第148話 理想郷の終焉
青白い光が、地下空間全体に広がっていく。
(これが、私の……オリジナル。完全救済魔法)
その光は、これまで見たこともないほど強く、温かい。まるで生命そのものが光となったかのよう。
巨大な水晶の間を、光が波のように揺らめきながら進んでいく。
マーリンの体が、ゆっくりとその光に包まれる。
「あ……」
彼の口から、小さな声が漏れる。その瞳に、驚きの色が浮かぶ。
私の魔法は、マーリンの心の最深部へと染み込んでいく。
光は、彼の全身の細胞一つ一つを包み込むように広がり、その魂にまで達する。
「マーリン……」
エイダが、静かにその名を呼ぶ。彼女の声には、懐かしさと切なさが混ざっている。
私の横で、シャルが小さく息を呑む。
魔法の光の中、マーリンの顔に表情が戻っていく。
長い時を過ごした彼の心から、闇が溶けていくのが感じられる。
「俺たちのことを……全部覚えていたんだな」
ウィルの声が、やわらかく響く。彼の目には、親しい友への思いが浮かんでいた。
「もちろんだ。一瞬たりとも、忘れたことはない」
マーリンの声が、震える。その目から、大粒の涙が零れ落ちる。
「ウィルの死を。エイダとの約束を。ガレスの亡骸を。全てを……ずっと覚えていた」
光の中で、マーリンがゆっくりと膝をつく。
「でも……それだけだった。私は、君たちの意志を継げなかった……」
彼の声が、か細くなる。その姿は、もはや恐ろしい魔導王のものではなく、ただの寂しげな魔法使いのそれだった。
「時間を繰り返し、未来を否定してまで理想を守ろうとした。結局、私は……」
「マーリン」
ガレスが一歩前に出る。彼の足音が、光の渦の中に響く。
かつて親友だった二人。アヴァロンの是非を巡って戦い、マーリンに命を奪われた男。
その彼が、静かにマーリンの前に膝をつく。
「もういい。お前は、十分すぎるほど戦った」
ガレスの声には、怒りも憎しみもない。
ただ、古い友への理解と、深い思いやりだけがあった。
私は魔法を続けながら、その光景を見つめる。
シャルの手を握る私の手が、少し汗ばんでいるのを感じた。
(言葉じゃない。これが、私にできる精一杯の……)
光は更に強さを増し、マーリンの心の傷を優しく包み込んでいく。
それは千年の時を超えて積もった後悔や孤独、全てを洗い流していく。
「私の望みは……ただ、誰も死なない世界が欲しかっただけなのに」
マーリンの呟きに、エイダが近づき、その背中に手を置く。
「ずっと一人で、頑張ってきたのね」
その言葉に、マーリンの肩が震える。
ウィルも寄り添い、昔のように明るく笑う。
「もう大丈夫だ。俺たちがついてる。もう、肩の荷を降ろせよ」
青白い光の中、彼らの再会を見守りながら、私は黙って魔法を続けた。
この瞬間、言葉など必要なかった。
私の魔法が、全ての思いを伝えていた。
――その時、大地を揺るがすような轟音が響き渡った。
頭上で、巨大な何かが砕け散る音。
それは氷山が割れ落ちるような、世界の終わりを告げるような音だった。
地下空間の壁という壁に、その響きが木霊する。
「始まったか……」
マーリンが顔を上げる。その表情には、千年の時を経た者だけが持ちうる静かな覚悟が刻まれていた。
「今回のアヴァロンのループが、限界を迎えた。もう一度繰り返すか、それとも……ここで終えるかだ」
天井から、星屑のような白い光の粒子が降り始める。
まるで空が流れ落ちてくるような光景に、私は息を呑む。
その光は、私たちの周りに林立する巨大な水晶を照らし出す。
水晶は共鳴するように低い唸りを上げ、その振動が足元から伝わってくる。
マーリンは重々しく立ち上がり、この地下空間を見渡した。
「もう終わりにしよう。このループを、私の手で解く」
その言葉に、私は思わず目を見開いた。
ループの解除――それは、この理想郷の消滅を意味する。
「おいおい、待てよマーリン」
ウィルが声を上げる。
「よく知らないけど、それってそんな簡単にどうにかなるモンなのか? それに、解除したら国の奴らは……」
「死ぬことになる。……仕方のないことだ。この国は、時の摂理を歪めて存在しているのだから」
私は地上の光景を思い起こす。超高層建築が林立し、科学と魔法が融合した未来都市アヴァロン。
しかし、その繁栄は未来という餌を食らい続けることで成り立っていた。紛れもない事実が、重く胸に響く。
「解除自体はできるのか?」
「ああ。私の命を使えば、なんとかなるだろう」
マーリンの静かな決意に、エイダが駆け寄る。
「だめよ! せっかく私たちと再会できたのに!」
しかし、マーリンは静かに首を振った。
天井から降り注ぐ光が、彼の姿を神々しく照らし出す。
「これは私の責任だ。アヴァロンを作り、時間を歪め、多くの人々を苦しめた。
全ては私の過ちだった。だからこそ、私の手で終わりにしなければ」
彼は杖を掲げ、古の言葉で詠唱を始める。その声が、不思議な残響を伴って響き渡る。
次々と砕け散る水晶の音。頭上では、理想郷そのものが崩壊を始めているのだろう。
「マーリン!」
「待ってくれ!」
ガレスとウィルが叫ぶ。しかし、マーリンの詠唱は止まらない。
彼の体が、月光のような淡い輝きを放ち始める。その光は、刻一刻と強さを増していく。
(このまま、マーリンを消させるわけには……!)
