第138話 魔導王の軌跡②
マーリンの記憶の中で、私は彼と仲間たちの姿を見つめていた。
奇病の村を後にした一行は、砂埃の舞う街道を歩いていた。
時折風が吹き、マーリンのローブが揺れる。
空は澄み切っていたが、どこか物悲しい雰囲気が漂う午後だった。
まだ若いマーリンの表情には、村で何もできなかった無力感が色濃く残っているように見えた。
その目は虚ろで、時折つまずくように歩を進めている。
「おい、マーリン」
ガレスが声をかける。彼の大剣が日差しを反射して光る。
木の葉を揺らす風に、その反射光が踊るように揺れていた。
背の高い彼は、まるで壁のような存在感を放っていた。
無骨な外見に反して、その目には優しさが宿っている。
肩に担いだ大剣は、まるで彼の一部であるかのように自然な佇まいを見せていた。
「なんだ?」
「この先の街で面白い話を聞いたことがある。『大地を癒やす泉の巫女』っていうのがいるらしい」
その言葉に、マーリンは足を止めた。彼の瞳に、かすかな光が宿る。
「泉の巫女?」
「ああ。どんな病も治せるって噂だよ」
エイダが斧を肩に担ぎながら話に加わる。彼女の茶色の髪が風に揺れていた。
その目は若々しく、慈愛に満ちている。
「噂の巫女様がいらっしゃる場所は、ここから東に3日ほど。ちょうど私たちの進路と同じ方向よ」
「へぇ、運がいいね!」
ウィルが軽やかな足取りで前に出る。彼の背中の弓が、歩くたびにカタカタと音を立てていた。
その音は不思議と心地よく、行進のリズムのようにも聞こえる。
「あの村の人たちのためにも、会いに行ってみない? もし本当なら……」
マーリンは一瞬ためらったように見えた。
その表情からは、希望と諦めの狭間で揺れる心が透けて見える。しかし、すぐに小さく頷く。
「……そうだな。確かめる価値はある」
その言葉に、仲間たちの表情が明るくなる。
希望を見出したような、安堵の色が浮かぶ。
けれど、マーリンの目には依然として迷いの色が残っていた。
希望と疑念が交錯しているように見える。
その姿は、まるで光と影が混ざり合うような不安定さを感じさせた。
そうして歩き始めてしばらく、一行は小さな集落を見つけた。
道から少し外れた場所に、十数軒の家々が寄り添うように建っている。
しかし、そこは異様な雰囲気に包まれていた。
普段なら聞こえるはずの生活音が、まったく聞こえてこない。
「おや? なんだか静かすぎないか?」
「……山賊の痕跡ね」
エイダが地面に残された足跡を指差す。複数の人間が、集落に向かって歩いた跡。
その足跡は深く、重い装備を身につけた者のものだと一目でわかる。
その周辺には、引きずられたような跡も見える。
地面を引っ掻いたような跡が、悲鳴の形を残しているかのようだった。
「くっ、まだ近くにいるはずだ。追うぞ!」
ガレスが剣に手をかける。その手に力が入り、筋肉が盛り上がる。しかしウィルが制止した。
「待って。このまま追うのは危険かも。山賊たちの様子を探らせてくれ」
そう言うと、ウィルは集落に忍び込んでいった。その動きは軽やかで、まるで影のよう。
風すら立てない足取りで、建物の陰に身を隠していく。
木々の間を縫うように進み、建物の影に身を隠しながら情報を集めていく。
その手際の良さは、彼がこういった任務に長けていることを物語っていた。
しばらくして戻ってきたウィルは、驚いたように目を見開いていた。
額には薄く汗が浮かび、普段の軽やかさが消えている。
「見つけた。でも、ちょっと困ったことになってる」
「どういうことだ?」
「山賊たち、集落の人々を人質に取ってるみたいだ。でも変なんだよ、山賊の様子が」
ウィルは地面に地図を描き始めた。
木の枝で土をならしながら、集落の見取り図を示していく。その手つきには慣れた様子が見える。
「ここが集会所。山賊たちはここに立てこもってる。村人たちも中に。
けど山賊たち、妙に慌ててて落ち着きがない。それに、時々外を見てビクビクしてる」
「ふむ。何かから逃げてるのか?」
マーリンが腕を組んで考え込む。その目には、状況を分析する鋭い光が宿っていた。
「それだけじゃないんだ」
ウィルは地図に新しい線を書き足していく。
地面に刻まれる線が、物語を紡ぐように伸びていく。
「これが、彼らが来た足跡の流れだ。最初は大勢で歩いてた跡なんだけど、途中から走り始めてる。
