第126話 残された希望
地平線に見えるアランシア王国まで、私たちは白い世界を歩き続けた。
足跡が、白い砂埃を巻き上げる。
色を失った道を行くたびに、世界の異常さを思い知らされる。
行き交う人もなく、馬車の轍もない。ただ延々と続く白い道。
立ち並ぶ白い木々は、まるで霧氷に覆われたよう。
でも、それは永遠に溶けることのない白さだった。枝葉が風に揺れるたび、不気味な影が地面を這う。
「すごいねえ。こんな景色見たことないよ。天変地異って感じ?」
シャルが時折、明るく話しかけてくる。
でも、その声は不自然に響き、すぐに静寂に飲み込まれてしまう。まるで音そのものが色を失ったかのようだ。
彼女の赤い髪が、この異様な世界で妙に目立っていた。風に揺れる髪が、生命の証のように鮮やかだった。
「ね――ねぇゴルドー、アランシアってあとどれくらい?」
シャルの声に、ゴルドーはゆっくりと顔を上げる。
彼は村を出てから、ずっと考え込んでいるようだった。
普段の鋭い眼差しは曇り、遠くを見つめている。
「ああ……村からアランシアまでは……馬車もないから、3日はかかるだろうな」
普段の冷静な分析とは違い、どこか上の空な返事。声に力がなく、まるで別人のようだ。
時折、彼は後ろを振り返っては、消えてしまった村の方角を見つめている。その度に甲冑が軋む音が響く。
道端には、色褪せた花が咲いていた。
茎も花びらも葉も、すべて白く。それでも形は完璧に保っている。
風に揺れる様子は生きているようなのに、白い花びらは死んでいるみたいだ。
すれ違う動物の気配は一切ない。小鳥のさえずりも、虫の音も。
ただ風の音だけが寂しく響いている。空っぽの世界を吹き抜ける風の音。
「そろそろ日が暮れる……よね、多分。あのあたりで野営しない?」
シャルが指差した先には、白い木々が不気味な影を作っている。
陰影だけが残された世界で、影がより濃く見える。
いつもなら避けたくなるような場所だけど、この世界では、どこも同じように不気味なのだ。選択の余地はない。
「ああ、そうだな……」
ゴルドーの返事は相変わらずぼんやりとしていて、私は少し心配になる。
明らかに疲れた表情が覗いていた。額には深いしわが刻まれている。
私たちは林の端で野営の準備を始めた。枯れ葉を踏む音が、やけに大きく響く。
シャルが集めてきた薪は、すべて白く漂白されている。触れても冷たく、まるで石のよう。
でも、不思議なことにちゃんと燃えた。
炎の色だけが、この世界で唯一の暖かい色だった。オレンジ色の光が、私たちの顔を照らす。
「はい、お疲れ! 今日はパンとチーズで我慢してね」
シャルが荷物から取り出した食料も、すべて白くなっていた。
村から貰ってきたものだ。リュックを開けた瞬間、中身が全て白く変色しているのを見て、私は息を飲む。
でも味は変わっていない。ただ、白パンじゃないのに白いパンを食べるのは、変な気分になる。喉を通るたび、この世界の異常さを感じる。
「……俺が」
突然、ゴルドーが呟いた。私とシャルは顔を上げる。炎が揺らめき、その声が空虚に響く。
「俺がもっと早く気づけば、村の人たちを……」
彼の声が途切れる。炎が揺らめき、その影が彼の顔を暗く染めた。
声に込められた強い後悔が、心に突き刺さる。
「そんな……ゴルドーが悪いわけじゃないよ」
「これじゃ、何のためにお前たちに病を治してもらったのかわからないな……」
シャルが立ち上がり、ゴルドーの肩を叩く。金属音が響き、暗闇に反響する。
「責任感じすぎ! それにあたしたちだって、結局誰も助けられなかったんだから!」
彼女の声は、いつになく悲壮だった。
……やっぱり、二人とも無理してただけだった。
声の裏に隠された感情が、痛いほど伝わってくる。
ゴルドーはずっと村の人を治すためにヒーラーを探してきた。
シャルも、助けられる人はできるだけ全員助けて旅をしてきた。
そんな二人にとって、ラーナ村の人たちが消失したのは、とても。とても、痛いだろう。
言葉には表せないほどの無力感が、二人を包んでいる。
「――あのっ」
私は思い切って声を出す。MPを回復しながら。
「村の人たちは、戻ってくる」
「え?」
「死んだわけじゃない。消えただけ。だから、戻ってくる。この事態を、解決すれば」
…………。重い沈黙が辺りを漂う。ごめんなさいコミュ障が喋って……。
でも、これは伝えたかった。心臓が早鐘を打つ。
確証も何もないけど、きっと……なんとかなる。
これまでだって、そうシャルに教わってきたんだから。
「……そうだな。そうかもしれん」
ゴルドーは小さく息をつく。彼の表情が、少しだけ和らいだ。
凍りついていた空気が、わずかに動き出す。
「元気づけてくれてありがと、ミュウちゃん!」
シャルに頭を撫でられながら、白い夜が更けていく。耳元で髪が擦れる音がする。
星も月もない、真っ白な夜空の下。
私たちは炎を囲んで座っていた。火の粉が舞い上がり、すぐに闇に消える。
「アランシアに着いたら、きっと何かわかるよ」
シャルが呟く。その言葉に、私たちは黙って頷く。夜気が冷たく、肌を刺す。
白い世界に、炎の揺らめきだけが、かすかな希望の色を投げかけていた――。
■
色を失った世界の果てに、アランシアの結界が見えてきた。
淡い青色の光の壁が、巨大なドームのように広がっている。
その内側には、色鮮やかな世界が残されていた。
「見えてきた……!」
シャルの声が、珍しく震えていた。
三日間の白い世界の旅は、知らないうちに私たちの心を蝕んでいたのかもしれない。
結界の奥には、衛兵たちが立っている。
彼らの赤と銀の鎧が、朝日に照らされて輝いていた。色が、ある……!
