第23話 水泳訓練
青緑の髪の女性は私たちの方を向くと、厳しい表情で問いかけた。
「あなたたち、どこから来たの? この街の人間じゃないわね」
その鋭い眼差しに、私は思わず身を縮めた。シャルも珍しく言葉に詰まっているようだ。
「近頃、この街の資源を奪おうとする賊が多いの。まさか、あなたたち――」
彼女の目がさらに鋭くなり、細剣を握る手に力が籠もる。
その剣先から、わずかに水滴が滴り落ちるのが見えた。
「あ、違う違う! あたしたちはノルディアスのギルドから来た冒険者だよ!」
シャルが慌てて両手を振りながら説明を始める。
「……証拠はあるの?」
女性の声は冷たく、その目は私たちを見据えたまま動かない。
「あ、ああ! 腕章! ミュウちゃん、腕章見せて!」
シャルは自分の腕章を見せながら、私の方を振り返る。
私も、一瞬どっちの腕につけていたか戸惑いつつ、慌てて左腕の腕章を見せた。
女性はその腕章をじっと見つめ、しばらくして小さくため息をついた。
「……わかったわ。確かにノルディアスのギルドの腕章ね」
彼女の表情が少し和らぐ。剣を下げ、私たちをあらためて見つめる。
「ごめんなさい。最近は本当に物騒で……。
自己紹介が遅れたわね。私はナイア。この街の守護騎士よ」
ナイアと名乗った彼女は、私たちに向かって軽く会釈をした。
その仕草には、どこか気品のようなものが感じられる。
「あたしはシャル! こっちはヒーラー……兼聖女のミュウちゃん! よろしくね、ナイア!」
「聖女……?」
「……!」
そ、それ広めるのやめようよ! 私はシャルに抗議の視線を送る。
ナイアは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに平静を取り戻す。
「シャルに、ミュウね。覚えたわ。で、あなたたちはこの街に何しに来たの?」
……聖女の件は流してくれたみたいでよかった。
ナイアの声は柔らかくなったが、その目はまだ少し警戒の色を残していた。
「えっとね、この街で何か起きてるって聞いて! それで、力になれればって。
軽く見ただけでも、ずいぶん大変そうだよね」
シャルの説明に、ナイアは少し考え込むような表情を見せる。
「そう……。確かに、私たちは今、助けてくれる人を必要としているわ」
ナイアは深いため息をつくと、私たちを促して歩き始めた。
「ついてきて。歩きながら説明するわ」
私たちはナイアの後についていく。彼女の足取りは重く、荒れ放題の街を悔しげに見つめていた。
「この街の……レイクタウンの危機は、だいたい2ヶ月前から始まったの」
ナイアの声は悲しげだった。やはり、守護騎士としてこの光景には思うところがあるのだろう。
「ある日から突然、湖の水位が下がり始めた。最初は気づかなかったけど、日に日にその変化は顕著になっていって……」
彼女の説明を聞きながら、私たちは街を歩いていく。
至る所で水不足の影響が見られた。
乾いた運河、閉鎖された店、水を求めて並ぶ人々……。
「そして、あっという間にこんな姿になってしまった」
ナイアが指さす先には、湖の中心に浮かぶ建物群が見えた。かつては水面に優雅に浮かんでいたのだろうが、今は岸から離れ、下方に沈んでいる。
「えーっと……なんかでっかい建物発見! あれが本来のギルド?」
シャルが岸から湖の湖面を見下ろす。落ちそうでちょっと怖い。
岸から水面までは、だいたい20メートルくらいだろうか? いくら水とはいえ、落ちたらひとたまりもない。
「そう。湖の水位が下がったせいで、浮島ごと下がってしまったの。今はあそこまで行くのも一苦労よ」
ナイアの声には、諦めのような色が混じっていた。