しかも妙な方向に曲がってるんだ。普通、この集落に来るなら街道を使うはず。この進路は明らかにおかしい」
「なるほど。別の場所から追われていたということかな」
「おそらく他の山賊か、兵士に追われてここに逃げ込んだ。だから、こんな小さな集落を襲うようなことをしたんだ」
エイダが感心したように頷く。その表情には、ウィルの観察眼への信頼が表れていた。
「さすがね、ウィル。でもそうなると面倒だな……」
「ああ」
ガレスが重々しく頷く。日が傾きはじめ、影が長くなっていく。
「追い詰められた獣は危険だ。人質を取られている以上、慎重に行動しないと」
ガレスの声に、一同が頷く。
夕陽が地平線に近づき、木々の影が地面に長く伸びていた。
日が沈みはじめ、辺りは薄暗い茜色に染まっている。
「集落の周りをウィルとエイダが警戒。俺とマーリンで正面から話をつけに行く」
ガレスの言葉に、マーリンは眉をひそめた。
その表情には、いつもの冷静さが消えかけている。
「交渉なんてしている時間はない。僕の魔法で一気にやってしまおう」
「待て。人質がいるんだぞ?」
「ああ、だからこそ早めに――」
会話が中断される。集会所の方から悲鳴が聞こえたのだ。
金切り声が、薄暗い空気を引き裂く。
「クソッ、仕方がない。それで行く。俺も突入するぞ!」
「ああ!」
ガレスが剣を抜く。抜身の音が鋭く響き、その音と共に、マーリンが駆け出していた。
集会所に着くと、そこには荒れ果てた光景が広がっていた。
扉は乱暴に叩き壊され、窓ガラスは砕け散っている。
木片やガラスの破片が床に散らばり、足を踏み入れるたびにキシキシと音を立てる。
中からは怯えた村人たちの声が漏れ聞こえる。
「悪いが手加減はなしだ」
マーリンが杖を掲げながら走る。その瞬間、空気が凍りつくような寒気が走った。
まるで時間が止まったかのような、不思議な静寂が訪れる。
彼の周りに、青白い光の粒子が集まり始める。
それは星空のようにも、蛍の群れのようにも見える。
粒子は渦を巻くように回転し、次第にその速度を増していく。
光の強さも増していき、やがて目が眩むほどの輝きとなった。
その光は夕暮れの空をも照らすほどの明るさだ。
「衝撃魔法」
マーリンの杖から放たれた魔法は、轟音と共に集会所の壁を粉砕。
砕けた木材が空中を舞い、中にいた山賊たちが、驚きの声を上げる。
「な、なんだ!?」
「魔法使いか!?」
山賊たちが剣を構える。その手には血の跡。村人を脅していたのだろう。しかしその動きは遅かった。
マーリンの第二撃が放たれる。
今度は氷の魔法だ。氷晶が空気中でキラキラと輝きを放つ。
空気中の水分が一瞬で凍結し、鋭い氷の槍となって襲い掛かる。
氷の槍は山賊たちの武器を弾き飛ばし、彼らの動きを完全に封じ込めた。
氷の檻の中で、山賊たちはなすすべもなく立ち尽くすしかない。
檻の表面には無数の細かい模様が浮かび上がり、まるで芸術作品のようだ。
「相変わらずすげぇな!」
ガレスが口笛を吹く。確かに、この魔法の威力は尋常ではなかった。
建物は破壊されながらも、人質となっていた村人たちには傷一つついていない。
これほどの精密な制御ができる魔法使いは、この時代でも稀有な存在だろう。
破壊と保護を同時に行うその技量は、天才的としか言いようがない。
しかし、その戦いは終わっていない。
「こいつらの仲間が、まだ外にいるはずだ」
マーリンの予想通り、建物の外から数人の山賊が現れる。
彼らは、仲間が捕らえられた様子を目の当たりにして、一層凶暴になっていた。
「覚悟しろよ、魔法使い!」
「するつもりはないよ」
その瞬間、マーリンの魔法が再び炸裂する。今度は炎の魔法だ。
夕闇に浮かび上がる炎は、まるで生きているかのよう。
赤い光が渦を巻き、業火の壁となって襲い掛かる。
炎は山賊たちの周りを取り囲むように燃え上がり、逃げ場を完全に封じる。
しかし不思議なことに、その熱さは彼らを焼くことはない。
炎は美しく舞い、幻想的な光景を作り出していた。
「こ、これは……?」
「幻影の炎だ。見かけほどの熱さはない。だが、一歩でもその中に踏み込めば、本物の業火となる。動かないことだ」
マーリンの冷たい声が響く。
その姿は、もはや若き魔法使いのそれではなく、戦場の支配者のようだった。
山賊たちは観念したように武器を置く。彼らにはもう、抵抗する術がなかった。