「あ……! あれは!」
「聖女ミュウ様!? シャル様!?」
衛兵たちが騒然となる。私は思わず首を縮める。
「開門! すぐに開門を!」
衛兵長が叫ぶ。彼の声に焦りが混じっている。
結界に、人一人が通れるほどの穴が開く。
そこを通り抜けた瞬間、失われていた色彩が一気に戻ってきた。
青い空、緑の木々、赤い瓦。当たり前のように広がる色彩の世界。
その光景に、私は思わず目頭が熱くなる。
「聖女様がいらっしゃいました!」
「シャル様も! よくぞご無事で……!」
「王都に知らせを!」
衛兵たちの声が重なり、伝令が馬で王都へと走り出す。
蹄の音が石畳を叩く。馬も、ちゃんと生きてる。懐かしい音だ。
結界の外では、まだ白い世界が広がっている。
その境界線の不気味さに、私は背筋が寒くなった。
「ねえミュウちゃん、走ろ?」
「!?」
シャルが私の手を握る。彼女の瞳が、久しぶりに輝いていた。
テンションが上がっているのか、とにかく急いで向かうべきだと思っているのかどっちだろう……!?
とにかく、否応なく私たちは王都へと向かって走り出した。
王都の入り口に着くと、そこにはすでに大勢の人々が集まっていた。
色とりどりの民衆の群れ。賑やかな声が、あちこちから響いてくる。
「聖女様! シャル様!」
「生きていたんですね! 本当によかった……!」
「お二人がいればきっと、この世界も……!」
歓声と共に、花が投げ込まれる。道端に咲いていた花だろうか。
シャルは笑顔で手を振りながら、私を守るように前に出る。
(こ、これは……予想外)
思わぬ歓迎に、私のMPはみるみる減っていく。でも、この人々の歓声には温かみがあった。
通りを進むにつれ、歓声はさらに大きくなっていく。
まるで、お祭りのような熱気が王都を包み込んでいた。
……助かったとはいえ、みんな不安だったんだろう。誰かに希望を託したいんだ。
でも、私たちが世界を救えるほどかっていうと……ちょっとどうなんだろう……!?
「あ、迎えが来たよ!」
シャルが指差す先には、白銀の馬車。王家の紋章が掲げられている。
「聖女ミュウ様、シャル様。ルシアン王がお待ちです」
近衛騎士が丁重にお辞儀をする。その後ろで、馬車の扉が開かれた。
「ミュウちゃん、行こっか」
「……俺は乗っていいのか?」
「大丈夫でしょ! ゴルドーも戦争のとき来てくれてたし!」
シャルが私の手を引き、馬車に乗る。
その手が、少し汗ばんでいる。この人々の期待を前に彼女も緊張しているのかもしれない。
馬車に乗り込むと、車輪が石畳を転がる音が響き始めた。
窓の外では、まだ人々が手を振っている。
(ルシアンなら、何か知ってるのかな)
白銀の馬車は、王城へと向かっていく。
道端に咲く花々の色が、鮮やかに私たちを見送っていた。
それから案内された王城の謁見の間で、ルシアン王は私たちを出迎えた。
高い天井から吊るされた大きなシャンデリアが、部屋全体を明るく照らしている。
床に敷き詰められた赤いカーペットも、光を受けて輝いていた。
いつ見ても若い王は、金色の髪を靡かせながら駆け寄ってくる。
豪華な衣装とは不釣り合いな、少年のような仕草だ。白と金を基調とした衣装の裾が、走る度にはためいている。
「おおお、ミュウ、シャル! 無事で何よりだ……!」
彼は私たちの目の前に来ると、突然停止し、その場に崩折れる。ど、どうしたの……!?
