第133話 理想と痛みの中で
朝日が昇る頃、私たちは塔の前で待っていた。
虹色に輝く巨大な塔は、朝もやに包まれ、まるで天まで届きそうだった。
塔の頂上部には、七色に光る装飾が施されている。
前回の映像記録では、またここに来るように指示されていた。「事情を話す」、と。
その短い言葉の裏に、何か重大な意味が隠されているように感じた。
「それにしても、早朝だよねぇ……。眠ー……」
シャルが大きなあくびをする。確かに、日が昇る前というのは少し無茶な時間だ。
街はまだ目覚めておらず、通りにはほとんど人影がない。
まだ街灯が点いている街並みを見下ろしながら、私たちは待ち続けた。
建物の壁面を流れる文字や映像も、この時間は少なく、街全体が静かな息遣いを立てているよう。
「あ、来た」
遠くから歩いてくる人影。緑色の髪をなびかせたエリスだ。
彼女も眠いのか、眼鏡を外し目をこすっている。
白衣の裾が朝風に揺れ、その足音が静かな通りに響く。
「おはよう！ マーリン様が待ってるわ。どうぞ」
彼女はあくびを噛み殺しながら私たちを案内する。
虹色の外壁を持つ塔の中に入る。相変わらず、いくつもの計器が輝いている。
「今回は私はここまでよ。上層階へは、このエレベーターを使って」
そう告げると、エリスは踵を返して歩き去っていった。
白衣が翻り、風になびく。その姿が曲がり角で消えるまで、私たちは見送った。
「……行こっか」
シャルの声には緊張が混じっていた。
その声が、静かなロビーに響く。
前回マーリンと会ったのは魔界。私たちは、彼と戦った。
あの時の激しい戦いは、まだ記憶に新しい。
私たちはマーリンには勝てなかった。それどころか、ほとんど太刀打ちもできなかった。
エレベーターは静かに上昇を始めた。
壁面は透明で、上るにつれて街が小さく見えていく。
アヴァロンの街並みが、次第に地図のように広がっていった。
朝日が昇り始め、建物の輪郭がオレンジ色に染まっていた。
その光は建物から建物へと伝播し、街全体が目覚めていくようだった。
「なんか……落ち着かないね」
シャルが壁に寄りかかりながら呟く。私も同じ気持ちだった。
私たちの影が、朝日に照らされて長く伸びている。
首元のネックレスが、不安を示す青白い光を放っている。
その光が、エレベーターの壁に反射して揺れていた。
「ミュウちゃん、あの時のマーリンって……本気で殺す気だったのかな」
「……わからない」
魔界での戦い。マーリンの魔法は強大で、私たちは死線を彷徨った。
しかし、彼が「私の国民になるかもしれないから」とあえてとどめを刺さなかったのも事実。
その言葉の意味を、今になって考えていた。
マーリンはなぜ、今こうして私たちを呼び出したのだろう。
エレベーターの上昇音だけが、その答えのない問いに伴奏を付けていた。
『最上階に到着しました』
機械の声と共に、エレベーターが止まる。
最後の振動が収まるまで、私たちは息を潜めていた。
扉が開くと、そこは広い展望室だった。
円形の部屋には、贅沢なほどの空間が広がっている。
天井まで届きそうな窓。そこから見える街並みは、まるで模型のよう。
朝日に照らされた建物が、宝石を散りばめたように輝いていた。
部屋の中央には、大きな望遠鏡が据え付けられている。
その装置は、どこか古めかしい趣があった。
そして窓際に、一人の男が立っていた。
その姿は、朝日を背に影のように見える。
「やあ、久しぶり。……と言っても、私にとっては数時間前かな？」
振り返ったマーリンは、相変わらずの軽い口調。
その声は、部屋の静けさを優しく破る。
いつも通り白色の長髪を靡かせ、白い長衣を身にまとっている。
表情は柔和で、まるで昔からの友人に会うかのよう。
しかし、その目は鋭く、何かを企んでいるような光を湛えていた。
「……何の用？」
シャルが剣の柄に手をかける。その音が、静かな展望室に響く。
マーリンはそんな彼女の仕草を見て、面白そうに笑った。
その笑顔には、どこか寂しげな影が見えた。
「まぁまぁ、そう警戒しないでくれ。今日は話があって呼んだだけさ」
