第143話 魔導王の軌跡⑦
集落は、驚くほどの速さで発展していった。
まるで生き物のように、日々その姿を変えていく。
木造の家々は白く輝く石造りの建物へと建て替えられ、土の道は整然とした石畳に生まれ変わり、新たな市場が次々と作られていく。
塔が立ち上がり、噴水が設置され、街並みは日に日に華やかさを増していった。
活気に満ちた声が街中に響き、人々の表情は明るい。
商人たちの呼び込みの声、市場での値切り声、仕事を終えた職人たちの笑い声が、通りに溢れている。
(この頃はまだ、機械っぽくないね……)
私は記憶の中の光景を見つめる。
昼も夜も人々が行き交い、商人たちが色とりどりの品物を並べ、子供たちが石畳の上を走り回る。
道端では老人たちが世間話に興じ、若者たちが将来の夢を語り合う。
そんな賑やかな通りの向こうに、マーリンの姿があった。
彼は相変わらず、穏やかな笑顔で人々を癒やしていた。
その姿は希望の象徴として、誰もの心に映る。
「マーリン様! マーリン様!」
そのとき、また新しい移住者の一団が到着したようだった。
彼らは長旅の疲れを見せながらも、希望に満ちた表情を浮かべている。
その中には怪我人も見られ、担架で運ばれてくる者もいた。
「遠くからよく来てくれたね。さあ、傷の治療をしよう。みんな、安心して」
マーリンの手から青い光が広がる。傷は瞬く間に消え、疲労も霧のように晴れていく。
担架の上の重傷人さえ、すぐに自分の足で立ち上がれるようになった。
「ありがとうございます! これで母も助かります!」
「噂には聞いていましたが、本当に凄いです!」
「この街なら、安心して暮らせそうです。よその街では考えられない奇跡です」
感謝の言葉が次々と投げかけられる。涙を流す者もいれば、マーリンの手を取ろうとする者も。
マーリンはそれらに穏やかな笑顔で応えていた。その表情は完璧すぎるほど、優しく整っている。
その光景を、ガレスが遠くから見守っている。
新たに建てられた見張り塔の上で、彼は腕を組んでいた。
「随分と大きくなったものだ。もう、あの小さな集落の面影もない」
彼の傍らには、エイダの姿があった。
二人は高い位置から、発展する街を見渡していた。
石造りの建物が整然と並び、その間を人々が行き交う様子は、まるで絵画のようだ。
「ええ。でも、マーリンは少し変わってしまったわ。あの笑顔の向こうに、何か冷たいものを感じる」
「ああ。だが、それも仕方がないのかもしれん。あれだけの民を抱えれば、人は変わる」
ガレスの言葉に、エイダは小さくため息をつく。
その息には、親しい友への心配が込められていた。
マーリンは以前より人前で笑うようになった。
人々の世話も積極的に行い、誰もが認める理想的な指導者として振る舞っている。その姿は、まさに聖人のようだった。
しかし、その笑顔の裏に潜む影に、二人は気付いていた。
完璧すぎる笑顔、抑制の利いた仕草、感情の欠片も見せない声音。その全てが、どこか作り物じみている。
「ガレス様! ガレス様!」
伝令が慌ただしく階段を駆け上がってくる。
足音が石の階段に響き、息を切らせながら報告する。その表情には緊張が走っていた。
「帝国が、再び動き出したとの報告です! 北方の山岳地帯に、大規模な軍勢が集結を始めていると――!」
ガレスは眉をひそめる。強い風が吹き、彼の外套が大きく揺れる。
塔の高さゆえ、ここでは地上より冷たい風が吹いていた。
「また来るか……。マーリンに報告を」
「いえ、それが……マーリン様は既にご存知のようで……準備を始められています」
「何……?」
■
部屋の中で、マーリンは静かに地図を見つめていた。
大きな机の上には諜報の報告書が広げられ、帝国軍の動きが赤い線で記されている。
「相変わらずだな。もう、知っていたのか」
