第14話 全体完全回復魔法
広場に飛び込んだ瞬間、私の目に入ってきたのは、まさに地獄絵図だった。
巨大な石像兵が、まるで暴れ回る鬼のように地下広場の中央で荒れ狂っている。
その巨体が動くたびに、地面が揺れ、周囲の壁が軋む音が響き渡る。
石像兵の腕には、やはり未完成の棒状の剣。
それが冒険者たちを薙ぎ払うたびに、金属の砕ける音と共に悲鳴が上がる。
空気中には埃と血の生臭い匂いが充満し、それに混じって魔法の発動による硫黄のような焦げた臭いが鼻をつく。
広場の床は至る所で砕け散り、その破片が飛び散っている。
踏みしめるたびに、砕けた石の欠片が靴底で砂になる感触がする。
(これは……想像以上にひどい状況……)
冒険者たちの連合軍は、もはや壊滅状態と言っていい。
多くの者が倒れ、うめき声を上げている。
まだ立っている者も傷だらけで、今にも倒れそうだ。
彼らの鎧は砕け散り、血に染まっている。
私は自分にできることを必死に考える。頭の中がぐるぐると回り、思考が定まらない。
心臓がバクバクと脈打ち、手足が震える。冷や汗が背中を伝う。
(落ち着いて……落ち着いて! 今はパニックになっている場合じゃない!)
深呼吸をして、自分を落ち着かせる。
肺いっぱいに吸い込んだ空気は、埃っぽく、喉がひりつく。
そうだ、まずは倒れている人たちを回復させなければ。
私は最も近くにいる負傷した冒険者に駆け寄り、回復魔法を発動する。
緑色の光が彼女の体を包み込み、傷が癒えた。
魔法の温かい光が広がる中、傷が閉じていく音がかすかに聞こえる。
「――――!!」
「がふっ!」
しかし、その瞬間、石像兵の新たな一撃で、また別の冒険者が吹き飛ばされる。
体が壁にぶつかる鈍い音と、悲鳴が同時に響く。
これじゃ追いつかない。1人を治しても1人が倒れる繰り返しだ。いつまでも戦局は覆せない……!
(やばい……これじゃ意味がない……!)
そのとき、突然背後から風圧を感じた。髪が揺れ、耳元で風を切る音が聞こえる。
振り返ると、石像兵の巨大な腕が私めがけて振り下ろされていた。
石像の動きに伴い、砂埃が舞い上がる。
その光景が、ひどくゆっくりに見える。
(あ……っ!?)
避けようとするも、間に合わない。
私は思わず目を閉じる。瞼の裏に、これまでの人生が走馬灯のように駆け巡る。
――そのとき、ドゴン! という鈍い音が聞こえたが、予想していた衝撃はなかった。
代わりに、金属と石がぶつかる激しい音と振動が伝わってくる。
「無事か」
低い声に、恐る恐る目を開ける。
そこには、巨大なハンマーで石像兵の拳を受け止めた男の姿があった。
灰色の髪を後ろで束ねた細身の男。あちこち傷だらけの黒い鎧を身につけている。
切れ長の青い瞳が私を睨む。その目には、疲労と決意が混ざっているように見える。
(この人は、たしか……)
ゴルドー・エヴァンス。A級冒険者で、ソロで依頼を受けている寡黙な人……らしい。
彼の周りには、何か独特のオーラのようなものが漂っている。
ゴルドーは私をかばいながら、再び石像兵に向き直る。彼の鎧がきしむ音が、かすかに聞こえる。
「お前はヒーラーだな」
ゴルドーの言葉に、私は慌てて小さく頷いた。
すると、彼は身の丈ほどの巨大なハンマーを構える。
ハンマーの金属部分が、わずかに光を反射している。
「見ての通り壊滅状態だ。もはや撤退しかない。何人生かして撤退できるかはお前次第だ」
「――――」
彼の言葉は厳しく、そして真実だった。普通ならこんな状況、もはや覆すことはできない。
ここからすべきは、生き残らせることができる命の選別――。
