第2話 知ってたの
「はい、じゃあカンパーイ!」
赤髪の剣士の声が、賑やかな酒場に響き渡る。
私の前には、彼女が奢ってくれたピンクグレープフルーツのジュースが置かれている。
彼女の前には、琥珀色の液体が泡立つエールのジョッキ。
(なんで、こうなったんだろう……)
私は小さくため息をつく。
ついさっきまでギルドを追放され、途方に暮れていたはずなのに……何をしているんだろう。
「ねえねえ、ミュウちゃん。そんな暗い顔しないの。クビになったってことは仕事もないんだし、せめて今くらいは楽しもうよ!」
……そんな気分になれるはずがない。貯金もないのにさ。
「あ、そういえば自己紹介もまだだっけ? あたし、シャル! よろしくねミュウちゃん!」
「…………」
シャルと名乗った剣士の女性は、炎のような鮮やかな赤髪をポニーテールに結んだ快活そうな剣士だ。
私より4、5歳は上。背中には大きな両手剣が括り付けられており、その柄には赤い宝石のような飾りがついている。
薄い鎧を身につけているが、その下からは引き締まった腕の筋肉が覗いている。
彼女の足元には、大きなリュックサックと寝袋が置かれている。旅の準備は万全のようだ。
そして何より特筆すべきは、彼女のうるささだ……。
声の大きさだけじゃなく、ホントにずっと喋っている。よくこんなに喋れるなぁ、と逆に感心する……。
「ミュウちゃんって多分未成年だよね? 勝手にジュース頼んじゃったけど。いやー悪いねー、あたしだけ飲んじゃってさ!」
シャルは私の返事も待たずに、自分のエールをグイッと飲み干した。
「プッハー! うまい! やっぱお酒は最高だよー。ミュウちゃんもはやく飲めるようになりなさい!」
(そんなこと言われても……)
私は黙ってフルーツジュースを啜る。甘酸っぱい味と香りが口の中に広がった。
実を言うと――というか、そりゃそうだろって感じだけど、私はこういう騒がしい場所が苦手だ。
酒場の喧噪、人々の笑い声、グラスが触れ合う音。全てが私のMPを削っていく。
でも、誘われて断るのも怖いし。八方塞がりだ……。
「そういえばさ、ミュウちゃんはなんでクビになったの?」
シャルの質問に、私は一瞬目を見開いた。
(それ話さなきゃいけない……?)
「あ、ごめんごめん。言いたくないならいいよ。ちなみにあたしはね、うるさすぎてクビになっちゃったんだ。信じられる? あっはっはっは!」
シャルは明るく笑う。その笑顔には、少しも後悔や無念の色が見えない。
「ギルドマスターに『お前の声がでかすぎるし、ずっと喋ってて他の冒険者の迷惑になる』って言われちゃってさ。まあ、たしかにあたし声でかいからなー」
私は小さく頷く。うん、彼女の声は大きい。今だってきっと、酒場中に響き渡っているはずだ。
「ちょっと! なに頷いてんの! あっはっは!」
シャルがテーブルを叩き身を乗り出し、私の背中をバシバシ叩く。
ひええ~……陽キャのノリだ!
「……でもさ、ミュウちゃん。あたし、ちょっと気になることがあるんだ」
シャルの声のトーンが少し落ちる。私は思わず顔を上げ、彼女を見つめた。
「ミュウちゃんって、すごいヒール能力持ってるよね? あなたを追い出して、あのギルド平気なのかな?」
その言葉に、私の体が硬直する。
(え……どうして……?)
