第139話 魔導王の軌跡③
神殿に到着したのは、翌日の昼前だった。
空は抜けるように青く、緑豊かな丘の上に神殿が映える。
白い大理石でできた建物は、陽光に輝いて眩しい。
巨大な円柱が立ち並び、その柱には細かな模様が刻まれている。
風が吹くと、石に刻まれた物語が囁きかけてくるかのよう。
神殿の周りには、大勢の人が集まっている。
病人やその家族だろうか。皆、疲れた表情を浮かべながらも、どこか希望に満ちた目をしていた。
服装も様々で、遠方から訪れた人も多いことが窺える。
「すごい人の数だな、オイ」
ウィルが目を見開く。
確かに、これだけの人が集まっているということは、噂は本当なのかもしれない。
中には子供を抱きかかえた母親や、杖をつく老人の姿もある。
神殿の入り口には、白い衣装を身にまとった神官たちが立っている。
彼らは順番に人々を中へと案内していた。
その様子は慣れたもので、日常的な光景なのだろう。
「そんじゃ、私たちも入りましょ」
エイダの声に、一同が頷く。
神殿の中に入ると、そこには神秘的な空間が広がっていた。
天井は想像以上に高く、声が響き渡る。
壁には神々の壁画が描かれ、天井からは淡い光が差し込んでいる。
その光は水晶のようなもので屈折し、虹色の輝きとなって床に落ちていた。
床には美しい幾何学模様が描かれ、その上を光が踊る。
神殿の中心には、大きな泉があった。
澄んだ水が湧き出ており、その音が静かに響いている。
泉の縁には、何か文字らしきものが刻まれている。
古い言語のようだが、その意味はわからない。
そして泉の前には、一人の巫女が祈りを捧げていた。
白い衣装に身を包んだ彼女は、若くはない。しかし、その表情には慈愛に満ちた優しさが浮かんでいる。
銀色の髪に数本の白髪が交じり、その瞳は深い青だった。
巫女は目を閉じ、何かを唱えるように口を動かしている。
すると不思議なことに、その祈りに呼応するように泉の水が光り始めた。
水面が淡く青白く輝き、まるで月光のよう。
「あれを見ろ」
ガレスが指差す先では、一人の老人が巫女の前に進み出ていた。
彼の体は病に蝕まれ、杖なしでは歩くこともままならない。
その姿は痛ましく、付き添いの家族の目には涙が光っている。
巫女は老人に微笑みかけ、そっと手を差し伸べる。
その仕草には、慈しみの心が込められているようだった。
その手から、温かな光が溢れ出した。それは泉の光と同じ色をしている。
光は老人を包み込み、ゆっくりと彼の体を癒やしていく。
それは魔法とも違う、もっと自然な、生命の力のようだった。
光の中で、老人の体から病が浄化されていく。
「おお……」
光が消えると、老人は驚いたように自分の体を見つめる。そして、おずおずと一歩を踏み出した。
もう、杖は必要なかった。その表情には、喜びと驚きが入り混じっている。
「す、すごい……!」
「おお、これが巫女様の力なのか……!」
一同が驚きの声を上げる。しかしマーリンは、ただ黙って状況を観察していた。
その目は、老人の回復した姿ではなく、巫女と泉の関係を凝視している。
まるで、その力の源を解き明かそうとするかのように。
観察眼は冴え渡り、些細な変化も見逃さない。
「おや……魔法使いの方ですか?」
その視線に気付いたのか、巫女が声をかけてきた。
マーリンが我に返る。巫女の声は、まるで小川のせせらぎのように優しい。
「あなたも、癒やしの力を求めていらしたのですか?」
マーリンは一瞬驚いたが、すぐに表情を整える。その動揺は、ほんの一瞬のことだった。
「はい。私も、治せない病で苦しむ人々を救いたいのです」
その言葉に、巫女は穏やかに微笑んだ。
その笑顔には年月の重みと優しさが混ざっている。
「よろしい。では、あなたに祈りの作法をお教えしましょう」
巫女はマーリンを泉の前に導く。そこには不思議な空気が漂っていた。
水面から立ち昇る靄のような何かが、空間を神秘的なものにしている。
「祈りとは、相手を想う心が根源なのです。その想いが、神様の力を引き寄せる」
巫女の声は静かだが、確かな意志が込められていた。
その言葉には、長年の経験に裏打ちされた確信が感じられる。
しかしマーリンの目は、すでに別のものを捉えていた。
泉から立ち昇る目に見えない魔力の流れ。
巫女の祈りと共鳴する水の揺らめき。そこには、魔力の理論で説明できる何かがある。
(なるほど。これは単なる祈りじゃない。もっと具体的な、理論的な何かがある)
マーリンの瞳が、研究者のような鋭さを帯びる。
巫女の教えを聞きながらも、彼の意識は別の場所に向かっていた。
力の解明という、もう一つの探求へと。
■
