第22話 レイクタウン
レイクタウン。
その名は、美しい水上都市として広く知られていた。
街の中心にある円形の湖を囲むように発展し、主要な交通手段は小型ボート。
街路の多くが運河になっており、水面を滑るように進む優雅な舟の姿が、この街の象徴だった。
そんな噂を聞いて、私たちは期待に胸を膨らませていた。しかし――。
「……あれ」
私は思わず声を上げた。目の前に広がる光景に、言葉を失いそうになる。
ラーナ村を出発してから数日。
ようやくたどり着いたレイクタウンは、私たちの想像をはるかに超えていた。
しかし、それは良い意味ではない。
街の入り口に立つ私たちの前には、干上がりかけた運河が広がっていた。
かつては水で満たされていたはずの運河の底には、ヒビの入った泥が露出している。
そこかしこに取り残された小舟が、無残な姿をさらしていた。
風に乗って、腐敗した水生生物の臭気が鼻をつく。
目を凝らすと、干上がった運河の底で魚の死骸が朽ちているのが見えた。
「うわ……これマジでヤバくない? 聞いてたのとぜんぜん違うんだけど。
レイクタウンの観光、楽しみにしてたのになー」
シャルの声には珍しく緊張感が混じっている。
彼女の目は、街の奥へと伸びる干上がった運河を追っていた。
確かに、私たちが耳にしていた噂と現実には大きな隔たりがあった。
「街の中心にある湖が干上がりつつある」と聞いていたが、こんなにも深刻な状況だとは思いもよらなかった。
街の入り口には、難民のような姿をした人々が集まっていた。
やつれた表情で、わずかな荷物をまとめて街を出ようとしている。
その目は虚ろで、希望を失ったかのようだった。
「ちょっと、お兄さん! ここで何が起きてるの?」
シャルが近くの男性に声をかけた。私は少し後ろに下がる。
相変わらず、他人と話すのは苦手だ。
「ここはもうおしまいだ。湖が枯れて、水がなくなっちまう。
この街はそれしかなかったのに、このままじゃ生きていけねえよ」
男性はそう言うと、私たちには目もくれずに歩き去ってしまった。その背中には深い疲労が滲んでいる。
(水がなくなる……? 街全体から?)
私は不安を感じながら、シャルの顔を見た。彼女も眉をひそめている。
「ミュウちゃん、とりあえず中に入ってみよう。きっと詳しいことがわかるはずだよ」
シャルの提案に、私は小さく頷いた。
私たちは乾いた運河に沿って歩き始めた。
かつては水上都市として栄えていたはずのレイクタウンは、今や悲惨な姿をさらしている。
運河の両側には閉鎖された店が並んでいる。
その表には「水不足のため休業」の張り紙。
窓ガラスには埃が積もり、かつての繁栄を物語る装飾も色あせて見える。
街全体が活気を失い、静寂に包まれているようだった。
歩いているうちに、乾いた運河の上に急ごしらえの木の橋が架けられているのを見つけた。
その橋の上を、人々が慌ただしく行き来している。
「ホントはボートで移動してたのに、水がなくなったからなぁ。にしてもガタがきてるね、あの橋……」
人が歩く度に軋み、音を立てる橋。その音が不安を煽る。上から落ちてきたりしないよね……。
「ねえミュウちゃん、あれ見て」
シャルが指さす先には、井戸の前に長蛇の列ができていた。
老若男女問わず、皆が水を求めて並んでいる。
中には口論を始める者もいて、その声が街に響き渡っていた。
「おい! 横入りしてんじゃねーよ!」
「黙れ! 俺には家族がいるんだ!」
(こんなに……深刻なんだ)
私は胸が締め付けられる思いだった。目の前の光景は、まるで戦争か災害の後のようだ。
歩を進めると、異様な光景が目に入った。乾いた運河の底で、小さな子供たちが遊んでいるのだ。
「おーい、そんなとこで遊んじゃダメだよー?」
シャルが声をかけると、子供たちは不思議そうな顔で私たちを見上げた。
