第27話 蘇る湖
窓から差し込む朝日で目を覚ます。
カーテンの隙間から、湖面がキラキラと輝いているのが見える。
シャルはまだ寝ているみたいだ。彼女の寝息が静かな部屋に響いている。
レイクタウン、滞在5日目。
ベッドから起き上がり、窓際に立つ。足の裏に冷たい木の床の感触を感じる。
湖の水位が、昨日よりもさらに上がっているのがわかる。
ほんの数日前まで見えなかった湖面が、今ではこの位置からでもはっきり見えた。
魚の群れが時折水面を跳ねる様子も見える。
その度に、キラリと銀色の光が湖面から反射する。
「んー……おはよー、ミュウちゃん」
シャルの声に振り返ると、彼女がベッドの上で大きな伸びをしていた。赤い髪が寝癖で乱れている。
「あれ? もう起きてたの? 相変わらず早起きだねー」
シャルはそう言いながら、ゆっくりとベッドから這い出してきた。
彼女の動きに合わせて、ベッドがきしむ音がする。その音が静かな朝の空気を切り裂く。
「ねえねえ、湖の様子どう?」
私は小さく頷いて、窓の外を指さす。
シャルも窓際に来て、外を眺める。彼女の体温が近くに感じられる。
「おお! すごい、水増えてる! あたしらの活躍のおかげだね!」
シャルが興奮した様子で言う。
私の肩を叩く彼女の手に、少し力が入っている。その衝撃で、私の体が少し揺れる。
「そうだ! せっかく湖が復活したんだし、街の様子見に行こうよ!
きっと前とは全然違う雰囲気になってるはず!」
シャルの提案に、私は少し躊躇する。人混みは苦手だしなぁ……。
でも、確かに街の様子は気になる。小さく頷くと、シャルの顔がパッと明るくなった。その笑顔は、まるで太陽のようだ。
「よし! じゃあ準備して出かけよう!」
シャルの勢いに押され、私は急いで身支度を整えた。
部屋を出る際、私は杖を持つのを躊躇したが、結局持っていくことにした。もしものときのために。
杖の木の感触が、どこか安心感を与えてくれる。
宿を出ると、街には既に活気が戻り始めていた。
水不足の心配がなくなったせいか、人々の表情が前よりずっと明るい。
道行く人々の会話も弾んでいるように見える。
街全体に、希望に満ちた空気が漂っているようだ。
「わー、すごい変わったね! ねえミュウちゃん、あそこ見て!」
シャルが指さす先には、昨日まで閉まっていた噴水が勢いよく水を吹き上げていた。
噴水の周りには子供たちが集まり、水しぶきを浴びて喜んでいる。
その光景に、思わず微笑んでしまう。
水の音と子供たちの笑い声が、心地よいハーモニーを奏でている。
私たちは、ゆっくりと街を歩いていく。
本当なら運河をボートで進む形で移動するのがこの街の基本らしい。
だが運河の水位はまだ上昇しきっていないようで、ボートは解禁されていない。
私たちの観光は、足で歩いてのものになる。
石畳の道を歩く足音が、規則正しく響く。
シャルが興味を持った店に立ち寄ったり、地元の人と会話を交わしたりしている。
私はその後ろをついて歩く。周囲の様子を観察しながら。
通りには露店が並び始め、新鮮な野菜や魚が売られている。
この水上都市にも畑はあるみたいだ。
野菜の香りと魚の生臭さが混ざり合い、独特の市場の匂いを作り出している。
「あ、ミュウちゃん! あそこのカフェ、いい感じじゃない? ちょっと休憩しない?」
シャルが指さしたのは、湖畔にある小さなカフェだった。
白い石で作られた建物で、テラス席からは湖全体が見渡せるみたいだ。
私は小さく頷き、シャルについて行く。
中に入り席に着くと、優しげな女性のウェイターがメニューを持ってきてくれた。
シャルが熱心にメニューを見ている間、私は湖を眺める。
穏やかな水面が、風に揺れてキラキラと光っている。
少し前まで、この位置からでは水は見えなかったのだろう。
湖からの心地よい風が、私たちの頬を撫でていく。
「よーし、決めた! ミュウちゃんも何か食べる?」
シャルの声に我に返る。メニューを見ると、確かにおいしそうな料理がたくさん描かれている。
湖魚のグリル、水草を使ったサラダ、地元の野菜のスープなど、水の恵みを感じさせる料理が並んでいる。
でも、どれを選んでいいかわからない。
