第146話 沈黙の聖女の名のもとに
微かな気絶のあと意識が戻った時、最初に感じたのは深い喪失感だった。
心の中に大きな穴が空いたような、そんな感覚。
無数の光が渦巻く広大な空間。星空のような光景の中、巨大な水晶が中空に浮かんでいる。
水晶は幾何学的な形を成し、その表面には魔力の文様が刻まれていた。
その神秘的な光景が、今は残酷なまでに冷たく感じられた。
輝きの一つ一つが、失われた存在を思い出させる。
「シャ……ル……」
目の前で起きたことが、現実とは思えない。
まるで悪い冗談のような出来事が、確かに起きてしまった。
紫電のような光に包まれ、親友が、大島な人が消え去った瞬間が、まだ網膜に焼き付いている。
その光景は永遠に消えることはないだろう、私の記憶から。
シャルがいない。
その事実が、重い鉄の塊のように私の心を押しつぶす。
いつも私の隣で笑っていた存在が、もうここにはいない。
その現実を受け入れることは、あまりにも残酷すぎる。
立ち上がろうとして、膝が震える。
体の力が抜け、まるで地面が揺れているかのよう。
「う、あ、あ……ああああぁっ……!」
口から泣き声が漏れる。
冷たい床に手をつき、何とか体を支える。指先から伝わる感触が、これが夢ではないことを告げている。
現実の重みが、私の全身を押しつぶそうとする。
「受け入れがたいものだろうね。大切な人を失うということは」
マーリンの声が、空間に響く。
その声は、まるで遠い過去から聞こえてくるよう。
彼は私から少し離れた場所に立っていた。
その姿は、千年の孤独を背負った影のよう。
「でも、そうやって全てを失っていく。それが人間という存在の限界だ」
彼の声には感情が込められていない。千年の時を過ごした者の諦観とでも言うべきものが、その言葉には込められていた。
それは、あまりにも長い時を生きた者の、冷たい真実。
「だからこそ、僕はアヴァロンを作った。永遠に、誰も失わない世界を」
マーリンの言葉が、頭に入ってこない。
その意味を理解することさえ、今の私にはできない。
私の全ての意識は、シャルの最期の笑顔に向けられていた。
その瞬間が、永遠に続くかのように。
あの笑顔は、いつものシャルそのものだった。
私を守ることを選んだ彼女らしい、凛とした表情。
私を守るために、一瞬の躊躇もなく飛び出していった。その姿は、まるで光のように眩しかった。
それが彼女の生き方だった。いつだって、私を守ることを選んで。
視界が涙で曇る。目と鼻が熱くなり、目の前に雫が落ちる。
その一滴一滴が、失われた存在への想いを物語っているようだ。
「ミュウ。君にはわかるはずだ」
マーリンが一歩、私に近づく。
彼の影が、私の上に落ちる。
その足音が、水晶の間で反響する。
空虚な音が、この空間の非現実性を際立たせる。
「大切な人を守りたいという想い。でも守れなかった無力さ。そして、この癒やしようのない喪失感」
彼の言葉一つ一つが、私の心を刺す。
それは、千年の孤独が紡ぎ出した真実の言葉。
確かに、私にはわかる。大切な人を失った痛みが。
それは魂を引き裂くような、深い苦しみ。
空間を漂う無数の光が、ゆっくりと渦を巻いている。
星屑のような光の粒子が、私たちの周りを取り巻く。
その光の帯は、まるでシャルが消えた軌跡のようにも見えた。
永遠に届かない、彼女への想いの形。
「ずっと独りだった。千年もの間、誰もこの想いを理解してくれる者はいなかった」
マーリンの声が、少しだけ感情を帯びる。
その声には、長い時を生きた者の孤独が垣間見える。
その瞳の奥に、深い孤独を見た気がした。
それは人の心を凍らせるような、冷たい闇。
「でも君は違う。僕と同じように、大切な人を失った。同じ痛みを知る者だ」
彼は両手を広げる。その仕草は、まるで救いを求めるかのよう。
光の渦が、その動きに呼応するように揺れる。
「一緒にここに残らないか? アヴァロンなら、もう二度と大切な人を失うことはない」
その言葉に、私の意識が僅かに揺らぐ。
確かに、もう誰も失わない世界。それは魅力的な誘いかもしれない。
しかし――。
「……いや」
私の掠れた声が、虚空に響く。
その声は小さいが、確かな意志に支えられていた。
「何?」
「シャルが……消えた世界で……永遠になんて……嫌!」
私の声は震えていた。でも、確かな意志が込められている。
シャルのいない永遠なんて、私には地獄でしかない。
そんな世界に意味があるはずがない。
マーリンの表情が、僅かに歪む。悲しみと、痛みに。
「君は、新しい絆を作ればいい」
マーリンの言葉が、水晶の間で反響する。
彼は優しく、まるで子供を諭すかのような口調で語りかけてきた。
