第21話 聖女の伝説
シャルが持ってきた料理の香りが、私の鼻をくすぐった。
ベッドに座り直し、差し出されたお椀を受け取る。温かな感触が手に伝わる。
「はい、ミュウちゃん。村の食材をもらって作った、シャル特製スープだよ!」
湯気の立つスープから、野菜の甘い香りと肉の旨味が立ち上る。
おそるおそる木のスプーンですくって口に運ぶと、温かな液体が喉を通り、体に染み渡っていく。舌の上で様々な味が広がる。
「……!」
「どう? 美味しい?」
シャルの期待に満ちた目を見て、私は小さく頷く。
美味しい。たぶん贅沢とはいえない食材なんだと思うけど、調理がうまいのかな。
すごいなあ、シャルは。明るくて戦えて料理も作れて……。
(……?)
でも、美味しい以上に体に力が戻っていくのを感じる。
このスープ、ただの料理じゃない。回復効果のある薬草が使われているようだ。
舌の上に残る独特の苦みがそれを物語っている。
数口で体の疲れが取れていくのを感じる。
スープを飲み干して、私はベッドから起き上がった。体が軽く感じられる。
「あ、もう大丈夫なの?」
シャルが驚いた様子で尋ねる。私は頷いて、ベッドの近くにあった杖を手に取る。
杖の冷たい、乾いた感触が手に伝わる。
「村の様子が見たいの? じゃあ行こっか!」
シャルの後について外に出ると、爽やかな風が頬を撫でた。
木々のざわめきが耳に届く。
村は活気を取り戻しつつあるようで、人々の話し声が聞こえてくる。
しかし、その表情にはやや陰りが見えた。
「どうしたんだろ。なんか顔暗いね?」
シャルの言葉に頷く。たしかに村人たちの健康は回復したようだが……どうやら彼らは畑を囲んで話しているみたいだ。
心配そうな声が風に乗って聞こえてくる。
「あちゃー……完全にだめだな、こりゃ」
「まったく、残った奴らは何をしとったんだ!」
「アンタが倒れたから、うちの畑いじれる人いなかったのよ~」
どうやら長く続いた煙の影響で、周囲の土地が荒廃しているようだ。
畑は枯れ果て、茶色く変色した葉が地面を覆っている。
木々も元気がなく、枝がしなだれている。
あちらこちらから雑草が生え放題になっており、荒れ果てた風景が広がっている。
様子を見ていると、村長が私たちに気づき、近づいてきた。
杖をつきながらゆっくりと歩む姿が見える。
「ああ、ミュウ様! もう回復されたのですか。本当にありがとうございます」
(さ……様?)
様ってなに!? なんか変な方向で話が伝わってない……!?
慌てる私に対し、結構気にしていない様子でシャルが村長に尋ねる。
「あ、そうだ。村長さん、畑とか木とかがすごく元気ないみたいだけど、どうしてなの?」
村長は深いため息をつく。その表情には深い憂いが刻まれている。
「ああ……あの煙のせいで、土地も毒されてしまったのです。それに、男手も倒れてしまって畑も保護できませんでしたし。
人々は回復しましたが、この土地はもう……」
その言葉を聞いて、私は決意した。
杖を握りしめ、畑の方へと歩き出す。乾いた土の感触が足の裏に伝わる。
「え? ミュウちゃん?」
シャルが不思議そうに私を見る。
ざわつく村の人を尻目に私は深呼吸をし、杖を掲げる。風が髪をなびかせる。
「ミュウちゃん、まさか……」
シャルの声が聞こえ、人々がざわつく。ああ……あんまり見ないで……!
(大回復魔法……!)
青白い光が杖から溢れ出し、地面へと染み込んでいく。
その光は次第に広がり、畑全体を包んだ。光の温かさが肌に触れる。
「お、おお……!?」
「なんと、輝かしい光だ。これは……!」
村人たちから驚きの声が上がる。光が消えると、思ったとおりの光景が広がっていた。
枯れていた草木が一斉に芽吹き、鮮やかな緑色が広がる。
畑には新芽が顔を出し始めている。若葉の香りが風に乗って漂う。
雑草はまだ少し残っているが、ある程度消せたようだ。
「す、すごい! 奇跡だ……」
「や、やっぱりアレは本当だったのか! 聖女様……聖女ミュウ様!」
村人たちの間で、どよめきが起こる。興奮した声が飛び交う。
……私は注目を集めたせいで、回復魔法の4倍近くMPが削れた。
だから聖女ってなんなの!?