ガレスが入室すると、マーリンはゆっくりと顔を上げた。
窓から差し込む夕陽が、彼の横顔を赤く染めている。
「ああ。今度は大規模な軍を動かすつもりのようだ。主力は山岳部に展開し、斥候部隊は既に平野部に進出している。
おそらく、この街の発展を恐れているのだろう」
マーリンの声は冷静で、感情を感じさせない。まるで天気の話でもしているかのような口調。
「で、どうする?」
「決まっているだろう」
マーリンは立ち上がり、窓の外を見る。街には、まだ到着したばかりの移住者たちの姿があった。
彼らは希望に満ちた表情で、新しい家の場所を探している。
「もう、誰も死なせはしない。この街を守るために――帝国には消えてもらう」
彼は振り返り、ガレスを見つめた。その目には、強い意志が宿っていた。
かつての優しい輝きは消え、冷たい決意だけが残されている。
「先に叩く。二度と復活できないように……徹底的に」
ガレスは黙って頷いた。かつてウィルを失った戦いから、もう随分と時が経っている。
いまや街には立派な軍が整い、有能な魔導士も集まっていた。
防壁は高く、見張り塔からは遠方まで見渡せる。
そして何より、マーリンの力は日に日に強大になっている。
もはや一国の軍など、物の数ではないはずだ。
「準備を始めよう。だが――」
ガレスは一瞬言葉を切り、親友の表情を伺う。その目には、僅かな不安が浮かんでいた。
「今度はやりすぎるなよ。変な魔法は使わずに頼む。お前を恐れる者が出るかもしれん」
「ああ」
マーリンは小さく苦笑する。
その表情は、どこか寂しげだった。窓から差し込む夕陽が、彼の影を長く伸ばしていく。
「分かっている。全ては、民のためにだ」
その言葉に、どれほどの真実が込められていたのか。それを知るのは、マーリン自身だけだった。
■
その後の戦いは、あっけないほど早く決着がついた。
帝国の軍勢はマーリンたちの前に跪き、彼らの支配下に入ることを誓った。
整然と並んだ兵士たちは、一人また一人と頭を垂れていく。
捕虜となった兵士たちは、マーリンの癒やしの力に感銘を受け、多くが街に残ることを願い出た。かつての敵が、新たな市民となっていく。
……そして時が流れ、街は国となった。
その過程は、まるで植物が成長するかのように自然なものだった。
マーリンは新たな国に「アヴァロン」という名を付けた。
それは古い言葉で「理想郷」を意味するという。
その名の通り、この国では誰も病に苦しむことはなく、傷つくことを恐れる必要もない。
「マーリン様の国に従属を願い出たいのですが」
「私たちの村も、アヴァロンの一部として」
「どうか、この国の民として受け入れていただけないでしょうか」
各地から使者が訪れ、アヴァロンへの編入を懇願する。
着飾った貴族から、質素な村の代表まで、実に様々な人々が連日訪れた。
病も怪我もない理想の国という噂は、もはや大陸中に広がっていた。
まるで、全ての人々が待ち望んでいた場所であるかのように。
マーリンの執務室には、毎日のように新たな書類が積み上げられていく。
報告書、嘆願書、調査書――それらは机の上で小さな山となり、日に日に増えていく。
国は急速に大きくなり、その責任も重くなっていった。
(みんな、マーリンに期待を寄せてる……)
私はそんな記憶を見つめながら、彼の苦悩を感じていた。
理想を追い求めるほど、現実との溝は深くなっていく。
それは、まるで光が強くなるほど、その影が鮮明になっていくかのようだった。
執務室の窓から、街並みが一望できた。かつての小さな集落は、巨大な都市となっていた。
整然と並ぶ石造りの建物が立ち並び、大通りには魔導車が走り、空には魔導船が浮かんでいる。
魔力で動く乗り物が往来し、街は昼夜を問わず活気に満ちていた。
