまで迫ってくるのを感じる……。私はつい顔を背けてしまった。
「オーゥ! みんな無事カ!?」
行商人たちが、恐る恐る馬車から顔を出す。彼らの顔には安堵の色が浮かんでいた。
シャルが元気よく手を振って応えた。
「大丈夫だよー! 魔物はもう倒したから!」
その声を聞いて、行商人たちがホッとした表情を浮かべる。彼らの肩の力が抜けていくのが見て取れる。
しかし、その安堵の空気は長くは続かなかった。
「ヒヒィィィィン!」
突然、馬車を引いていた馬が大きな嘶き声を上げた。その声は耳を劈くように鋭く、周囲の空気を一変させる。
(えっ、何!?)
私は驚いて馬の方を見る。
馬は目を見開き、前足で地面を掻いている。耳をピンと立て、全身の筋肉が緊張しているのが分かる。
その体は震え、口から泡を吹いていた。馬の荒い息遣いが聞こえ、その不安と興奮が伝わってくる。
「どうしたの!? なんか馬暴れてるよ!」
「ちょっと、おとなしくシロッテ! オイ、閃光覇王丸!」
行商人たちが慌てて馬を抑えようとする。彼らの声には焦りが滲み、動きにも慌てた様子が見える。
しかし、馬は更に興奮してしまった。蹄が地面を強く叩き、土煙を上げる。
……どうでもいいけど、閃光覇王丸って馬の名前? さすがに名前負けしすぎじゃない?
「クソッ! まずいゾ、このままじゃ馬車ガ……!」
閃光覇王丸に引っ張られて馬車が大きく揺れ、積んであった荷物が崩れそうになる。
木箱がぶつかり合う音が響き、不安定な状況を物語っている。
見かねたシャルも馬に近づこうとするが……。
「お、落ち着きなって閃光覇王丸! なんで怒ってるの? 名前に見合った活躍ができない己を憂いて!?」
「ヒヒィィーーン!!」
「ダメだ! 近づくナ! そいつは人間を蹴飛ばスゾ!」
(このままじゃ……)
私は状況を見て取り、咄嗟に考えた。このままでは荷物も、馬車も破損しかねない。
(ヒール魔法……人間以外に使うの久しぶりだけど……)
迷う時間はない。私は決心して、おずおずと馬に近づいた。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
「ミュウちゃん!? 危ないよ! ふっ飛ばされちゃうよ!」
シャルが心配そうに叫ぶ。行商人たちも、驚いた顔で私を見ている。
彼らの視線が、背中に突き刺さるようだ。相変わらずら注目されるのは緊張する。
でも今は、彼らの反応を気にしている場合じゃない。
私は恐る恐る、でもしっかりと馬に近づいていく。
馬は私を警戒しているようだが、それでも近づくことはできた。
ゆっくり動いたおかげだろうか。
馬の荒い息遣いが、間近に聞こえてくる。
(お願い……うまくいって……!)
私は馬の首に優しく手を当てる。
馬の体温と毛並み、震える筋肉の感触が伝わってくる。そして、目を閉じて集中した。
杖から魔力が溢れ出す。注ぎ込む魔力は、普段の普通のヒールのものとは違う。
馬の体が緑の光に包まれた。その光は柔らかく、周囲の空気さえも和ませるようだ。
(精神回復魔法――)
「……あ!」
シャルが小さく声を上げる。行商人たちも、息を呑む音が聞こえる。
空気が一瞬止まったかのような静寂が訪れる。
光が消えると、馬の興奮が嘘のように収まっていた。
その目は穏やかで、呼吸も落ち着いている。馬の体からは、安らかな温もりが感じられた。
「す、スゲェ!」
「馬が……おとなしくナッタ……! 助かっタ!」
行商人たちが驚きの声を上げた。ふぅ、と肩の力が抜ける。安堵の空気が場を包み込む。
「ミュウちゃん! すごいよ! どうやったの!? 人間だけじゃなくて馬までヒールできるなんてねぇ!」
シャルが駆け寄ってきて、私の両肩を掴む。その力強さに体が揺さぶられる。
「……っ!」
私は言葉が出ず、ただガクガク揺らされることしかできない。やばい。首がゴキゴキ鳴ってる。
「やっぱりミュウちゃんって凄いね! ねえねえ、その歳でどうやってそんな魔法覚えたの? 今度教えてよ!」
私はシャルの勢いに少し困惑しながらも、内心では少しだけ嬉しさを感じていた。頬が熱くなるのを感じる。
続いて行商人たちも近づいてきて、お礼を言ってくれた。
「本当に助かったヨ! ありがとう!」
「お嬢ちゃんのおかげで、荷物も無事ダ! 大損するトコだっタゼ……!」
私は言葉で返すことができず、ただ小さくお辞儀をする。
頭を下げると、ほんのりと汗ばんだ額に風が当たる。
(……自分の力を認めてもらう、って。こんなに気分がいいんだなぁ)
全然知らなかった。見返りとか、褒められるとか、そんなの求めるべきじゃないと思っていたけど。
これからは、少しくらい――。求めてもいいのかもしれないと思った。