「グッ……! す、すまない。感極まって近付いてしまったが、野郎は百合に近づくべきではない……ッ」
「何言ってんの一体」
側近が彼を抱え起こし、シャルはドン引きする。
ゴルドーも……なんか気まずそうに目をそらしていた。
「はぁ……改めて、ようこそアランシアへ。よくぞ生き残っていてくれた」
王は姿勢を正し、深々とお辞儀をする。外套の裾がゆらゆらと揺れる。
豪華な刺繍が施された生地が、光を受けて波打つように見える。
「おっと、ゴルドーもいたのか! すまなかった、つい見逃していた」
ゴルドーは一歩前に出て、丁重に礼をする。甲冑が軽く軋む音が響く。
その黒い甲冑は、豪華な謁見の間で異質な存在感を放っていた。
白い大理石の柱を背景に、より一層その黒さが際立つ。
「陛下。私からも、まずは報告を」
ゴルドーの声は、いつもの冷静さを取り戻している。
それは先ほどまでの憔悴した様子が嘘のようだった。
「外の世界は、すべて白く染め上げられた。アランシアの結界の外まで、生命の気配は一切――」
「ああ、その件は知っている……。では、まずは書庫へ来てくれ」
「書庫?」
ルシアン王は側近たちに目配せをし、私たちを案内させた。彼の表情が、一瞬だけ真剣なものに変わる。
城内の長い廊下を抜けると、そこには王城の書庫が広がっていた。
この国にあるという大図書館に比べればかなり小さいのだろう。
が、それでも並の図書館くらいの蔵書量に見えた。
床から天井まで本棚が並び、梯子が何本も立てかけられている。
「実を言うとこの光景は、既に予期されていたものなのだ」
王はそう告げると、一冊の古い日記を取り出した。
表紙は年月を経て色褪せ、端が擦り切れている。
「これは初代王の日記。彼は、魔導王の弟子だ。以前も話したな?」
「……ああ」
ゴルドーが身を乗り出す。その瞳が、鋭く光った。
「この国の結界は、初代王が作り出し受け継いできたもの。この結界は、特に『ある魔法』に対しての耐性が極めて高いそうだ」
ルシアン王は日記をめくりながら、ゆっくりと語り始める。
側近が、ランプの灯りを調整した。オレンジ色の光が、古い羊皮紙を照らす。
「その魔法は、『漂白砲』と呼ばれている」
「漂白砲……?」
「まさに、あの謎の浮遊城から放たれた砲撃……だろうな。おそらくアレに耐えられたのはこの国だけだ」
この国だけ。アランシアだけ。
その言葉が重く心に染み込んでいく。それじゃまるで、世界の終わりだ……。
「『王は、我々と別れる最後の時まで、国を維持する方法を探していた』」
ルシアン王は日記の一節を読み上げる。声が書庫に響く。
古い木の床が、その声に共鳴するように軋んだ。
「『アヴァロンはすでに滅びた。しかし、王の内に秘めた執念の炎が消えたとは到底思えなかった。私は後世の脅威から、我が国を守らねばならないかもしれない』」
シャルが小さく息を飲む。
その言葉に込められた不安が、私たちの心にも伝わってくる。ランプの炎が揺らめき、文字の影が踊る。
「初代王は、魔導王のことを警戒していたらしいな」
ルシアン王は日記を閉じ、私たちを見つめた。
その瞳には、深い思索の色が浮かんでいる。
「それに、魔導王――マーリンの目的も気になる。彼は『国の維持』を掲げていたらしい」
「黄金郷……アヴァロンのことか」
ゴルドーが静かに問いかける。彼の声には、何かに気づいたような響きがあった。
「それが魔導王の国名か。どうやら君たちにはもう少し話を聞かねばならなそうだ」
「わかった。我々の調査内容を後ほど共有しよう」
「ああ、よろしく頼む。……それにしても、『維持』、か。『再建』ではないのか?」
ルシアンの言葉に、書庫が静まり返る。本の埃っぽい匂いが、張り詰めた空気を包む。
ランプの炎が揺らめき、本棚に長い影を作る。
その影が、まるで生きているかのように動いて見えた。
「その国、アヴァロンは千年前に消滅したんだろう。なのに『維持』なのか?」
「ん? ……言われてみれば、なんか変だね?」
シャルが首を傾げる。その疑問は、私の心にも響いていた。
「浮遊城。世界を白く染め上げる力。そして『維持』という言葉」
ルシアン王は窓の外を見つめた。彼の横顔に、夕暮れの光が差し込んでいる。
そこには、結界に守られた色彩豊かな世界が広がっている。
外の白い世界とは対照的な、生命に満ちた景色。
「これらは一体、何を意味しているのだ……?」
私は頭をひねる……が、わからない。
残念だけど、考察はインテリの二人に任せたほうがいいかも……。
初代王の日記を囲み、ゴルドーとルシアンが話し込む。
私とシャルは段々話に置いて行かれていき、顔を見合わせて苦笑した……。
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