第120話 戦いの終わりと
魔王クロムウェルの亡骸が、無残に床に横たわっていた。
その体は徐々に黒く変色し、やがて結晶へと変わっていく。
玉座の間は、先ほどまでの戦いの痕跡でぼろぼろだ。
天井には大きな穴が空き、壁には無数の傷跡。床には黒い液体が染みついている。
「……よし」
イリスが静かに手を翳す。白銀の髪が魔力の波に揺れる。
すると、壁に埋め込まれていた「核」が光を放ち、イリスの下へと浮かび近付いてくる。
「これで、人間界への転移は止まるはずだ」
彼女の前には、赤く輝く「核」が浮かんでいる。
赤い球体のその輝きは、まるで生きているかのように鼓動を打っていた。
さすがの彼女も、その制御には骨が折れるらしい。額に汗が浮かんでいる。
「とりあえず、これでひとまず全部終わりなのかな? 魔界の騒動とか!」
「ああ。我が魔王を倒したとなれば、次の魔王は我だ。人間界には関わらず、改めてこの世に平和を取り戻すと誓おう。だが」
イリスは言葉を切り、クロムウェルの亡骸に歩み寄る。
「まだ一つ、話しておかねばならないことがある」
彼女はクロムウェルの結晶から、黒曜石の杖を引き抜いた。
先端には、やはり「核」の欠片が埋め込まれている。それを取り出すと、杖は黒い灰となって崩れ落ちた。
(これで「核」は全部……なのかな?)
私は息を吐く。ここ数時間の緊張から解放され、急激な疲労感が襲ってくる。
壁に背をもたれさせ、床にへたり込んでしまった。足が震えている。
(疲れた……。魔界とかもう来たくないなぁ)
不思議と床は温かかった。私が建物に放った回復魔法の余韻なのかもしれない。
「ミュウちゃん! 大丈夫?」
シャルが駆け寄り、私の隣に座り込む。彼女の体温が伝わってくる。
彼女も疲れているはずなのに、シャルの元気な声は変わらない。
「うん」
小さく頷くと、シャルがニカッと笑う。安心したように、私の頭を撫でてくる。
思わずほっとして、目を閉じそうになる。
「休むのはまだだ」
イリスの声が、冷たく響いた。
私は目を開ける。彼女は、「核」を前に立っていた。
その瞳の奥には、何か激しい感情が渦巻いているように見える。
「ミュウ、お前に聞きたいことがある」
イリスが私を見下ろす。
彼女の表情は、先ほどまでの戦いの時より、さらに厳しいものに変わっていた。
(え……?)
私は思わず身を縮める。なんだか、とても怖い。
シャルが、私の手を優しく握る。その温もりが、少しだけ心強かった。
「千年前の記憶……。お前も我と同じビジョンを見たはずだ」
「…………」
イリスはそう言って、真っ直ぐに私を見つめた。私は思わず頷く。
「マーリンという男。魔王を殺し、我を封印した魔法使い。お前は、その弟子なのだったな?」
その名前を聞いた瞬間、私の体が強張る。
シャルの手が、私の手をさらに強く握った。
イリスの声は低く、重かった。その瞳が赤く光る。部屋の空気が一気に張り詰める。
「あの男は、千年前突然現れた。そして魔族を殺し、父を倒し、『核』を奪った」
イリスの声には、かすかな震えが混じっている。
その表情は、忌まわしい記憶を思い出すかのように歪んだ。
「我が覚えているのは、炎と血の風景だけだ」
窓の外の三つの月が、イリスの白銀の髪を赤く染める。
「次々と魔族を倒していく。『核』を奪うため、父の軍を殺していく。
その男の手にした杖は、お前と同じように光を放った。命を奪う光を」
イリスの話を聞きながら、私は強い違和感を覚えていた。
私の知るマーリンとはまるで別人のように。だけど、それはガンダールヴァの記憶の中でも触れた彼の姿だ。
(……でも、マーリンは私に優しく魔法を教えてくれて……)
私は、あの時のことを思い出していた。
山の上の小さな家。そこで、マーリンは私に回復魔法を教えてくれた。
彼の話は分かりやすく、失敗しても決して怒らなかった。
その表情は穏やかで、どこか達観していた。
時折見せる寂しげな表情を見て、何とかしてあげたいと思ったりしたものだ。
でも、イリスやガンダールヴァの記憶の中のマーリンは――
「彼は最後に父の命を奪い、我を封印した。なんの感慨もなく。気にも留めることなく」
イリスの表情が険しくなる。「核」が、彼女の感情に呼応するように明滅した。
「ミュウ。お前はどう思う? あの男の目的は何だ?」
その問いに、私は言葉が出なかった。喉が痛いほど渇いているのを感じる。
「ねえ、イリス」