夜が更けていく。星々が輝く澄んだ夜空の下、神殿は深い静寂に包まれていた。
人々が帰り、巨大な建物の中では、時折水の滴る音だけが響く。
天頂からは月明かりが差し込み、床に落ちた光が、揺らめく水面に反射している。
大理石の床には、幾何学模様が月光に照らされ、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
マーリンは、泉の前でじっと目を閉じていた。
一日中巫女の動きを観察し、彼女の力の本質を探ってきた。
そして今、その成果を試そうとしている。
泉から立ち上る靄のような空気が、その周りを取り巻いている。
(理論は間違っていないはずだ……)
彼は杖を握りしめ、魔力を集中させる。澄んだ夜気の中、かすかな光が生まれ始めた。
その光は、水晶のように透明で純粋なものだった。
その光は、さっきまで巫女が使っていた光とよく似ている。
しかし、どこか違う。まるで生命の温もりが欠けているかのよう。
より鋭く、より冷たい。それは人工的な、機械的な輝きだった。
(魔力の波動を、生命力に変換する。泉の水が持つ特性を利用して増幅し、対象に送り込む)
マーリンの手から放たれた光が、泉の水面を照らす。
水が呼応するように、かすかに光を帯びた。
その瞬間、神殿全体に魔力の波動が広がる。
「……できた」
彼は自分の腕にナイフで小さな傷をつけ、その光を当ててみる。
傷が、みるみるうちに癒えていく。肌が再生する様子は、まるで時が巻き戻るかのようだ。
理論上は可能だと考えていた。
しかし、実際にできたことに、マーリン自身が驚いていた。
同時に、口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「どうやら、私の目は誤っていなかったようですね」
突然の声に、マーリンは振り向く。そこには巫女が立っていた。
「み……巫女様。見ていたのですか」
「ええ。あなたは朝から、私の動きを観察していましたから」
巫女の口調は穏やかだったが、その目には深い悲しみが浮かんでいた。
その瞳は、未来の悲劇を見通しているかのよう。
「確かに、あなたは癒やしの力の本質を見抜いたかもしれません。でも、大切なものが欠けている」
「大切なもの、ですか?」
「ええ。相手を想う心です。その光は、確かに傷を治せます。でも、魂まで癒やすことはできない」
巫女の言葉に、マーリンは首を傾げる。
彼の目には、理解できないというような色が浮かんでいた。
「しかし、治癒の効果は同じはず。結果が同じなら、過程の違いに意味があるとは思えません」
「その考えが、あなたを茨の道へと導くでしょう。力だけを追い求めれば、必ず迷い込む」
巫女の言葉は、まるで預言のように響いた。しかし、マーリンの心には届かない。
彼の目は、すでに次の実験へと向けられていた。
より強力な、より確実な力を求めている。
その瞳には、研究者特有の冷たい光が宿っていた。
「だとしても。これでもう、誰かを治せずに無力な思いをする必要はない」
マーリンの声には、どこか高揚したものが混じっている。
巫女はため息をつき、静かに立ち去ろうとした。しかし、その足が止まる。
「……来ましたか」
遠くから、重い足音と金属の音が響いてくるのが聞こえた。
多数の人間が、整然と歩を進める音。それは、不吉な太鼓の音のようにも聞こえる。
「マーリン、マーリン! ここにいたのか!」
走り込んでくるウィル。
その息は上がっている。額には汗が浮かび、普段の明るさが消えていた。
「軍隊だ! ヴェセル王国の軍が、神殿に向かってきているぞ!」
「何? なぜ軍隊が……?」
「巫女様の力が欲しいんでしょ。回復ってのは、戦いにおいても重要だし」
エイダが静かに言う。その声には、戦いを知る者の冷静さが感じられた。巫女は悲しそうに目を伏せる。
「この力を、戦争に使おうというのですね。まさに、私が危惧していたこと」
その言葉が、神殿に重く響く。
月明かりに照らされた床には、長い影が伸びていた。
マーリンは、杖に手をかける。彼の目は決意に満ちている。
その姿は、未来の彼の姿と少し被っていた。
「任せてください。僕たちが、この神殿を守りましょう」
「おいマーリン……相手は軍隊だぞ。本気か?」
「大丈夫さ。試してみたいこともあるしね」
遠くから、松明の明かりが近づいてくる。それは、まるで這い寄る蛇のように見えた。
その炎が、月明かりの静けさを徐々に侵食していく。
運命の糸は、また新たな方向へと紡がれ始めようとしていた――。
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