第116話 魔王城攻城戦
魔王城の前で、私たちは立ち尽くしていた。
超強力なバリアが城を覆い、その表面に不気味な文様が浮かび上がっている。
まるで生きた蛇が這い回るような……いや、実際に蠢いているのかもしれない。
光の具合によってはうねうねと動いて見える。
城の壁に生えたクリスタルが不規則に明滅を繰り返し、その光が文様をより一層不気味に照らし出す。
キィン、キィンという共鳴音が耳に突き刺さる。
「クソ……あるいは、古の言霊を用いれば突破できるかもしれん」
イリスの呟きが、重たい空気を震わせる。
まるで水銀のように粘り気を帯びた空気が、彼女の声に反応して波紋を描く。
彼女の周りには既に魔力の渦が巻き始めていた。
暗紫色の霧のような魔力は、まるで生き物のように蠢いている。
その渦は時折人の顔のような形を作り、すぐに消えていく。す、すっごい禍々しい……!
「だが、それには時間がかかる。詠唱中は我の魔力も意識も、全てを集中させなければならない」
イリスの言葉に、シャルが力強く頷いた。
剣を抜く音が鋭く響く。彼女の赤い髪が、魔力の風に煽られて揺れる。
「任せて! あたしが守るから!」
「……私も」
私も杖を構える。ヒールの準備はできている。
杖の先端の水晶が、周囲のクリスタルと共鳴するように淡く光る。
回りには相変わらず、クリスタルが不気味な光を放っている。
その輝きは魔力に反応して、より強くなっているように見える。
イリスが詠唱を始める。彼女の声は低く、どこか古めかしい響きを持っていた。
その言葉の一つ一つが、空気を震わせクリスタルを共鳴させる。
音と光が織りなすハーモニーは、美しくも不気味だ。
「黒き森。その深き眠りより目覚めし者よ――」
イリスの周りの魔力の渦が、さらに強くなる。
風が渦を巻き、私たちの髪を激しく揺らす。
「地の底より湧き上がる力を、我が身に宿す――」
空気が重くなり、呼吸が苦しくなってくる。まるで水中にいるような感覚。
クリスタルの明滅がさらに激しくなり、キィンキィンという音が断続的に響く。
その音が頭に突き刺さるように痛い。音が重なり合い、不協和音を奏でる。
……そして。
「あらあら、なにかしら? そんな古臭い魔法使うつもり?」
甘ったるい声が響き渡る。と同時に、気温が一気に下がった。
その声は蜂蜜のように甘く、毒のように危険な響きを持っている……。
息が白くなり、地面に薄っすらと霜が降りる。クリスタルの表面にも氷が這い始めた。
「……っ!」
思わず声が漏れる。空中に浮かんだ氷の結晶の中から、リリアンが姿を現した。
氷の結晶は万華鏡のように光を屈折させ、彼女の姿を幻想的に照らし出す。
……相変わらずの露出度の高い衣装、ほとんど裸なその姿に私は思わず目を逸らす。
「あら、この子ったらまた目を逸らしちゃって。そんなに恥ずかしいの? ふふ、可愛いわぁ」
リリアンの声が近づいてくる。ヒールの音が、凍った地面でカツカツと鳴る。その音が不規則な間隔で響く。
彼女の体からは甘い香りが漂ってきて、それだけで私の頬が熱くなる。
バラの香りに似ているが、どこか果物のような甘さを含んでいる。
「ちょっと、今忙しいの! 来るな!」
シャルが私の前に立ちはだかる。彼女の声には強い警戒心が滲んでいた。
剣を構える手に力が入り、刀身が微かに雷を帯びる。
「まぁ、随分と威勢がいいですわね。でも残念、今回は詠唱中の魔王様の邪魔をしに来たんですわ」
リリアンの声には余裕がある。その唇が不敵な笑みを浮かべ、艶めかしい仕草で髪をかき上げる。
氷の結晶が彼女の動きに合わせて舞い、幻想的な光の粒を散らす。
「させないっての!」
「おおっと――」
リリアンは空中に浮かび、シャルの攻撃を軽々とかわす。まるでダンスのように優雅な動き。
氷の結晶が彼女の周りで舞い、まるでショーのように美しい光景を作り出していく。
光の屈折が、虹色の輝きを放つ。
一方、イリスの詠唱は続いている。彼女の声は魔界の重い空気を震わせ続けていた。
「我が血に眠る古の力よ、目覚めの時は来たれり――」
その声が響くたび、クリスタルが大きく明滅する。
イリスの周りの魔力は既に、見える形となって渦を巻いていた。
その渦は徐々に強くなり、私たちの髪を乱暴に揺らす。
渦の中には時折、得体の知れない影のようなものが見え隠れする。
(イリスの詠唱、あとどれくらい……?)
