第26話 深淵の渇き魔
ドラウトの巨体が、水槽から吸収した水で膨らむ。その姿は、まるで巨大な水風船のようだ。
「はあっ!」
シャルが叫びながら、大剣を振り下ろす。
しかし、ドラウトの体表にある水晶めいた箇所を切り裂くことはできず、剣が弾かれてしまった。
「なっ!?」
驚くシャルに向かって、ドラウトが手のひらを向ける。
次の瞬間、高圧の水流が放たれた。
「くっ!」
シャルは間一髪で剣を引き戻し、刀身で水流を受け止める。
だが水流の威力は殺しきれず、そのまま吹き飛ばされてしまう。
壁に激突し、痛みに顔をしかめる。
「シャル!」
ナイアの声が響く。彼女は細剣を構え、ドラウトに襲いかかる。
剣先から放たれる青い光が、ドラウトの体を貫く。
「ぐおおっ!」
ドラウトが苦しむ声を上げる。
しかしその傷はすぐに水で満たされ、元通りになってしまう。
「こいつ、再生能力まであるの!?」
「なんかあたしらが戦う相手、再生能力多くない!?」
ナイアの声には焦りが、シャルの声には呆れが混じる。
ドラウトは両手を広げ、周囲の空気中の水分まで吸い取り始めた。空気が乾いていく。
私は、シャルとナイアの様子を見守りながら、回復の準備をする。
2人とも傷を負い、息も荒い。このままでは長くはもたないだろう。
(中回復魔法……!)
私は精神を集中させ、両手から青白い光を放つ。空中に拡散する光がシャルとナイアを包み込む。
「これは……!」
ナイアが驚いた声を上げる。傷が癒え、体力が回復していくのを感じたのだろう。
「ありがと、ミュウちゃん! よーし、こっからだ!」
シャルの声が弾む。彼女は再び立ち上がり、剣を構えた。
――その時、ドラウトの動きが一瞬止まった。
私の回復魔法を見て、何かを感じ取ったようだ。
「む、うっ……貴様、その光ッ……」
「……?」
ドラウトの声には、明らかな動揺が混じっている。
私の回復魔法が、彼にとって何かの脅威にでも感じられたのだろうか……?
「ナイア、今だよ!」
シャルの声とともに、2人が一斉にドラウトに襲いかかる。
シャルの大剣とナイアの細剣が、息の合った動きでドラウトを攻撃する。
「くっ……このっ……! 図に乗るなァッ!」
ドラウトは両手から水流を放ち、二人を押し返そうとする。
しかし、シャルとナイアは彼の懐に潜ってそれをかわし、攻撃を続けた。
「もう見切ったわ。その水流はたしかに脅威……だけど、腕の向きのとおりにしか放たれない」
「た、たしかに! ナイアすごい観察眼だね!?」
「……気付いてなかったのに避けたの?」
ナイアは半ば呆れながらシャルを見る。まぁ、シャルっぽいよね。
私も2人のサポートに徹する。傷を負うたびに回復魔法を放ち、2人の動きを止めさせない。
徐々に、ドラウトの動きが鈍くなっていく。
水晶のような表皮の奥、体内の水が減っていくのが見て取れる。
「くそっ……こんな小娘どもに……!」
ドラウトの声には焦りが滲む。シャルとナイアの連携に、追い詰められていくのを感じているのだろう。
そのとき、ドラウトの頭が水槽に向けられた。
「ふん……これで終わりだ!」
ドラウトは両手を広げ、水槽に向かって突進する。その意図を察したナイアが叫ぶ。
「まずい! 水を吸収させちゃダメよ!」
しかし、もう遅かった。
ドラウトの体が水槽に触れた瞬間、内部の水が渦を巻き、大量の水が彼の体内に吸い込まれていく。
「はははっ! これで私は無敵だ!」
ドラウトの体が、見る見るうちに膨張していく。その姿は、もはや人型ではなく、巨大な水の塊と化していた。
「みんな、気をつけて!」
ナイアの警告が響く中、ドラウトの体が光り始める。
まるで、体内に閉じ込めた水のエネルギーを一気に解放しようとしているかのようだ。
シャルとナイアが私の前に立ちはだかる。二人の背中越しに、ドラウトの姿が見える。
その瞬間、ドラウトの体から強烈な光が放たれた。
「……っ!」
思わず目を閉じる。耳をつんざくような轟音とともに、大量の水流が放出される音が聞こえる。
水しぶきを浴び、息を呑んだ。……だが、痛みはない。
「……?」
どうなったのだろうか。あれほどの攻撃だ、2人も無事ではいられないかもしれない。
不安の中恐る恐る目を開けると、そこには――
――そこには予想外の光景が広がっていた。
「オ、オ、オオ……ウオオオオオッ!?」
ドラウトの体の内側から、青白い光が放射されている。それは、私の回復魔法と同じものだった。
「な、何だ……なんだこの水は!?」
ドラウトの声が苦しげに響く。巨大な水の塊となった彼の体が、徐々に透明度を増していく。
「ミュウちゃん、これって……」
「……??」
シャルが驚いた声で言う。
私も、状況を理解するのに少し時間がかかった。
「き、貴様ッ……我の水に何をしたッ……!」
(水……?)