シャルが、私の手を握ったまま口を開く。その声は、いつもより少し低かった。
「確かにその話聞くとマーリンって怖い人みたいだけど。でもさ、ミュウちゃんが習ったマーリンは優しい人……なんだよね?」
シャルは私の顔を見る。
その目にはいつもの明るさの中に、真剣な色が浮かんでいた。
「だったら、きっと理由があるはず。ミュウちゃんに教えた回復魔法だって、絶対人を傷つけないもの。
そんな大切なこと教えてくれた人が、ただの悪人なわけないよ」
シャルの言葉に、私は小さく頷く。
そう、きっと何か理由があるはずだ。でも――
「甘いぞ」
イリスが冷たく言い放つ。
「千年前、奴は多くの命を奪い、「核」を奪った。それが事実だ。
ミュウ。お前は、本当に奴の真意を知っていると言えるのか?」
その質問に、私は首を横に振る。
マーリンは私に、多くのことを教えてくれた。でも、彼自身のことは何も話さなかった。
なぜ千年前の人物が生きているのか。
なぜ私に魔法を教えたのか。
そして、なぜ「核」を狙ったのか。
それらの答えを、私は知らない。
「ならば考えろ。お前は奴の何を信じている?」
イリスの言葉が、重く響く。
玉座の間に、一瞬の沈黙が訪れた。
(私は――)
マーリンを信じたい。
でも、イリスの語る過去も、確かに事実なのだろう。
その狭間で、私の心は揺れていた。
そんな私の様子を見て、シャルが優しく微笑んだ。
「ねぇミュウちゃん。もし大切な人が何か間違ったことをしようとしてるなら……止めるのも大事だよ」
その言葉に、私は顔を上げる。
シャルは、まっすぐに私を見つめていた。
「人を信じるのはいいこと。でもそれは、その人が間違ってることから目を逸らすことじゃない。
本当に大切な人なら、間違ってる時は止めてあげなきゃ」
シャルの言葉に、私は深く考え込む。
そして――私はゆっくりと立ち上がり、イリスを見つめた。
三つの月の光が、私たちの影を床に長く落としている。
喉が痛い。でも、今は話さなければ。
杖を握る手に力が入る。温かな感触が、勇気をくれる。
「あ……あの……」
「……」
イリスが黙って私を見つめている。その視線が重い……。
私は一度深く息を吸い、言葉を絞り出す。
「マ、マーリンは……私に、いろんなこと、教えてくれて……」
一言一言が重く、喉に引っかかるようだ。でも、これは私の口から伝えないといけない。
シャルが後ろから、そっと背中を押してくれる。その温もりが心強い。
「で、でも……わからないことばっかりだって、知って」
言葉が途切れる。でも、まだ続きがある。
私は再び息を吸い、話を続けた。
「だ、だから……知りたい。マーリンのこと……全部」
イリスの表情が、かすかに動く。
彼女の前で浮かぶ「核」が、私の言葉に反応するように明滅した。
「それに……も、もしマーリンが、間違ってたら……」
言葉が詰まる。一度目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのはかつての彼の顔だ。
でも、今度は必死で絞り出した。
「私が、マーリンを止める……!」
玉座の間に、静寂が落ちる。
月の光だけが、静かに私たちを照らしていた。
イリスはその光の中でしばらく黙っていたが、やがてかすかに表情を緩めた。
「……いいだろう。その覚悟、確かに聞き届けた」
イリスの表情にはどこか安堵の色が浮かんでいる。
私も少し安心した。さっきまでのイリスは、まるで私を敵のように見てたし……。
「正直なところ、お前を仕留めるべきかどうか迷っていた」
「……!?」
「お前の存在がマーリンの策略、という可能性も拭えなかったからな。それくらい警戒して当然だろう?」
そ、それは……まあそうかも。父親を殺した男の弟子が今は味方してくれてるって、よく考えたら怪しすぎるし。
……だからイリスは、四天王を倒したあと私を見てたのかな?
「ねぇ、でもさ」
シャルが不意に口を開く。彼女の声には、珍しく慎重な響きがあった。
「なんか変じゃない? イリスの話だと、マーリンは千年前に『核』を持ってったんでしょ?」
「ああ、そうだ。確かに割れを封印したあと、『核』を頂くと――」
「なのに、なんでまだここにあるの?」
シャルの疑問に、イリスの表情が凍る。
……私も、その矛盾には薄々気付いていた。
記憶の中では、確かにマーリンは「核」を狙い訪れ、「核」を奪うと宣言していたはず。
その「核」がなぜここにあって、クロムウェルが所持していたんだろう?
