第29話 暴走する魔法の国
馬車が大きく揺れ、私は目を覚ました。
窓の外を見ると、見慣れない街並みが広がっている。
アランシア王国の首都、アーケイディアに到着したようだ。
「ミュウちゃん、起きた? 見て見て、すごい景色だよ!」
シャルの興奮した声に、私は窓から身を乗り出して外を見る。
確かに、息を呑むような光景が広がっていた。
街の入り口には、巨大な魔法の障壁が張られている。
その表面がキラキラと虹色に輝いていて、まるで巨大なシャボン玉のよう。
障壁の前では、獣耳の警備兵が厳重なチェックを行っている。
彼らの耳が小刻みに動く様子が、緊張感を物語っていた。
馬車が検問を通過すると、街の中の様子が目に飛び込んできた。
そこには、まさに魔法が暴走した世界があった。
道路脇の街路樹が巨大化し、枝が建物の窓を突き破っている。
その間を縫うように、小さな妖精のような存在が飛び交っていた。
普通は目に見えないとされる妖精たちだが、魔法の影響で姿を現しているらしい。
「うわ! 見て、あの噴水!」
シャルが指さす先では、町の中央にある大きな噴水が、水の代わりに炎を噴き上げていた。
その周りでは、水属性の魔法使いたちが必死に消火活動を行っている。
彼らの中には、魚のような特徴を持つ人魚族の姿も見えた。
「しかし、ここすごいねー。いろんな種族がいるみたい」
「アランシアには、この大陸有数の魔法学園もあるんでね。いろんな種族が魔法を学びに来てるのさ」
「へー。獣人族に、エルフ族……多種族国家ってやつだねえ」
馬車の御者はそう説明してくれる。
私たちは彼にお金を払うと、改めて自分たちの足で街を歩き出した。
街を歩く人々の様子も普通ではない。
空中に浮かぶ荷物を必死に引っ張る商人、突然逃げ出した品物を掴もうとする買い物客。
皆、困惑しながらも日常を送ろうと奮闘している。
「すごいね……でも大変そう」
シャルの言葉に頷く。
たしかに、街全体が魔法のお祭りのような雰囲気だけど、市民の表情を見ると困惑や疲れが見て取れる。
この状況が長く続いているのだろう。一晩なら面白くても、こんな事態が続くとそりゃ疲れるよね。
そうして市場の近くを通ると、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「あ、おなかすいたー! ね、ミュウちゃん、あそこで何か食べていこうよ」
シャルに促され、そちらに向かう。市場は活気に満ちていて、様々な種族の人々が行き交っている。
エルフの耳を持つ女性が営む八百屋、ドワーフの職人が作った魔法の調理器具を売る露店、そしてオーク族の屠畜店。
その光景は、まさに種族のるつぼだった。
そのうち1つの屋台に近づくと、独特な香りが漂ってくる。
「いらっしゃい! アランシア名物の魔法パイはいかがかな?」
屋台の主人は、角の生えた獣人族のようだ。彼が差し出したのは、色とりどりの小さなパイ。
「これ、何が入ってるの?」
「ふふ、それが面白いところさ。魔法で味が変わるんだ。口に入れるまで何の味か分からないってわけよ」
「へー、いいじゃん! じゃ、あたしはこれ!」
興味津々のシャルに促され、私もパイを一つ手に取る。
口に運ぶと、最初は何の味もしなかったが、徐々に甘い香りが広がり、最後にはスパイシーな後味が残った。
不思議な食感と味の変化に、思わず目を見開いてしまう。
「わー、おいしい! ミュウちゃんのは?」
シャルは顔を輝かせながら聞いてくる。
「なんか甘い……? スパイシー……?」
と、私は小さく答えた。起き抜けだからMPも潤沢で、ちょっとなら喋れそうだ。
「へー、私のはしょっぱくて、最後にフルーティーな味になったよ。面白いねこれ!」
喜ぶシャルを見て、屋台の主人は嬉しそうに笑う。
「そうそう、今の魔法暴走のおかげで、味の変化がより激しくなってね。
お客さんに喜んでもらえるなら、これも悪くないかもしれないねぇ」
その言葉に、アランシアの人々の逞しさを感じる。
どんな状況でも前を向こうとする姿勢が伝わってきた。
パイを頬張りながら歩いていると、突然目の前の建物が揺れ始めた。
「わっ、地震!?」
シャルが叫ぶ。しかし、揺れているのはその建物だけだった。
「違うわ、魔法の暴走よ」
近くにいた猫耳の少女が教えてくれる。冒険者なのか、軽装に小さな弓を持っている。
「こういうの、最近よくあるの。すぐに収まるわ」
彼女の言葉通り、数分すると建物の揺れは収まった。
しかし、窓ガラスが全て鏡に変わってしまっているようだ。
「うわ眩しっ! アレいつ直るの?」
「すぐに直るときもあるし、未だに直ってない建物もあるわ。
それより、あなたたち旅人?
街の外れにギルドがあるから、何か困ったことがあったらそこに行くといいわよ」
猫耳の少女は軽く手を振ると、何事もなかったかのように歩き去っていった。
私は辺りを見回す。まずはギルドに行って詳しい状況を聞くべきだろう。
「よーし、じゃあギルドに向かおっか!」
シャルの元気な声に頷きながら、私は街の奥へと歩き始めた。
■
ギルドの建物は、街の中心からやや離れた場所にあった。
その外観は魔法の影響を受けていないようで、安定している。
黒い壁に整然とした彫刻が為された綺麗な建物だ。
「ここがアーケイディアのギルドかー。あたしらも結構いろんなギルドに来てるよね」
「……」
私は小さく頷く。これで3件目。
グラハムのギルドは……なんか嫌な場所だったけど、ノルディアスはいいところだった。ここはどうだろう?