「ミュウちゃん、すっごーい! なんかだんだんヒールの範囲拡がってない?」
シャルが駆け寄り、私を抱きしめた。その顔には驚きと喜びが混ざっている。
シャルの体温が全身に伝わってくる。
シャルの言うとおりだ。
人を治したり、せいぜい装備を治す程度だった私のヒールは、この旅を経て大きな成長を遂げつつある。
結局回復は回復なんだけど、回復できる対象がより広範囲なものになってきているのだ。
「畑まで治ったなら、この村ももう大丈夫かもね」
村人たちが次々と近寄ってくる。
その目には畏怖と感謝の色が浮かんでいる。様々な声が耳に届く。
「聖女様……」
「私たちの村を救ってくださり、ありがとうございます!」
「神が遣わされた方に違いない。あんな回復魔法なんて見たこともない」
そんな言葉が飛び交う中、気まずすぎて私はシャルの後ろに隠れた。
彼女が苦笑して私の頭を撫でる。その優しい仕草に少しだけMPが回復する。
その騒ぎを聞きつけて村長が前に出てきた。
彼が畑を信じられないような目で見て、事態を察したのか深々と頭を下げる。
その姿に、村人たちも静かになる。
「まさか、畑まで……! 本当にありがとうございます。
聖女様……いや、ミュウ様。あなたは私たちの村の救世主です」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
その言葉に、村人たちが一斉に頭を下げる。
「あはは……テキトーに言ったことがこんなふうに広がるとはね」
「……!?」
シャ、シャル!? なにか言ったの!? そのせいでこんなことになってるの!? 私は彼女を見上げる。
「いやいや、違うよ! ただ感動したお爺さんが『伝説の聖女様なのでは?』って聞いてきたから、『そうかも』って言っただけなんだよ!」
「……っ!」
思いっきりそれのせいじゃん!
私は抗議の意味を込めてシャルの背中をぺしぺし叩く。その音が空気を切る。
「ごめんごめんって! でも、評判が広まるのは冒険者にとっていいことだから……!」
そうかもしれないけど……!
そのとき、ゴルドーが人々を掻き分けて近づいてきた。
彼の鎧の音と重厚な足音が、ジャリジャリと空気を震わせる。
「落ち着け。たしか彼女は、そういうのは苦手だったはずだ」
「奥ゆかしいですな」
(コミュ障なだけなのに好意的に受け止められてる……)
その言葉に、人々は少し冷静になった。気遣うように互いに口を閉ざす。
ゴルドーは私とシャルを連れ、人々から離れた場所へ移動させた。風が少し強くなり、木々がざわめく。
「……まさか、畑まで回復させるとは。俺の知る一般的なヒールとは明らかに違う」
ゴルドーの声には、感心と驚きが混ざっている。
そうなんだろうか。考えてみれば、他の人のヒールってほとんど見たことないのかも。
「でも、これでミュウちゃんの評判は決まりだね。もう完全に聖女様だよ」
シャルが笑いながら言う。他人事だと思ってない!?
