第13話 激戦、魔法対決
広場から聞こえてくる戦闘音が、私たちのいる部屋まで轟々と響き渡る。
金属がぶつかり合う甲高い音、魔法の炸裂する轟音、そして時折聞こえる悲鳴。
その全てが、この状況の緊迫感を増幅させていた。空気が重く、息苦しい。
目の前には、「石の密議」のリーダー、リュークが立っている。
彼の手には魔法石が握られ、その冷たい青白い輝きが部屋を不気味に照らしていた。
石から放たれる微かな魔力の波動が、私の肌をちくちくと刺激する。
(あの石を何とかすれば、石像も止められるかもしれない)
私はシャルの横に立ち、杖を強く握りしめる。冷たい杖の感触が、私の緊張を和らげる。
シャルも剣を構え、男に油断なく切っ先を向けていた。彼女の鎧がわずかに軋む音が聞こえる。
「まったく。本当はあの石像を完成させてから暴れさせるつもりだったんですよ。
だというのにカールやら、他のマヌケたちが邪魔をする。
そして君たちも、私の計画を阻止するつもりのようですね?」
リュークの声には余裕が感じられた。彼は魔法石を軽く掲げ、にやりと笑う。
その表情に、私は背筋が凍るのを感じた。
「しかし、もう遅いですよ。この石があれば、ノルディアスは不落の要塞となる。
その証明は、のこのこ集まった冒険者たちの死によって為されるでしょう。誰にも、私の理想を止めることはできない!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、魔法石を持たない方のリュークの手が動いた。空気が一瞬凍りつくような感覚。
「……!」
「冷酷なる石牢よ。兎の足、鳩の翼を奪いたまえ。石化魔法!」
その手から、リュークの魔法が放たれる。
詠唱はほんの一瞬で行われ、放たれた光がまっすぐシャルに向かって飛んでいく。光の軌跡が、空気を裂くような音を立てる。
「えっ……!?」
さすがのシャルも対応できず、飛んできた光を受けてしまう。
すると彼女の足元から、徐々に灰色に変わる。石化が始まっていた。
石の質感が広がっていく様子は、まるで絵の具が紙に染み込むかのようだ。
「私に逆らう者は何者であろうと、物言わぬ石にして差し上げましょう。
そして、この魔法石の力で兵士となるのです!」
「くっ……!」
シャルの苦悶の声が、部屋に響く。
「さぁ、もう終わりです。動くこともできない絶望の中、恐怖に歪んだ顔を見せなさい!」
(……状態異常回復魔法!)
私は即座に杖を掲げ、状態異常回復の魔法を発動させた。青白い光がシャルを包み込む。
その光は、まるで水のように彼女の体を洗い流していく。
そして、その体の石がすべて剥がれ落ちた。石が床に落ちる音が、カラカラと響く。
「え? ……あれ?」
リュークの間の抜けた声が聞こえる。その隙を逃さず、シャルが跳躍し剣を振るう。
彼女の動きに伴い、風を切る音が鋭く響く。
「はあっ!」
鋭い斬撃がリュークの胸を捉える。彼は咄嗟に後ろに跳んで距離を取るが、刃は彼のローブと肉をたしかに切り裂いた。
布が裂ける音と、かすかな血の匂いが漂う。
完全に虚を突いた。だがそれでもこの反応。やっぱりこの人、かなり強い。
「……どういうことだ? なぜ私の石化魔法が消えた?」
リュークは苦しそうに呟くと、今度再び魔力を巡らす。
彼の周りの空気が、わずかに歪むのが見える。
「冷酷なる石牢よ。兎の足、鳩の翼を奪いたまえ。石化魔法!」
再び放たれた石化魔法。今度は命中したと同時に、状態異常回復魔法をシャルに放つ。
一瞬の石化も起きることなく、シャルの勢いは止まらない。
「バカな、バカな……ッ! 私の詠唱した石化魔法を即座に打ち消すだと!? そんな、あり得ないッ!」
「よくわかんないけど焦ってるね! このまま決めるよ!」
勢いづき、距離を更に縮めるシャル。床を蹴る音が鋭く響く。
リュークは悔しげに呻くと、その手に再び魔力を巡らせた。今度は別の魔法だ。空気が熱を帯びていく。
「我が名の下に薪を捧げる。万物の祖よ、焼き尽くせ……爆炎魔法!」
炎の魔法を放った。赤い光がシャルを包み込む。
部屋の温度が一気に上昇し、熱波が私の頬を撫でる。
「うわっ! アッツツツツ!!」
シャルの悲鳴。彼女の全身に炎が回る。
狭い部屋が炎で照らし出され、壁に不気味な影が揺らめく。焦げた匂いが鼻をつく。
「はっ、無様ですね! そのまま灰になりなさい。やはり、石化が効かないなどなにかの間違いで――」
(連続回復魔法……!)