私はイリスを見やる。彼女の表情は厳かで、完全に詠唱に集中している。
瞼は閉じられ、その長い睫毛がわずかに震えていた。
額には汗が浮かび、それは魔力の光を受けて真珠のように輝いている。
魔王城が放つ振動はますます強くなっている。いつアレが消えてしまうか、気が気でない。
城壁のバリアは相変わらず蛇のように蠢き、その動きは次第に速くなっているように見える。
「ふふ、気が散るでしょう? こんな風に――邪魔されたら!」
リリアンが指を鳴らすと、無数の氷の結晶が宙を舞う。
それはまるでダイヤモンドのように美しく、光を乱反射させながら、イリスに向かって飛んでいく。
それぞれの結晶は六角形の完璧な形を保ち、その中に複雑な模様を映し出している。
「させないよ!」
シャルが剣を振るう。剣筋に雷が走り、氷の結晶を粉々に砕いていく。
砕けた氷は光の粒となって、魔界の空に消えていった。
シャルの攻撃はリリアンには通じていなかった。
攻撃を避けながら、彼女は余裕の表情を浮かべている。
踊るように氷の結晶の上を飛び回り、時折投げキッスをしながら挑発してくる。
その動きは優雅で、まるでアイスショーの主役のよう。
結晶は彼女の足跡を追うように次々と生まれては消えていく。
「もう、そんなに攻撃しちゃって。でも無駄ですわよ。防戦のあなたじゃわたくしには傷一つつけられませんわ」
リリアンの言葉通り、私たちは彼女に傷一つ負わせられていない。
その艶のある白い肌には、汗一つかいていない。
シャルはイリスから離れられず、あくまで攻撃に対して迎撃するに留まっている。
リリアンの攻撃射程は広く、イリスから離れればそのまま彼女を攻撃されかねないからだ。
その広さは広場全体を覆うほどで、どこにいても彼女の氷の脅威から完全に逃れることはできない。
シャルが雷をまとった剣で氷の結晶を粉々に砕いても、すぐに新しい結晶が生まれる。
砕けた氷は光となって消えるが、その光が再び集まり、より大きな結晶となって現れる。まるで増殖するかのように。
こちらから攻めるならともかく、防衛戦においてリリアンは無類の強さだ。
氷の結晶は彼女の盾となり、そして槍となる。
「クスクス……もう諦めたらいかが? どうせ勝てないんだから」
リリアンは楽しそうに笑う。その笑顔は妖艶で、まるで獲物を弄ぶ猫のよう。
長い銀髪が、彼女の動きに合わせて優雅に揺れる。
氷の光を受けて、その髪は虹色に輝いていた。
そのとき――リリアンの攻撃がシャルを捉えた。
「うっ!?」
リリアンに触れられたシャルの左半身が一瞬で凍りつく。
まるでガラスの彫刻のように、透明な氷がその体を包み込んでいく。
結晶は幾何学模様を描きながら、シャルの体を覆っていった。
凍った部分から、シャルの体温が奪われていく。彼女の顔が青ざめ、唇が震え始める。
呼気が白く、そして次第に弱々しくなっていく。
「シャル!」
私は即座に回復魔法を放とうとした。しかし――
「そうよ、さっさと治してあげたら? でも、どうかしら。普通の魔法で、このわたくしの氷は溶けないわよ?」
リリアンは意地悪そうな笑みを浮かべる。
その声には余裕と、どこか試すような響きが含まれていた。
この氷は、通常のヒールや寒冷回復魔法では溶けない。それは見ただけでわかった。
青白く光る氷の結晶は、明らかに並の魔法では解けないほどの魔力を帯びている。
結晶の内部では魔力が渦を巻き、まるで生きているかのような動きを見せていた。
シャルの左半身はほぼ完全に凍りついていた。
彼女の呼吸が、次第に苦しそうになっていく。氷の表面に、薄っすらと霜の花が咲き始めている。
(こうなったら、詠唱で!)