人々の歓声が遠くから聞こえてくる。
新たな芽吹きを喜ぶ声、私への感謝の言葉……。
その中で、私たちは次の行動について話し合うことにした。
私たちは村はずれに移動し、小さな丘に腰を下ろす。
昼時の柔らかな光が村全体を包み、蘇った畑や木々が金色に輝いているのが遠くに見える。
風に揺れる草の匂いが鼻をくすぐり、遠くからは鳥のさえずりが聞こえてくる。
「これからお前たちはどうする?」
ゴルドーが静かに口を開いた。彼の低い声が、穏やかな空気を震わせる。
風が吹き抜け、シャルの赤い髪が揺れる。髪の動きに合わせて、かすかに甘い香りが漂う。
彼女は遠くを見つめながら答えた。
「そうだね。この村はもう大丈夫そうだし……ノルディアスに戻るのもいいけど」
私は小さく頷く。たしかに、ここでの仕事は終わったみたいだ。
ノルディアスのギルドでまた依頼を受けるべきかな。
丘の柔らかな草の感触が、私の思考を和ませる。
「俺はしばらくここに残るつもりだ」
ゴルドーの言葉に、私とシャルは驚いて顔を上げた。彼の表情には、決意の色が浮かんでいる。
「え? ノルディアスに帰らないの?」
「あの遺跡にはまだ謎が多い。もう少し調査してみたい」
「なるほど。ま、気をつけてね! また煙とか出さないように!」
「ああ。気をつけるよ」
ゴルドーは微笑を浮かべた。肩の荷が下りたのか、その表情はいつになく柔らかい。
陽の光が彼の顔を照らし、普段は見えない優しさが浮かび上がる。
そのとき、村長が私たちに近づいてきた。杖をつく音が、静かな丘に響く。
陽に照らされた彼の表情は、穏やかだった。深いしわの中に、安堵の色が見える。
「ミュウ様、シャル様。本当にありがとうございました」
村長は深々と頭を下げる。その姿に、これまでの苦労が垣間見える。
「ところで聖女様、隣国のレイクタウンという街をご存じでしょうか。
そこで奇妙な事件が起きているという噂を聞きました」
「奇妙な事件?」
シャルが興味深そうに食いついた。彼女の目が好奇心で輝く。村長が頷く。
「はい。レイクタウンはその名の通り、湖の上に浮かぶ水上都市として有名だったのですが……。
湖が、突然干上がりはじめているそうです。原因は誰にもわからず、街の人々は困惑しているとか」
「湖が干上がる……? 自然現象とは思えんな」
ゴルドーが話を聞いて眉をひそめる。彼の鋭い洞察力が、状況の異常さを察知したようだ。
ああ……こういうインテリな分析ができる人、パーティにいたらありがたいんだけどなぁ。
シャルはそういうの詳しくないし、私も感覚派だし。
「気が向いたらでいいのですが……お2人なら、きっと何か解決の糸口を見つけられるのではないでしょうか」
「うん、面白そう! ねえミュウちゃん、行ってみない?」
私は少し考えてから、頷いた。たしかに気になる。
幸い、シャロウナハトで貰ったお金があるのでしばらく金にも困っていない。
「ああ、それと……そうでした。こちらを受け取ってください」
そんなことを考えていると、村長は袋をシャルに手渡した。
ジャラ、と硬貨の音が鳴る。この音と重さは……。
「せめてものお礼です。20クラウンほどですが」
「だ、だいぶ大金じゃない!?」
「いや。村1つ救ったと考えれば安い部類だ。だが何分、金もないからな」
ゴルドーがそう補足し、シャルはお金を受け取った。
なけなしのお金、となるとむしろ、受け取らないほうが失礼な気がするしね。
「おっけー、それじゃ決まりだね!」
シャルはお金を懐に入れ、嬉しそうに立ち上がった。
彼女の動きに合わせて、草が揺れる音がする。
「レイクタウンに向かおう!」
「気をつけろよ。何かあったら、すぐに連絡してくれ」
ゴルドーの言葉に私たちは頷いた。彼の声には、心配と期待が混ざっている。
それから村に戻り出発の準備を整えると、村人たちが見送りに集まってきた。
彼らの足音と話し声が、村全体に広がる。
「聖女様、どうかお気をつけて」
「また来てくださいね!」
「この村を忘れないでください!」
様々な声が飛び交う。私は恥ずかしさを感じながらも、小さく手を振った。
歓声が上がる。やめてほしい~……。
シャルは村人たちに大きく手を振りながら叫んだ。彼女の声が、村中に響き渡る。
「みんな、元気でね! また絶対来るからさ!」
ゴルドーは村人に混じって、静かに腕を組んでいた。しばらくはお別れだ。
遠くなっていく村の喧騒。風に揺れる草の音。鳥のさえずり。
それらが新しい旅の始まりを告げているようだった。
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