第28話 緊急依頼
朝日が窓から差し込み、私の瞼を優しく撫でる。
目を開けると、レイクタウンでの最後の朝を迎えていた。
ベッドから起き上がり伸びをすると、骨がポキポキと鳴る。その音が静かな部屋に響く。
シャルはまだ寝ていた。いつも通りのことだ。
昨晩の興奮が冷めやらず、寝付きが悪かったのかもしれない。
彼女の寝息が、規則正しく部屋に漂っている。
窓を開けると、湖から涼しい風が吹き込んでくる。
水の香りが鼻をくすぐり、街が目覚める音が耳に届く。
商人たちの元気な掛け声、市場の活気ある喧噪、そして遠くで鳴る朝の鐘の澄んだ音色。
「んー……おはよぉ~」
シャルの声に振り返ると、彼女がベッドの上で大きな伸びをしていた。
シーツがこすれる音が聞こえる。
「予定がないといつまでも寝ちゃうねぇ……あたしもミュウちゃんを見習わないと」
私は苦笑する。シャルは起き上がると、窓際に来て外を眺めた。
「うーん、いい天気! レイクタウン最後の朝にふさわしいね」
シャルの声には、少し寂しさが混じっているように聞こえた。
その声に、私も少し胸が締め付けられる感覚を覚える。
朝食を取りに、宿の食堂へ向かう。
階段を降りる足音が、静かな朝の館内に響く。
木の階段が軋む音が、私たちの足音に混ざる。
食堂に入ると、温かい料理の香りが漂ってきた。
テーブルには、焼きたてのパンや新鮮な果物、湖で獲れた魚の燻製が並んでいる。
席に着くと、シャルが話し始めた。
その手にパンを掴み、ひとくちかじる。パンの表面がサクッと音を立てる。
「レイクタウンでの冒険も、振り返ってみるとすごかったよね」
私は頷きながら、パンに手を伸ばす。
焼きたてのパンの香ばしい香りが鼻をくすぐる。
ちょっとかじろうとしたが、熱くて一旦断念する。もうちょっと冷まそう……。
「最初は単なる水不足なのかと思ったら、湖底に遺跡があって、そこに化け物がいるなんて」
シャルは熱心に話しながら、りんごを頬張る。皮と身が破れ、パリッというジューシーな音が聞こえる。
果汁が口角からこぼれそうになり、彼女は慌てて指で拭った。
「ドラウトっていったっけ? あの化け物、ホントに強かったよね。
ミュウちゃんの魔法がなかったら勝てなかったと思う」
たしかに、あの戦いは厳しかった。何しろ物理攻撃があまり効かない相手だ。
しかし、シャルとナイアの協力があったからこそ勝利できたのだと思う。
私1人だったら、カラカラに干からびて死んでいた気がする。その想像に、思わず身震いする。
「でもさ、水を浄化するなんて普通のヒーラーじゃできないよね?
