第114話 魔将ガルヴァス(前編)
それから、たぶん数日くらい歩き、休憩し……ついに、私たちは魔王の城に辿り着く。
魔王城『終末の砦』は、想像以上に巨大だった。
赤い空に向かって無数の尖塔が突き出し、その先端からは稲妻のような赤い光が走っている。
その光は、まるで城全体が生命を持っているかのように脈打っていた。
漆黒の岩で造られた壁には紋様が刻まれ、かすかに蠢いているように見える。
蛇や龍が這い回るような模様が、赤い光を反射して浮かび上がる。
「いつ見ても荘厳にして美しい。愚かな簒奪者が城主、というのが気に食わんがな」
イリスの声には怒りが滲んでいた。その赤い瞳に、怒りと悲しみの色が浮かぶ。
千年の時を超えた憤怒が、その声には込められている。
広大な門前の広場に、私たちは立っていた。
両側には巨大な像が建ち、まるで私たちを見下ろすように佇んでいる。
その高さは優に20メートルはあるだろう。
像は魔族の姿を模しているのだろうか。
角のある頭部に、鋭い牙を剥き出しにした口。
翼のような外套を纏い、その手には巨大な剣を携えている。
剣の刃には古い文字が刻まれ、それもまた赤く光を放っていた。
像の表面には無数の紋様が刻まれ、赤い光を放っている。
まるで像の内側に、マグマのようなものが流れているかのよう。
その光は時折強くなり、像の目が燃えているように見える……。
「すごいね……入り口からしてもう魔王の城、って感じ」
シャルが感心したように首を傾げる。
確かに、地上の城とは比べ物にならない威圧感がある。
広場の床には黒い大理石が敷き詰められ、その表面を赤い筋が走っている。
まるで大地に血管が通っているかのよう。
時折、その筋が脈打つように明滅する。その度に、私の背筋が寒くなる。
「ねぇ……あれなに?」
シャルが指差す先には、一つの宝箱が置かれていた。
まさに私たちの正面、広場の中心に。それは明らかに不自然な配置だった。
豪華な装飾が施された大きな箱は、金と銀で造られているように見える。
表面には宝石がちりばめられ、赤い光を受けて七色に輝いている。
その光沢は、周囲の不気味な雰囲気とは不釣り合いなほど美しい。
「何故こんなところに宝箱が……?」
イリスの表情が険しくなる。その様子に、私も不安を覚える。が――
「宝箱だー!」
「おい! シャル、待て!」
(あー、シャル……! 相変わらず宝箱に弱い……)
イリスの制止の声も空しく、シャルは宝箱に向かって駆け出してしまった。
彼女の赤い髪が風に靡き、その足音が大理石の床に楽しげに響く。
「だってさー、宝箱だよ!? 魔王の城の宝なんて何が入ってることやら!」
「こんな外に宝なんぞ置くか!」
私も制止しようとしたのだが、シャルの剣士としての俊敏性には追いつけない。
(やばい、やばいよ! シャル戻ってきてー!)
叫びたいのに声が出ない。喉まで出かかった言葉が、いつものようにそこで止まってしまう。
シャルは宝箱の前にしゃがみ込み、がっしりとした金具に手をかける。その瞬間――
「ふむ。やはり人間とは性急な生き物よな」
低い声が、宝箱から響いた。その声には、どこか愉快そうな響きがある。
「え?」
シャルが固まる。その刹那、宝箱の蓋が大きく開く。
しかしそこには財宝などなく、鋭い牙の生えた巨大な口が現れた!
「むしゃむしゃさせろッ!」
「うわーっ!?」
シャルの悲鳴と共に、巨大な顎が閉じる。
が、その直前、イリスの魔力の波動が彼女を吹き飛ばしていた。赤い光が一瞬広場を照らす。
「はっ……あ、危なかった」
後ろに転がったシャルの頬に、一筋の血が流れる。牙がかすかに掠めたようだ。
私は小回復魔法を飛ばし、その傷を癒やす。
「ほう……間一髪といったところか。我が完璧な擬態を見破っていたとは……」
「奇跡的な馬鹿だ……。こんな場所に宝箱があるわけがなかろう」
「い……いや! あるかもしれないじゃん!」
「そうだ! あるかもしれないだろ」
イリスの辛辣な指摘を前に、シャルがミミックの味方になってしまった……。
ミミックは箱をバコバコ鳴らしながら喋っている。その音が広場に響き、なんか愉快だ……。
イリスは頭を抱えてため息を吐く。が、その目は鋭かった。
「四天王筆頭、魔将ガルヴァスと見たり」
イリスが剣呑な声で告げる。その言葉に、ミミックはゆっくりと頷いた(傾いた)。
その動きで、表面の宝石が虹色の光を放つ。
「ほう、よく分かったな。その通り。我こそ魔将ガルヴァスである……!」
…………。
……え?
「はああ!? コレが四天王!? この箱が!?」
「食われかけたお前には言われたくない。我はミミック族の精鋭なのだ」
「ミミッ…………クが、四天王……ねぇ」
シャルはずいぶんな沈黙を間に挟みつつ、その四天王を見ていた。
彼女の表情には、明らかな困惑が浮かんでいる。そりゃそうだよ。
……えっ、ていうか本当に?
そこらの野良ミミックとイリスが口裏を合わせてふざけてるとかじゃなくて?
これ? これが四天王!?
