第24話 湖底探索
朝日が湖面を染め始めた頃、私たちは湖畔に集まっていた。
朝もやが湖面をうっすらと覆い、幻想的な雰囲気を醸し出している。
岸から、錆びた金属の梯子を使ってかなりの下まで降りる。
梯子の冷たさが手に伝わり、緊張感が高まる。
3分ほど梯子で降りたあと、そこには簡易的な木製の足場のようなものが浮いていた。
足場が水に揺られ、かすかにきしむ音が聞こえる。
遠くには、かつてのレイクランドの中心であった浮島が見える。
水面が朝日に照らされ、きらきらと輝いている。
そんな美しい光景とは裏腹に、私の心臓は早鐘を打っていた。
耳元で聞こえる自分の鼓動に、思わず息を飲む。
「よし、みんな準備はいいかしら?」
「うん、いつでもオッケーだよ!」
ナイアの声が、静かな湖畔に響く。シャルは元気よく返事をし、私は小さく頷いた。
湖から立ち上る水の匂いが、鼻をくすぐる。
「まずは装備の最終確認をしましょう」
ナイアは人数分のマスクを取り出した。昨日、私が水泳練習のときに装着していたものだ。
「このマスクは、水中でも普通に喋って会話ができるようになっているわ。
何か異常を感じたら、すぐに声を掛け合うこと」
ナイアの説明に、私たちは頷く。マスクを装着すると、少し息苦しさを感じる。
ゴムの締め付けが頬に食い込む感覚が、ちょっと不快だ。でも、これのおかげで水中でも息ができるのだ。
それにしても……と、2人の姿を見る。
ナイアの水着は水色のレオタード型で、背中が大きく開いている。
動きやすさを重視したデザインみたいだ。
滑らかな肌が朝日に照らされ、まるで真珠のように輝いている。
腰にはベルトのようなものと、細剣の鞘が提げられている。
金属の装飾が、かすかに光を反射していた。
シャルは黒いビキニを着ていて、健康的な肌が露出している。
その褐色の肌は、日に焼けた証だろう。
背中には、いつもの剣を背負っていた。
剣の柄が、水着とは不釣り合いな存在感を放っている。
そして私は、昨日と同じ白いワンピース型。
正直、2人に比べると子供っぽく見える。
それは水着のデザイン面だけの話ではない。その下の体もだ。
シャルはやはりというかなんというか、胸が大きい。
前からなんとなく分かってはいたけど、水着という服装がそれを強調している。
ナイアも、シャルほどではないがプロポーションがいい。
スラリと伸びた脚はとても大人っぽく見える。
(……はぁ)
「どしたのミュウちゃん、絶望したような顔して。
大丈夫だよ、ミュウちゃんもそのうち大きくなるから!」
シャルは察しがいいなぁ……。余計悲しくなってくる。自分の平坦な胸を見て、思わずため息が漏れる。
いつも持っている私の杖は……水中だと水を吸ってしまうので、置いてきている。
手元にないことで、妙な心細さを感じる。
「……さて。水中探索の注意点を説明するわ」
ナイアの声が引き締まる。私たちも真剣な表情で耳を傾ける。
周囲の空気が、緊張感で満ちていく。
「まず、常に周囲に気を配ること。
水中では視界が制限されるから、油断は禁物よ」
ナイアの言葉に、私は小さく空気を吸う。
確かに、水中では何が起こるかわからない。溺れたり流されたり……想像しただけで背筋が冷たくなる。
「次に、急な水流に注意して。
最近、湖底で不自然な流れが観測されているの」
シャルが首を傾げる。彼女の赤い髪が、首の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。
「不自然な流れ? どういうこと?」
「普通、湖底ではそこまで強い流れは起きないの。
でも最近は、まるで川の急流のような流れが突然現れることがあるのよ」
ナイアの説明に、私たちは顔を見合わせた。
水位の低下と、この不自然な流れ。何か関係があるのだろうか。
不安が胸の中で膨らんでいく。
「最後に、絶対に無理はしないこと。特にあなたたち2人は初めての湖底探索でしょう?