剣や斧が地面に落ちる音が、静かに響く。
「マーリン! 村人が!」
エイダの叫び声が響く。振り向くと、混乱の中で一人の村人が倒れていた。
山賊との揉み合いで、頭を打ったようだ。その額には、血が流れている。
マーリンは駆け寄り、治療魔法を発動する。
温かな光が彼の体を包み、ゆっくりと目を開ける。傷は消えていったが――。
「う……ひぃっ! さ、山賊がっ……」
目を覚ました村人は、まだ恐怖に支配されている様子だった。
その体は震え、目は虚ろだ。そんな彼を、エイダがなだめる。
「落ち着いて。もう私達が解決した」
エイダの言葉に、村人たちは安堵の表情を浮かべた。
エイダの持つ母性的な雰囲気が、彼らの恐怖を少しずつ溶かしていく。
しかしマーリンの表情は、依然として晴れない。
傷は治せても、心の傷までは治せない。そのことが、彼の心を更に暗くしているようだった。
■
事件の後、集落は徐々に平穏を取り戻していった。
山賊たちは近くの衛兵所に引き渡され、村人たちは家に戻り始める。
夜の闇が深まっていく中、家々の窓から温かな明かりが灯り始めていた。
「みなさん、本当にありがとう……」
集落の代表の老人が、私たちに深々と頭を下げる。
その手には、お礼として用意したのだろう、小さな袋が握られていた。
「いえ、いいのよ。これくらいのことで」
エイダが老人の肩に手を置き、優しく声をかける。
彼女の手は温かく、その温もりが老人の体の震えを静めていくようだった。
少し離れた場所で、ガレスとウィルが村人たちと話している。
彼らの笑い声が、夜の空気に溶けていく。
事件の緊張が解け、人々の表情が和らいでいくのがわかる。
しかし、マーリンだけは輪に加わろうとしない。
彼は建物の隅に立ち、黙って空を見上げていた。
(もしかして……マーリンもかつてはコミュ障……っ!?)
いや、待て。それは違うか。
すぐ相手をコミュ障かどうかで見ようとするのは私の悪い癖だ……。
それはともかく、私には、彼の心の闇が着実に深まっているのがわかった。
それは、無力感とはまた違う、もっと根源的な何かだった。
「ねぇ、マーリン。ちょっといいかしら」
エイダが声をかける。マーリンは無言で彼女を見る。
「さっきの魔法、とても見事だったわ。でも……」
「でも、何だい?」
「あの人たちの心の傷は、魔法では治せなかった。そう思って悩んでいるのね?」
エイダの言葉に、マーリンの表情が一瞬凍る。図星だったのだろう。
「僕の魔法は……ただの暴力でしかないのかもしれない。これじゃ、誰かを救うことなんてできないんじゃないだろうか?」
「違うわ。あなたの魔法は、確かに人々を救った。でも、心を癒やすには、もっと違うものが必要なの」
エイダは、村人たちの方を手で示す。彼らは今、互いを励まし合い、支え合っている。
その姿は、魔法とは違う形の癒やしを見せているようだった。
「見て。みんな少しずつ、でも確実に立ち直っているでしょう?
それは、誰かが傍にいて、温かな言葉をかけ、時間をかけて癒えていくから」
マーリンは黙って村人たちを見つめる。その目には複雑な感情が浮かんでいた。
「あなたの魔法は強いわ。でも、強さだけが全てじゃない。時には、ただそばにいることの方が大切なの」
「……僕には、そんなことはできない」
マーリンの声は冷たく、どこか突き放したようだった。
「今の僕に必要なのは、もっと強大な力だ。誰も傷つかないように、最初から全てを制圧できる力が」
その言葉に、エイダは悲しそうな表情を浮かべる。しかし、それ以上は何も言わなかった。
夜空には三日月が浮かび、その光は銀のように冷たかった。風が吹き、木々が揺れる音が響く。
遠くには、彼らの目的地である神殿めいた建物が見える。
その姿は月明かりに照らされ、幻のようだった。
マーリンはその建物を見つめながら、再び口を開く。
「泉の巫女を探しに行こう。あの村の人たちを救えるかも」
「……そうね!」
私はその声を聞きながら、これが彼の歪みの始まりなのだと悟る。
人を救いたいという想いが、いつしか力への執着に変わっていく。
その過程を、この記憶は見せているのだ。
月の光が地上に落ち、それはまるで運命の糸のように、マーリンの前に一筋の道を照らしていた。
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