私は反射的に前に出ようとする。でも、シャルが私の腕を掴んで止めた。
「ミュウちゃん、待って」
彼女の手がかすかに震えている。きっと私と同じように、マーリンを止めたい気持ちでいっぱいなのだろう。
でも、それ以上に……。
「これは、マーリンの決意だよ。止めるべきじゃない」
シャルの声は、珍しく静かだった。
彼女の言葉に、私は足を止める。そうだ。これは、マーリンの贖罪への想い。
マーリンの体から放たれる光は、既に太陽のような輝きを放っている。
……その光が瞬き、彼が膝をつく。
「ぐっ……」
「マーリン!?」
魔力が揺らいでいる。……おそらく、マーリン一人だけでは足りないのだ。
私が手伝えば、どうにかなる……かもしれない、けど。
そのとき、私が足を踏み出すより先に、ガレスがマーリンに近付く。そして、彼に肩を貸した。
「相変わらず、一人で何でもやろうとするな」
ガレスの呆れた声。彼の体から、マーリンに同調するように光が漏れる。
「ガレス、何を――」
「俺たちは仲間だ。……だから、協力する」
その言葉に目を見開くマーリン。ウィルとエイダもまた、肩をすくめて笑った。
「しょうがねぇな、ったく」
「そうね。マーリン。私たちの魔力も使いなさい」
「皆、まさか……だめだ。そんな!」
「いいんだ。俺たちはもう死んでる、幽霊みたいなものだろ」
「そうそう。一緒に行こうぜ」
マーリンとその仲間たちが、皆激しい光に包まれる。その光が、制御装置へと吸い込まれていく。
激しい光の中、マーリンの厳しい表情が、柔らかく溶けていく。
「みん、な……」
その声は、これまで誰にも聞かせなかった、心からの安堵に満ちていた。
千年もの間、独りで背負い続けた重荷を、彼は初めて仲間と分かち合おうとしているのだ。
「だけど君たちは……この世に、蘇ったのに」
「今更なに言ってんだよ」
ウィルが朗らかな声で笑う。その顔には、太陽のような明るさと、親友への信頼が輝いている。
「お前が独りで抱え込むから、俺たちはずっと心配してたんだぜ。たまには手を貸させろよ」
エイダもまた、まるで子供を諭すように微笑んだ。
「そうよ。一人で頑張りすぎるのはよくないわ」
「お前は、完璧を求めすぎていた」
ガレスの声が、水晶の間を響き渡る。
「理想の世界を作ろうとして、誰かを頼ることを忘れていた。だが、それは違う」
その言葉に、マーリンはゆっくりと目を閉じる。
彼の周りを包む光が、静かで優しい輝きを帯び始めた。
「そうだな……ありがとう、皆」
マーリンの声は、千年の重みから解放されたかのように清らかだった。
「理想の世界とは、きっと……こうして、仲間と支え合えることなのかもしれない」
彼らの体から放たれる光が一つの大河となり、制御装置へと流れ込んでいく。
頭上のアヴァロンを支えていた時間のループが、静かに、しかし確実に解かれていく。
そのとき、マーリンが私たちの方を向いた。
「ミュウ」
私は小さく頷く。シャルの手を握る力が、自然と強くなる。
「お前の魔法は、本当に素晴らしい」
マーリンの瞳に、師としての誇りが宿る。
「傷を癒やすだけでなく、心まで癒やすことができる。……私が教えた以上の力を、お前は身につけた」
その言葉に、私の目に熱いものが浮かぶ。シャルが、私の肩を抱く。
「だが、それ以上に――お前は、仲間を大切にすることを忘れなかった」
マーリンの体が、朝露のように透明になっていく。光の粒子となって、少しずつその体が天井へと昇っていく。
「……私のような過ちを、繰り返さないでくれ」
エイダとウィルも、星屑のように光となって消えていく。
彼らの顔には、安らかな微笑みが浮かんでいる。
「ミュウ、か」
最後にガレスが、私たちに向かって手を振る。
「マーリンに、魔法を教えてもらったんだってな。……あいつの弟子が、こんなに立派になってくれてよかった」
その言葉と共に、ガレスの姿も光の粒子へと変わる。
マーリンは最後に、千年前の、あの温かな笑顔を見せた。
「さらばだ。……そして、ありがとう」
光が瞬く。
理想郷を守ろうとした魔導王と、彼の仲間たちの姿が消える。
残されたのは、静謐な別れの余韻だけ。
頭上では、アヴァロンの街が眩い光に包まれていく。
人々の記憶は、大河のように時の流れに還っていく。奪われたエネルギーは解き放たれ、白く染められた未来も、なかったことになるのだろう。
私はシャルの隣で、黙って空を見上げた。
目から零れる涙が、止まることなく頬を伝う。
「よく頑張ったね、ミュウちゃん」
シャルの声が、夜明けの光のように優しく響く。
私は小さく頷き、彼女の手をぎゅっと握り返した。
光に包まれたアヴァロンは静かにこの世から消え……世界は、新たな朝を迎えようとしていた。
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