第119話 魔王クロムウェル(後編)
「フフフ……フハハハハ……! これこそが魔王の力よ!」
クロムウェルの狂気じみた笑い声が、玉座の間に響き渡る。
彼の手には黒曜石でできた杖。その先端に埋め込まれた「核」の欠片が、不気味な赤い光を放っている。
まるで生き物の体液のような粘性を帯びた光が、空気を歪ませていく。
窓の外には三つの赤い月。
その光を受けて、クロムウェルの姿がより一層おぞましく見える。
彼の肌は透き通り始め、血管が浮き上がっているのが見えた。
「クロムウェル! その力は貴様のものではない!」
イリスの声が玉座の間に響く。
いつもの落ち着いた様子とは打って変わり、彼女の声は怒りに満ちていた。
白銀の長い髪が宙に舞い、四天王から吸収した力が彼女の体の周りで渦を巻いている。
「フハハハハッ! それを決めるのは魔王だけだ!」
クロムウェルの声が甲高くなる。その姿が徐々に歪み始めていた。
優美な容姿は崩れ、肌の下で何かが蠢いているのが見える。き、気持ち悪い……。
床に描かれた魔法陣が赤く輝き、その光が壁を這い上がっていく。
「お前たち人間も、イリスも、この『核』の力の前では無力だ! これこそが本来の魔王の力なのだ!」
「うるさいなー! 借りパクしてる力で偉そうに!」
シャルの声が響く。彼女の手には、雷を纏った大剣。
黄龍の勾玉の力で呼び出された雷が、剣の周りで跳ね、空気を震わせている。
「しかし、こういう悪役ってなんでこう長々と喋るかなー。ミュウちゃんを見習うべきだね!」
(私は短く済ませてるとかじゃなくて喋れないだけなんだけど)
シャルの軽口に、思わず苦笑してしまう。でも、彼女のこういうところはなかなか心強い。
そんな私たちのやり取りに、クロムウェルの表情が歪んだ。
「核」の光が強まり、その体がさらに変貌を遂げ始める。
「貴様ら、この私を愚弄するか……! 魔王たるこの私を!」
「フン。四天王ももはや消えた。貴様を魔王と見なすものなどもはやおらん!」
「何だとォ……!」
彼の右腕が膨れ上がり、黒い鱗に覆われていく。
指先は鋭い爪となり、肘からは骨のような突起が生えている。
左目が爛々と輝き、その周りの皮膚が溶けていくように剥がれ落ちる。見ているだけでなんか、気分が悪くなるぅ~。
「見よ! これこそが真の力だ!」
クロムウェルが杖を掲げると、玉座の間全体が揺れ始めた。
壁に埋め込まれた「核」が共鳴するように明滅する。その度に、部屋の空気が重くなっていく。
「何という醜さだ、クロムウェル。下級の魔族でもそこまで醜くはなるまい」
「き……! 貴様ァァ!」
イリスの挑発に対し、クロムウェルの体からさらに強い光が放たれた。
まるで血のような色の魔力が彼の体から噴き出していく。
「この私こそが、魔界を統べる者! その証を、今ここで示してやろう!」
轟音と共に、クロムウェルの体が大きく膨れ上がる。
その姿は、もはや人の形を完全に失っていた。
クロムウェルの体が、まるで溶けるように膨張していく。
黒い体液のようなものを噴き出しながら、その姿は醜く変貌していった。
「グォォォォォ……!」
人の言葉とは思えない咆哮が、玉座の間に響き渡る。
クロムウェルの変貌した姿は、優に4メートルはあるだろう。
全身が黒い鱗で覆われ、背中からは無数の触手が生えている。
頭部には赤く光る一つ目のように、「核」の欠片が埋め込まれていた。
「理性すら捨て去ったか、獣め」
イリスの声が冷たく響く。その目は厳しく光っていた。
「ちょっとちょっと、あんた魔王なんでしょ!? なにその姿!?」
シャルが剣を構えながら叫ぶ。
彼女の剣に纏わりついた雷が、部屋を明るく照らしていた。
「グルル……我こそが……真の支配者……!」
クロムウェルの声は低く轟く。その口からは黒い液体が垂れ、床を腐食させていく。
床に描かれていた魔法陣が歪み、床に穴が空き始める。
(これ、まずいかも……)
私は床の穴を食い止めようと、急いで杖を向けた。
回復魔法の光が床を包み、なんとか崩壊を防ぐ。
「グァァァァ!」
クロムウェルが触手を振り回す。その一撃で、柱が何本も粉々になった。
「危ないっ!」
シャルが私の体を抱き寄せ、攻撃をかわす。