「アヴァロンには無限の可能性がある。君は必ず、また誰かを見つけられる。そして今度は、その人を永遠に守ることができる」
マーリンが私に手を差し伸べる。
その手には、かすかな光が宿っていた。まるで偽りの希望を象徴するかのように。
「相手を想う心。それこそが私が君に教えた魔法の真髄だ」
その言葉に、私の心が揺れる。
確かに、彼は私にヒールを教えてくれた。その時から、私は人を癒やすことができるようになった。
「君の力は特別だ。その無垢な魂と、人を想う純粋な心。それは私にはついに身につけられなかったもの」
マーリンの声には、かすかな羨望が混じっている。
「だからこそ、この世界で君の力は必要なんだ。アヴァロンの完成のために」
周囲を漂う無数の光が、まるでマーリンの言葉に呼応するかのように明滅する。
その光は美しく、永遠の安寧を約束するかのよう。
でも――。
「違う」
私は小さく、でもはっきりと否定する。
シャルの笑顔が、心の中で輝いていた。
「シャルは……シャルは、そんな世界望まない」
私の言葉に、マーリンの表情が凍る。彼の目に、一瞬の驚きが浮かぶ。
「どういう意味だい?」
「シャルは……いつも前を向いてた。新しいことに挑戦して、時には失敗して。でも、それでも前に進もうとしてた」
私の声は震えていた。でも、確かな想いをその中に込める。
「そんなシャルが……永遠に変わらない世界なんて……望むはずがない」
私の言葉に、マーリンの表情が歪む。その目に、失望の色が濃くなっていく。
「君には私の気持ちがわからないようだ」
彼の声が低く、冷たくなる。周囲の光が、不吉な色を帯び始めた。
「永遠に続く幸せ。誰も死なない世界。それこそが、究極の理想じゃないのか」
マーリンの声が、次第に激しさを増していく。
その姿は、もはや私の記憶の中の穏やかな師の面影はない。
「このままじゃ、君も私と同じ道を辿ることになる。大切な人を、また失い続ける」
彼の言葉には、千年の孤独が染み付いていた。
それは警告であり、同時に脅しでもある。
「シャルだけじゃない。これから出会う誰もが、いつかは君の前から消えていく。そんな苦しみを味わいたいのか?」
マーリンの声が、次第に狂気を帯びていく。
その目は、もはや理性の光を失っているように見えた。
「永遠に……永遠にその痛みは続く。それでもいいのか!」
しかし、その狂気に満ちた目を見て、私はある確信を得ていた。
これは答えのない迷いではない。
シャルの笑顔。
彼女の背中。
私を守るために駆け出した、最期の瞬間。
そのすべてが、私に答えを示していた。
「違うよ、マーリン」
私の声が、静かに響く。
水晶の間で反響する声は、もはや迷いを失っていた。
それは小さいけれど、確かな意志に満ちた声だった。
コミュ障の私らしくない、力強い響き。
周囲を漂う無数の光が、まるで私の言葉に呼応するかのように明滅する。
星のような光の粒子が、私の周りで舞い始めた。
「シャルは消えてなんかない。必ず、取り戻してみせる」
私は立ち上がる。もう膝は震えていない。
瞳の中のシャルの笑顔が、私に力を与えてくれている。
杖を握る手にも、迷いはない。水晶が、かすかに温かみを帯びてくる。
「何を言っている? 彼女は既に……」
「あなたの記憶の中で見た。死者の書のこと」
私の言葉に、マーリンの表情が凍る。
千年の時を生きた魔導師の表情が、一瞬にして崩れる。
予想外の言葉に、彼の目には明らかな動揺が浮かんでいた。
「あの本は、本来は魂の流れを操作するもの。あなたは、それができずに時間操作に使った」
私の言葉は、水晶の間で静かに響いていく。まるで魔法のような力を帯びて。
一つ一つの言葉が、真実の重みを持って空間に満ちていく。
「でも、私なら――本当の意味で、魂を導くことができるはず」
相手を想う心。
シャルへの強い想いが、私の中で輝きを増していく。
それこそが、私がマーリンから教わった魔法の真髄。
そして同時に、それこそが彼が千年の時を経ても手に入れられなかったもの。
「馬鹿な! 死者の蘇生は不可能だ。そんなことができるはずが――」
マーリンの声が上ずる。
その声は、まるで自分に言い聞かせるかのよう。
その目には、焦りと狂気が混ざり合っている。千年の孤独。その正当性が揺らぐ。
「できる。だってシャルは、まだここにいる」
私は自分の胸に手を当てる。
温かな鼓動が、私の手のひらに伝わってくる。
確かな鼓動が、私の決意を後押しする。それは私とシャルを結ぶ、永遠の絆だ。
「シャルの想いは、私の中で生き続けている。だから――」
私は杖を掲げる。その先端の水晶が、まるで星のように輝き始める。
その光は、アヴァロンの永遠の光とは違う、生命の輝きを放っている。