「大丈夫だよ! ここもう川じゃないもん。新しい遊び場なんだ!」
無邪気な声で答える子供。その言葉に、私は言いようのない悲しみを感じた。
彼らにとって、干上がった運河は日常の一部になりつつあるのだ。
考えてみれば、ラーナ村とここはかなり離れている。
あの村だってつい最近まで深刻な状態だった。情報が古くてもおかしくないのかもしれない。
私たちがさらに歩みを進めると、街の中心部が見えてきた。
そこには、かつては美しかったであろう大きな湖が広がっていた。しかし今は……。
「うわ……」
シャルが息を呑む。湖の水位は明らかに下がっており、岸辺は大きく後退していた。
露出した湖底には、ヘドロや瓦礫が散乱している。
湖面には、いくつもの小舟が横たわっている。水面に映る空の色も、どこか濁っているように見えた。
湖の周りには、青と白を基調とした美しい建物が並んでいる。
しかし、水位の低下とともに、その美しさも色あせているようだ。
湖の上に浮かんでいる建物もかなりあるが、湖面が下がりすぎて、梯子でもなければ到底入れそうにない。
「ねえミュウちゃん、あれ見て。あの建物」
シャルが指さす先には、湖に向かって突き出た豪華な建物があった。
おそらく神殿か何かだろう。その周りには人だかりができており、何やら騒がしい。
遠くからでも、祈りを捧げる声や悲痛な叫びが聞こえてくる。
「なんか、みんな大変そうだね……。ギルドはどこかな? とりあえずそこに行ってみようよ」
シャルの提案に、私は頷いた。ここまで来て、もう後には引けない。
この街で何が起きているのか、そして私たちに何ができるのか。それを知る必要がある。
そう思いながら、私たちはギルドを探して歩き始めた。
干上がった運河の底を歩いていると、足元に僅かな湿り気を感じ始めた。
湖に近づくにつれ、水の痕跡が少しずつ濃くなっていく。
鼻をくすぐる微かな水の匂いが、かつての水路の名残を感じさせた。
「うーん、これ以上は無理そうだね。上に上がろっか」
シャルの声に頷き、私たちは運河の壁面に設置された粗末なはしごに向かった。
木の質感が荒く、手にトゲが刺さりそうだ。
慎重に登ると、上には簡素な木の橋が架かっていた。
橋を渡り、ようやく私たちは「水上都市」の骨組みの上に立った。
足下からは微かに軋む音が聞こえ、不安定さを感じさせる。
「ねえミュウちゃん、ギルドってどこかな?」
シャルの問いかけに、私は肩をすくめるしかなかった。
通常なら街の中心部にあるはずだが、この異常事態では見当もつかない。
というか、街の中心部にあるなら余計に問題だ。
なにしろ湖の水面が下がっているせいで、陸に面していないかつての「中心部」は下の方に沈んでいるのだから。
「湖に浮かぶ街って、確かに素敵だけど...…水面が下がっちゃうと、入ることも難しくなっちゃうんだねぇ」
シャルの呟きに私も頷く。
残されたのは湖岸の建物と、地上に支点を置いた構造物のみ。かつての美しさは影を潜めていた。
そんな私たちの前に、中年の男性が現れた。
彼は何かを探すように周囲を見回している。
「すみませーん! ギルドの場所、教えてもらえない?」
男性は一瞬戸惑ったが、すぐに答えてくれた。
「ああ、あの青い屋根の建物だよ。仮設だけどな」
「仮設? どういうこと?」
「本当のギルドはあっちさ。だがもう入れないから、新しく作ったんだ」
男性が指さす先は、湖の中心。つまり今は沈んでしまっている、かつての街の中心部だ。
仮設ギルドを見ると、周囲は人だかりで騒然としていた。
怒号や悲鳴が入り混じり、緊迫した空気が漂う。
「ありがとう!」
シャルが礼を言うと、私たちはその方向へ歩き出した。
ギルドに近づくにつれ、人々の声がはっきりと聞こえてくる。
「早く何とかしてくれ!」