私は喉の渇きを感じ、慌ててジュースに手を伸ばした。
グラスを持つ手が少し震え、冷たい液体が指に触れる。酒場に漂う甘い麦芽の香りと、ほんのりとしたフルーツの香りが鼻をくすぐる。
「あ、ごめんごめん! びっくりさせちゃった?」
シャルが申し訳なさそうに笑う。その声は、周囲の喧噪にも負けない明るさだ。
そんな彼女の表情には、からかうような色は見えない。
「実はね、ミュウちゃんのこと、ちょっと前から気になってたんだ」
シャルは身を乗り出し、声を少し落として続ける。
「ギルドの中で、誰かが怪我したりすると、いつの間にか治ってるんだよね。ヒーラーが誰も近くにいないのに」
(気づいてた……?)
私は思わず目を伏せ、視線をそらす。私は、ヒールのときに詠唱をしない。そのほうが早いし、喋らなくていいからだ。
だからこそ、これまで誰にも気づかれていなかった。そのはずが……。
「それでね、あたしこっそり見てたんだ。そしたらさ、ミュウちゃんがいつも端っこで、こっそり魔法を使ってるのを見つけちゃって」
シャルの緑色の瞳が、真剣な眼差しで私を見つめている。
「マスターは神の加護とか言ってたけど、神様が特定のギルドにだけ加護を与えるとか聞いたことないしさ」
(それはホントにそう)
「すごいよね、ミュウちゃんのあれ。無詠唱で、あの早さで、しかも遠距離からあんな強力な回復魔法を使えるなんて」
私は言葉が出ない。まぁいつも出ないけど。
これまで誰にも――魔法職にも気づかれなかった秘密を、この陽キャ剣士に見破られていたなんて。酒場の喧噪が遠くに聞こえる。
「でもさ、なんでそんな凄い能力を隠してたの? ギルドマスターに言えば、追放なんてされなかったんじゃない?」
シャルの問いかけに、私は小さく首を振る。木製の椅子が軋む音が聞こえた。
(隠してたわけじゃないんだけど……自分から説明するのって、なんかかっこ悪いというか、ズカズカ行きすぎかなって……)
「あ、ごめんごめん。また聞いちゃいけないこと聞いちゃったかな」
私の沈黙に、シャルが申し訳なさそうに笑う。彼女の赤い髪が、酒場のランプの光を反射して輝く。
「でもさ、もったいないよ。せっかくそんな能力を持ってるんだから、もっと活かせばいいのに。あのギルドの最優秀パーティにだって入れる実力でしょ?」
(……そうかなぁ……)
私は黙ったまま、グラスの中の液体をじっと見つめる。氷が溶けて、うっすらと水滴が表面に浮かんでいる。
「ねえ、ミュウちゃん」
シャルの声に、私はゆっくり顔を上げる。
「あたしと一緒に旅しない?」
「……え?」
思わず声が漏れる。一人でいるとき以外で、久々に声を出した気がする。その声は、自分でも驚くほど小さく、か細い。
「だってさ、あたしたち二人ともクビになっちゃったわけじゃん? このまま街にいても仕方ないし。
それに、あたしみたいな前線で戦う人間にとって、ミュウちゃんみたいな凄腕のヒーラーはめちゃくちゃありがたいんだよ!」
シャルの目が輝いている。その熱意に、私は圧倒されそうになる。彼女の声の大きさに、近くのテーブルの客が眉をひそめて振り返った。
「どう? まだ冒険者をやる気があるなら、あたしと一緒に冒険しようよ!」
シャルが右手を差し出す。その手には、たくさんの傷跡が刻まれている。戦いの跡だろう。手のひらには剣を握った証の硬い皮膚が伺える。
たしかに、このまま街にいても仕方ない。この街での冒険者の仕事は、全部グラハムのギルドが統括しているからだ。
引き続き冒険者として働きたいなら、別の街に行かなければならない。
でも、見ず知らずの人と旅に出るなんて……。酒場の喧噪が、急に大きく聞こえてくる。
(でも……他に方法もないのかな。自分からパーティーを組むなんて絶対ムリだし……)