「じゃあ、ミュウちゃんにはこれにしとくね! 絶対美味しいから!」
シャルが私の分まで注文してくれた。
ありがたいような、少し心配なような……。
しばらくすると料理が運ばれてきた。
シャルの前には、大きな魚のグリルが。私の前には、湖の幸を使ったサラダが置かれる。
まともなチョイスだ! 料理からは、香ばしい匂いと新鮮な野菜の香りが立ち上る。
「いただきまーす!」
シャルの元気な声に合わせて、私も小さく「いただきます」と呟く。
サラダを一口食べると、新鮮な野菜の味が口いっぱいに広がる。
小魚にかかったドレッシングが、全体の味を引き立てている。思わず目を見開いてしまった。
野菜のシャキシャキとした歯ごたえと、魚の旨味が絶妙なバランスを保っている。
「どう? 美味しい?」
シャルが焼けた魚を口いっぱいに頬張りながら聞いてくる。私は小さく頷く。
「でしょ! ここの料理、すっごく美味しいんだって。
水不足の時は休業してたらしいけど、また営業再開できて良かったって、さっきの人が言ってたよ」
シャルの話を聞きながら、私は黙々と食事を続ける。
カフェの中には、料理の香りと客たちの穏やかな会話が漂っていた。
「でもミュウちゃん、サラダだけで足りる? 頼んだあたしが言うのもなんだけど!」
「…………」
どうだろう。サラダはおいしいけど、たしかに少し足りないような。
でも、もう一品なにか食べるにはお腹の空き容量が足りないような……。
そんなふうに悩んでいると、シャルは魚の肉をフォークで突き刺して私に向けた。
「はい、あーん!」
「……っ」
あーん……。あーん……!?
これをこのまま食べろと……!? い、いや、別にいいんだけど。いや、うん。ええと……。
私は観念して口を開け、雛鳥のようにシャルの魚を待つ。頬が熱くなるのを感じる。
「ミュウちゃん、もうちょい口開けて! 口が小さいよ!」
「……っ」
これでも結構開けてるつもりなんだけど……。
できるだけ頑張ってさらに開くと、魚が口に押し込まれる。
塩味と焼けた皮の香ばしさが口に広がる。
咀嚼すると、少し乾いた魚の肉の味わいがさらに拡散した。魚の旨味が舌の上で踊る。
「おいしい?」
「……ん……」
食事を終え、ほっと一息ついたところで、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あら、お2人さん。こんなところで会うなんて」
店の中を振り返ると、そこにはナイアが立っていた。
彼女の姿を見て、シャルが大きな声を上げる。
「わー、ナイア! 奇遇だねー!」
ナイアは私たちの席に近づいてきた。
その表情は、2日前に探索をしたときよりもずっと明るく見える。彼女の足音が、静かな店内に響く。
「2人のおかげで、街が活気を取り戻しつつあるわ。本当にありがとう」
ナイアがそう言って深々と頭を下げる。
私は少し困惑しながら、小さく首を振る。そんなに大げさなことじゃないのに。
「いやいや、ナイアも一緒に戦ってくれたんだから! ねえ、ミュウちゃん?」
私は小さく頷く。あの戦いでは、ナイアの活躍も大いにあったと言えるだろう。
私とシャルだけでは、ドラウトは倒せなかった……と思う。
「そうそう! それより、街の様子はどう? 復興は順調?」
シャルの質問に、ナイアは少し考え込むような表情を見せた。
その表情に、わずかな影が差す。
「ええ、水不足の問題は解消されつつあるわ。ただ、完全な復興にはまだ時間がかかるでしょうね。
水位も回復しきっていないし、何より水不足で街を離れた人を戻さないと」
ナイアの言葉に、シャルが少し残念そうな顔をする。
でも、すぐに明るい表情に戻った。その変化の早さに、私は少し感心する。
「でも、これからどんどん良くなっていくんだよね! 楽しみだなー」
シャルの言葉に、ナイアも笑顔で頷く。
そんな2人のやりとりを、私は静かに聞いていた。
「そうだ、ミュウ。あなたにお願いしたいことがあるの」
ナイアの言葉に、私とシャルは顔を見合わせる。
彼女の声には、少し緊張した色が混じっている。
「実は、神殿からの要請があるの」
ナイアの言葉に、私は少し身を固くする。カフェの椅子がきしむ音が聞こえた。神殿からの要請……? 私に?