「このままじゃ生きていけない!」
「魔物の対処はどうなってる!?」
ギルド前には冒険者らしき姿も見える。
全員が疲労困憊の表情を浮かべていた。
「すごい人だかりだね……」
シャルが呟く。たしかに、これだけの人がいては、簡単に中に入ることはできそうにない。
何より、声を聞いてるだけで疲れてきた……。
そのとき突如、ギルドの扉が開き、1人の男性が現れた。
彼は群衆を制するように手を挙げ、声を張り上げた。
「皆さん、落ち着いてください。神殿と協力し、ギルドも全力で対応しております。
しかし、水不足の原因がまだ特定できていません。もう少し時間をください」
その言葉に、群衆からはため息や不満の声が上がった。
「時間がないんだよ!」
「子供たちが喉が渇いて泣いているんだ!」
群衆の怒りは収まる気配がない。私たちは、どうにかしてギルドの中に入らなければと思いつつも、この状況では難しそうだった。
「ミュウちゃん、どうする?」
シャルが私に問いかける。私は周囲を見回し、何か別の方法はないかと考えた。
そのとき、突然の悲鳴が聞こえた。
「きゃあああ!」
振り返ると、人々が一斉に逃げ出す姿が目に入った。
その先には、信じられないものが見える。
乾いた運河の底から、巨大な魚のような姿をした怪物が這い上がってきたのだ!
その姿は、まるで干からびた魚を巨大化させたようだった。
鱗はひび割れ、目は濁っている。
しかし、その動きは俊敏で、人々に向かって襲いかかろうとしていた。
「な、なんだアレ!?」
シャルの声が裏返る。確かに、今まで見たこともないような魔物だ。
怪物は口を大きく開け、周囲の人々に襲いかかろうとしていた。その口からは腐った魚の臭いがする。
「シャル……!」
私の声に、シャルは我に返ったように頷いた。
「そうだね、まずは助けよう! よーし、行くよミュウちゃん!」
シャルは背中の大剣を抜き、怪物に向かって走り出した。私も杖を構え、後に続く。
怪物は人々を追いかけながら、乾いた地面を這うように進んでいた。
その動きは不自然で、まるで水中にいるかのようだ。
「おーい、こっちだよ魚!」
シャルが怪物に向かって叫ぶ。怪物はその声に反応し、こちらを向いた。
その目は、かすかに赤く光っている。
「ミュウちゃん、準備はいい?」
私が頷くと同時に、怪物が襲いかかってきた。
その口から覗く鋭い歯。シャルがそれを受け止めようとした瞬間――
「はあっ!」
青い光が走った。怪物の動きが止まる。
私たちの目の前に、一人の女性が立っていた。
長い青緑色の髪と、水色の軽装鎧が特徴的だ。
彼女の手には、水滴の形をした柄の細剣が握られている。
「危ないわ。下がって」
彼女の声は冷静で、しかし威厳に満ちていた。
怪物は彼女を見ると、まるで天敵でも見たかのように身を引いく。
彼女は剣を掲げ、詠唱を始めた。
「流れよ、水の力。枯れた魂に安らぎを――」
青い光が剣を包み込む。直後に、再び一閃。彼女が魚を斬りつけたのだ。
怪物は苦しそうに身をよじったが、やがてその動きが止まる。そして、まるで砂のように崩れ落ちていった。
周囲に静寂が訪れる。人々は驚きの表情で、この光景を見つめていた。
歓声は上がらない。それはこの危機が、何度も繰り返されていることを意味しているようだった。
青緑の髪の女性は私たちの方を向くと、厳しい表情で問いかけてくる。
「あなたたち、どこから来たの? この街の人間じゃないわね」
その鋭い眼差しに、私は思わず身を縮めた。
「近頃、この街の資源を奪おうとする賊が多いの。まさか、あなたたち――」
彼女の目がさらに鋭くなり、細剣を握る手に力が籠もる。
レイクタウンでの冒険は、思わぬスタートを切ることになった……。
面白い、続きが気になると思ったら、ぜひブックマーク登録、評価をお願いします!