私は目を閉じ、意を決して詠唱を始める。
「魔導王の名において、我が呼びかけに答えたまえ」
私の声が響いた瞬間、リリアンの表情が凍りついた。
その目が大きく見開かれ、顔から血の気が引いていく。彼女の瞳孔が震えている。
「な……その、詠唱は……!」
彼女の声が震える。その声には、明らかな恐怖が滲んでいた。
「脅威を退け、命の輝きを取り戻せ――完全回復魔法!」
青白い光がシャルを包み込む。その輝きは今までのものとは比べものにならないほど強い。
光の粒子が舞い、シャルの周りに生命の輝きを描き出していく。
シャルを捕らえていた氷が、まるでろうそくのように溶けていく。
魔力の光に照らされ、氷は虹色の輝きを放ちながら消えていった。
「あ、ありがと……って、リリアン?」
氷から解放されたシャルが、困惑した声を上げる。
リリアンの様子が、明らかにおかしかった。
「うそ……うそ……マーリン……!?」
彼女は頭を押さえ、後ずさりながら取り乱して叫ぶ。
銀髪が乱れ、その艶やかさは消え、代わりに狂気の色を帯びていく。
優雅な立ち振る舞いは消え、ただただ震える声と、混乱の色が残るだけ。
「何よ……なんなのよ……! 許さない……もう二度と、あの惨めな私には戻らない……ッ!」
リリアンの周りの氷が制御を失ったように暴れ始める。
結晶は無秩序に生まれては砕け、その破片が四方八方に飛び散る。まるで彼女の混乱を表すように。
氷の破片は光を乱反射させ、周囲を幻想的な光で満たしていく。
その氷の嵐は、彼女の恐怖とともに広がっていく。
空気が凍りつき、呼吸するたびに肺が痛くなる。
私たちの足元も凍り始め、クリスタルにも厚い氷が張り付いていく。
氷は美しい模様を描きながら広がっていく。その美しさとは裏腹に、致命的な寒気を放っている。
「ま、待って……」
私の言葉は、彼女には届かなかった。むしろその声を聞いた途端、彼女の瞳の中の恐怖が増していく。
「私は強くなったのよおおおおッ!」
リリアンの悲鳴とともに、氷の渦が私たちを飲み込もうとする――。
その渦は彼女の狂気を映し出すように、無秩序に、そして美しく輝きながら迫ってきた。
氷の渦は、瞬く間に私たちを閉じ込めていった。
層を成す氷の檻は、まるで万華鏡のように光を乱反射させる。
その美しさとは裏腹に、中からは一切の脱出を許さない強度を持っていた。
「うそ……硬った!」
シャルが剣で氷を叩くが、傷一つ付かない。剣に纏わせた雷も、氷の表面で跳ね返るだけだ。
層になった氷の向こうには、リリアンの姿が見える。
彼女は両手を広げ、まるで踊るように回転している。その姿は優雅でありながら、狂気に満ちている。
「あははははは! どう、私のこの力!? もう私は誰にも屈しないのよ!」
彼女の声は歪んでいた。その瞳は血走り、かつての冷静さは完全に失われている。
氷の檻は次々と層を重ねていく。私たちの周りの空間が、刻一刻と狭まっていく。
(まずい……このままじゃ……)
呼吸が苦しくなってきた。寒気が体の芯まで染み込んでくる。
環境回復魔法で溶かせるだろうか? けど、これは氷自体を何らかの力で破壊しないと意味がないような気がする……。
そんな中、イリスの表情が変わる。
「……やむを得んな」
彼女の周りの魔力が、さらに濃くなっていく。
その渦は次第に紫から漆黒へと変化し、まるで闇の穴のように周囲の光を飲み込んでいく。
「イ、イリス様……?」
リリアンの声が震える。狂気の中にも、かすかな不安が混じっている。
「我が父より受け継ぎし力――」
イリスの詠唱が、重い空気を震わせる。クリスタルが共鳴し、不協和音を奏でる。
「万物を砕く闇となりて、此処に顕現せよ!」
濃密な魔力が一点に集中する。それは恐るべき重力を持っているのか、髪や服の裾がそちらに吸い寄せられるようだ。
「や、やめて……!」
リリアンの制止の声も空しく、イリスの魔法が放たれる。
漆黒の光線が、私たちを閉じ込めていた氷を貫く。
氷は美しい音を立てて砕け散り、その破片が宝石のように光を放ちながら降り注ぐ。
解放された私たちの目の前で、魔法は魔王城のバリアに直撃した。轟音と共に、バリアが大きく歪む。
しかし――。
「くっ……足りんか!」
イリスの魔法は、バリアを完全には破れなかった。
いや、多分破れていたんだ。だけど何重もの氷の檻がその威力を殺してしまった。リリアンの防衛が、実を結んだのだ……。
「うっそー……そんな……」
シャルの声が震える。氷から解放されたものの、このままでは意味がない。
「時間切れ、ということねぇ!」
リリアンが氷の破片の中からフラフラと立ち上がる。その姿は憔悴しきっており、歪んだ笑みを浮かべていた。
「人間界への転移まで、あと5分とかかりませんわ! 何もかも諦めてしまいなさい!」
その言葉通り、魔王城のバリアは健在で、あたりの振動はより大きくなっていた。
イリスの詠唱はだいたい5分くらい。もう5分使って同じ魔法を放ったって、城は止められない……!
私たちの頭上では、三つの赤い月が不気味な光を放っている。
その光を受け、バリアの表面がより一層明確に浮かび上がる。
残された時間は、あとわずか。けれど、まだ諦めたくない。
――そのとき、異様な影が私たちを覆った。
魔王城の上空に、巨大な影が現れる。
三つの月の赤い光を遮り、大地に濃い闇を落とす。
「ブラゾガ ガ ゾゴゲ ヴォズマゲ ナッ……ドゥルガ ゾガ……」
漆黒の鱗を持つ巨大なドラゴン。
その翼は大地に影を落とし、赤く光る瞳が私たちを見下ろしていた。
「……ヴェグナトール……?」
それは確かに、あの氷の地で相対した邪龍だった。
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