第25話 湖の底
激しい水流に飲み込まれ、私の意識は一瞬遠のいた。
体があちこちに引っ張られる感覚。
冷たい水が肌を撫で、耳に水の轟音が響く。
その揺れ動きが止まってしばらく。
目を開けると、そこは水中ではなく、空気で満たされた不思議な空間だった。
突然の環境の変化に、一瞬目眩を覚える。
「ここ、は……?」
自分の声が響き、はっとする。声が空間に反響し、不思議な余韻を残す。
マスクを外してみるが、呼吸ができる。
冷たく、少し湿った空気が肺に入ってくる。ここは水中ではないようだ。
周囲を見回すと、古代の遺跡を思わせる巨大な空間が広がっていた。
目が慣れてくると、薄暗い中にも様々な形が浮かび上がってくる。
壁には不思議な模様が刻まれ、かすかに青白い光を放っている。
その光が揺らめき、まるで水面のように見える。
「シャ……シャル……? ナイア……?」
勇気とMPを振り絞って声を上げるが、返事はない。自分の声だけが空虚に響き渡る。
2人の姿も見当たらない。不安が胸に広がる。
(どうしよう……私1人なんて……)
立ち上がろうとして、体の違和感に気づく。
服と髪がカサカサと乾いている。水中にいたはずなのに、全く濡れていない。
それどころか肌がひりひりとして、喉の渇きを強く感じる。
周囲の空気が、異様なほど乾燥している。まるで砂漠にいるような感覚だ。
鼻腔が乾いて、呼吸するたびに痛みを感じる。
(ここ、本当に湖の底なの……?)
不安を抑えつつ、私は歩き始めた。
裸足の足音が空間に響き、その音にときどき自分で驚く。
冷たい石の感触が足裏に伝わる。
通路は迷路のように入り組んでいて、どこに向かっているのかわからない。
壁に刻まれた模様をよく見ると、それは水の流れを表している図のようだ。
指でなぞると、石の冷たさと凹凸を感じる。
しかし、その水の流れはどこかおかしい。波の立ち方を見るにまるで、水が逆流しているかのような描写だった。
(それにしても、また古代の遺跡……)
この辺りには古代の文明でもあったのだろうか。私は数日前の鉱山に思いを馳せる。
歩みを進めるうちに、喉の渇きがより強くなっていく。
唾を飲み込もうとしても、喉が乾いて痛い。
舌が口内で砂を転がしているような感覚だ。
(水ほしい……でも、ここにあるかな……)
そう思った瞬間、足元から水の音が聞こえた。驚いて見下ろすと、細い水路が見える。
水が流れる音が、乾いた空気の中で妙に鮮明に聞こえる。
その水路に沿って歩いていくと、次第に水量が増えていく。
やがて、巨大な空間に出た。
そこは円形のホールで、天井は見えないほど高い。
声が反響し、空間の広さを実感させる。
中央には巨大なガラスの水槽のようなものがあり、そこに大量の水が貯められている。
「すごい……」
思わず声が漏れる。水槽の周りには複雑な機械のようなものが並び、水を制御しているようだ。
金属の冷たい光沢が、薄暗い空間で際立っている。
水槽に近づこうとした瞬間、不気味な声が響いた。
低く、しかし空間全体に響き渡るような声だ。
「よくぞ来た、小さな生き物よ」
「っ!?」
振り返ると、そこには巨大な人型の存在がいた。
全身が水晶のような物質に覆われ、その中で何かが蠢いている。
身長は3メートルはあり、頭部には王冠のような突起がある。
その姿を目にした瞬間、さらに強い乾燥感が襲ってくる。
「……っ?」
「どうした? 驚いて声も出ないか?」
声が出ないのはいつものことだ。だけどその存在からは、強烈な乾燥が伝わってくるようだった。
水分が彼に向かって引き寄せられている……? 肌がカサカサしている気がする。
「我は深淵の渇き魔、ドラウト」
その声は、まるで乾いた砂を擦り合わせるような低い音だった。
聞いているだけで、喉の渇きが増す。
「お前たち人間が我を目覚めさせたのだ。
長い眠りから覚めた我は、渇きを癒すために水を求めた」
ドラウトは、水槽の方を向いた。
その動きに合わせて、水晶のような体が光を反射する。
「この湖の水は実に美味だった。
だが、まだ足りぬ。もっと……もっと水が欲しい」
その言葉をそのまま捉えると、レイクタウンの水不足の原因が、この人物だということだ。
というか、これは人物と言えるのだろうか? 喋ってはいるが、完全に魔物だ。
