第18話 村を救え!
宿屋を出ると、朝の冷たい空気が頬を撫で、鼻腔をくすぐった。
街はまだ眠りの中にあるようで、ところどころに早起きの商人たちの声が響くくらいだ。
石畳を踏む足音が静かに響き、朝露の匂いが漂う。
昨日の騒動があった辺りを見ると、自警団兵らしき人々や職人が壊れた石畳を修復しているのが目に入った。
その光景を見てから、私は思わずゴルドーに視線を向ける。あれ、ゴルドーがやったやつだよね……。
「…………」
「…………」
お互いに黙ったまま、ゴルドーは静かに視線を逸らした。
彼の表情には、わずかな罪悪感が浮かんでいるように見える。バレたら大変なことになりそうだ……。
ゴルドーが用意した馬車が、宿屋の前で待っていた。
大きな荷物を積んだその馬車は、長旅の準備が整っているように見える。
馬の息遣いと、馬具の革が軋む音が聞こえてくる。
「おー、立派な馬車!」
シャルが感嘆の声を上げる。確かに、普通の荷馬車とは違う豪華さがある。
車体には繊細な彫刻が施され、座席には柔らかそうなクッションが敷かれている。
「ギルドから借りた。長旅は快適な方がいいだろう」
ゴルドーの言葉に、私たちは頷いた。ノックといい、寡黙ではあるけどきちんと気遣いができる人だ。
荷物を積み込み、私たちは馬車に乗り込んだ。革の座席のにおいが鼻をくすぐる。
ゴルドーが御者台に座り、馬車はゆっくりと動き出す。
車輪が石畳を転がる音が、朝の静寂を破る。
街を出ると、景色は少しずつ変わっていった。
広大な草原が広がり、遠くには山々が連なっている。
朝日に照らされた草原は、金色に輝いて見える。
風に揺れる草の香りが、馬車の中まで漂ってくる。
「わー、きれい!」
シャルが窓から身を乗り出して景色を眺める。
ポニーテールにまとめられた赤い髪が風になびき、朝日に照らされて輝いている。
「気をつけろ。落ちるぞ」
ゴルドーの冷静な声に、シャルは少し悔しそうに身を引いた。彼女の頬が少し膨らんでいる。
「もー、ちょっとくらいいいじゃーん。ねえミュウちゃん、あなたもこういう景色見るの好き?」
私は小さく頷く。
街の中では見られない景色だ。心が落ち着くような気がする。
草原の向こうに広がる空の青さに、思わず見とれてしまう。
「ところでさー、ゴルドー。村のこととか、もうちょい詳しく教えてよ」
シャルの声が馬車の外を向く。彼女の目は、好奇心に満ちていた。
ゴルドーは少し間を置いてから、ゆっくりと話し始める。その声は、馬車の揺れと共に響いた。
「俺の村は、山の麓にあるラーナという村だ。昔から鉱山で栄えていたんだが……」
彼の声には、郷愁の色と、村への深い愛着が感じられる。
「6年前、突然村人たちが倒れ始めた。
最初は普通の病気だと思っていたんだが……」
ゴルドーの言葉に、馬車の中の空気が静まる。
風が草を通り抜ける音が大きく聞こえた。
「……どんな症状なの?」
シャルが静かに尋ねる。
「高熱と、激しい頭痛。そして……」
ゴルドーは一瞬言葉を切った。その間、馬車の軋む音だけが聞こえる。
「……意識を失う。そのまま目覚めない者も多い」
その言葉に、私の胸が締め付けられる思いがした。
村社会においてそんな人が出た挙句、それが感染するとなれば、その被害は計り知れない。
むしろそんな状況で6年間も持ちこたえたのは奇跡に近い。
村ごと消滅してもおかしくない被害だ……。
そんな人たちを私に治せるのだろうか。
病気は当事者も、その周りの人の体力も奪っていく。
時間的に考えて、村も人もそろそろ限界だろう。
もし私が治せなかったら、チャンスはもうないかも……。不安が胸に広がる。
「でも、ミュウちゃんの魔法ならきっと大丈夫だよ!」
シャルが私の肩を叩く。その明るい声に、少し勇気づけられる。
彼女の手の温もりが、不安を少し和らげてくれる。
「ああ、俺もそう信じている」
ゴルドーの声がかすかに明るくなるのを効いて、私も少し希望を感じた。
夜になると馬車は丘を越え、森の中へと入っていく。
木々の間を縫うように進む道は、少し揺れが激しくなる。
森の中の空気は湿っており、木々の香りが鼻をくすぐる。
「これまで、どんなヒーラーを連れてきたの?」
さっきまで寝ていたシャルが起きて、再び尋ねる。純粋な好奇心からの質問だろう。
「様々だ。若手の有望株から、ベテランまで。中にはA級冒険者のヒーラーもいた」
「へー、すごいね! でも、みんな治せなかったんだ……」
「ああ。だが、ミュウの魔法は違う」
ゴルドーの言葉に、私は驚いて顔を上げた。ううっ、プレッシャー……!