葛藤の末、ゆっくりと、私は右手を伸ばす――
私の手が、シャルの手に触れる瞬間――酒場の扉が勢いよく開く音が鳴り響いた。
冷たい夜風が吹き込み、ろうそくの炎が揺らめく。
「大変だ! 誰か、ヒーラーを!」
慌てた様子の若い男性の声。彼の背後には、仲間に支えられた負傷者の姿が見える。
私とシャルは、反射的に振り返る。
負傷者は中年の男性で、腹部を押さえている。血の匂いが、酒場の空気に混ざり始めた。
「どうしたの!? うわっ、めっちゃ血が出てるー! 大丈夫!? しっかりしな!」
シャルが立ち上がり、大きな声で勢いよく尋ねる。
「街の外れで魔物の群れに襲われて……ギルドに戻ったんだけど、治らないんだよ!」
(あ……そういえば、最近は冒険者以外も来てたっけ。そういうのも私が治してたから……)
ってことは、もしかして今ギルドは気づき始めてるのかな。神の加護とかいうのがなくなったってこと。
まぁ、それと私が関連付くまではしばらくかかるだろうけど。
シャルが隣で私を見る。その目には、何か期待するような光が宿っている。
(うん。とにかく、治してあげないと。辛そうだし)
私はゆっくりと立ち上がり、負傷者に近づく。周りの喧噪が静まり、皆の視線が私に集中する。
深呼吸をして、私は手を伸ばす。
「この子が今から治療するからね!」
シャルの声は、ざわざわと小さな声で溢れた酒場には十分すぎるほどに聞こえただろう。
右手に杖を握り、左手から水色の光が溢れ出す。負傷者の体を包み込むように広がっていく。
(大回復魔法……)
それから1秒後、光が消える。ヒールの魔法による光はまったくの一瞬だ。
「あ……れ? 痛みが……」
負傷者が驚いた声を上げる。
「消えた?」
「お、おい。平気か?」
彼は腹部から手を離し、体を起こす。服はまだ新鮮な血がついたままだが、傷は完全に塞がっていた。
男が立ち上がったのを見て、酒場に歓声が上がる。木製の酒場が軋むようだった。
「す、すげぇ! マジで治ったのか!? トリックじゃねぇよな」
「ヒールって、こんな一瞬で治るもんなのかよ!」
「お嬢ちゃん、お前すげぇな! 冒険者か?」
「こっち来て話そうぜ〜!」
質問と称賛の嵐が私に向けられる。私は思わず後ずさりする。
やばい。こんな大勢の酔っぱらいに話しかけられたりしたら圧死する……!
「っしゃー、見たか! これがあたしのパートナー、ミュウちゃんの実力よ!」
シャルの大きな声が響く。彼女は私の肩に腕を回し、誇らしげに宣言する。
「あたし達は今、街を出る準備中でね。こんな腕利きのヒーラーと組めるなんて、あたしって超ラッキーでしょー?」
「なぁんだ、もうパーティー組んでたのかよ」
「そゆこと♪ 残念だったね」
「いいなぁ、あんなんできたら前衛も楽だろうに」
「お前もアレくらいやれよ。ヒーラーだろ?」
「無理に決まってんだろ! あんなの、魔法学校でも見たことねぇぞ」
シャルの宣言で、人々の注目が少しずつ私から逸れていく。皆、それぞれの飲み仲間との雑談に戻ったようだ。
(あ、ありがとう……助かった……)
心の中でお礼を言いながら、私はシャルを見上げる。 彼女は私に向かってウインクする。
「さあて、そろそろ準備しよっか。ミュウちゃん」
シャルの言葉に、私は小さく頷いた。
――こうして。のちに聖女と呼ばれることになる私と、シャルの旅が始まろうとしていた――。
「おーい、お嬢ちゃんたち! ホントに助かったよ、一杯奢らせてくれ!」
「えっマジ!? じゃあお言葉に甘えて! えーっとねぇ、あたし次何飲もうかなー、おつまみも貰っていい?」
――始まろうと、していた……?
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