第136話 その心を癒せ
管理室が、マーリンの魔力に震えていた。
柱となっていた光の束が不規則に明滅し、まるで嵐の前触れのようだった。
無数の魔法陣が空間を埋め尽くし、まるで歯車のように回転している。
その一つ一つが、千年以上もの歳月を経て磨き上げられた魔力を帯びていた。
魔法陣は互いに共鳴し合い、青白い光の帯を作り出す。
「はああっ!」
シャルが剣を振るう。魔法陣から放たれた光の矢が、彼女の剣で弾かれていく。
一撃ごとに火花が散り、まるで流星のような軌跡を描く。
金属音と魔力が衝突する音が、部屋中に響き渡る。
それは雷鳴のように激しく、地鳴りのように重かった。
「なかなかやるね。でも――」
マーリンが杖を掲げる。その動きは優雅で、まだ余裕すら感じられた。
彼のローブが、魔法陣の光を反射して輝いている。
「これはどうかな」
魔法陣の配置が変化する。幾何学模様が複雑に組み変わり、新たな魔法陣を形作っていく。
次の瞬間、光の雨が頭上から降り注ぐ。その一粒一粒が、致命的な力を秘めていた。
「くっ!」
シャルは剣を回転させ、光の雨を防ごうとする。刃が空気を切る音が、部屋中に響く。
だが、あまりの数の前に防ぎきれない。
光の矢は、彼女の防御の隙間を縫うように襲いかかる。
彼女の腕や足に、光の矢が突き刺さる。衝撃と共に、シャルの体が後ろに弾かれる。
「シャル!」
私は即座に回復魔法を発動させる。青白い光が、シャルの体を包み込む。
私の魔力が、彼女の傷に染み込んでいくのを感じる。
傷が癒えていくのが見える。光が消えると、彼女の体からは傷跡さえ消えていた。
「サンキュー、ミュウちゃん!」
「……!」
頭上では、アヴァロンの崩壊が進んでいた。私たちがいる管理室だけが、マーリンの結界によって守られている。
結界の外では、建物が砕け、道路が歪み、そして人々が光に飲み込まれていく。
天井を突き抜けて見える空には、巨大な亀裂が走っていた。
その亀裂から、さらに強い光が漏れ出している。
「回復は見事だ。でも――」
マーリンの瞳が鋭く光る。その目は、もはや私の師のものではなかった。
「それだけじゃ足りないな!」
魔法陣が新たな形を作り出す。複数の魔法陣が重なり合い、より強力な効果を生み出そうとしている。
今度は、光の槍が四方八方から襲いかかってくる。
その一撃一撃が、建物さえ貫くほどの威力を持っていた。
「させるかっ!」
シャルの叫び声と共に、彼女の剣が金色の光を帯び始める。
剣身から立ち上る光が、まるで炎のように揺らめいている。
黄龍の勾玉の力だ。剣を伝って、雷光が走る。
空気が震え、雷の轟音が響き渡る。
「巨竜の雷!」
閃光と共に、シャルの剣が光の槍を粉砕していく。雷と光が激突する度に、火花が散る。
その光景は、まるで流星群のようだった。
「やるじゃないか。三種の神器を役立てているね」
「そうだよ。今度こそ負けられないからね!」
シャルの動きが加速する。彼女の剣筋は、まるで雷のように速い。
剣の軌跡が、空中に残像を描いていく。
剣とともに振り下ろされる雷に、マーリンの魔法陣が一つ、また一つと壊れていく。
砕けた魔法陣が、ガラスのように空中に散っていく。
「見事だ。でも――」
マーリンがわずかに微笑む。その表情に、私は不吉なものを感じた。
彼の瞳の奥に、何か冷たいものが宿っているように見えた。
「千年の経験は、そう簡単には破れない」
砕けた魔法陣が、瞬時に再生される。
破片が光の中から浮かび上がり、再び魔法陣を形成する。
むしろ、砕ける前より強固になっているように見えた。
「なっ、ウソ!?」
シャルの動きが止まる。その隙を突いて、マーリンの魔法が炸裂する。
光の渦が、シャルを包み込む。
「うわっ!」
シャルが吹き飛ばされる。即座に私が回復を放つが、マーリンの攻撃は止まらない。
次々と放たれる光の矢が、私たちを追い詰めていく。
――その時、私はたしかに感じた。
マーリンの魔法陣に、ある感情が混ざっているのが。
(これは……悲しみ……?)
