第123話 古代遺跡へ
山道を下りていくと、懐かしい景色が見えてきた。
朝露が輝く草木の間を、小鳥たちが飛び交っている。
緩やかな斜面を這うように広がる畑。
豊かな実をつけた麦が風に揺れ、黄金色の波のように見える。
そして、藁葺き屋根の家々が並ぶラーナの村。
軒先には色とりどりの洗濯物が干され、日常の穏やかさを感じさせる。
「うわぁ、全然変わってないね!」
シャルの声が弾む。本当に、以前と変わらない。
むしろ、畑の作物もそこに生きる人たちも、以前より元気そうに見える。
朝もやの向こうから、子供たちの元気な声が聞こえてくる。
村の入り口に近づくと、作業をしていた村人たちが気づいた。かがんでいた背中を起こし、目を見開く。
「あれ……ミュウ様!?」
「聖女様だ!」
「みんな、久しぶりー!」
次々と驚きの声が上がる。土まみれの手を叩いて埃を払い、私たちに駆け寄ってくる。
シャルは嬉しそうに手を振るが、私は少し戸惑う。
足元の小石を転がしながら、視線を泳がせる……。
(まだ聖女って呼ばれてるんだ……)
以前、村人たちの病と畑を治療したことでそう呼ばれるようになった。
でも、まだそんな風に覚えていてくれるなんて……。まあ、訂正してないからそうなるのも仕方ないか……。
「おや、本当に聖女様ですか」
低い声が響く。村長だ。
いつの間にかすっかり丸い体型になって、温かな笑顔を浮かべている。
その目尻には、優しい笑いじわが刻まれていた。
そして、その後ろには黒い甲冑の男性の姿があった。
朝日に照らされた甲冑が、まるで漆のように艶やかに輝いている。あれは……!
「ゴルドーも喜ぶでしょう。古代遺跡の調査で、ずっとここに滞在しているんですよ」
「ゴルドー! 久しぶりー!」
シャルが駆け寄る。灰色の髪を後ろで束ねた男性――ゴルドーは、困ったように笑った。
厳つい見た目とは裏腹な、柔らかな表情。以前はあまり見なかった顔だ。
黒く輝く甲冑に身を包み、背中には見覚えのある細長いハンマー。
相変わらずの凛々しい顔立ちで、その姿はノルディアスのギルドで見かけたときと変わらない。
「意外な再会だな。まさか、ここで会えるとは」
「そっちこそ! こないだの城の魔物が出たときもいなかったじゃん?」
「ああ。古代遺跡の調査は正式にギルドの依頼扱いになったからな……調査を続けていた」
ゴルドーの声は、以前と変わらず落ち着いていた。
その目には、しかし疑問の色が浮かんでいる。私たちの姿に、何か違和感を覚えたのだろうか。
「村長、少し話をしてもいいだろうか」
ゴルドーの言葉に、村長は頷いた。その丸い顔に、理解の色が浮かぶ。
「ああ、私の家を使ってくれ。同じ冒険者として、積もる話もあるだろう?」
私たちは村長の家へと案内された。
藁葺き屋根の下、懐かしい部屋に入ると、村人たちが次々とお茶やお菓子を運んでくる。
湯気の立つお茶から、懐かしい香りが漂う。そ、そこまでしなくても……。
「で、どうしてここに?」
ゴルドーが静かに尋ねる。
シャルは私の方をちらりと見た。その目には、少しの迷いの色が浮かんでいる。
「うーん、どっから話せばいいのかなー。あっ、そういえばノルディアスってどうなったの!?」
シャルは思い直して立ち上がった。木の椅子がきしむ。
そういえばそうだ。ノルディアスはあのとき、魔界に引きずり込まれた……のかな。
「いや、どうなったというほどのこともない。ただ建物が数棟異空間に引き込まれたが、人間は基本的には無事とのことだ。
そして、お前たちが行方不明になったと聞いている」
「あー、良かった! 魔界まで行ったのはあたしらだけなんだね」
一瞬、部屋の空気が凍る。ゴルドーの目が鋭く光った。窓から差し込む光が、その瞳に反射する。
「魔界……だと?」
私たちは、ここまでの出来事を説明し始めた。
魔界での冒険。イリスとの出会い。
そして最後の戦いで、私の師匠マーリンが「核」を奪って去ったこと。
話を聞くゴルドーの表情が、徐々に厳しさを増していく。
額に深いしわが刻まれ、口元が引き締まる。
「魔導王……マーリン、か。千年前の人間のはずだが」
「そうなんだけどねー。よくわかんないけど、本人っぽかったよ?」
彼は腕を組み、目を閉じた。黒い甲冑が、窓から差し込む光に照らされて輝く。
「実は、俺も気になることがある」
そう言うと、ゴルドーは革の鞄から羊皮紙を取り出した。