何か異常を感じたら、すぐに引き返すのよ」
ナイアの真剣な眼差しに、私たちは強く頷いた。その目には、私たちを守ろうとする決意が宿っている。
「よし、じゃあ行こう!」
シャルの声に、私は小さく息を吸い、吐く。いよいよだ。胸の鼓動が、さらに速くなる。
シャルが私を抱き上げる。その腕の中で、少し安心感を覚える。
腰の周りにシャルの腕を感じながら、私は目を閉じた。
シャルの体温が、私の不安を少し和らげてくれる。
「行くよ」
シャルの声とともに、私たちは湖に飛び込んだ。
冷たい水が体を包み込む。
思わず息を止めそうになったが、マスクのおかげで普通に呼吸ができる。不思議な感覚だ。
水の冷たさが、全身の毛穴を引き締める感じがした。
おそるおそる目を開けると、青い世界が広がっていた。
ナイアが先頭を泳ぎ、その後ろをシャルが私を抱えて泳いでいく。
空からの太陽が、周囲の水を照らしている。
光が水中で屈折し、幻想的な光景を作り出す。
しばらく泳ぐと湖底が見えてきた。
そこには、予想以上に荒涼とした光景が広がっていた。
枯れた水草が、まるで枯野のように広がっている。
「これは……」
シャルの声が、マスクを通して聞こえてくる。
湖底一面に広がる枯れた水草。まるで砂漠のように、生命感のない風景だ。
かすかに腐敗した匂いが、マスクを通して伝わってくる。
「ねえナイア、これって普通なの?」
そうシャルが尋ねた。その声には、明らかな動揺が混じっている。
「いいえ。これは1ヶ月ほど前からの現象ね。以前は、こんなことは決して……」
ナイアの言葉が途切れる。湖底の様子は思った以上に悪いようだ。
目の前の光景が、湖の異変の深刻さを物語っている。
私たちは慎重に進んでいく。
時折、不自然な流れに巻き込まれそうになるが、ナイアの的確な指示のおかげで何とか進んでいけた。
水の抵抗を感じながら、ゆっくりと前に進む。
シャルも、徐々に私を抱えて泳ぐことに慣れてきたようだ。
最初はぎこちなかった動きが、次第にスムーズになっていく。
彼女の腕の力が、少しずつ安定してきているのを感じる。
「ミュウちゃん、大丈夫?」
シャルの声に、私は小さく頷いた。
正直、まだ怖いけれど……シャルの腕の中にいると、少し安心できる。
彼女の体温が、冷たい水の中で心強く感じられる。
そうして探索を続けていると、シャルが突然止まった。その場で足を動かし、留まっている。
「あれは何?」
シャルが指さす先に、私は目を凝らした。
そこには、明らかに人工的な構造物らしきものが見えた。
苔に覆われた石造りの建造物が、湖底にひっそりと佇んでいる。
「あれは、この湖に昔からある物よ。ここに街ができる前から苔生してたけど……気になるかしら?」
「気になる気になる! ちょっと近くで見せてよ!」
シャルの声に、ナイアは頷く。
しかし、その構造物に近づくにつれ、私の胸に不安が広がっていった。
何か、ただ事ではない雰囲気を感じる。水の流れが、その建造物の周りで不自然に変化しているように見える。
その予感は、すぐに的中することになる――。
構造物に近づくにつれ、水の流れが変化していくのを感じた。
まるで何かが近づいてくるかのように、水が渦を巻き始める。
「みんな、気をつけて!」
ナイアの警告が響く中、突然、暗い影が私たちを取り囲んだ。
「なっ、何!?」
シャルの驚きの声が聞こえる。目を凝らすと、それは大量のドライフィッシュだった。
干からびた魚の姿をした魔物たちが、まるで群れを成すように私たちの周りを泳いでいる。
「くっ、こんなところに!」
ナイアが剣を抜く。水中でも、その刃は鋭く光っている。
「シャル、ミュウを守って! 私が対処するわ!」
ナイアの指示に、シャルは私をしっかりと抱きしめる。