彼女の腕の中で、私は小さく息を呑んだ。間一髪だ。
「この間抜けどもが! 我が力の前ではすべてが蟷螂の斧!」
クロムウェルの声が響く。その言葉には、かつての貴族然とした話し方が残っていた。
しかし次の瞬間、彼は再び獣のような咆哮を上げる。
「滅びよ! すべて、この世界もろとも!」
触手が次々と伸び、天井や壁を破壊していく。
玉座の間が激しく揺れ、天井から砕けた石が降ってくる。
「くっ! シャル、援護を!」
イリスの声に応え、シャルが剣を振るう。
雷光が閃き、クロムウェルの触手を両断する。切断面から黒い液体が噴き出す。
「このぉ……! 人間風情が我が肉体を!」
クロムウェルの背中から新たな触手が生え、切断された分を補っていく。その数はどんどん増えていった。
「ちょっと! いくら切っても増えてくんだけど!」
「く、これは……」
イリスが目を細める。クロムウェルの体が、さらに膨張を始めていた。
その姿は、もはや玉座の間に収まりきらないほどの大きさになっている。
「我こそは万物の支配者! この力、この世界、全てを我が物としようぞ!」
クロムウェルの狂気の叫びと共に、壁に埋め込まれた「核」が強く明滅する。
それに共鳴するように、頭に埋め込まれた「核」の欠片も輝きを増していく。
(やば……なんか共鳴してる?)
私は急いで床と壁に回復魔法を放つ。このままでは、玉座の間が完全に崩壊してしまう。
イリスは四天王の力を使い、雷や氷、炎を放ちクロムウェルの暴走を止めようとする。
シャルは雷を放ちながら、増え続ける触手を両断し続けていた。
しかし、クロムウェルの暴走は止まらない。
「核」の力は、彼の理性を完全に奪い去っているようだった。
その時、クロムウェルの体から赤い光が噴き出す。
まるで血管が浮き出たように、赤い筋が彼の体中を覆っていく。
「グオオオオォォォッ!」
クロムウェルの咆哮が、玉座の間を震わせる。
制御を失った「核」の力が、赤い光となって噴き出していく。
「これは……力の暴走か! チッ、己の力の制御すらもできんのか!」
イリスが叫ぶ。彼女の白銀の髪が風に舞い、その表情には焦りの色が浮かんでいる。
私は必死に床や壁に回復魔法を放ち続ける。
でも、建物の崩壊を食い止めるのが精一杯で、なかなか二人の回復までできなくなってしまっている……。このままでは埒が明かない。
「ミュウちゃん! ちょっと『核』とかいうやつ見てみて!」
「……!?」
シャルが突然声をかけてくる。いつもの調子の良い声だ。でも、その目は真剣そのもの。
「あの赤いの、たぶん暴走してるんだよね! それなら、ミュウちゃんなら――」
シャルは言葉を切り、大きく息を吸う。
「『核』を制御できるかもしれないよ!」
「……!」
私は気付き、小さく頷く。確かに、「核」から放たれる力は暴走している。
私の回復は通常状態にないものを戻す力。なら、制御できる可能性もある。
「待て、危険すぎる! 『核』に触れれば――」
「イリス! 後ろで支えててあげて!」
シャルはイリスの制止の声も聞かずに、クロムウェルに向かって駆け出した。
「はぁっ!」
シャルの剣から雷が放たれる。
青い光が、赤く染まった空間を切り裂いていく。
「グアァァ!」
クロムウェルが触手を振り回す。しかし、シャルはそれを巧みにかわしていく。
その姿は、まるで舞うよう。赤と青の光の中で、彼女の動きが一際輝いて見えた。
「よし、ミュウちゃん! 今のうちに『核』に魔法を!」
シャルの声に応え、私は杖を構える。まるで呼応するように、杖が温かみを帯びる。
目指すは、壁に埋め込まれたあの「核」。
「仕方があるまい。……我も援護しよう!」
イリスが指を鳴らすと、黒い渦のようなものが空中に現れた。
それらは赤い触手に纏わりつくと空間に固定し、次々と押さえ込んでいく。
「この虫けらが……! 我が力に逆らうとは!」
クロムウェルの叫び声が響く。それはもう、人間の声ではなかった。
触手が次々と生え、イリスの拘束を振り切ろうとする。
シャルは雷を纏った剣で、一本、また一本と触手を切り落としていく。
切断面から黒い液体が噴き出すが、それすら雷で焼き切られていった。
(状態異常回復魔法……!)
