第16話 夜の決闘
夜の街道に、重苦しい空気が漂っていた。冷たい風が頬を撫で、背筋に寒気が走る。
ゴルドーとグラハムが向かい合い、その間に緊張感が張り詰めている。石畳を踏む足音さえ、異様に大きく耳に響く。
私は、リンダとともに少し離れた場所で息を潜めて見守っていた。
心臓の鼓動が、耳元で鳴り響いているようだ。
街灯の黄色い光が二人の姿を不気味に照らし出す。その光の中で、影が夜の街に呑まれていく。
ゴルドーの巨大なハンマーが月明かりに反射し、その表面に細かな傷が浮かび上がる。
グラハムの剣が冷たく光り、その刃先が青白く輝いている。
二人の魔力が衝突し、空気が震えているのを感じる。
まるで、目に見えない波動が周囲を包み込んでいるかのようだ。
(どうしてこんなことに……!?)
心臓が早鐘を打ち、手足が震える。
こんな決闘は止めなければいけないのに、私の体は動かない。
声を出そうとしても、喉が締め付けられたように何も出てこない。この感覚、MP切れたかも……。
突然、グラハムが動いた。彼の姿が一瞬で消え、次の瞬間にはゴルドーの背後に現れていた。風を切る音が鋭く響く。
「はあっ!」
グラハムの剣が空を切る音が響く。金属が空気を裂く鋭い音が、夜の静けさを破る。
しかし、ゴルドーは僅かに体を傾けて避けた。
その動きは、全身の鎧からは想像もつかないほど軽やかだった。鎧のきしむ音さえ、ほとんど聞こえない。
それでも、グラハムは攻撃の手を緩めない。
剣撃に続いて、彼の左手から炎の魔法が無詠唱で放たれる。
オレンジ色の光が夜の闇を切り裂く。
熱波が押し寄せ、一瞬にして周囲の気温が上がる。
「チッ」
ゴルドーは巨大ハンマーを盾のように構え、魔法を受け止めた。炎がハンマーにぶつかり、火花が散る。
金属が熱せられる音と、炎のパチパチという音が混ざり合う。
そんな戦いを見て、リンダはため息を吐く。
「相変わらず、力だけはあるのよね、グラハムさん。元はA級冒険者だもん」
「……!?」
あのグラハムが元冒険者……? 知らなかった。たしかに、いつも剣は身に着けていたけど……。
「相手の男も何者か知らないけど……グラハムさんは半端じゃないわよ。性格と経営能力はカスだけどね」
リンダの言葉を裏付けるように、グラハムの攻撃は止まらない。
剣と魔法を交互に繰り出し、ゴルドーを追い詰めようとしている。
剣戟の音と魔法の炸裂音が、リズミカルに響き渡る。
その姿はまるで舞うように優雅でありながら、獲物を追い詰める狩人のように狡猾だった。
鎧姿にもかかわらず足さばきは軽く、まるで地面に触れていないかのように足音が小さい。
しかし、ゴルドーは冷静だった。
彼は必要最小限の動きで攻撃をかわし、時折ハンマーで受け止める。金属がぶつかり合う音が、鈍く響く。
その青い目は、常にグラハムの動きを観察しているようだった。
(ゴルドーさん、防戦一方……大丈夫なの?)
