第118話 魔王クロムウェル(前編)
砕けた重厚な扉。その隙間を潜り抜けて、私たちはついに魔王城に侵入した。
その先には、深い紫紅色の絨毯が広がっていた。
絨毯の端には金糸で魔界文字が織り込まれ、歩くたびに微かな光を放つ。
壁には等間隔で髑髏をあしらった燭台が並び、青白い炎が揺らめいている。
天井からは黒い鉄で作られた巨大なシャンデリアが幾つも吊るされ、その先端には人の形をした像が逆さまに取り付けられていた。
像は苦悶の表情を浮かべ、まるで生きているかのよう。
部屋の隅には黒檀の棺が積み重ねられ、その表面には血のような赤い模様が描かれている……。
その奥には、螺旋状に上る階段が広がっていた。
クリスタルの明かりに照らされた通路は、まるで龍の背骨のように続いている。
階段の手すりは黒い鉄で作られ、冷たい輝きを放っていた。
「さあ、クロムウェルのところまで一直線――っ!?」
シャルの声が途切れる。収まっていた振動が再び起こり、床が大きく揺れ始めたのだ。
「あっ! ちょっ、階段が!?」
その時、私たちの目の前で階段が崩れ落ち始める。
まるでドミノ倒しのように、一段、また一段と崩壊していく。その音が、城内に轟く。
崩れ落ちる石材が粉塵を巻き上げ、視界が白く霞んでいく。
(うわああ、煙い……!)
「くっ、登らせぬつもりか! だがそうはいかん!」
イリスが素早く詠唱を始める。紫色の光が足元に広がり、魔力で作られた四角形の足場が現れる。
その表面には複雑な魔法陣が浮かび上がり、かすかに脈動している。
「乗れ!」
イリスに促され、私たちは急いでその上に飛び乗る。
それは空中を滑るように動き、崩落する階段を避けながら上へと登っていく。
足元では魔法陣が明滅し、その光が私たちの顔を青白く照らす。
(あ、足場グラグラしすぎ……! 落ちる……!)
「クロムウェルめ……!」
私は必死に座り込んでなんとか落ちないように姿勢を安定させる。
イリスはそんな私の状況は特に気にせず、高速で足場を動かしていく。
イ、イリスもシャルも、どうしてこれで立ってられるの……!
『……ようこそ、姫様』
突如、クロムウェルの声が城内に響き渡る。
その声は低く、どこか品のある響きを持っていた。まるで高貴な教養人のような口調だ。
『まさかヴェグナトール……あの邪龍の助けがあるとは。さすがに想定外だった』
「クロムウェル! 貴様、逃げられると思うなよ!」
イリスが叫ぶ。彼女の声は、怒りに震えている。
『どうだろうな。少なくとも無傷で玉座に辿り着かせるような真似はせんぞ。私は先代のような愚かな魔王ではないのでな!』
その声には焦りが混じっている。余裕を装いながらも、明らかに動揺しているのが分かった。
シャンデリアの青い炎が不規則に揺らめき、壁の影が歪んで踊る。それらを高速で見送りながら、私たちは上へと飛んでいく。
「父上の側近だった貴様が、何故そうまで魔王の挟持に背く!」
イリスの問いかけに、クロムウェルの声が歪む。
『側近? ああ、確かにそうだ。遠い血筋とはいえ魔王の血を引く私は、陛下の側近として仕えていたさ』
その声は次第に苛立ちを帯びていく。まるで千年の重みを一気に吐き出すかのように。
『しかし! あの時、マーリンが攻め込んできた時、私は……私は!』
クロムウェルの声が震える。その中には、深い後悔と憎しみが混ざっていた。
「逃げ出したのだったな。リリアンの奴と同様だ。臆病者どもめ」
イリスの言葉に、クロムウェルは一瞬黙り込んだ。その沈黙は重く、城全体が息を潜めたかのよう。
『……そうとも、私は逃げた。陛下を見捨て、お前を見捨て、ただただ生き延びることだけを考えた。
そして気づけば、魔界は混乱の渦中にあったのだ』
クロムウェルの告白に、城内が静まり返る。その声には、かつての高貴さは微塵も残っていない。
『次期魔王たるイリスも封印され、魔界は群雄割拠の状態になった。
このままでは魔界は滅びる。それ故に私は、血筋を理由に魔王を名乗ることにしたのだ』
「……最初は魔界の秩序維持のためだった、と?」
イリスの声は冷たかった。どこか嘲るような、責める声色だ。
『だがねぇ! 魔王というのは実に魅力的だ。魔力も秩序も私の思うがままに動かせる!