「古代魔法……か」
シャルが呟くと、私は複雑な気持ちになる。
私の使う魔法が本当に古代魔法なのか、まだ信じられない。そんなの聞いたことないし……。
「ミュウ。お前の魔法の詠唱、覚えているか?」
ゴルドーの突然の質問に、私は少し戸惑った。それから頷く。
「覚えてるってさ」
「聞かせてくれないか? 詠唱だけでいい。実際に発動はしなくてもいい」
「……!?」
そ、そんな! あの状況はまだ皆そこまでちゃんと聞いてなかったからともかく、今この状況で喋るなんて……! 私の心臓が震える。
「あー、ダメだね。ミュウちゃんがこの世の終わりみたいな顔してるからやめとこうか」
「どういうことだ……」
「人前で喋るのがあんまり好きじゃないからねぇ。詠唱もあんまりなのかも」
御者席にいるゴルドーのため息が聞こえてきた。
……馬車の中にまで届くって相当大きいよそれ。
「……まあいい」
ゴルドーが呟く。その声には、少しの諦めが混じっている。
「古代魔法の詠唱は現在のものとは異なる。俺もある程度魔法は使うからな。その違いは理解しているつもりだ」
「なるほど、ゴルドーは魔法もイケるんだね。あたしもなんか覚えよっかな。剣一本じゃ厳しい相手もいるよねえ」
魔法、かあ。私も攻撃魔法が使えたらもう少し役に立てるのかも……でも攻撃魔法の才能はないらしいんだよね……。
そう考えていると、少し悲しい気持ちになる。かといって体を動かすのも苦手だし……。
「ミュウちゃんはどこで魔法を覚えたの? あたしも参考にしたいな!」
シャルの問いに、私は首を傾げる。
どう答えたらいいだろう。私が回復魔法を教わったのは……。
「……師匠、から」
私の小さな声に、シャルが目を輝かせる。その目は、まるで宝石のように輝いている。
「師匠!? ミュウちゃんに師匠がいたの!? どんな人? すごい人なの?」
質問攻めにあい、私は少し圧倒される。でも、師匠のことを思い出そうとすると……なぜかぼんやりとしか思い出せない。
髪が長くて、10年くらい一緒にいた……はずなんだけどな。
「……よく、覚えてない……かも」
「えー? そんなことある?」
シャルが不思議そうな顔をする。
「記憶喪失か? それとも……」
ゴルドーが何か考え込んでいるようだ。声から何か推測めいたものが感じられる。
「まあいい。いずれ思い出したら知らせてくれ」
彼の言葉に、私は小さく頷いた。
翌朝、馬車は森を抜け、再び開けた場所に出た。
遠くに、山々が見えてきた。
その姿は威厳があり、まるで私たちを見守っているかのようだ。
「あれが、俺の村がある山だ」
ゴルドーが指さす先に、大きな山が聳えている。
その山の麓に、小さな村が見えた。人の姿はなく、遠くからでも村の静寂が感じられるようだ。
「もうすぐだね。頑張ろ、ミュウちゃん!」
シャルの声が、少し緊張を帯びる。
私も、胸の鼓動が早くなるのを感じた。
■
馬車が村の入り口に差し掛かると、重苦しい空気が私たちを包み込んだ。
村は異様な静寂に覆われている。家々の窓は固く閉ざされ、通りには人影がほとんど見えない。
木々の葉さえも、風に揺れる音を控えているかのようだ。
「ここが……ラーナ村だ」
ゴルドーの声には、深い悲しみが滲んでいた。
彼の故郷の姿に、胸が締め付けられる思いがした。
かつてはここも、少なくとも今よりは賑わいがあったのだろう。
今は、まるで時が止まったかのような静けさだ。
馬車から降りると、湿った土の匂いが鼻をつく。
遠くの鉱山の方角らしき場所から、かすかに硫黄のような刺激臭が漂ってくる。
目についた畑は雑草が伸び放題になっていた。長い間手入れされていないのだろう。
その光景が、この村の苦境を物語っていた。
「村長のところに行こう」
ゴルドーの案内で、私たちは村の中心部へと向かう。
途中、家々の中から咳き込む声や呻き声が聞こえてきた。それらの音が、村の静けさをより一層際立たせていた。
村の中心にある大きな建物の前で、一人の老人が私たちを待っていた。
深いしわの刻まれた顔に、疲労の色が濃く出ている。
「ゴルドー、戻ってきたのか」
老人の声は、かすれていながらも強い意志を感じさせた。
「ああ、村長。今回はより勝算のあるヒーラーを連れて戻ってきた」
ゴルドーが私とシャルを紹介する。村長は私たちを見て、かすかに目を細めた。
その瞳に、希望の色が少し強くなったように見える。
「よく来てくれた。君たちの力を借りられることを、心から感謝する」
村長の言葉に、私は小さく頷いた。シャルは元気よく返事をする。その声が、村の静寂を破るように響く。