その腕の力が、いつもより強く感じられた。不安と緊張、それと相反する安心感で鼓動が早まる。
ドライフィッシュたちが一斉に襲いかかってくる。その動きは、陸上で見たときよりもはるかに俊敏だ。
ナイアは素早く剣を振るい、次々とドライフィッシュを倒していく。
「はぁっ!」
ナイアの剣が水を切る音が、かすかに聞こえる。
しかし、倒しても倒しても新たなドライフィッシュが現れる。
その数があまりにも多く、ナイアも少しずつ疲れが見え始めていた。
「ナイア、大丈夫!?」
シャルの声には焦りが混じっている。
彼女も戦いたいのだろうが、私を守るために動けない。
そのとき、1匹のドライフィッシュがシャルの背後から迫っていた。
「シャル!」
私の警告の声とともに、シャルが素早く身をひねる。
しかし、完全には避けきれず、ドライフィッシュの鋭い歯がシャルの腕をかすめた。
「くっ!」
シャルの痛みの声が聞こえる。傷口から赤い血が滲み、水中に広がっていく。
(こ、このままじゃ、足手まといもいいところだ……!)
私は必死に考えた。杖がないため、通常の回復魔法は使えない。
でも、このまま何もしなければ、みんなが危険だ。
(やるしかない……!)
決意を固め、私は目を閉じて精神を集中させる。
普段なら杖を通して放出する魔力を、今回は直接両手から放出する。
(中回復魔法!)
両手から青白い光が溢れ出す。しかし、杖という媒体がないため、魔力は制御不能になり、周囲の水中に拡散していった。
――するとその瞬間、予想外の現象が起きた。
拡散した回復魔法が水に作用し、周囲の水が浄化され始めたのだ。
濁っていた水が、見る見るうちに透明度を増していく。
「これは……!?」
ナイアの驚きの声が聞こえる。
浄化された水は、ドライフィッシュたちにも影響を及ぼし始めた。
アンデッドのような存在だったドライフィッシュたちは、浄化の力に耐えられないようだった。
ドライフィッシュたちが次々と光に包まれる。その光が晴れると、そこから普通の魚の姿が現れ、泳ぎ去っていく。
「おっ、おお!? 魔物が蘇ったぁ!?」
シャルの声には、驚きと喜びが混じっている。
彼女の腕の傷も、浄化された水に触れるだけで癒えていった。
しばらくすると、周囲のドライフィッシュは全て浄化され、みな普通の魚となって泳いでいった。
水中は、驚くほど透明になっている。
「ミュウ……この魔法は……!?」
ナイアが近づいてくる。その顔には、感心と驚愕の色が浮かんでいた。
(……水が「回復」したの、かな……?)
私も予想外の展開に、言葉を失っていた。杖がなかったことで魔法が拡散し、思わぬ効果を生んだみたいだ。
しかし、その喜びもつかの間。
突然、足元から強い振動が伝わってきた。
「……!?」
振り向くと、さっきまで静かだった構造物が、動き始めていた。
錆びついていた部分が、まるで新品のように輝いている。
「あれは……水門!?」
「何アレ!? さっきまでボロボロだったよね!?」
「あの構造物も、おそらくミュウの魔法で回復したのね」
ナイアの声が響く。
確かに、今や錆びや水草が消え、くっきりと浮かび上がったその構造は、水門のような形をしていた。
水門の一部が開き始め、そこから激しい水流が生まれる。
周囲の水が、一気にその開いた部分へと吸い込まれていく。
「みんな、気をつけて! この流れは……!」
ナイアの警告の声が聞こえたが、もう遅かった。私たちは、激しい水流に巻き込まれてしまう。
「……っ!」
「ミュウちゃん!」
シャルの腕から離され、私は水流に飲み込まれていく。
視界が激しく揺れ、方向感覚を失う。
そして、私たちは水門の向こう側へと吸い込まれていった――。
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