「神殿の神官たちが、ミュウの力を直接見たいと言っているの。水を浄化する能力をね」
ナイアの声には、少し興奮が混じっているように聞こえる。
シャルが目を丸くする。その瞳に驚きの色が宿る。
「へぇ! そんなこと頼まれるなんて、ミュウちゃんすごいね!」
「……!?」
私は困惑した表情でシャルを見る。別にそんなに大したことじゃ……。
「ミュウ、お願いできるかしら?
神官たちも、レイクタウンを救ってくれた恩人に会いたがっているし、シャルも一緒に来てくれる?」
ナイアの真剣な眼差しが、私の心に重くのしかかる。
「え~、あたしが恩人? あはは、なんか照れるねえ」
シャルの明るい声が、カフェの静かな空気を揺らす。
ナイアの真剣な眼差しに、断る言葉が出てこない。
小さく頷くと、ナイアの表情が明るくなる。その笑顔に、部屋全体が明るくなったような気がした。
「ありがとう。では、これから神殿へ案内するわ」
私たちは席を立ち、会計を終えるとナイアについて歩き始める。
カフェを出ると、街の喧噪が耳に入ってくる。
人々の話し声、商人の呼び込みの声、遠くで鳴る鐘の音。
湖畔に沿って進むと、湖にせり出すような大きな建物が見えてきた。
白い石造りの壁に、青と緑の装飾が施されている。
屋根には水を象った彫刻が並び、太陽の光を反射して輝いていた。
その姿は、まるで水面から立ち上がる巨大な水晶のようだ。
「ここがレイクタウンの神殿よ」
建物の荘厳さに圧倒されそうになる。
以前水がなかったときは少し寂しげに見えたが、今はいかにも豪奢に見えた。
建物の周りには、水を表すような青い花が咲き乱れている。
その香りが、風に乗って私たちの鼻をくすぐる。
神殿の中に入ると、涼しい空気が私たちを包み込んだ。
湿度の高い外気から一転して、乾いた涼しさが肌を撫でる。
床には複雑な模様が描かれ、壁には水のほとりに光り輝く女性が立っていると思われる絵が飾られている。
それらの絵は、まるで生きているかのように光を反射して輝いていた。
静寂が支配する中、かすかに水の滴る音が聞こえる。
その音が、神殿の神聖さをさらに際立たせているようだった。
奥へ進むと、大きな円形の部屋に出た。
天井が高く、足音が反響して響く。
中央には浅い池みたいなものがあり、その周りに数人の老人たちが立っていた。
神官たちだろう。彼らの白い衣装が、室内の薄暗さの中で浮かび上がって見える。
「こちらが、レイクタウンを救った冒険者のミュウさんです」
ナイアが私を紹介すると、神官たちが一斉にこちらを向いた。
その視線に、思わず身を縮めそうになる。
神官たちの目には、好奇心と期待が混ざっているように見えた。
「よく来てくれました、ミュウさん。それにシャルさん」
中央のおじいさんが柔和な笑顔で語りかける。
その声は年齢を感じさせつつも、力強さを秘めていた。
「まずはあなたがたに最大限のお礼を。
この街を救ってくださって、本当にありがとうございます」
「いやいやそんな~」
シャルの声が、部屋中に響き渡る。厳かな雰囲気が少し削がれて、気が楽になったかも。
「それとミュウさん。ナイアから、魔法によって水を浄化したと聞きました。
あなたの力を、この目で見せていただけませんか?」
長老が池を指さす。その指は、年齢を感じさせる皺があるものの、しっかりとしている。
私は躊躇しながらも、池の縁に歩み寄る。
水面に映る自分の姿が、不安そうに揺れていた。