「話って……」
「この国のことを、君たちに話したくてね」
マーリンは窓の外を指差した。
そこには朝日に照らされたアヴァロンの街並みが広がっている。
街路樹の緑が朝露に輝き、建物の壁面には新しい一日の始まりを告げる文字が流れていた。
「君たちには三日間、この国で過ごしてもらったはずだ。どうだったかな？」
その言葉に、私は目を伏せる。
この三日間で見つけてしまった真実が、重くのしかかる。
「どうって。……楽しかったよ。いい国だと思う」
「だろう？ よかったよ、気に入ってもらえて」
シャルの返事に、マーリンはとても嬉しそうに微笑んだ。
「君たちにはこの国を知ってもらいたかったんだ。それから、この話を聞いてほしかった」
マーリンの声には、どこか懐かしむような響きが混じっていた。
それは千年の時を超えて、この国への想いを語ろうとする者の声。
「千年前、私の祖国アヴァロンは世界でもっとも進んだ国だった」
マーリンはそう語り始めた。窓越しに見える街を眺めながら、遠い目をしている。
「魔法と科学が調和し、人々は豊かに暮らしていた。技術は日々進歩し、誰もが幸せな――そう、まるで今のような国だったんだ。姿はだいぶ違うけどね」
朝日が徐々に昇り、街並みをくっきりと照らしていく。
マーリンは望遠鏡に近づき、その古びた装置に手を置いた。
「しかし、私たちは進みすぎた。文明の行き着く先を見てしまった」
マーリンの声が低くなる。その目が、懐かしさから悲しみの色に変わった。
「魔法と科学の融合は、世界の摂理を超えようとしていた。私たちの技術は、理が許容できる限界を超えてしまったんだ」
古い望遠鏡を覗きながら、マーリンは続ける。
「次第にアヴァロンでは、歪みが生じ始めた。建物が溶け、道が歪み、空間そのものが崩壊し始めた。
人々は逃げ出し、私の愛する国は、ゆっくりと滅びへと向かっていった」
マーリンは望遠鏡から顔を上げ、私たちを見つめた。
「私は、それを認められなかった。この国を、この理想郷を失うわけにはいかない」
窓の外では、通勤を始める人々の姿が見える。彼らは、何も知らずに日常を過ごしている。
「そこで私は決意した。禁忌とされた時間魔法に手を染めることを」
「時間魔法……？」
シャルが小さく呟く。その声には、恐れの色が混じっていた。
「ああ。この国の時間を閉じ込め、ループさせる魔法だ。滅びが訪れる前の、最も理想的な100日間を永遠に繰り返す」
マーリンの声には、後悔と誇りが入り混じっていた。
「でも、それは上手くいかなかったんだよね。……マーリン」
私は思わず声を上げていた。図書館で見た記録を思い出していた。
「……そう。鋭いね、ミュウ」
マーリンは悲しげに微笑む。
「ループの終わりには必ず滅びが訪れる。私がどれだけ工夫を重ねても、100日目には必ず世界は歪み、崩壊する」
マーリンは再び窓の外を見る。
「その度に私は街を再構築し、人々の記憶を書き換え、歴史を編纂し直した。何度も、何度も、何度も――」
彼の声が震えている。千年もの重みが、その声に詰まっていた。
「そうして、アヴァロンは進化を続けた。千年前の世界でありながら、現在――君たちの生きる時代よりも遥かに進んだ文明を手にした。しかし……」
マーリンは言葉を切った。
朝日が完全に昇り、街は日常の喧噪に包まれ始めていた。
「このループを維持するには、途方もないエネルギーが必要になる。街を再構築し、時間を巻き戻し、記憶を書き換える。
その全てが、莫大なエネルギーを必要とするんだ」
そこまで話して、マーリンは私たちを真っ直ぐに見つめた。
その目には、懺悔するような色が浮かんでいる。
「私一人の力では到底賄えない。だから私は、あちこちの時間軸からエネルギーを奪ってきた。
それでも足りなくなって、未来から……君たちの世界からエネルギーを奪うことにしたんだ」
「それが、あの城ってわけ？」
「ああ。アレは漂白砲――世界を白く染め、そこにある生命エネルギーを吸収する兵器。魔界の『核』を原動力に動き、莫大なエネルギーを回収できる」