「蘇らせる。本当に、大切なものを」
マーリンの記憶の中で見た魔法。
しかし、それは彼の失敗から学び、新たな可能性として昇華させたもの。
「沈黙の聖女の、名のもとに命ずる」
私の詠唱が始まる。それは死者の書に記されたものではない。
そこに書かれたものを紐解き、再構築した……私オリジナルの詠唱だった。生命を愛する心を込めた、新たな奇跡。
「時を超え、空を越え、再びその形を取れ」
空間に、新たな光が生まれる。四本の光の柱だ。
その光は、天を貫くように立ち上がっていく。
それは紫電のような禍々しいものではなく、優しく温かな光。
まるでシャルの笑顔のように、純粋で眩しい輝き。
「そんな……! この光は!?」
マーリンの驚愕の声が響く。
千年の魔導師の声が、初めて恐れを帯びる。
彼には見えているはずだ。私の魔法が、彼のものとは違う可能性を持っていることが。
真実の救済への道が、目の前で開かれようとしている。
「させるか!」
マーリンが杖を振りかざす。彼の最後の抵抗が、虚空を切り裂く。
しかし、もう遅い。
私たちの魔法には、既に明確な差があった。
私の詠唱は、既に極点に達していた。魔法はもはや止まらない。
「喪われし魂よ。我が呼びかけに答え、再び現われよ――」
柱から光が噴出する。
解き放たれた魔力が、空間を埋め尽くしていく。
それは虹のように七色に輝き、空間全体を包み込んでいく。
その眩しさは、まるで新しい夜明けのよう。
「甦れ。――世界を救うために!」
私の想いが、魔法となって解き放たれる。
水晶の光が増幅され、まるで新しい星が生まれたかのような輝きを放つ。
その光は、アヴァロンの永遠の光をも凌駕する。
永遠の偽りの世界ではなく、本物の再生。
それこそが、私にしかできない魔法。
マーリンの驚愕の表情の中で、光は更なる高みへと昇華していく――。
四本の光の柱から、最初の魂が姿を現す。
柔らかな光の中から、若い男性の姿が浮かび上がっていく。
「ウィル……!?」
マーリンの声が震える。彼の友が、あの事件で命を落とす前の姿のままで立っていた。
若く明るい彼は優しく微笑み、マーリンに向かって複雑そうに頷く。
次の光の柱からは、優美な身のこなしの女性が姿を現す。エイダだ。
彼女の瞳には慈愛が満ち、その表情には厳しさが伺える。その手には、しっかりと斧が握られていた。
「皆が幸せに暮らせる国を――そう願っていたはずよ、マーリン」
彼女の声は、まるで風のように柔らかく響く。
三番目の柱から現れたのは、ガレスの魂。赤茶けた髪をなびかせ、彼は力強い眼差しでマーリンを見つめる。
「何も変わっていないな、マーリン。お前はまだ、一人で全てを背負おうとしている」
その言葉に、マーリンの体が震える。千年の時を超えて、再び親友の声を聞く。
そして最後の光の柱。その中から現れる姿に、私の心臓が高鳴る。
「へへ、ミュウちゃん。ちょっと再会早いかな?」
シャルだった。ついさっきまでと変わらない、明るい笑顔。
炎のような赤い髪が、光の中でなびいている。
「シャル!」
私の声が震える。でもそれは悲しみからではない。再会の喜びが、胸の奥から込み上げてくる。
四人の魂が、優しい光に包まれながら、私たちの前に立っている。
失われた絆が、確かな形となって蘇ったのだ。
「マーリン」
ガレスが静かに語りかける。
「お前は間違っていた。大切な人を守るということは、その人を永遠の檻の中に閉じ込めることじゃない」
「生きるということは、変化を受け入れること。たとえ別れが待っていたとしても」
エイダが続く。ウィルは少し迷った様子で声をかけた。
「ま、俺は二人よりさっさと死んじまったし、よく把握はしてないんだけどさ。疲れた顔してるぜ、マーリン」
「ウィル……エイダ……ガレス」
マーリンは膝をつく。その瞳から、千年分の涙が溢れ出す。
かつての仲間の魂は光となり、ゆっくりとマーリンの周りを包み込んでいく。
それは、彼の孤独を癒やすための光。
真実の救済への、最初の一歩。
「ミュウちゃん」
シャルの声が、私の心に直接響く。
「あたし……無茶しちゃってごめん。でも、信じてたよ。ミュウちゃんは何とかしてくれるって!」
その言葉に、私も涙が止まらなくなる。
光は徐々に強さを増し、やがて空間全体を包み込んでいく。
それは終わりであり、同時に新しい始まりでもあった。
人は確かに別れを経験する。でも、本当の絆は決して消えはしない。
それを、マーリンに突きつけるのだ。
今、本当の……最後の戦いが始まる。
クライマックスだーーーーーーーーーーーー!!!!
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