そのとき、ふと思い出す。そうだ。湖で使った回復魔法で、水が浄化されたんだっけ。
あの水は回復魔法の影響か、アンデッドであるドライフィッシュを浄化していた。
もしあのドライフィッシュがドラウトの眷属なのだとすれば、ドラウトもまた見た目に反してアンデッドなんじゃないだろうか?
だから、湖で浄化された水を大量に吸収したことで苦しんでいるのでは……?
「ぐあああっ、あああああ……!」
ドラウトの悲鳴が響き渡る。
その体が、まるでガラスが砕けるようにひび割れていく。
「みんな、伏せて!」
ナイアの声とともに、私たちは地面に身を伏せた。
次の瞬間、轟音とともにドラウトの体が爆散した。
大量の水しぶきが、周囲に飛び散る。
しばらくして、静寂が訪れる。
「み、みんな……大丈夫~?」
シャルの声に、私とナイアは頷く。
立ち上がると、そこにはもうドラウトの姿はなかった。
代わりに、大量の水が床一面に広がっている。
「やった……みたいね」
「最後が自滅ってのはちょっと情けないけどね!」
ナイアが感心したように言う。床に広がる水は驚くほど透明で、きれいだった。
「それにしても、水の浄化かぁ。ますます聖女っぽくなってきたね!」
シャルが私の肩を叩く。その衝撃で、思わずよろめく。聖女ネタがまた増えてしまう……!?
「あいつが水を奪っていた魔物なのだとすれば、これでレイクタウンの水不足はある程度解決するでしょう。
でも、どうやってこの大量の水を地上に戻しましょうか」
ナイアはドラウトが使っていた水槽や、この広間のあちこちに流れる水路を眺める。
その時、地面が揺れ始めた。
「な、なに!?」
シャルが驚いて叫ぶ。床に溜まっていた水が、まるで水槽に吸い込まれるように消えていく。
「これは……」
ナイアが何かに気づいたように言う。
「この遺跡、もともと湖の水を制御するための施設だったのかもしれない。
ドラウトが消えたことで、本来の機能を取り戻したんじゃないかしら」
ナイアの推測に、私たちは頷く。確かに、壁に刻まれた模様を思い出すと、そんな気がする。
逆流する水のようなものが描かれた模様。
アレはおそらく、古代ここにあった機能を表したものではないだろうか。
しばらくすると、遺跡全体が揺れ始めた。砂や石のようなものが降り注いでくる。
「何が起きるかわからないわね。急いで出口を……」
ナイアの言葉が途切れる。私たちは顔を見合わせた。
そうだ、入り口はどこだったっけ……!?
「アレじゃない? 上の方見て」
シャルが天井を指差す。そこには丸く綺麗な穴が空き、光が差し込んでいた。
「そうね……考えてみれば、私たちは地上で水門に飲まれてここに来たんだっけ。出入り口は上ね」
ナイアの声に私たちは頷く。しかし、あの高さまでどうやって行けばいいんだろう。
いくらシャルでもあの高さまでジャンプするのは無理だろうし……。
そう思った瞬間、足元から水が湧き上がってきた。その水は私たちを包み込み、まるでエレベーターのように持ち上げていく。
「わっ!」
「2人とも、マスクを!」
ナイアの言葉に従い、私は外していたマスクをもう一度装着し、思わず目を閉じた。
水に包まれながら上昇していく感覚。
しかし、不思議と水の圧迫感はない。この水自体が、私たちを守ってくれているかのようだ。
しばらくして、波の音が遠ざかり、ゴボゴボという水中の音だけが聞こえる時間が続く。
体の浮遊感に目を開けると、そこには湖面が広がっていた。
「戻ってきた……わね」
ナイアの声には、安堵の色が混じっている。
どうにか泳ぎながら湖面を見渡すと、水位が明らかに上がっているのがわかった。
とはいえ、恐らく以前と同じ姿にまで戻ったわけではない。
まだまだ陸地の岸辺までは遠く、岸辺には驚いた表情でこちらを見つめる人々の姿があった。
「やったね、ミュウちゃん!」
「……っ!? ごぼぼぼぼ」
シャルが私を抱きしめる。その重みで、ギリギリ浮かんでいた私の体は沈む!
「あっ、ごめんミュウちゃん大丈夫!? でもマスクしてるよね!?」
「ごぼごぼ……はっ」
「何してるの……さあ、みんなに報告しに行きましょう」
冷静なナイアの声がツーンと心に染み入る。
こうして、レイクタウンの危機はひとまず去ったのだった……。
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