シャルが息を呑む。私の首元のネックレスが、赤と黄色の光を放った。
「全ては私のこの国のためだ。この国と、私の国民のために……私はあらゆる所から、エネルギーを奪ってきた」
マーリンの告白が、朝の展望室に重く響いた。
窓の外では、何も知らない人々が、知らない幸せを生きている。
その光景が、今はとても儚く見えた。
告白を終えたマーリンの声が、展望室に響く。
「私は、この国を消すつもりはない」
その言葉には強い意志が込められていた。
窓の外では、朝の日常が広がっている。出勤する人々、学校に向かう子供たち。
「でも、それって……」
シャルが声を絞り出す。
「未来の世界を犠牲にするってことでしょ？ それは……それはおかしいよ！」
シャルの声が震えていた。
確かにアヴァロンは素晴らしい国だ。ここで過ごした三日間は、私たちにとっても大切な思い出になった。
でも、その幸せは他者の犠牲の上に成り立っている。未来の人々の犠牲の上に。
「そうだね。君の言う通りかもしれない」
マーリンは静かに頷く。その表情には後悔の色が浮かんでいた。
「でも、この国に暮らす人々は本物だ。彼らの幸せも、笑顔も、全て本物なんだ」
窓の外を指差しながら、マーリンは続ける。
「記憶は書き換えられ、歴史は編纂され、100日で世界は崩壊する。それでも、その100日間は確かに実在する」
マーリンの声には、決意が込められていた。
「この国を守るため、私は他者を犠牲にする。それが私の選んだ道だ」
私は黙って街を見つめていた。
確かに、ここでの三日間は幸せだった。人々は優しく、街は美しい理想の世界。
でも、その幸せは未来の世界の犠牲の上に成り立っている。
漂白砲によって滅ぼされた私たちの世界のことを思うと、胸が痛んだ。
「他に方法は……ないの？」
私の問いかけに、マーリンは首を横に振る。
「残念ながら。このループを維持するには、膨大なエネルギーが必要なんだ。
不老不死の泉も、三種の神器も、『核』も。いずれも役には立ったけど、百回くらいのループ分で消えてしまう。
もう他に考えられるのは、生命のエネルギー……時間と世界そのものを搾取する以外にない」
シャルが拳を握りしめる。その手が震えているのが見えた。
「でも……でも、それじゃあ……！」
「ミュウ、シャル。君たちはこの三日間、この国で過ごした」
マーリンの声が、シャルの言葉を遮る。
「そして君たちは知っているはずだ。この国がどれだけ素晴らしいか、人々がどれだけ幸せに暮らしているか」
その通りだった。ここは理想に近い国だ。
科学は人々の暮らしを豊かにし、誰もが自分の才能を活かせる。
争いもなく、貧困もない。
でも、その代償は――。
「正しい答えなんてないんだ」
マーリンの声が、朝の光の中に溶けていく。
「私は、この国を選んだ。他者を犠牲にしてでも、この理想を守ることを」
展望室に重い沈黙が流れる。
私たちには、その選択を否定する言葉も、肯定する言葉も見つからなかった。
窓の外では、新しい一日が始まっている。
人々は笑顔で街を行き交い、建物は光を反射して輝いていた。
この景色は、残り数日で崩壊する。そしてまた、新しい100日が始まる。
その永遠のループを支えているのは、未来の世界のエネルギー。
私たちには、その重みを受け止める言葉が見つからなかった。
首元のネックレスが、複雑な色を放っていた。
それは悲しみと怒り、そして微かな共感が混ざったような色。
マーリンの選択は間違っている。
でも、この国に暮らす人々の幸せは本物だ。
その両方が、確かな事実として私たちの前にあった。
「さて」
マーリンが、重い空気を破るように声を上げる。
「これが、私の話だ。そして――これからが本題になる」
その言葉に、私たちは顔を上げた。
朝日が完全に昇り、アヴァロンは新しい一日の輝きに包まれていた。
「君たちもこの国の民となり、ここで暮らさないか？」
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