私の心配をよそに、ゴルドーの表情は揺るがない。
それどころか、彼の唇が少し上がっているのが見えた。まるで、何かを楽しんでいるかのように。
一方、グラハムの攻撃に少しずつ乱れが生じ始めていた。
呼吸が乱れ、動きにも隙が見え始める。汗が彼の額を伝い、地面に滴り落ちる。
「くそっ! なぜだ……なぜ当たらない!」
グラハムの叫び声が夜空に響く。その声には、明らかな焦りが滲んでいた。声が震え、息遣いが荒くなっている。
ゴルドーは相変わらず静かだった。しかし、その目には決意の熱が宿り始めていた。
まるで、反撃の時を待っているかのように。彼の体から発せられる魔力が、わずかに空気を震わせる。
私は息を呑んで、次の展開を見守った。
夜の静寂の中、二人の戦いは新たな局面を迎えようとしていた。
突然、ゴルドーの姿勢が変わった。今まで防御に徹していた彼が、一歩前に踏み出す。
「動きは見切った」
ゴルドーの低い声が響く。その瞬間、彼の体から放たれる魔力が一気に増大した。
空気が震え、石畳の表面の砂利が微かに揺れる。周囲の温度が急激に上昇し、肌がピリピリする。
グラハムの顔に焦りの色が浮かぶ。額に浮かんだ汗が、月明かりに反射して光る。
「何を馬鹿な……! 俺に勝てるやつなんぞ、そうそういてたまるか――!」
大きなハンマーを抱えているとは思えない素早さで、ゴルドーはグラハムに迫る。
巨大なハンマーが風を切る音が重々しく響く。空気が圧縮されるような音と共に、ハンマーがグラハムに迫る。
グラハムは剣を構えて防御しようとするが、ハンマーの一撃の威力は凄まじかった。
剣と衝突する瞬間、金属が爆発するような音が耳を劈く。火花が散り、一瞬辺りが明るくなる。
「ぐっ……!?」
グラハムが後ろに弾き飛ばされる。彼の足が地面を削り、砂利を巻き上げる音が聞こえる。
砂埃が立ち上がり、夜の空気が濁る。
しかし、ゴルドーの攻撃は止まらない。
次の瞬間、彼は再びグラハムの懐に入り込んでいた。足音さえ聞こえないほどに、一瞬で。
「はっ!」
今度は下から上への一撃。ハンマーが空気を叩く音と共に、グラハムの体が宙に浮く。風圧で、周囲の小石が舞い上がる。
「ぐぶぁっ……!」
グラハムの驚愕の声が夜空に響く。彼の体が、まるで人形のように宙を舞う。
ハンマーが直撃した鎧が砕け、破片が飛び散る。金属の破片が、月明かりと街灯に照らされて金銀に輝いた。
ゴルドーは冷静に次の一撃を準備している。
彼の青い瞳は、ただグラハムの落ちる場所を見つめていた。
「これで終いだ」
ゴルドーの声が響くと同時に、彼の体が回転する。
その動きに合わせて、ハンマーが大きな弧を描く。
空中で体勢を立て直そうとしていたグラハムの目が見開かれる。
恐怖に満ちた瞳が、その迫る危機を目撃し――。
「ま、待て……!」
グラハムの声。しかし、もう遅かった。ハンマーが、落下してきたグラハムの体を捉える。
鈍い音と共に、殴り飛ばされた彼の体が地面を滑る。砂埃が舞い上がる。
「がああぁぁぁっ……!」
砂埃が立ち上る中、グラハムの体が地面にめり込んでいる。
彼の剣が、遠くに転がっていった。金属が石畳を転がる音が、耳障りに響く。
「う……うぅ……」
グラハムの呻き声が聞こえる。鎧は二撃目のハンマーにより完全に砕けていた。
彼の指先が微かに動くが、もう立ち上がる力はないようだ。
呼吸が荒く、痛みに耐えているのが見て取れる。
「……すっご……マジ? ブランクはあるとはいえ、あのグラハムさんをあっさり倒すなんて」
リンダは驚愕の声を上げていた。彼女の声には、恐れと敬意が混ざっている。
戦いのことはよくわからないが、ゴルドーが強いということはわかる。
一方で、どこか引っかかるところがあった。
目の前のゴルドーは、先頃の巨大石像兵との戦いの際に比べても「明らかに強くなっている」。一体なぜなのだろう……?
ゴルドーがゆっくりとグラハムに近づく。彼のハンマーが、月明かりに照らされて輪郭が浮かび上がる。その足音が重く連続する。
「降参か?」
「ふ、ざ……けるな……。誰が……っ!」
「そうか。では――」
彼はあくまで無感情のままでハンマーを振り上げる。完全に、グラハムの頭を潰す軌道で……!