「もしかして、マーリンが『核』を返したとか? 使い終わったあとで」
「『核』は使い終わるようなものではないぞ……」
「ええー? じゃあなんだろ。うーん、クロムウェルが頑張って奪い返したとか?」
シャルが首を傾げる。その赤い髪が、月の光に照らされて揺れる。
「いいや、それは考えられんな」
イリスは首を横に振った。その表情には、深い困惑の色が浮かんでいる。
「マーリンの力はクロムウェルごときで手に負えるものではない。
考えられるとすれば、マーリンが自ら『核』を戻したか、あるいは……実際には持っていかなかったか、だ」
「持っていかなかった……?」
「我の記憶の最後は、『核』に近付いていくマーリンの姿だけだ。実際に『核』を持ち出したかどうか、確証は持てんのだ」
その言葉に、私たち三人は顔を見合わせる。
疑問は深まるばかりだった。シャルは特に、頭の上に疑問符をたくさんつけている。
「その答えなら、私から説明しようか」
突如として、穏やかな声が響いた。
私の体が強張る。その声には聞き覚えがあった。
ゆっくりと振り返ると、そこには――。
「やぁ、久しぶりだね。ミュウ」
その声の主は、白いローブを着た、白髪の人物だった。
まるで最初からそこにいたかのように、玉座の間の隅に佇んでいる。
「いつか君と私の道は重なるかもしれない……と、あの時言ったけど。案外早かったものだ」
「マーリン……!」
イリスの声が響く。その表情には、明らかな敵意が浮かんでいた。
彼女の前に浮かぶ「核」が、マーリンの出現に反応するように激しく明滅する。
「そんな怖い顔をしないでくれないか、イリス。説明くらいはさせてもらおう」
マーリンは、まるで昔からの知人に話しかけるような気さくさで語りかける。
しかし、その目は静かに「核」を見つめていた。
「千年前の話をしようか。君のお父さん、つまり先代魔王はね、『核』の力を魔族たちに分け与えていた」
マーリンは杖を手に、ゆっくりと歩き出す。その一歩一歩が、重く響く。
「それは確かに素晴らしい理想だった。でも、私にとっては都合が悪かった」
杖を支えにしながら、マーリンは続ける。その表情には、かつて私に魔法を教えていた時のような穏やかさがあった。
「だってそれじゃ、『核』の力が分散しすぎちゃうだろう? 私が欲しい量の力が得られない」
「な……」
イリスと私は言葉を失う。……これが、私の知るマーリンなの?
シャルが、私を守るように前に立つ。
「だから私は考えた。『核』の力を独り占めするような、欲深い魔王を作ればいい。そうすれば力は一箇所に集中する」
マーリンは淡々と語る。まるで、天気の話でもしているかのように。
「クロムウェルのことか? まさか、奴も貴様の……」
「そう。彼の台頭も、私の計画の一部さ」
マーリンは微笑む。その笑顔は優しく、それなのに私の背筋が凍る。
「彼なら必ず人間界に進出しようとする。そうすれば世界は繋がり、私が労せず再びここを訪れられる。
そして『核』の力は強大になり、私の目的に相応しいものになる」
「では、貴様は初めから……!」
「そうだよ。全て計算通りさ。クロムウェルの野望も、世界の混乱も」
マーリンの言葉に、イリスは目を見開く。
……そんな。魔王を殺しただけじゃなくて、その後の混乱まで彼の計画、なんて。
「クロムウェルくんの役目は終わった。後は、私がエネルギー満タンの『核』をいただくだけさ」
その言葉と共に、マーリンの杖が光を放つ。
それは、私の回復魔法とは違う、冷たい輝きだった。
「させないよ!」
シャルが剣を構える。黄龍の勾玉が光を放ち、雷が剣を包み込む。
「……マーリン」
私は小さく呟く。手が、内側からくすぐられるように力が抜けそうになる。
だけど、強く力を入れる。杖の硬い感触が伝わってくる。
「さっき、私……言ったよね。マーリンが間違ってたら、止めるって」
マーリンは面白そうに私を見る。その目には、かつての師の優しさと、何か別のものが混ざっていた。
「そうだね。だから私からも言っておこう」
彼は杖を掲げる。その先端から、冷たい光が放たれる。
「邪魔をするなら、例え教え子でも容赦はしない」
玉座の間に緊張が走る。
それは魔王のものよりも、遥かに大きなプレッシャーだった。
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