ゴルドーの動きを見ていると、彼もかなり疲弊しているのが分かる。
息遣いが荒く、動きにも少しぎこちなさがある。
彼の鎧には無数の傷跡があり、所々血が滲んでいる。汗と血の匂いが、彼の周りに漂っている。
(このままじゃ、ゴルドーさんも……)
私は再び周囲を見回す。ゴルドー以外の冒険者たちは、もはや戦える状態ではない。
「うう……」
「チクショウ……なんなんだ、コイツっ……」
多くが地面に倒れ、うめき声を上げている。立っている者も、傷だらけで今にも倒れそうだ。
彼らの呻き声と、石像兵の動きによる地響きが、不協和音を奏でている。
(命の、選別。そんなことは……)
――そんなことは、しない。
冒険者たちは全員生かして返す。
石像兵の暴走も止める。私はそう決意した。
決意と共に、体の中に温かいものが広がっていくのを感じる。
「あ……あ、あの!」
意を決して、私はゴルドーに声をかけた。喉が乾いていて、声が掠れる。
チラリと鋭い目がこちらを向く。その視線に、思わず身震いする。
「ひ、引き、引き引き――」
「……引きつけろって?」
「……!」
私は何度も頷く。髪が揺れ、顔にかかる。
彼はやれやれと首を横に振り、ため息を吐いた。ううっ、胃が痛むリアクション……!
「長くは持たんぞ。誰を生かすか選んでおくんだな」
彼が跳躍し、ハンマーで石像兵を殴りつける。
金属と石がぶつかる轟音が響き渡る。石像の目はそちらを向いた。
……この状況を打開するには、もはや一人一人を回復していては間に合わない。
全員を一度に、完全に回復させる必要がある。
(でも、それには大規模な回復魔法がいる……さすがに無詠唱ではきつい。声に出して詠唱しないと)
私の中で、少しずつ決意が固まっていく。
声を出すのは嫌いだし、こんな人数の前で魔法を使うとか慣れてなさすぎるけど……今この瞬間、自分にしかできないことがある。
それをやらなければ、皆が死んでしまう。
深呼吸をして、私は杖を高く掲げる。冷たい杖の感触が、手のひらに伝わる。
心臓が何度も激しく鼓動し、指先が震える。でも、今は踏ん張るしかない。
(ミュウちゃんなら皆を助けられるよ)
シャルの優しい声が、耳の中に残っている。その言葉が、私に勇気を与える。
そして私は、彼女に応えるために大きな声で詠唱を始めた――。
「――大いなる陽よ。創命の水よ。魔導王の名において、我が呼びかけに答えたまえ」
私の声が、広場に響き渡る。その瞬間、周囲の喧騒が一瞬止まったかのように感じた。
空気が凍りつき、時間が止まったかのようだ。埃っぽい空気の中に、緊張感が漂う。
「叡智を以て、諍いの波紋を消し去ろう。天へと至る刹那にて、御手によりて魂を招かん」
杖から放たれる光が、徐々に強くなっていく。
その輝きは、まるで太陽のように眩しく、広場全体を包み込んでいく。
温かな光が肌を包み、心地よい温もりが体中に広がる。
「……全体完全回復魔法!」
最後の言葉と共に、杖を地面へと叩きつける。杖の木が石に当たる鋭い音が響く。
眩い光が爆発的に広がった。その光は、広場の隅々まで届き、倒れていた冒険者たちの体を包み込む。
光に包まれた冒険者たちの傷が、みるみるうちに癒えていく。
骨折していた腕が元通りになり、深い切り傷が塞がっていく。
それと同時に、彼らの顔から疲労の色が消えていった。
「う……!」
魔法の影響で、MPが一気に減少する。まるで体から力が抜けていくような感覚。
ひ、人前でこんな長々喋るとかきつい……! 喉が乾き、舌が重く感じる。