私は即座に回復魔法を唱える。緑の光がシャルを包み込み、傷が癒えていく。
それは彼女の体に継続的な回復を与える魔法。炎に焼かれたとしても、焼かれた側から皮膚は再生する。
そのうち再生は炎の「焼く速度」を上回り、炎を消すに至った。
体の火が消えたシャルがふー、と息を吐く。蒸気のような煙が立ち上る。
「一度ならず二度までも……いや、三度まで私の魔法を無力化した……!?」
リュークの顔に焦りの色が見える。彼はちらりと私を見た。
その鋭い視線に、私は思わず身を縮める。
「詠唱とは、魔法の力を高めるものだ。
無詠唱は発動速度こそ高まるが出力は下がり、無詠唱で詠唱魔法に勝つには……相当な力の差がなくてはならない」
「…………」
彼の目つきが変わる。どろりと濁った眼差しがこちらを捉えていた。その視線に心臓が掴まれる。
「なんだ……? 何なんです、あなたは。あなたのような子供が、私の遥か高みにいるとでも……!?」
次の瞬間、光が私に向かって飛んでくるのが見えた。
炎の魔法だ。空気が一瞬で熱を帯び、私の顔に熱風が吹き付ける。
(やば……私を狙いに……!)
次の瞬間、シャルの剣が、私の目の前で炎の魔法を受け止める。
金属が熱せられる甲高い音と共に、赤く染まった剣から熱気が立ち上る。
「ミュウちゃん、大丈夫!?」
シャルの声には焦りが混じっている。
彼女の額から滴る汗が床に落ち、かすかな蒸気を上げる。
「……うん」
小さく頷きながら、私は次の魔法の準備を整える。シャルのおかげで、体に痛みも熱さもない。
危険が迫っても、シャルは守ってくれる。そんな確信から杖を握る手に力が入る。冷たい感触が伝わってくる。
「チッ……!」
リュークの舌打ちが、静寂を破る。
「残念だったね。あたしがいる限り、ミュウちゃんには絶対傷一つ付けさせないから!」
「なら予定通り、あなたから仕留めるまでです!」
リュークは歯噛みしながら、再び魔法を詠唱し始めた。
その声には怒りと焦りが滲み、部屋中に響き渡る。
「冥府の底より湧き上がる闇よ、我が敵の眼を埋め尽くせ! 暗黒魔法!」
漆黒の霧のような魔法が、部屋中に広がっていく。
その闇は光を吸収し、視界を奪っていく。まるで濃いインクに包まれたかのような感覚。
「ちょっ、何も見えないんだけど! 何これ!?」
シャルの悲鳴が聞こえる。私も同じだ。周りが見えない。
ただ、かすかにリュークの足音が聞こえる。彼は移動しているようだ。靴底が石の床を擦る音が、微かに耳に届く。
(何も見えない。……これも状態異常。なら……!)
私は即座に状態異常回復魔法を発動した。
闇はそのまま部屋を覆っているが、少しずつ視界が明るくなっていく。
薄暗がりの中、輪郭がぼんやりと見え始める。
その瞬間、リュークの姿が目に入った。
彼は私たちの死角から接近していた。ローブが風を切る音が聞こえる。
「そこだっ!」
振り向いたシャルの剣がリュークの体を捉える。しかし、彼は間一髪で身をかわした。
ローブの一部が切れ、布切れが床に落ちる。布が裂ける音が、一瞬の静寂を破る。
「くそっ……! なぜだ、なぜだ!」
リュークの叫び声が響く。彼の顔には焦りと怒りが入り混じっている。
額には汗が浮かび、荒い息遣いが聞こえる。その呼吸音が、部屋に響き渡る。
「お前たちのような小娘に、この私が……! あああああっ!」
彼の手が再び動く。今度はその手を掲げ、その力を解放しようとしているようだ。
魔法として紡がれることもない魔力の波動が、空気を震わせる。
「くたばれぇッ!!」
リュークの魔法が炸裂した。膨大な魔力が解き放たれ、部屋中に衝撃波が走る。
耳を劈くような音と共に、壁の石が軋む音が聞こえる。
シャルは剣を構えて踏ん張るが、その体が少しずつ押し戻されていく。
床を引きずる金属の音が、甲高く響く。彼女の靴底が床を擦る音が、耳に痛いほど鮮明に聞こえる。
「くっ……近付けない……! もうちょいだってのに!」
シャルの苦しそうな声。私は即座に疲労回復と、体力回復の魔法を使用した。
淡い光がシャルを包み込み、彼女の体の輪郭が一瞬青く光る。その光が、暗い部屋を一瞬明るく照らす。
「お、おお……! 体が軽い! これならまだいけるよ!」
シャルの動きが俄然シャープになる。彼女は魔力の圧力をはね除け、風圧の中で一気にリュークに肉薄した。
「はああああっ!」
鋭い剣撃がリュークを襲う。彼は必死に身をかわすが、シャルの剣は確実に彼の体を捉えていく。
金属が肉を裂く音が、不快なほど鮮明に聞こえる。
「ぐっ……こんな……こんなバカな……!」
リュークの悲鳴が響く。彼の動きが鈍くなってきている。
疲労の色が濃くなっているのが見て取れる。息遣いが荒く、汗の匂いが漂ってくる。
(このまま押し切れる……!)