目を凝らすと、一応浮島にも人の姿が見える。その気になれば行き来はできるようだが、やはり難しいのだろう。
「でも、それだけじゃないのよね」
ナイアは歩みを止め、私たちの方を向いた。その表情は真剣そのものだ。
「水位の低下と同時に、奇妙な魔物が現れ始めたの。さっきのドライフィッシュもその一つよ」
「ドライフィッシュ? あの魚みたいなやつ?」
シャルが首を傾げる。
「ええ。乾いた魚の死骸が、突然動き出したような存在よ。
でも、ただの死骸じゃない。巨大化している上に、あれには意思があるの」
「あー、さっきめっちゃ襲いかかってきてたもんね」
ナイアの言葉に、私は背筋が寒くなるのを感じた。死んだ魚が動き出す。それも、意思を持って。
それはいわゆる、アンデッドというタイプのモンスターだろうか。直接会ったのは初めてだ……。
「私は水を操る力を持っているの。だから、ある程度はあの魔物たちを押さえ込むことができる。でも……」
ナイアは湖の方を見やる。その目には深い憂いの色が浮かんでいた。
「私1人の力には限界がある。このままでは、レイクタウンは……」
言葉を途切れさせたナイアの肩が、かすかに震えているのが見えた。
「ほかの守護騎士の人とかはいないの?」
「いるけれど、市民の保護や日常業務に追われているわ。肝心の湖の調査をしても、なかなか原因も見つからない」
「それこそ、冒険者に頼んだらいいんじゃない?」
「レイクタウンは神殿所属の騎士と冒険者で仕事が被っていてね……。
そういう影響なのか、優秀な冒険者が少ないの」
なるほど、とシャルが頷く。神殿騎士と冒険者。
街に所属して色々やっている騎士がいる街にわざわざやって来て、根無し草みたいな冒険者稼業をやる人は……なかなかいないのかもしれない。
「そっか……でも大丈夫だよ、ナイア! あたしたちが何とかするから!」
シャルが力強く言う。その声に、ナイアは少し驚いたような顔をした。
「そうね。A級冒険者の力を借りられるなら、少しは希望が出てくるかも」
ナイアの表情が、わずかに明るくなる。その表情に、先程までとのギャップを感じた。
「よーし! それじゃあまず何をすればいいの?」
シャルの元気な声に、周囲の人々が振り返る。……私はちょっと身を隠す。
「そうね……。まずは、この異変の原因を探る必要があるわ。湖の底に、何か手がかりがあるはずなの」
ナイアはそう言うと、私たちを見つめた。特に私を。上から下まで。……な、何?
「2人とも、潜水の経験はある?」
「え、潜水?」
シャルの声が裏返る。私は黙ったまま、ただ目を丸くした。
湖から吹き込む風が、私たちの髪をそよがせる。
「ええ。湖底に何か異変がないか、直接確認する必要があるの。あちこくまなく探してね」
ナイアは真剣な表情で説明を続ける。
「でも、その前に……2人とも泳げるわよね?」
その問いに、シャルは胸を張って答えた。彼女の赤い髪が、自信に満ちた動きに合わせて揺れる。
「もちろん! 川の近くで育ったからね、泳ぎはお手の物だよ!」
一方、私は小さく首を横に振った。
「ミュウちゃん、泳げないの?」
シャルが少し驚いた声を上げる。とはいえ、「正直予想通りだった」みたいな声色だ……。
ナイアも眉をひそめる。その表情に、私は少し萎縮してしまう。
「そう……それは問題ね。でも、大丈夫。訓練すれば何とかなるわ」
(お、泳ぎの訓練を……!?)
ナイアの言葉に、私は強い不安を感じた。背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
泳ぐどころか運動全般が苦手な私に、湖に潜って調査なんてできるわけない……!