こんなものを誰かに譲ることなどできるはずがない。貴様は目覚めるべきではなかったのだ!』
「権力欲に取り憑かれたか。憐れに肥え太った豚が!!」
『消えろ、正当なる魔王の血筋よ! そうすれば、もう誰も私を脅かすことはできない!』
その声には狂気が混じっていた。かつての優雅な響きは消え、ただ権力への渇望だけが残っている。
城内の装飾すべてが、その狂気に共鳴するように震え始めた。
『この城もろとも! 助っ人の人間もろとも消えるがいいわ!』
クロムウェルの声と同時に、城全体が揺れ始めた。
シャンデリアが不規則に揺れ、青い炎が不気味な影を壁に投げかける。
天井から大きな石材が降ってくる中、私たちはなんとか崩落した階段を登り切る。
落下する石材は、まるで雨のように容赦なく降り注ぎ、遥か下の床に当たって砕け散る。その音が、城内に寒々しく轟く。
「ここで一旦足場を解除する。あとは廊下を進めば玉座だ」
イリスがそう言うと、私たちの乗っていた魔力の足場が消える。
紫色の光が薄れ、私たちは石造りの廊下に降り立った。
(ええ……は、走らなきゃだめ? そのまま飛んでいけばよかったのに……)
その瞬間、廊下の両側に並ぶクリスタルが一斉に赤く染まった。
異様な光が通路を照らし、不吉な予感が背筋を走る。
すべてのクリスタルが警報を発するかのように明滅し、その光が私たちの影を歪めていく。
「ミュウちゃん、気をつけて! なんか来る!」
シャルの警告と同時に、天井から無数の槍が落ちてくる。
黒い鉄で作られた槍の先端は、月光を受けて不吉な輝きを放つ。
さらに床からは毒々しい棘が突き出してきた。
その棘は深い紫色で、先端から緑色の液体が滴り落ちている。
「うわーっと!?」
シャルは私を抱えつつ剣を振るって槍を弾き、イリスは魔力の盾で棘を防ぐ。
金属が衝突する音と、棘が砕ける音が重なり合う。しかし、その罠は序章に過ぎなかった。
「廊下が……!」
廊下の床が、まるで生き物のように蠢き始める。石材がひび割れ、崩れ落ちていく。
その振動は、まるで波のように私たちに迫る。
ひび割れた床からは黒い煙が立ち昇り、空気が重たく歪んでいく。
「このままでは城が崩壊する! 貴様、自分の城を潰す気か!」
『人間界転移が成功すれば、この城など要らんわ! お前たちもろとも、瓦礫の山にしてくれる!』
シャルが剣を構える。その刀身に雷が走る。青白い光が廊下を照らし、彼女の赤い髪が風になびく。
「なら、ぶっ飛ばして道を作るしかないでしょ!」
「待て! 城の構造に関わる場所を破壊すれば、城全体が崩れかねん!」
イリスの制止の声。私も確かにその通りだと思う。
城を支える柱や梁を壊してしまえば、クロムウェルの思う壺だ。
(でも、このままじゃ進めない……!)
眼前で崩れていく床。石材が砕け散り、黒い深淵が私たちを飲み込もうとしている。
後ろを振り返れば、階段も既に崩れ落ちている。前も後ろも、壊れていて進めない……!
――その時、私の脳裏に一つの考えが浮かぶ。
(そうだ……!)
私は杖を構え、大きく息を吸う。杖の先端の水晶が、かすかな光を放ち始める。
「どしたのミュウちゃん!?」
シャルが驚いた声を上げる。
それしかない。建物だって、今は傷ついているんだ。だったら、治せる……!
「ま、まま……任せて!」
私は目を閉じ、集中する。建物を治す……いつもの回復と同じ要領で。ただ、今までより遥かに大きな範囲を。
杖が温かみを帯び、魔力が全身を巡るのを感じる。
「超広範囲、回復魔法……!」
杖から青い光が溢れ出す。
その光は波紋のように広がり、崩れかけた廊下を包み込んでいく。
光は生命力そのものの具現化のように、優しく建物を包み込む。
ひび割れた石材が元の形に戻り、床に開いた穴が塞がっていく。
まるで時が巻き戻るように、破壊された部分が修復されていった。
砕けた石が寄り集まり、断裂した床が繋がり、壊れた装飾品が元通りになる。
「す、すご……!」
シャルの感嘆の声。確かに、私も驚いていた。建物の回復はたしか初めての試みだったから。
「ミュウ……貴様の力は、本当に底が知れんな」
イリスが感心したように呟く。その声色には、少し呆れたような色も混じっていた。
「行こ! これなら普通に進めるっしょ!」
シャルの言葉に頷き、私たちは修復された廊下を駆けていく。
クロムウェルの罠は次々と発動するが、その度に私が回復魔法で「罠の発動状態を回復」……つまり、動かなかったことにする。
剣で切り裂くでも、魔力で破壊するでもない。ただ、傷ついた場所を治していく。
それが、結果的に最も確実な突破口となったみたいだ。
破壊と再生が交錯する中、私たちの道が開かれていく。
その光景は、まるで私たちを導くかのよう。
青い光の道筋が、魔王の玉座へと私たちを運んでいく――。
資格
廊下の先に、巨大な扉が見えてきた。
薄暗い通路とは打って変わり、この扉だけは煌々と輝いている。
扉の周囲には無数のクリスタルが埋め込まれ、その輝きは虹色に変化していく。
「ここが玉座の間だ。我が座るべき、魔王の部屋だ……!」
イリスの声には強い怒りと緊張が込められていた。
扉の表面には龍と魔王の戦い……っぽい絵が彫り込まれ、その彫刻は今にも動き出しそうな生命感を湛えている。
龍の鱗一枚一枚まで克明に描かれ、魔王の纏うローブは風に翻るように彫られている。
「さあ、開くぞ!」
シャルと私はイリスの両脇に並ぶ。三人で扉に手をかけ、一気に押し開く。
……たぶん私は腕力的にほとんど押せてないんだけどね!