青白い光が、「核」の欠片を包み込む。
それは、暴れる獣を鎮めるようにゆっくりと、赤い光を弱めていく。
「……っ!? か、体が……鈍いッ……!?」
「よし! 今度はあたしの番だよ!」
シャルは巨大化したクロムウェルの体を駆け上がり、胸に向かって剣を突き立てた。
黄龍の勾玉の力が、その肉体の奥深くを貫いていく!
青い雷と、赤い光が交わる。
その瞬間、まるで時間が止まったかのような静寂が訪れた。
そして――
「ゲブァァァァァッ!?」
クロムウェルの体から大量の黒い液体が溢れ、異形の力が急速に失われていく。
触手が萎れ、鱗が剥がれ落ちる。その姿が縮んで、人の形に戻りつつあった。
「シャル! 今だ!」
「くっ……我が力が、我が力がぁぁ!? なぜだ、なぜ『核』の力が消える……!?」
クロムウェルの叫び声が響く。その姿は元の人の形に戻りつつあった。
先ほどまでの威圧感は消え、ただの狂った若い男のように見える。
「今だ! シャル!」
イリスの声に、シャルは大きく頷いた。彼女の赤い髪が風に揺れる。
その目には、決意の色が宿っていた。
「了解! 最後のとどめ、いっくよー!」
シャルが剣を構え直す。その表面を雷が走る。
私はその姿を見守りながら、建物の崩壊を食い止める魔法を放ち続ける。
「グルル……貴様ら、この私を倒すというのか!?」
クロムウェルは威嚇するように吠える。しかし、その声には先ほどまでの力強さはない。
彼の体からは、時折赤い光が漏れ出しているが、それはもう制御を失った力の残骸でしかなかった。
「巨竜の雷ッ!」
シャルの声が玉座の間に響き渡る。
剣に纏われた雷が眩い光を放ち、その姿は巨大な黄金の竜となって現れた。
「なっ……!」
クロムウェルの目が見開かれる。その表情には、明らかな恐怖の色があった。
黄金の竜は、まるで本物のように吠えた。
その雄叫びと共に、巨大な雷がシャルの剣に集まっていく。
「はぁぁぁっ!」
シャルが剣を振り下ろす。眩い光が玉座の間を包み込んだ。
巨大な雷が、クロムウェルを直撃する……!
「ぐあああああああああっ!」
クロムウェルの悲鳴が響く。雷に打たれた彼の体が、大きく揺らめいていた。
空気が震え、窓から見える三つの赤い月さえも、一瞬かすんで見えるほどの光だった。
やがて光が収まる。そこには、あちこちが黒く焦げ、倒れ伏したクロムウェルの姿があった。
「ぐ、う……ば、ばか、な……」
「……まだだ」
イリスの声。彼女は四天王の力を纏い、クロムウェルに歩み寄る。
その手には、どこからか取り出した短剣が握られていた。
「イリ、ス……貴様……!?」
クロムウェルが憎しみの籠もった目でイリスを見つめる。
その表情には、かつての優雅な貴族の面影は微塵もない。
「千年前、貴様は父上を裏切った。そして私欲から魔界を我が物とした」
彼女の声には感情が込められていない。それは、ただ事実を述べているだけのようだった。
「故に、罰をくれてやる。それだけのことだ」
「待て! イリス! 私は――」
クロムウェルの言葉は、その胸を貫いた短剣によって途切れた。
彼の目が大きく見開かれる。
「さらばだ、偽物の王よ」
イリスの無慈悲な言葉と共に、クロムウェルの体が崩れ落ちる。
それは、まるで千年分の疲れが一気に押し寄せてきたかのようだった。
「……終わったみたいだね!」
シャルが、ため息のように呟く。雷を放った剣を下ろし、肩で大きく息をする。
疲労の色が、彼女の表情に浮かんでいた。
(うん。これでひとまず魔界は、平和になる……のかな)
私も小さく頷く。魔界に穏やかな風が吹き始めたような気がする。
三つの赤い月の光も、今は少しだけ優しく感じた。
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