やっぱりミュウちゃんは特別なんだねぇ」
シャルの言葉に、少し照れくさくなる。頬が熱くなるのを感じる。
そう……なのかな。
でも、それを誇るのは気恥ずかしい。
聖女とか呼ばれるのはもっと恥ずかしいけど。
朝食を楽しんでいると、金属質な硬い足音が近付いてくる。
その音が食堂の静けさを破る。
音の方を見ると、ナイアが立っていた。彼女の鎧が朝日に照らされ、キラリと光る。
「おはよう、2人とも。朝食の邪魔をして申し訳ないわ」
「おっはよー、ナイア! 邪魔なんかじゃないよ。一緒に食べる?」
「そうしたいところではあるけど、悪いわね。今日はこれを届けに来たの」
ナイアは私たちのテーブルに近づいてきた。
彼女の手には、小さな箱と袋が握られている。箱からは、かすかに木の香りがする。
「これ、街の人々からの感謝の品よ。それと、これが謝礼金」
ナイアは箱と袋を私たちに手渡した。箱を開けると、レイクタウンの特産品らしき小物が詰まっていた。
湖の水を使って作られたガラス細工や、地元の織物など、繊細な工芸品の数々。
それぞれに、街の人々の感謝の気持ちが込められているようだった。
触れると、滑らかで冷たい感触が指先に伝わる。
「わぁ、すごい綺麗! ありがとう、ナイア!」
シャルが目を輝かせながら、ガラス細工を手に取る。
それは湖面に波紋が広がる様子を模したもので、光に当てると美しく輝いた。
その輝きが、テーブルの上に虹色の光を散らす。
「で、こっちがお金? ええと、1枚2枚……。……50クラウン!?」
「街1つ救ったのよ。これくらいはあって当然だわ」
「ひゃー……なんか知らないうちにだんだんお金持ちになっていくね、あたし達……」
私もその金貨の輝きにしばらく目を奪われていた。
これまでの稼ぎを合算すると1年、いや2年くらいは遊んで暮らせそう……。
「そ、そうだ。街の復興状況はどうなの?」
ナイアは少し考え込むような表情を見せてから答える。その表情に、少しの疲れと希望が混ざっているように見える。
「順調よ。水位も徐々に回復してきて、街の機能も少しずつ戻ってきているわ。
それと、仮設ギルドが一旦お役御免になったの」
「え? どういうこと?」
シャルが首を傾げる。
「本来、レイクタウンのギルドは湖の上の浮島にあるのは言ったわね?
今回の件で水位が戻ってきたから、浮島が浮かび上がって、ギルドの本部にも行き来が簡単になったの」
「そっか! てことは、街の中心が戻ってきたんだね」
「ええ。次にレイクタウンに来たときは、きっと完全に元通りになっているわ。その時にでも、見学してみてね」
ナイアの言葉に、私たちは頷いた。また来る機会があるかもしれない。
その時は、きっと今と違った景色が見られるだろう。その想像に、心が温かくなる。
朝食を終え、出発の準備を始める。
荷物をまとめながら、レイクタウンでの思い出が頭の中を駆け巡る。
湖底の冷たい水の感触、ドラウトとの戦いの緊張感、シャルと泳いだこと……。
それらの記憶が、鮮明に蘇ってくる。
――そんな中、突然、規則的で高い音がどこかから鳴り響く。それが連続する。
その音は、静かな部屋の中で異様に響き渡る。
「なんだろこの音? ……あ、ミュウちゃん! 腕章!」
腕章……? 私は左腕につけた腕章を見る。
すると、それの表面に刻まれた丸いマークが音とともに軽く光っていた。
その光が、部屋の中で明滅している。
「……!?」
な、何これ!? どういう機能!?
よく聞くと私の腕章だけではなく、シャルの腕章も光っているみたいだ。
とりあえず、光っている部分に手で触れてみる――すると音が消え、代わりに人の声が聞こえてきた。
その声は、まるで目の前で話しているかのようにクリアだ。
『聞こえるか? 私だ。アルバートだ』
「ギルドマスター!? へー、この腕章こんな機能まであったんだ!」
アルバート。ノルディアスのギルドマスターだ。
しかし彼が一体どういう用件なのだろう?