「よーし! じゃあまず、ミュウちゃんの水泳特訓だね! がんばろー!」
シャルが意気揚々と宣言する。彼女に無理やり両手を挙げさせられ、私はこれから起こる悲劇を予感していた……。
両腕を上げた瞬間、風が服の隙間に入り込み、思わずぞくっとする。
■
次の日、私たちは運河の浅瀬に立っていた。
水位が下がったおかげで、以前は深かったであろう場所も今は膝下程度の深さしかない。
足元の砂利が、水の中でキラキラと光っている。
水に慣れるにはいい場所……かもしれないが……。
「水着似合ってるよ、ミュウちゃん!」
(ぜったい似合ってないと思う……!)
水に入るということで、いつものローブは置いて水着を着ることになった。
水上都市だけあって水着は買いやすかった、が……。
(寒い……恥ずかしい……)
私は今、白いワンピース型の水着に身を包んでいる。
普段は露出がほとんどないローブ姿なのに、今だけは腕も足もかなり出ている……。
肌寒い風が直接肌に触れ、鳥肌が立つ。
色が白くて細い手足は、シャルやナイアと大違いだ。
彼女たちの健康的な肌の色と比べ、自分の肌の白さが際立つ。
あと、泳ぐわけではない2人がいつもどおりの姿なのも恥ずかしさを加速させる。
私だけはしゃいでる人みたいに見えないかなあ……!?
「まずは水に慣れることからよ」
ナイアが優しく声をかける。私はおずおずと水に足を踏み入れた。
冷たい水が足首を包み、思わずびくっと体が跳ねる。
水の冷たさが、足首から徐々に体全体に広がっていく。
「……っ!」
「ほら、ミュウちゃん! こうやって、パシャパシャってやるんだよ!」
普段どおりの姿のシャルが楽しそうに手で水を掬い、しぶきを上げる。
その様子を見ていると、少し心が和らぐ。水しぶきが太陽の光を受けて、小さな虹を作る。
(よし、やってみよう)
私も恐る恐る手を水に入れ、かき混ぜてみる。が、
「……ひぁっ!」
思わぬ水の抵抗に、バランスを崩して尻もちをついてしまった。冷たい水が一気に体を包み、息が詰まる。
「大丈夫?」
ナイアが心配そうに駆け寄ってくる。それを見てシャルは笑いをこらえているようだった。
「は……はい……」
顔が熱くなりながらも、何とか立ち上がる。
ああ……帰りたい。帰って寝たい……。濡れた水着が肌にへばりつき、不快感が増す。
「まあ、最初はみんなこんなものよ。焦らずにね」
ナイアの優しい言葉に、少し勇気づけられる気がした。
それから数時間、私は必死に水に慣れようとした。しかし、進歩はほとんど見られない。
水をかくたびに変な方向に体が傾いたり、顔を水につけようとすると息ができなくなったりと、散々だった。
水の抵抗が、まるで私を拒絶しているかのように感じる。
「ふぅ……今日はここまでにしましょう」
ナイアが声をかける頃には、すっかり日が傾いていた。私は疲れ果て、体中が痛む。
筋肉の疲労が、じわじわと体全体に広がっていた。
「明日も頑張ろうね、ミュウちゃん!」
(この世のおわりだ……!)