入り口で腕章を見せると、すぐに中へと通された。
内部は忙しない雰囲気に包まれていて、様々な種族の冒険者たちが行き交っている。
「おー、やっぱり種族多いね。見たことない種族の人もいるよ!」
「あ、ノルディアスからのお2人ね?」
声をかけられ、振り返る。エルフのような尖った耳を持つ女性が、にこやかに微笑んでいた。
「ギルドマスターがお待ちよ。こちらへどうぞ」
「ありがと! 大変そうだねー、このギルドも」
「そうでもないわ。冒険者は揉め事が仕事だから、書き入れ時ってやつよ」
逞しく笑う彼女に案内されるまま2階へと上がると、「ギルドマスター執務室」と書かれた扉があった。
ノックをすると、中から「どうぞ」という声が聞こえる。
部屋に入ると、大きな机の向こうに年配の男性が座っていた。
白髪交じりの髪と髭、そして片眼鏡の向こうにある鋭い眼光が印象的だ。
「よく来てくれた。私がこのギルドのマスター、ガイウスだ」
ガイウスは立ち上がると、私たちに近づいてきた。
その歩き方には、かつての冒険者としての風格が感じられる。
「アルバートから話は聞いている。君たちの力を借りたい」
ガイウスは机の上に広げられた地図を指さした。そこには街の各所に赤い印がつけられている。
「これらの場所で、特に強い魔法の暴走が起きている。原因はまだ分かっていないが、どうやら人為的なものらしい」
「人為的?」
「ああ。自然現象なら、もっと別々に暴走が起きるはずだ。これだけ大きな暴走が同時に多発するとなると、明らかに計画的だ」
ガイウスの表情が曇る。
「しかし、証拠がない。そこで君たちに調査してもらいたい」
私は小さく頷く。街を歩いているだけでも何個の異常があったかわからないほどだ。
こんなことが頻繁にあるんじゃ、とても国としての運用はできないだろう。これはイレギュラーな事態だということだ。
「了解! でも、具体的に何をすればいいの?」
「まずは街の状況をよく観察してほしい。そして、この地図に印をつけた場所を重点的に調べてくれ」
ガイウスは私たちに地図の写しを渡した。
「何か分かったら、すぐに報告してくれ。そして……王宮のことも気にかけてほしい」
「王宮? あー、アルバートがなんか言ってたね!」
「ああ。魔法障壁が暴走して、中の人間が出られなくなっているんだ。
王族や重要人物も閉じ込められている」
王族が閉じ込められている……。王宮は想像以上に深刻な様子だ。なんだかんだ少し楽しそうだった街とは状況が異なる。
「分かった。できる限りのことをするよ」
シャルの言葉に、ガイウスは安堵の表情を浮かべた。
「頼むぞ。A級冒険者としての君たちの力を信じている」
ギルドを出ると、既に日が傾き始めていた。宿の確保もそろそろしないといけないかも。
「さて、どこから調べようか」
シャルが地図を覗き込む。
その時、近くの広場で騒がしい声が聞こえた。
「ちょっと、何してるのよ!」
「あ痛っ! アッすまない! アッでもその目もいい!」
声のする方を見ると、若い男性が女性たちの前でスケッチブックを広げている。
彼の目の前には、困惑した表情の女性が2人。うち1人が彼の頬を叩いたようだ。
「いやぁ、素晴らしい光景なので思わず筆が走ってしまった! 2人はどういう関係かな? 恋人同士だったりするのかい!?」
「ないわよ! ただの友達よ」
「ただの友達!! それはそれでいい響きだ!」
男性の声は上ずっていて、目は異様に輝いている。
彼は熱心にスケッチを続けながら、時折ブツブツとつぶやいている。
「いやあやはり百合はいいなぁ。いかなるカップルにも百合の波動は流れているものだ」
「ねぇミュウちゃん、あの人ヤバくない?」
シャルの言葉に頷く。でもあんまり大きい声でそういうこと言わないほうがいいと思う。
その時である。男性が私たちの方を向いてしまった。ほらやっぱり聞かれてたって!
「おお!」
彼の目が、まるでダイヤモンドを見つけたかのように輝く。
「ンー素晴らしいぞ! これこそ私が求めていた究極の……!」
彼はスケッチブックを持ちながら猛スピードで私たちの方に駆け寄ってきた。
「そこなるお2人! どうか、このルークの絵のモデルになってくれないだろうか!?」
突然の出来事に、私は戸惑いを隠せない。この男性……ルークとかいう人は、一体何者なのだろう。
そして、なぜこれほどまでに興奮しているのだろうか。
シャルは警戒しながら、やや私の前に出た。庇ってくれているようだ。
「ミュウちゃん、どうする? しばいとく?」
「……っ!」
しばいちゃだめだよ! と伝えようとする。私の慌てた様子を見て、とりあえずシャルは拳を引っ込めてくれた。
そんな間にも、ルークは既にスケッチを始めていた。その筆さばきは尋常ではない速さだ。
「噂通り素晴らしい……この赤髪と、この静かな佇まいのコントラスト!
しかも小さい側の子を守ろうとする仕草! アーッ、筆が! 筆が止まらない!」
ルークの独り言が聞こえてくる。周囲の人々は呆れたように、そして少し警戒するように私たちを見ている。
「なんかちょっと腹立ってきたなぁ! やっぱり殴ってもいい?」
「……っ!」
私は必死にシャルを止める。この奇妙な状況の中、私たちの調査は始まるのだった……。
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