私は回復魔法を発動させ続け、シャルのダメージを即座に回復していく。
緑の光が彼女を包み込むたび、シャルの動きがより鋭くなっていく。
その光が部屋を照らすたび、シャルの決意に満ちた表情が浮かび上がる。
そして――
「うおおおっ!」
シャルの剣が、リュークの胸を突き刺した。金属が肉を裂く音と共に、リュークの体が宙に浮く。血の臭いが、一気に部屋中に広がる。
「ば、馬鹿な……私が……こんな……」
シャルが剣を振ると、リュークの体が床に投げ捨てられる。
彼の手から魔法石が転がり落ち、床を転がる音が甲高く響いた。
「っしゃーっ! 討ち取ったぞー!」
シャルの息遣いが荒い。彼女は剣を下ろし、私の方を振り返る。
その顔には疲労が混じっている。額には大粒の汗が浮かび、髪が乱れている。
「ミュウちゃん、大丈夫? 怪我は?」
私は小さく頷いた。シャルの顔に安堵の表情が広がる。その表情に、私も少し緊張が解ける。
しかし、その安堵もつかの間だった。
「くくく……まだだ……まだ終わっていない……!」
倒れていたはずのリュークが、不気味な笑い声を上げる。彼の手が、再び魔法石に伸びる。その声には、狂気が滲んでいる。
「全てを終わらせてやる……!」
リュークの手が魔法石に触れた瞬間、強烈な光が部屋中を包み込んだ。まぶしさに目を細める。
光が収まると同時に、魔法石が粉々に砕け散った。ガラスが割れるような音が、耳を劈く。
そして次の瞬間、別室から轟音が聞こえてきた。地面が大きく揺れ、天井から土埃が降ってくる。
「何をしたの!? そういう往生際の悪さ、モテないと思うよ!」
「魔法石を暴走させた……。あの石像の回復力と凶暴性がさらに高まるぞ……。
たとえ私がやられたとしても、あの冒険者どもは道連れ、だ……!」
石壁を通じて激しい戦闘音が響いてくる。人の悲鳴らしき音もますます増えていく。
広場での戦闘が激しくなっているようだ。
金属のぶつかり合う音、魔法の炸裂する音、そして悲鳴が入り混じり、不協和音を奏でている。
「くっそー、広場に行かないとみんなが危ないかもね……!」
シャルの声に、私は即座に頷いた。ヒーラーの私なら、あの戦場に行けば少しくらいは役に立てるはずだ。
だけど、このリュークをそのままにしておくわけにもいかない……。心臓が早鐘を打つ。
「ミュウちゃん、行って。ここはあたしが拘束しとく」
「……!?」
わ、私ひとりで……!? いやいや、それはさすがに……あの大人数の中で私ひとりとか、緊張で何もできなくなることは確実だし!
「大丈夫。ミュウちゃんならやれる」
「……っ」
シャルがしゃがみ込み、私を抱きしめる。彼女の体温が伝わってくる。
胸が苦しかったのがマシになり、深く息が吸えるようになる。
シャルの髪の香りが、かすかに鼻をくすぐる。
「ミュウちゃんは、本当はすごく強い子だから。あなたなら皆を助けられるよ」
私は目を閉じ、考える。ぐるぐる回る頭の中、シャルの言葉が響く。
決意するより先に、私は広場へと走り出した。足音が岩の通路に響き、心臓の鼓動が早くなる。
(死者が出てからじゃ遅い……なんとか間に合って……!)
私の走る足音が、石の廊下に響き渡る。その音が、まるで時計の秒針のように、残された時間の少なさを刻んでいるかのようだった。