シャルの励ましの言葉に、かすかに頷く。でも正直、明日が来るのが怖かった。
夕暮れの空が、不安な気持ちを映し出しているかのように暗く染まっていく。
■
翌日。昨日よりやや深い運河の岸に立つ私たちの前で、ナイアが何かの装置を見せてくれた。
水面に反射する朝日が、その装置を神秘的に照らしている。
「これは特殊な潜水装置よ。水中でも呼吸ができるの」
手のひらサイズの透明なマスク状の物体の中に、複雑な装置が組み込まれている。
不思議な光を放つ魔石のようなものも内部に見えた。
「へえー、すごいね! これがあれば、ミュウちゃんでも大丈夫かな?」
シャルが興味深そうに装置を覗き込む。その目は、子供のようにキラキラと輝いている。
「いいえ、それだけじゃダメよ。水中での動きも練習しないと」
ナイアの言葉に、私は再び肩を落とす。その言葉が、重石のように私の心に沈んでいく。
その日も、私は必死に泳ぎの練習をした。
装置を口に付けると、たしかに水中でも息ができるようになる。
口に当たる部分は柔らかく、違和感はほとんどない。
溺れる怖さはなくなったものの、水中での動きはまるで様にならない。
体が水に押し戻されるような感覚に、戸惑いを覚える。
「ミュウちゃん、力を抜いて! もっとリラックス!」
シャルが叫ぶ。でも、その声が聞こえるたびに、余計に体が硬くなってしまう。
それから、なんとか水に浮いたり、水に沈もうとしたり動いていると――。
「っ!」
突然右足が攣って、激しく痛みだした! 姿勢が崩れ、体が川底向かって沈んでいく。
パニックに陥り、必死にもがいてしまう。
「ミュウちゃん!」
シャルの声が水中で響く。次の瞬間、強い腕が私を包み込み、水面へと引き上げてくれた。
シャルの体温が、冷たい水の中で心地よく感じられる。
「ごほっ、ごほっ……!」
岸に這い上がると、私は激しく咳き込んだ。
マスクはあるから水を飲んではいないが、なんかもう……一杯いっぱいで、体が痺れている。
「大丈夫? びっくりしたよ。急に沈んでいくから」
シャルが心配そうに私の背中をさする。その手の温もりが、妙に心地よかった。
濡れた髪から水滴が落ち、背中を伝っていく。
そんな私の様子を見て、ナイアが深いため息をついた。
「……他の方法を考えましょうか」
彼女はしばらく考え込んだ後、突然顔を上げた。
その目に、何かひらめいたような光が宿る。
「そうだわ。シャル、あなたならミュウを抱えて泳げるかしら?」
「え、ミュウちゃんを抱えて?」
シャルは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「うん、できると思う! ミュウちゃん軽いし、力仕事は得意だからね!」
その言葉に、私は複雑な気持ちになる。嬉しいような、申し訳ないような。
「じゃあ、そうしましょう。ミュウは潜水装置を使って呼吸だけ確保して、移動はシャルに任せる」
ナイアの提案に、私たちは頷いた。その言葉に、少し安堵の気持ちが湧いてくる。
「よーし! じゃあ練習だ、ミュウちゃん!」
シャルが私を片腕で抱き上げる。その腕の中で、妙にしっくりくる感覚。
シャルの体温が、水で濡れて冷たい体の感覚を和らげてくれる。
「えいっ」
シャルがひょいっと私を抱えたまま水に飛び込む。水で視界が曇り、体を縮める。
シャルは驚くほどスムーズに、水中を移動していく。
水着ですらないのに、水の抵抗を全く感じさせない、スムーズな動きだ。
「どう? 大丈夫?」
マスクのおかげで、水中でもシャルの声ははっきり聞こえる。
私は小さく頷いた。水中で、シャルの髪が美しく揺れているのが見える。
それから岸に戻ると、ナイアが感心したように見ていた。
「素晴らしいわ。これなら問題なさそうね」
……そうして、特訓はあっけなく終わった。
結局、私が自力で泳ぐことはできなかったけれど、シャルと協力することで湖底探索の準備は整った。
「……ごめんね……」
小脇に抱えられながら小さな声で謝る私に、シャルは明るく笑いかけた。
その笑顔が、水面に反射して輝いている。
「何言ってるの! ミュウちゃんを守れるのは嬉しいよ。それに、こうしてずっと抱きしめていられるしね」
「え……」
その言葉に、思わず顔が熱くなり、目を逸してしまう。水滴が頬を伝い落ちるのを感じる。
シャルはケラケラと笑いながら、私の頭をなでた。その温かい手の感触が心地よい。
明日から始まる本格的な湖底探索。
不安と期待が入り混じる中、私たちは新たな冒険に向けて準備を始めた。
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