しかし、それ以上に心の中に喜びが広がっていた。
次々と冒険者たちが立ち上がり始める。
彼らの顔には驚きと喜びの表情が浮かんでいる。鎧が軋む音、武器を握り直す音が聞こえる。
「こ、これは……!? 痛くねぇぞ……!」
「傷が、完全に治ってる! 防具の傷まで……」
「よ、よし……! これならまだ戦えるぞ!」
冒険者たちの声が、広場に響き渡る。その声には、活力と希望が満ちている。
彼らは再び武器を手に取り、石像兵に向き直った。武器が構えられ空気を切る音が、決意を示すかのように鋭く響く。
「……マジかよ」
ゴルドーが呟く。それから彼は巨大なハンマーを振り上げ、石像兵に向かって突進する。重い足音が地面を震わせる。
他の冒険者たちも、それに続いて一斉に攻撃を仕掛ける。
剣士たちが石像兵の足元を攻撃し、魔法使いたちが遠距離から魔法を放つ。
魔法の発動音と、剣が石にぶつかる音が戦争のように入り混じる。
石像兵は、突然の反撃に戸惑ったように動きが鈍くなる。
その巨体が揺らぐ様子は、まるで大地が震えているかのよう。
その隙を突いて、ゴルドーが渾身の一撃を放つ。
「はあああっ!」
光を纏うハンマーが、石像兵の胸を直撃する。
轟音と共に、石像兵の胸に大きな亀裂が入る。石が砕ける音が、広場中に響き渡る。
「……続け! 亀裂に攻撃を集中しろ!」
ゴルドーの叫びと共に、全ての冒険者が一斉に攻撃を仕掛ける。
剣と魔法が石像兵を襲い、次々と亀裂を広げていく。
魔法の光と、剣の閃きが入り乱れる。
そして最後に、ゴルドーの巨大なハンマーが石像兵の頭を直撃した。
頭の亀裂と胸の亀裂が巨大化し、合流する。
石がひび割れる音が、大地を揺るがすほどの大きさで響く。
轟音と共に、石像兵が崩れ落ちる。
大量の砂埃が舞い上がり、広場全体を覆う。
喉が痛くなるほどの粉塵が、空気中を舞い、私は顔を背けて咳き込んだ。
砂埃が晴れると、そこにはバラバラに砕けた石像兵の姿があった。
周囲に散らばった石の破片が、その巨大な体の名残を示している。
「やった……! やった、勝ったぞおおお!」
誰かの声を合図に、歓声が広場に響き渡る。
冒険者たちが喜びの声を上げ、互いを抱き合う。
その歓声は、まるで波のように広場中に広がっていく。
その瞬間、広場の入り口から馴染みのある声が聞こえた。
「ミュウちゃーん!」
振り返ると、そこにはシャルが立っていた。彼女は全力で私に向かって走ってくる。
靴が地面を蹴る音と、鎧のきしむ音が近づいてくる。……そのままタックルしてきた!
「ぐへっ!!」
シャルの体が私にぶつかる衝撃と、彼女の体温を同時に感じる。
「やったね、ミュウちゃん! すごいよ!」
シャルが倒れた私を抱きしめる。や、やばい……死ぬ……! 後衛職にこういうスキンシップは危ないって!
「ゲホッ……う、うん……」
小さく頷きながら、私は力を抜いた。
疲労と安堵が一気に押し寄せ、目に涙が浮かぶ。重なったシャルの体温が、心地よく感じられる。
周りでは冒険者たちが勝利を祝っている。その喜びの声が、広場全体に響き渡っていた。
歓声と笑い声が入り混じり、まるでお祭りのような雰囲気だ。
……そんな歓声の中、かすかにゴルドーの声が耳に入った。
「……それにしても。魔導王……だと……?」
……だけど私は、その呟きの意味も、誰に向けられたものなのかもわからなかった。
疲労で頭が朦朧としている。
こうして、ノルディアスの危機はひとまず去ったのだった――。
面白い、続きが気になると思ったら、ぜひブックマーク登録、評価をお願いします!