深呼吸をして、杖を水面に向ける。
杖の冷たい感触が、手のひらに伝わる。目を閉じ、精神を集中させる。
(水を癒やす……水を浄化する……。浄化魔法)
すると、杖の先から青白い光が放たれた。その光が水面に触れると、池全体が淡く輝き始める。
光の波紋が、池の端まで広がっていく。
光が消えると、池の水が見違えるほど澄んでいた。
底に沈んでいた泥も消え、小さな水草が生き生きと揺れている。
水面が鏡のように滑らかになり、天井の模様が完璧に映し出されている。
神官たちから驚きの声が上がる。その声が、部屋中に響き渡る。
「ま、まさか……本当に!」
「言い伝えにあるとおりだ。聖女の伝説の……!」
私は少し困惑しながら、神官たちを見る。「聖女」? またそのワード!?
「聖女ってなに? なんか言い伝えがあるの?」
「ええ。このレイクタウンの湖は、元は酷く汚れた水溜まりでしかなかったと言われています。
しかしある日湖に聖女が現れ、その湖を浄化した。以来、湖には命が溢れ、澄んだ水が人々を潤したといいます。
それがこの街の始まりだと」
長老の声には、畏敬の念が込められている。
「おお……ミュウちゃんの魔法と一緒だ!」
偶然の一致だよ……! ていうかその話もいわゆる言い伝えとかじゃないの!?
「ミュウさん。いえ……聖女殿」
「へァっ」
中央の神官が近づいてきて、私の手を取る。その手は温かく、優しさに満ちていた。
「その力を、我々の街のために活かしてはくれませんか」
「……!?」
つ、つまり……この街の神官になってほしいってこと!? さすがにそれは……!
私はシャルを見上げる。助けを求めるような目で。
「あー……ミュウちゃんは嫌だってさ。冒険者としてやりたいことがあるから」
シャルの声が、私の気持ちを代弁してくれる。心の中でほっとする。
「なんと……そうですか。残念ですが、それも仕方がないかもしれません。
あなたの力は、まさに神からの贈り物です。これからもその力で、多くの人々を助けてあげてください」
「アッ……ア……は、ハイ……」
長老の言葉に、私は小さく何度か頷く。そこまで大げさに言われると、少し照れくさい。
あと、また聖女……。なんか聖女伝説が積み上げられていってないかな……。
神官との謁見が終わり神殿を出ると、夕暮れ時になっていた。
湖面が夕日に照らされ、オレンジ色に輝いている。
その光景は、まるで湖全体が燃えているかのようだ。
「ミュウちゃん、すっごかったよ! あんな風に水がキレイになるなんて!
まさに聖女だね。もうこのまま聖女を名乗ろうよ」
「……!?」
シャルが興奮した様子で言う。その声には、冗談めかした調子が混じっている。
私は首を横に振った。そんなの名乗って変に目立ちたくないんだけど!
「聖女って言っても、歴史を探せば何人もいるわ。
あなたが名乗っても別にいいと思うけど?」
ナイアもからかうように笑顔で言った。その目には、楽しそうな光が宿っている。
やだー……! 私の困惑した表情に、二人は楽しそうに笑っている。
「さあ、夕食でも食べに行きましょう。今日の締めくくりに」
私たちは湖畔を歩きながら、夕暮れの景色を楽しんだ。街全体が、穏やかな空気に包まれている。
水の音、風の音、人々の笑い声。
それらが全て調和して、心地よいメロディーを奏でているようだった。
面白い、続きが気になると思ったら、ぜひブックマーク登録、評価をお願いします!