ともかく、そこに現れたのは魔王の玉座の間。
天井まで伸びる巨大な窓からは、三つの赤い月が不気味な光を室内に投げかけている。
その光は床に描かれた魔法陣を照らし、複雑な模様が浮かび上がっている。
玉座に腰掛けるクロムウェルは、予想以上に若々しい魔族だった。
むしろ整った顔立ちで、それなりに端正な印象。ただその目は、どこか狂気を湛えている。
長身でありながら優雅な雰囲気を纏い、黒いローブの裾が床に広がっていた。
ローブの端には金糸で魔界文字が刺繍され、その文字が月光を受けて淡く輝いている。
……そして玉座の背後の壁に、それは埋め込まれていた。
大きな赤い球体。その中で、まるで生き物のように魔力が渦巻いている。
赤く輝くその光は、クリスタルの光とも月の光とも違う、生命そのものの輝きだった。
その球体の周りには幾何学模様が刻まれ、魔力に反応して明滅している。
あれが『核』――魔界の根源的な力とされるもの。
「ようこそ、姫様。そして人間たちよ」
クロムウェルは立ち上がる。その動作には気品があり、かつて側近だった頃の教養が窺える。
玉座からの一歩一歩が、まるで舞踏のように優雅だ。
「随分と苦労をかけたようだな。城を破壊しようとしたが、まさか回復されるとは」
「クロムウェル。『核』を返上しろ」
「申し訳ないが、それは叶わぬな。人間界転移まであと二分。貴様らには、ここで消えてもらう」
そう言うと、クロムウェルは杖を抜いた。
黒曜石で作られた杖の先端には、『核』と同じ赤い球体が埋め込まれている。
その表面には無数の傷が刻まれ、魔力を制御する印が浮かび上がっていた。
「『核』の一部を保有している限り、貴様らに負ける心配などない。クッ、クハハハッ!」
クロムウェルの体が、赤い魔力に包まれる。
その威圧感は尋常ではない。魔力の渦は部屋中の空気を歪め、呼吸すら困難になるほどの圧力を放っている。
「これが……『核』を取り込んだ力だというのか」
「人間界転移が始まっちゃう前に、アレを止めなきゃ!」
シャルの剣に雷が走り、私も杖を構える。
クロムウェルは笑みを浮かべたまま、魔力を纏った右手を私たちに向ける。
その手から立ち昇る赤い霧が、蛇のように蠢いている。
「滅びよ。さらばだ、正統なる血筋よ!」
赤い魔力の光線が放たれる。それは、まさに破壊の光そのもの。
「くっ!」
イリスが両手を突き出し、紫色の盾を展開。二つの力が衝突し、大広間に閃光が走る。
まるで稲妻のような光が部屋中を駆け巡り、窓ガラスが轟音と共に振動する。
「見ろ! この力こそが真の支配者に相応しい力! 魔界の『核』はこの私のものだ!」
クロムウェルの狂気の笑いが響く中、私はイリスのバリアの回復を続ける。
彼の瞳の炎が激しく揺らめき、その顔には歓喜の色が浮かんでいる。
「『核』の魔力は魔界の民のもの。貴様が独占していいものではない! 何故それがわからぬ!」
「そう言って力を散らしていたがゆえに、先代魔王は勇者マーリンに討たれた!
今の私であれば、そのような無様な不覚を取るはずもないッ!」
「貴様ごときが父上を侮辱するか!」
怒りとともにイリスのバリアが拡散し、光線を弾き、押し返した。
轟音が鳴り止み、静かにイリスとクロムウェルが睨み合う。
二人の間に漂う魔力が、空気を重く歪めている。
「誅殺のときだ。その大罪、真の魔王たるこのイリスが裁いてくれる!」
「真の魔王クロムウェルに逆らう愚か者が!」
互いに魔王を名乗る戦い。その火蓋が切って落とされた……!
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