「任せてください! あたしは別に何もしないけど、ミュウちゃんは超強力なヒーラーなんです!」
「ああ。期待しているよ」
村長は私たちを案内し、村の集会所らしき大きな建物に招き入れた。
建物の中は薄暗く、湿った空気が漂っている。そこかしこに横たわる病人の姿が見える。
彼らの苦しそうな呼吸音が、静かな空間に響いていた。
「状況を説明させてもらう」
白い布を口に当てた村長は、古びた羊皮紙の地図をテーブルの上に広げ指さした。
「6年前、我々は新しい鉱脈を発見した。
しかし、その採掘を始めてすぐに、奇妙な煙が噴き出してきたんだ」
村長の指が、地図上の鉱山を示す。その指先が、わずかに震えているのが見えた。
「その煙を吸った者から、次々と倒れていった。
高熱、頭痛、そして意識不明……それが看病する者に感染し、徐々に増えていったのだ」
私は慎重に患者たちの様子を観察する。
確かに通常の病気とは違う、何か不吉なものを感じる。
空気中に、目に見えない脅威が漂っているような感覚だ。
おそるおそる、一人の患者に近づき、回復魔法を試してみる。
(状態異常回復魔法)
青白い光が患者を包み込む。その光は部屋を明るく照らす。
……患者の顔色が少し良くなり、呼吸も楽になったように見える。苦しそうだった表情が、少し和らいだ。
「すごい! 効いてる!」
「……いや……」
シャルが驚きの声を上げる。しかし、私は首を横に振った。
これは一時的に症状を和らげたに過ぎない。根本的な原因を取り除かない限り、完治は難しいだろう。
「……ごめんなさい……」
村長は深いため息をつく。その表情には、落胆の色が浮かんでいる。
しかし、完全に希望を失ったわけではないようだ。
「しかし、症状を和らげることはできるようだな。それだけでも大きな助けになる」
ゴルドーが静かに言った。その言葉が、わずかながら暗い集会所に希望を灯す。
「ところで村長! その鉱山っての、もう少し詳しく教えてもらえない?」
シャルが尋ねる。たしかにそうだ。
私の状態異常回復は、その状態異常がどんなものかを把握しておかなければ十全な効果を発揮しない。
鉱山から吹き出た煙とかいうものが何なのかわかれば、魔法の効果はもっと高まるはずだ。
「ああ、そうだな……わかった」
村長は少し考え込んでから話し始めた。
「実は、その鉱山を掘り進めていく中で、奇妙な遺跡のようなものを発見したんだ。
しかし、その直後に煙が噴き出し始めた」
「遺跡!?」
シャルが少し興奮気味に声を上げる。シャル、あんまりテンション上げすぎないでね……!
でも、確かにこれは予想外の展開だ。
「ああ。どうやら古代の文明の遺物らしい。しかし、詳しいことはわからない。
煙のせいで近づくことができないんだ」
「ねえミュウちゃん! その煙と装置ってのがなんなのかわかれば、もう少しヒールのしようがあるんじゃない?」
シャルが興奮気味に言い、私は頷いた。遺跡と煙、そして村人たちの症状。
これらには必ず関連があるはずだ。その謎を解くことが、村を救う鍵になるかもしれない。
「村長、あの遺跡を調査させてもらえないだろうか」
「お、おい……! お前も知っているだろう。あそこは人が入れる環境じゃないぞ!」
「だがもう、あの場を直接調査するしかない。時間がないのはわかっているはずだ」
村長とゴルドーは互いに眉を上げ議論し始める。心臓がバクバクと鳴り響く中、私はおずおずと手を上げた。
「あ、あ、あの、あの」
「どうした」
「……アッ……」
声が出ない。喉が詰まる。
……だけど、私もいつまでも会話をシャルに頼ってちゃだめだ。
勇気を振り絞り、MPを大量に消耗し、喋る……!
「げ、現地に行けば……わかると、思います……病気の原因とか……あっ、バリアの貼り方とか……」
「ほ、本当か?」
村長と、ついでにシャルは驚いた顔でこちらを見る。
私はただカクカクと頷くことしかできない……。顔が熱くなる。
「よーし! じゃあ早速行こう!」
半信半疑の空気を、シャルの元気な声が切り裂いた。私は頷き、彼女に歩み寄る。
彼女の手が頭を撫でてきた。その温もりが、少し緊張を解してくれる。
「わかった。俺も同行する」
ゴルドーも同意し、私たちは鉱山に向かうことになった。
私たちの肩には、村の未来がかかっている。
その重責を感じながら、私は一歩を踏み出した。
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