「ま、待て、待て待て! やめろ、わかった! わかったから!」
グラハムの言葉に、ゴルドーはハンマーを下ろす。金属が地面に触れる音が、鈍く響いた。
その様子を見て、私は汗がどっと吹き出した。背中を冷たいものが流れる。
(いま、完全に殺すつもりだった……なんでそこまで……?)
「では、この場は俺に譲ってもらおう。その後のことは俺は知らん」
「あ、ああ……あぁ」
グラハムは人形のようにカクカクと頷いた。そんな彼に、リンダが近付いていく。彼女の足音が、静かに夜の空気を切る。
「我が声に答えよ、天上の者、生命を司る精霊よ。理を穿ち、我らに時と癒しの加護を与え給え――大回復魔法」
詠唱とともに、彼女のヒールが発動。青白い光がグラハムを包み込む。グラハムの受けた傷が治っていく。
骨がくっつく音や、肉が再生する音がパキパキと微かに聞こえる。一応、立てるくらいにはなったようだ。
「ねぇグラハムさん。こんなときに何なんだけど」
「ハァ、ハァ……なんだよ……」
「私ギルド辞めるわね」
「……あぁっ!?」
グラハムが信じられないことを聞いたように目を見開く。その目は、驚きと恐怖で大きく見開かれている。
怒りや憎しみ、驚きの混じった視線をものともせず、彼女は続けた。
「あの子を確保できなかったってことは、どうせまた私がギルド勤めになるだろうし。
私、そういうんじゃなくて冒険に行きたいのよね」
「ま、待て……! そりゃないだろう!? お前が抜けたらギルドがどうなると思う! 見ただろ、あの医務室を!」
「知らないわよそんなの。私に言わせりゃ、治してもらう前提で戦う奴らなんてカスよ。治るまで勝手に寝てなさい」
おい! と大きな声で何度も叫ぶグラハムに踵を返し、颯爽とリンダは去っていく。
彼女の長い髪が、夜風になびく。去り際に、彼女はこちらを見た。その目には、複雑な感情が宿っているように見える……。
「正直言って、あなたにはムカついてるわ」
「……っ!? ご、ごごごめんなさ――」
「自分が悪くもないのに謝るのはやめなさい」
どっちなの!? コミュ障に高度なコミュニケーションを要求しないで!?
「ヒーラーとしてそれなりに努力してきたつもりだけど。私はあなたの足元にも及ばない……あなたも、私の魔力を見ればわかるでしょ?」
「えっ……アッ……」
私が答えに困っていると、彼女の手が私の頬をつまむ。その指が頬に食い込む。いたたたたた!
「ハッキリと『お前なんか足元にも及ばないわ』って見下されるならまだいいわ!
でも肝心のあなたがその態度ってどういうことよ!」
「いぃっ……!」
「いいこと!? 旅を続けるなら、私のことを覚えてなさい!
あなたなんか目じゃないくらいのヒーラーとして成長してやるから!」
彼女はそう怒鳴り、私の頬を解放すると怒りながら去っていった。彼女の足音が、夜の静けさを破る。大人の人ってこわい……。頬がじんじんする……。
■
そんな戦いと騒動が終わって、夜の静寂が再び街道を包み込む。
グラハムは意気消沈してどこかに歩いていったようだ……。その足音が、次第に遠ざかっていく。
それから、気を利かせてか少し離れていたゴルドーが私の方に歩いてくる。さっきの場面、助けてくれたらよかったのに……。
「さて、ミュウ。これでやっと依頼の話ができるな」
私は小さく頷く。体が疲労で重く感じる。
もうだいぶ疲れたから、帰って休みたいんだけど……彼は私を助けてくれたし、話はちゃんと聞かないと。
「これはノルディアスのギルドとしての依頼ではなく、俺個人の依頼だ。ミュウ。どうか――」
彼はそれから、私の前に跪いた。
それでも私と同じくらいの背丈で、同じ高さで目線が合う。
彼の青い瞳が、真剣な眼差しで私を見つめている。
「――俺の故郷を救ってくれ」
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