発展は止まることを知らず、その速度は年々加速していった。
新しい建物が建つたびに、街は輝きを増していく。
「マーリン様、新たな報告です」
部下が次々と書類を持ち込む。人口の増加、新技術の開発、領土の拡大――。
机の上の書類は、日に日に膨れ上がっていく。その一枚一枚が、新たな責任を意味していた。
しかしその発展の裏で、大地は悲鳴を上げ始めていた。
魔力の乱れが、あちこちで確認されるようになった。
作物の育ちが悪くなり、天候は不安定になり、時には原因不明の現象が起きる。
「この異常気象は、何が原因なのでしょう。過去に例を見ない現象です」
「土地の力が枯渇しているのかもしれません」
「このまま発展を続けていけるのでしょうか。このままでは……」
参謀たちの不安な声が、会議室に響く。その声には、次第に深刻さが増していく。
マーリンは黙って報告書に目を通していた。
その表情からは、深い疲労の色が伺えた。
ろうそくの光が彼の顔に揺らめき、その影を一層深くしている。
「マーリン」
そんな折、ガレスが静かに声をかける。
彼もまた、年を重ねていた。かつての若々しさは失われ、髪には白いものが目立つようになっていた。
その姿は、時の流れの確かさを物語っている。
「少し、休んだらどうだ。エイダも心配していたぞ。お前の体を案じていた」
エイダ――その名前にマーリンは顔を上げる。彼女もまた、随分と年を取っていた。
かつての世話焼きな姿勢は変わらないものの、最近は体調を崩しがちで、以前のように戦士として動き回ることもできない。その衰えは、誰の目にも明らかだった。
「エイダ、か。……少し、エイダのところへ行ってくる」
マーリンは立ち上がり、エイダの部屋へと向かう。
その足取りには、どこか重いものが感じられた。廊下を歩く足音が、虚ろに響く。
「エイダ、具合はどうだ?」
暖炉の前で横になるエイダに、マーリンは優しく声をかける。
暖炉の火が、彼女の疲れた顔を柔らかく照らしていた。
「ありがとう。でも、心配いらないわ。これは誰にでも訪れる、自然なことだもの」
エイダは柔らかく微笑む。その表情には、穏やかな諦めが浮かんでいる。
彼女の手は細く、かつての力強さは見る影もない。
「僕の魔法で――」
「いいの。これは病気じゃないわ。ただ、寿命という自然な営み。それを受け入れるのも、人としての務めよ」
エイダの言葉に、マーリンは言葉を詰まらせる。
確かに彼の魔法は、あらゆる病を治すことができる。
しかし、生命の摂理そのものは変えられない。その現実が、彼の心を締め付ける。
それとも――。
マーリンは密かに机の引き出しに隠した「死者の書」のことを思い出していた。
研究は続けているものの、まだ完成には至っていない。
生命の理そのものを操る術は、いまだ彼の手の届かないところにある。
(このまま、僕はエイダまで失うのか。また、大切な仲間を)
その夜、マーリンは再び書斎に篭もった。
机の上には「死者の書」が開かれ、ろうそくの灯りに照らされている。
黒い装丁の本から、不気味な魔力が漏れ出しているようだった。
窓の外には、発展を続けるアヴァロンの街並み。
魔法の灯りが夜空に輝き、人々の営みは夜になっても途絶えない。
そして、その発展を支えきれなくなりつつある大地。暗闇の中で、確実に疲弊していく土地。
理想を追い求めれば求めるほど、現実との矛盾は深まっていく。
マーリンは「死者の書」のページをめくりながら、さらなる思案を続けていた。
月明かりに照らされた彼の顔。
しかしその表情は深い影に覆われ、誰の目にも見えなかった。
ただ、その瞳の奥で、新たな決意が芽生えつつあることだけは、確かだった――。
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