魔法陣の輝きの中に、確かに深い悲しみの色が映っているように思えたのだ。
それは千年もの間理想を追い求めながら、その間違いに気づいてしまった者の悲しみ。
どうしようもない絶望感。それでも進まなければならない使命感……。
その感情が、魔法陣の光の中で渦を巻いているように見えた。
「どうした、ミュウ。考え込んでいる場合じゃないよ」
マーリンの新たな攻撃が放たれる。
魔法陣が重なり合い、より強力な光の矢を作り出す。
「……!」
シャルが私の前に飛び出し、その矢を剣で受け止める。金属音と共に、火花が散る。
「気をつけて、ミュウちゃん!」
「ご、ごめん……!」
私は慌てて態勢を立て直す。杖を強く握り直す。
でも、確かに見えた。マーリンの魔法に込められた感情が。
その悲しみは、まるで助けを求めているかのようだった。
(あの悲しみなら、きっと……)
「心を癒やす魔法」が効くはず。私は勝利への希望が見え始めていた。
光の渦の中で、私は静かに決意を固めていく。
「さて、そろそろ決着をつけようか」
マーリンの声が響く。その声には慈悲の色も、憐憫の色も感じられない。
むしろ、そこにあるのは冷たい決意だけだった。
彼は杖を高く掲げ、より大きな魔法陣を展開させる。
魔法陣は幾何学的な模様を描きながら、まるで生き物のように蠢いていく。
その動きには、千年の時を超えた威厳が感じられた。
「これが、千年の歴史を持つ魔法。魔導王の力だ」
魔法陣の光が、部屋中を埋め尽くす。その光は、まるで太陽のように眩しい。
水晶に反射した光が、虹色の帯となって空間を彩る。
「シャル……っ!」
私は仲間の名を叫ぶ。マーリンの最後の一撃が放たれる前に、何とかしなければ。
彼女と目が合う。その瞳には、私への信頼が宿っていた。
「わかってる!」
シャルは剣を構え直す。剣身に、雷光が強く走る。黄龍の勾玉の力が、剣を通じて解放されていく。
その光は、彼女の覚悟を表すかのように激しく明滅していた。
「行くよ、最後の一撃!」
シャルが駆け出す。その動きは、これまでで最も速かった。
床を蹴る足音が、かすかに遅れて響く。
彼女の体が、まるで光そのもののように見える。
残像を描きながら、シャルはマーリンに迫る。
「魔導王の名のもとに、反逆者を誅せよ!」
マーリンの詠唱が響き渡る。魔法陣が重なり、巨大な渦を作り出す。
その渦は、まるで生きた渦巻きのように、シャルを飲み込もうとする。
空間が歪み、シャルの体が宙に浮く。彼女の足が地面から離れていく。
「くっ!」
制御を失ったシャルの体が、壁に叩きつけられる。衝撃音が響く。
壁が大きく凹み、ひびが走る。
「シャル!」
私は即座に回復魔法を放とうとする。杖から青白い光が漏れ始める。でも――
「させない」
マーリンの魔法が、私とシャルの間を遮る。
光の壁が、まるでガラスの壁のように立ち上がる。
透明な壁が立ち上がり、私の魔法を跳ね返す。魔法が弾かれ、壁に当たって消える。
「シャルの動きは見事だった。だが、私には千年の経験がある。次の動きなど、すべてお見通しだよ」
マーリンの周りの魔法陣が、さらに輝きを増す。その光は、もはや直視できないほどの強さを持っていた。
その光に、シャルが押しつぶされそうになる。
「うっ……く……!」
シャルの呻き声が聞こえる。彼女の体が、魔力の圧迫に耐えている。
剣を構えた手が、わずかに震えているのが見えた。
(このままじゃ……!)
私は必死に考える。額から冷や汗が流れ落ちる。
こうしている間にも、シャルは追い詰められている。
「魔導王の名のもとに命ずる! 悪しき波を消し去り、苦しみを穿て――状態異常完全回復魔法!」
私はできるだけ早口で詠唱し、シャルの周りを覆う魔法を消し去った。体のだるさを感じながら、杖で体を支える。
詠唱による消費MPが、体に重くのしかかる。
「シャル! 時間を!」
私の声に、シャルの目が輝く。彼女の瞳に、新たな光が宿る。
彼女は即座に私の意図を理解したようだった。
「任せて!」
シャルが体を起こす。その動きには、まだ迷いがなかった。
彼女は、私を信じ切っているのだ。その信頼に、答えないと。
「最後の力、使わせてもらうよ……ヴォルグ!」
彼女の剣に、残った魔力が集中する。さらに、懐から取り出したのは水晶の塊。
その結晶からは、ただならぬ魔力が漏れ出ていた。
(あれは……!?)
「魔界の……魔物の結晶か!」
その切り札には、さすがのマーリンも目を見開いていた。
彼の表情が、一瞬だけ緊張に歪む。
魔界の四天王、ヴォルグ。その亡骸である水晶。
それが青白い雷を放ち、シャルの剣に取り込まれていく。
水晶が砕け、その力が解放される。
金と蒼。2つの雷光が、彼女の体を包み込んでいく――!
「巨竜双牙!」
シャルの剣から、二筋の雷が放たれる。
金色と青白色の雷が絡み合い、竜の姿を作り出す。
それは龍の形を成し、マーリンに向かって突進した!
「無駄だ!」
マーリンは両手を広げ、より強力な光の壁を展開する。
無数の魔法陣が重なり、巨大な盾となって立ちはだかる。
しかし――それは、私たちの狙いではなかった。
シャルの攻撃が、マーリンの注意を引いている隙に。
私は、全力で駆け出していた。足音を立てないよう、慎重に。
「……!」
マーリンが気づく。彼の目が驚きに見開かれる。だが、遅い。
私は既に、彼の懐に飛び込んでいた。
「心を癒やす魔法!」
私の杖から、純白の光が放たれる。その光は、これまでの回復魔法とは異なっていた。
それは通常の回復魔法とは違う、柔らかな輝きを持つ。
光は、マーリンの胸に届く。まるで、彼の心を包み込むように。
そこには、千年分の重荷が積み重なっていた。
理想を追い求めた重み。深い執着と後悔。
間違いに気づきながら、もう後戻りできないという痛み。
そのすべてを、光が包み込んでいく。まるで母親が子供を抱きしめるように、優しく。
「これは……あのときの……!」
マーリンの目が見開かれる。その瞳に、懐かしい記憶が映る。
彼の周りの魔法陣が、ゆっくりと輝きを失っていく。
光は、ゆっくりと彼の心に染み込んでいった――。
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