魔物と1人で対峙しているという状況に、今さらながら背筋が凍るのを感じる。
「あ、あの……あの」
あなたが水を奪ったの? と尋ねようとするが、やはり普通に喋るのは無理だ。
相手が魔物だとはいえ、初対面だし……。言葉が喉で詰まる。
「なんだ。何か言いたいのか?」
「アッ、み、水……」
「ああ。これか?」
ドラウトは私の横を通り抜け、水槽に手を触れる。
水槽の内部が渦を巻く。そのゴボゴボとした水流の音が、空洞の空間に響き渡る。
「ううむ……素晴らしい。我が体が潤ってゆくぞ」
「…………」
「…………。人間どもの街のことなど知らぬぞ。
我にとっては、ただの水がある場所でしかない」
あっ、何も言ってないのに語りだしてしまった。
なんか……ごめん。私がもうちょい話を掘り下げるべきなのに。
「我の渇きこそが、全てに優先する。おおかたお前は、上にある街から来たのだろうが――」
その瞬間、ドラウトの体から水色の光が放たれた。
その光に触れた瞬間、私の体から水分が奪われていくのを感じた。
強烈な喉の渇きに襲われる。皮膚が引き締まり、痛みすら感じる。
「……!」
思わず声を上げ、後ずさる。しかし、足がもつれ、転んでしまった。
冷たい石の床に尻もちをつく痛みが走る。
「さあ、お前の水分も頂くとしよう」
ドラウトがゆっくりと近づいてくる。
その足音とともに、地面が震える。恐怖で体が動かない。心臓の鼓動が耳元で響く。
(ま、まずい……誰か……っ!)
そう思った瞬間、突然の叫び声が響いた。
「ミュウちゃーん!」
振り向くと、そこにはシャルとナイアの姿があった。
2人は全力で走ってくる。足音が空間に響き渡る。
「シャ……シャル! ナイア……!」
私は思わず安堵の声を上げる。
しかし、ドラウトは2人の方を向き、再び光を放った。
その光が、空気を切り裂くような音を立てる。
「邪魔をするな」
「っ、と!」
シャルとナイアは、その光を巧みに躱しながら走る。
うち1本の光を、ナイアが細剣で弾き飛ばす。金属音が鳴り響く。
「ごめん、遅くなっちゃった!」
シャルが私を助け起こす。その腕の温度で、やっと安心感を覚えた。
シャルの体温が、乾燥した空気の中で心地よく感じられる。
「大丈夫?」
ナイアが心配そうに尋ねる。私は小さく頷いた。
(……小回復魔法)
自分に回復魔法をかけ、先ほど与えられた渇きのダメージを打ち消す。
喉の渇きが少しマシになった。体に水分が戻ってくる感覚がある。
「あ、あの……あれが……」
私の言葉に、2人は武器を構える。
おおよその状況を察してくれたようだ。武器を構える音が、静寂を破る。
「なるほど……これが、レイクタウンの水を奪っていた元凶ね」
ナイアの声には、怒りが混じっていた。光を放つ細剣をドラウトに向ける。剣先が、青白い光を放っている。
「よーし、じゃあぶっ飛ばしちゃおう! こいつを倒せば解決ってことでしょ!?」
シャルが背中の大剣を構える。しかし、ドラウトは動じる様子もない。
その巨体が、私たちを見下ろしている。
「愚かな。お前たちのような人間に我は倒せぬ」
そう言うと、ドラウトは水槽に手を伸ばした。
すると、水槽の水が渦を巻き始め、ドラウトの体が膨張していく。水を吸っているかのように。
水槽の水が減っていく様子が、はっきりと見て取れる。
「まずいわ! 避けて!」
ナイアの声が響く。彼女とシャルは鋭く反応し左右に別れて跳んだ。空気を切る音が聞こえる。
「!?」
膨張したドラウトの体が一瞬で引き絞られ、その手のひらから圧縮された水のレーザーが射出される。
レーザーは私の顔の隣数センチを掠め、思わずへたり込む。
水のレーザーが通過した後に、湿った空気の匂いが漂う。
「ミュウちゃん、平気!?」
「……っ!」
私はカクカクと頷く。と、とりあえず大丈夫そうだ。
改めて立ち上がり、2人の補助のために敵を注視する。
心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
激しい戦いが始まろうとしていた――。空気が緊張感で満ちていく。
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