第147話 最後の救い
光が消えゆく中、マーリンの笑い声が響いた。
「理想を……捨てろというのか」
その声には、寂寥感や諦念……あらゆる感情が入り混じっているようだった。
まるで千年分の想いが、一度に溢れ出すかのように。
空間そのものが、その感情の重みで歪むように見えた。
「冗談じゃない。千年もの時をかけて作り上げた理想郷を、誰にも壊させはしない――たとえ、相手が君たちだとしても!」
マーリンの杖から、禍々しい魔力が漏れ出す。
その魔力は濃密で、まるで実体を持つかのよう。
空間に浮かぶ無数の光が、彼の周りに集まっていく。
星々が、ブラックホールに吸い込まれていくかのように。
「マーリン!」
ガレスが剣を構える。その背後でウィルが弓を引き、エイダが斧を握る。
三人の武器が、それぞれ異なる輝きを放っている。
「お前の心の闇は、この手で払ってみせる」
ガレスの声が、決意に満ちている。かつての親友の姿に、悲しみは見えない。ただ、深い覚悟だけが浮かんでいた。
三人は素早く散開し、マーリンを包囲する形を取る。その動きには、長年の連携が感じられた。
「ミュウちゃん!」
シャルが私の前に立つ。彼女の背中が、まるで盾のように私を守る。
その姿は、消える直前と同じように頼もしかった。
懐かしい感触。温かな安心感。彼女の顔が近付いてくる。その目には、いつもの明るさが宿っている。
「……この人たち誰?」
「……っ」
……い、今そこ!? いや確かにシャルからすればめちゃくちゃ他人だけど……!
「ま、マーリンの昔の仲間……」
「なるほど! まぁいっか、あたし達の味方には変わりないよね!」
シャルの声には、迷いのかけらもない。いつもの、単純明快な判断。
相変わらずの明るさと、圧倒的な信頼感。私は小さく頷いた。その瞬間、心の中に確かな温もりを感じる。
次の瞬間、戦いが始まる。空気が一気に緊迫する。
「はぁぁぁっ!」
ガレスが剣を振るう。その刃は、まるで光のように輝いていた。
しかしマーリンは、片手で魔法の壁を作り、剣撃を弾く。魔力の衝突が、火花を散らす。
直後、ウィルの放った矢が闇を裂く。まるで流星のような光を放ちながら。
三本の矢が、それぞれ異なる角度からマーリンを狙う。
「甘いな、ウィル」
マーリンが杖を振るうと、矢は途中で粉々に砕け散った。魔力の波動が、空間を揺らす。
「どりゃぁっ!」
エイダの斧が、横から襲いかかる。その一撃には、大地を砕くような重みがあった。
魔力を纏った一撃は、大気を切り裂くほどの威力を持っていた。空気が裂ける音が響く。
しかしマーリンは、その攻撃すら易々と防ぎきる。魔力の障壁が、斧を完全に受け止めた。
千年の時を経た魔導師の力は、予想を遥かに超えていた。
その力は、もはや人間の域を超えている。
「これが、君たちの全力か?」
マーリンの声には余裕が滲む。その姿は、まるで神のよう。魔力の渦が、彼の周りで荒れ狂っている。
「千年。千年だ! 私は千年もの間ずっと戦い続けてきた! ただアヴァロンを守るためだけに!」
彼の杖が光る。無数の魔力弾が、四方に放たれる。その一つ一つが、致命的な力を秘めていた。
「くっ!」
「マズい!」
マーリンの仲間たちが、必死に魔法を避ける。
床を転がり、壁を蹴り、空中で身を翻す。それでも、何発かが彼らを捉えた。衝撃と共に、彼らの体が吹き飛ぶ。
「……大回復魔法!」
私は即座に回復魔法を唱える。
青白い光が傷を癒やし、仲間たちは再び立ち上がる。
治癒の光が、彼らの体力を完全に回復させる。
「やるね、ミュウちゃん!」
シャルの声と共に、彼女が前に踊り出る。
大剣が光を帯び、マーリンに向かって疾走する。剣に宿った雷の力が、空気を震わせる。
「はぁああっ!」
シャルの雷と剣が、マーリンの防御を揺るがす。その一撃には、明らかな手応えがあった。
その隙を突くように、ガレスとエイダが両側から襲いかかる。息の合った連携が、マーリンを追い詰める。
「このっ!」
マーリンが魔力の波動を放つ。
衝撃波が仲間たちを吹き飛ばす。空間そのものが歪むような魔力の奔流。
「おっと!」
「うわっ!」
しかし、吹き飛ばされながらも全員着地。即座に態勢を立て直し、再び戦闘態勢に入る。
「やるじゃないか」
マーリンが不敵な笑みを浮かべる。その目には、かつての親しい仲間たちを見る温かさは、もう残っていなかった。
代わりに宿るのは、冷たい狂気の光。そして、戦いへの高揚だ。
「でも、それだけじゃ足りない。この私の力には、遠く及ばないよ」
彼の周りの魔力が、更に強く渦巻き始める。空間全体が、その力に呑み込まれそうになる。
次なる攻撃の予兆に、全員が身構える。
「マーリン」
膨れ上がる魔力と攻撃の予兆。そんな中で、ウィルの声が、戦いの喧騒を切り裂く。
その声は、まるで過去からの呼びかけのように、懐かしく温かい。
「そんなに強くなったってのに、お前、ちっとも楽しそうじゃないな」
その言葉に、マーリンの動きが一瞬止まる。
千年の時を超えた友の言葉が、彼の心を揺さぶる。