何度も折られた跡がある古びた紙。手書きの文字が所狭しと並んでいる。
「遺跡の中で見つけた記述を書き写したものだ。設計図や記録の端々に、マーリンの名が記されている」
私たちは息を呑む。確かに、褪せかかった文字の中に、見覚えのある文字があった。
「あの古代遺跡の製作者……または設計者は、魔導王マーリンなのかもしれない」
ゴルドーの言葉が、重く響く。予想外の繋がりが見え始めている。
「でもさ、ゴルドー。空に浮かんでるあの城……あれってマーリンと関係あるのかな?」
シャルが窓の外を指差す。遠くの空に、まだ浮遊城の姿が見える。
白い雲に縁取られたその姿は、まるで絵画のように非現実的だ。
太陽の光を受けて輝く城壁は、真珠のような光沢を放っている。
「ああ、あの城か……」
ゴルドーも外を見やる。その目には深い思索の色が浮かんでいる。
「正直、見当もつかない。アレが現れたのはおおよそ数刻前だ。各国も戸惑っているようだな」
彼は一度言葉を切り、革鞄から別の紙を取り出した。
時間で黄ばんだその紙には、複雑な魔法陣の図が描かれている。
「遺跡の中で見つけた装置がある。空中に物を浮かせる魔法陣だ。その規模は小さいが、原理は似ているかもしれない。見てくれ、この印の配置を」
「そうなんだ……でも、なんでマーリンはあんなのを?」
シャルの問いに、ゴルドーは首を横に振る。
甲冑がかすかに音を立てる。首元の板金が、光を反射する。
「わからない。だが、おそらく彼が持ち去ったという『核』と関係があるだろうな。あれほどの城を浮かせておくには、相応の力が必要なはずだ」
なるほど、と頷くシャル。私も同じことを考えていた。
マーリンは「自分の国のため」と言っていた。浮遊城は、その「国」なのだろうか。
彼の言葉の意味が、まだ私には掴めない。
「ミュウ、シャル。提案がある」
ゴルドーの声が、真剣味を帯びる。
日差しに照らされた彼の表情には、強い決意の色が浮かんでいた。
「遺跡の調査を手伝ってくれないか。魔導王マーリンのことを知るには、あそこが一番の手がかりになるはずだ
実際のところ、魔導王の情報はほとんど途絶えている。彼の正体を探るためには、それこそ古代の遺跡が最もいいだろう」
「そっか……うん、そうかも」
ゴルドーは窓の外を見た。浮遊城は、ゆっくりと北に向かって移動しているようだ。
その動きは緩慢だが、確実だった。まるで目的地を定めているかのように、一定の方向を保っている。
「あの城は北に向かっているようだ。とはいえ、追う意味はあるまい。あの高さ、アランシアの飛空艇を使っても到底届く高さではない」
「そっか……じゃあ、今はとりあえず遺跡に行こっか? ミュウちゃん」
シャルが私を見る。その目には冒険への期待が輝いている。
私は小さく頷いた。彼女の声には、いつもの明るさが戻っていた。
(確かに、今は慌てても仕方ない。それに……)
私は窓の外を見る。ゆっくりと動く浮遊城。
その姿を見ていると、どこか不安な気持ちになる。
マーリンは何を企んでいるのか。
なぜ「核」が必要だったのか。
そもそも、なぜ千年もの時を生きているのか。
私が修行を受けた時の、あの優しかった師匠は一体……。疑問が次々と浮かんでは消えていく。
「よし、決まりだな」
ゴルドーが立ち上がる。床板がきしむ音が響く。
「遺跡までは少し距離がある。準備を整えてから向かおう」
シャルは勢いよく頷いた。その赤い髪が陽光を受けて輝く。
「うん! あ、村長さん。ちょっとだけ、また世話になっていいかな?」
村長は温かな笑顔を見せる。その表情には、深い信頼の色が浮かんでいた。
「ええ、もちろんです。聖女様とその大切なお仲間ですから」
「もう、照れるからやめてよー!」
シャルの声に、村人たちがにこにこと笑う。明るい空気が、部屋中に満ちる。
窓から差し込む光が、その温かな雰囲気をさらに柔らかく包み込んでいく。
私も思わず微笑んでしまう。こんなに温かく迎えてくれる場所があるのは、やっぱり嬉しい。
私たちは、マーリンの遺した謎を解くため、再び冒険に出ることになった。
(……マーリン。今度は、あなたのことをもっと……)
私は窓から空を見上げ続けていた。遠くには浮遊城がゆっくりと北へと進んでいく。
その影が、私たちの前に広がる未知の冒険を予感させるようだった……。
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