『緊急の依頼だ。ノルディアスとの交易もある、アランシア王国で奇妙な事件が起きている』
アルバートの声には、いつもの落ち着きがない。私とシャルは顔を見合わせた。
『突如として、王都の至る所で魔法の暴走が起きているんだ。街路樹が突然巨大化したり、噴水から炎が吹き出したり……』
アルバートの説明を聞きながら、私は頭の中でその光景を想像する。
街中が混沌に包まれる様子がありありと思い浮かぶ。
『最も深刻なのは、王宮の魔法障壁が暴走して、中にいる王族や貴族たちが閉じ込められてしまったことだ』
「えっ、それってやばくない?」
『ああ。アランシア王国は魔法国家として知られている。
もし魔法の暴走が収まらなければ、国全体が危機に陥る可能性がある』
アルバートの声からは状況の深刻さが伝わってくる。
『君たち2人のA級冒険者に、この事態の調査と解決をお願いしたい。特にミュウ、君のヒールの力が役立つかもしれない』
私は小さく頷く。レイクタウンでの経験も活きるかもしれない。
『……返事がないが、頷いてるのか?』
「……!」
「あー、そうだよ! ミュウちゃんオッケーだって。もちろんあたしもね!」
そっか……これ音声しか繋がってないから喋らなきゃいけないのか。
……私この機能使えるかな……。顔の見えない相手と話すとか、普通に話すよりきつい気がする……。
『詳細は、アランシア王国の首都アーケイディアに到着次第、現地のギルドで聞いてくれ。至急向かってほしい』
「オッケー、わっかりました! すぐに出発するよ!」
通信が切れると、私たちは急いで荷物をまとめ始めた。
レイクタウンの穏やかな朝の空気とは打って変わって、部屋の中は慌ただしい空気に包まれる。
準備を終えて宿を出ると、ナイアが待っていた。
「そろそろ出発するのね。どこか目的地があるの?」
「うん。ギルドマスターが、アランシア王国ってとこに行ってほしいんだってさ」
「アランシア……なるほど」
ナイアは何かを考え込む素振りを見せた。
「アランシア王国といえば、とても大きな魔法図書館があることで有名よ。もし行けたら、ぜひ見学してみて」
「へぇ! 行ってみたいな!」
私も興味をそそられる。世界最大の魔法図書館。
もしかしたら、私が使っているヒール魔法についての手がかりもあるかもしれない……。
レイクタウンの人々が、私たちを見送るために集まってきた。
その中には、神殿の神官たちの姿もある。
「聖女様、どうかお気をつけて」
「また来てくださいね!」
見送りの声に、私は少し照れくさくなる。聖女呼び、まだ慣れない……。
次の国では、今度こそ聖女みたいなことをするのはやめようと誓った。
そんな私の横で、シャルは元気よく手を振る。
「みんな、ありがとう! また来るからね!」
馬車に乗り込み、レイクタウンを後にする。窓から見える湖の風景が、徐々に遠ざかっていく。
揺れる馬車の中、私は思いを巡らせる。
レイクタウンでの冒険で、私はさらなる自分の力の可能性を知った。
水を浄化する力。それは単なる回復魔法ではなく、もっと深い何かがあるのかもしれない。
そして、アランシア王国での新たな冒険。魔法の暴走。私の力で何とかできるのだろうか……。不安だ。
ふと、シャルの様子が気になった。
彼女は窓の外を眺めながら、何か考え込んでいるようだ。
「シャル……?」
私が声をかけると、シャルは少し驚いたように振り返る。
「あ、うん? 大丈夫だよ、どうかした?」
「…………」
しかし、その表情には何か引っかかるものがあった。
私が彼女をじっと見つめると、観念したようにシャルが口を開く。
「実はさ。ドラウトとの戦いのこと、ちょっと気になってるんだ」
「……?」
「あのとき、あたしの攻撃があんまり効かなくて。
ミュウちゃんの魔法がなかったら、本当に勝てなかったと思うんだ」
シャルの声には、珍しく自信のなさが混じっている。
「だから、アランシア王国に着いたら、魔法攻撃も学んでみようかなって。
世界最大の魔法図書館があるんでしょ? きっと何か参考になるはずだよね」
私は小さく頷く。シャルの決意に、心強さを感じる。
「い、一緒に……頑張ろう」
小さな声でそう言うと、シャルの顔が明るくなった。
「うん! ミュウちゃんも一緒に魔法を学ぼうね!」
(いや、私は学びはしないけど……!)
馬車は揺れながら、アランシア王国へと向かっていく。窓の外では、新しい冒険を予感させるような鮮やかな風景が広がっていた。
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