「なんだと……?」
「昔のお前を覚えてる。新しい魔法を身につけるたびに、誰かを助けるたびに、もっと楽しそうにしてたろ」
ウィルの矢が、闇を切り裂いて飛ぶ。
その矢は、まるで光のような軌跡を描く。
マーリンは咄嗟に防ぐが、その動きにはわずかな乱れが生じていた。
「黙れ!」
マーリンの反撃が放たれる。紫電のような光が、空間を引き裂く。
しかし、それは今までの正確さを欠いていた。
まるで的を見失った矢のように、方向性を失っている。
「その力で、お前は本当に楽しいのか?」
ウィルの問いかけが、マーリンの心を突く。
その手が、わずかに震える。
杖を握る指に、力が入りすぎている。
「楽しくもない強さに、意味なんてあるのかよ!」
「うおおおぉぉっ!」
マーリンが咆哮を上げ、無差別に魔法を放つ。
無数の魔力弾が、まるで雨のように降り注ぐ。
しかしその攻撃は、もはや的確さを失っていた。
本来の彼なら決して見せない、感情的な攻撃。
「今だ!」
ガレスの声が響く。剣士の勘が、決定的な隙を捉えていた。彼の剣が、マーリンの死角を突く。
「くっ!」
マーリンは防ぎきれず、肩に一撃を受ける。
千年の歳月をかけて完成させた防御が、親友の一撃ではじめて破られた。
彼の血が地面に滴る。その一滴が、彼の絶対的な力への確信を揺るがしていく。
「はああぁぁっ!」
その隙を逃さず、エイダの斧が閃光を放つ。
魔力を纏った一撃が、マーリンの防御を粉砕する。
永遠の理想を守る盾が、仲間の力の前に砕け散る。
「マーリン!」
ガレスが駆け寄り、渾身の一撃を放つ。
その剣には、千年分の想いが込められていた。
剣が、マーリンの胸を深く切り裂く。
「ぐっ……!」
マーリンが膝をつく。
その姿は、もはや神のような存在ではなく、一人の迷える魔導師のそれだった。
その表情には、明らかな動揺が浮かんでいた。
千年の確信が、仲間たちの前で次々に崩れ始める。
「理想とかなんとか言ってたけど……その理想の中で、お前は本当に楽しかったのか?」
ウィルの声が、再び響く。一言一句が、マーリンの心を深く抉った。
「黙れ……黙れ! 理想の国に、楽しさなど必要ない! 力には責任がある――いつまでも笑ってなどいられないんだ!」
マーリンの反論が、虚空に響く。
その叫びには、千年の重圧と孤独が込められていた。
しかし、その声には既に確信が失われていた。
揺らぎ始めた心が、その声を空虚なものにする。
「そうじゃない!」
そんな会話に対し、シャルが叫ぶ。
その声は、凍りついた空気を切り裂くように明るい。
「楽しさがないなら、それって生きてることになるの? そんなこと続けたって、なんの意味もないでしょ!」
その言葉に、マーリンの瞳が揺れる。
永遠の時の中で忘れていた、かつての自分を思い出すように。
彼の心に、何かが芽生え始めたかのように。
凍りついた時間が、少しずつ溶け始める。
「今だ!」
シャルの剣が、マーリンめがけて振り下ろされる。
その刃は雷とともに、まるで希望の光のように輝いていた。
マーリンは、もはやそれを避けることができない。
かつての仲間たちの言葉が、彼の足を縛り付けていた。
「目を……覚ませぇぇ~~!!」
シャルの叫びと共に、剣が光を放つ。
その一撃は、千年の闇を切り裂くほどの輝きを持っていた。
シャルの剣が、マーリンの胸を貫く――。
「うっ……!」
マーリンの体から、力が抜けていく。
その表情には、もはや狂気の色はなかった。
彼の周りを渦巻いていた魔力が、徐々に消えていった。
永遠の理想を守る鎧が、一枚一枚剥がれ落ちていく。
そして、その瞬間。
私の持つ、翠玉の鏡が光を放つ。「浄化の光」が、静かにマーリンを包み込んでいく。
胸の傷を癒やすと共に、その心をも浄化していく。
「……マーリン」
私は、その光の中で、かつての彼のことを思い出していた。
私が初めて出会った時の、あの優しい眼差し。
私が彼と出会ったとき、すでに彼は人嫌いで、自分の国民以外のことはどうでもよくて。
……そのはずなのに、死にそうな私を助けてくれたのだ。
「私は、マーリンに助けてもらった。だから今度は、私がマーリンを助けたい」
「私を、助けるだって……」
マーリンの声が、かすかに震える。
その目には、もう狂気はなく、ただ深い悲しみだけが残っていた。
「マーリン。その心を……痛みを、治してあげるから……」
マーリンを縛り付ける、千年という時間の妄執。永遠の理想郷を目指した、人には背負いきれない苦しみ。
それを、私は治す。
シャルから学んだ笑顔の価値。
彼女と旅し、各地で過ごした時間の大切さ。
そのすべてを込めて、私は杖を掲げる。
それがどんなに頑固な理念であっても、その心の痛みを……取り除いてみせる。
「――完全救済魔法」
私の声が響き、新たな光が空間を満たしていく。
それは、真実の救済への第一歩だった。
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