「イリス様。よくぞここまで辿り着かれた。ただの魔族とは違うようだな」
「クロムウェル。かの裏切り者を罰しに参った。奴は中だな?」
「いかにも。だが四天王筆頭として、通すとは思うな」
ガルヴァスの体(?)から黒いオーラが溢れ始める。
その闇のような力が、赤い床の模様をより鮮やかに浮かび上がらせる。
「我はただの宝箱に見えるかもしれんが……」
ガルヴァスの声が響く。
宝箱の表面に散りばめられた宝石が、不気味な光を放ち始める。
ルビーは炎のように赤く、サファイアは雷のように青く。
「食らえッ! 四天王の力を!」
突如、宝箱の隅に付いた金の装飾が、槍のように伸びる。
その先端は鋭く、魔力に満ちた光を放っていた。
「っと!」
シャルが間一髪で身をかわす。
金の槍は床を突き抜け、赤く光る筋を新たに刻んでいく。
大理石の床に、まるで血管のような模様が広がっていった。
しかし、それは前触れに過ぎなかった。
「この程度で躱せたと思うな! 我が猛攻をなぁ!」
宝箱の形をしたガルヴァスが、まるでバネ仕掛けのおもちゃのように跳ねる。
その動きは信じられないほど軽快で、シャルの背後に回り込んでいた。
宝石が放つ光の軌跡が、虹色の帯のように空中に残る。
「むしゃむしゃむしゃむしゃ!」
大きく開いた蓋から、無数の牙が飛び出す。
その一つ一つが剣のように鋭い光を放っている。
「こ……攻撃のときのセリフがダサい!」
「だまれ!」
シャルの剣が閃く。
カンカンと金属音が響く中、ガルヴァスは着地。床を蹴って再び宙を舞う。
その動きは、箱の形からは想像もつかないほど自在だった。
「イリス様。千年の時を経て、その力はどれほど衰えたかな!?」
宝箱の表面に散りばめられた宝石が、一斉に光を放つ。
それは虹色の光線となって、イリスに向かって射出された。
光線の一つ一つが、異なる魔力を帯びているのが見て取れる。た、確かにすごい力……!
「フン……」
イリスの歌声が響く。その声は空気を震わせ、光線を跳ね返していく。
宝石の光が、ガラスが砕けるように散らされていった。
「なるほど。力は相当戻っているようだな。ヴォルグとアルマゲスト……奴らの力を得たと見える!」
ガルヴァスが面白そうに呟く。その声には、どこか嬉しそうな響きがあった。
相手の強さを理解してなお、嗤うだけの力が彼にはあるのだろうか……。嫌な予感がする。
「まさか、マジで宝箱のまま戦うつもり!?」
シャルが剣を構えながら叫ぶ。その声に、ガルヴァスは含み笑いを漏らす。
その笑い声は、宝箱の中で何かが転がるような音だった。
「無論! この姿こそ我ら一族の誇りよ!」
宝箱型の体が、まるで独楽のように回転し始める。
その表面から、金の棘が無数に飛び出す!
「回転牙槍舞!」
棘の付いた宝箱が、広場中を高速回転しながら跳ね回る。
床を蹴る度に加速し、赤い光の波紋が広がっていく。
「うわぁ! なにこの動き!」
シャルの雷撃も、イリスの声波も、軽快な動きで躱されていく。
宝箱は時に壁を這い、時に宙を舞い、ボールのように自在に弾んでいた。
その度に宝石が虹色の光を放ち、広場全体が幻想的な光景に包まれる。
……けどそのせいで、今どこにガルヴァスがいるのかわからない……!
(手を出すタイミングが……!)
私は二人に回復魔法を放ちながら敵の動きも見ようとするが、ガルヴァスの動きが読めない。
水晶のように光る無数の軌跡だけが見えて、それはみるみるうちに増えていく……!
「では、そろそろ本命をいただこう! 覚悟、イリス様!」
ガルヴァスの体が、イリスの真上へと跳躍する。
宝箱の表面が赤く輝き、その光は周囲の空気まで歪ませていた。
「舐めるなよ」
イリスは冷静に歌い始める。その声は、まるで月光のように澄んでいた。
歌声が空気を震わせ、水晶のような音色を奏でる。
「おやおや……この歌は――!」
ガルヴァスの動きが一瞬空中で止まる。まるで時間が凍結したかのように。
その隙を、イリスは見逃さなかった。
「ひれ伏せ!」
轟音と共に、赤いオーラがガルヴァスに叩きつけられる。
宝箱の表面が大きく歪み、宝石が次々とヒビを入れていく。
「ぐおおおおッ! こ……これはッ!」
宝箱が地面に叩きつけられ、その表面から宝石や棘がこぼれ落ちる。
床に落ちた装飾品は、まるで血のように赤く光を放っていた。
砕けかかったガルヴァスの体が、黒い靄に包まれ始める。
宝箱の形が溶け出し、より巨大な何かへと姿を変えようとしていた。
その靄の中で、何かが蠢いているのが見える。
「これほどとは……致し方あるまい。形態を、変えるとしようか……!」
「ふん、ようやく本気を出すか。来るがいい、四天王筆頭!」
イリスが身構える。
姿を変えるガルヴァスの周りで、黒い霧が渦を巻き、その霧が大きくなっていく。
その中から、時折金属が軋むような音が漏れ聞こえてくる。
「デカくなってる……! ようやく宝の姿じゃなくて本気になるってわけだね!」
「ククク……よもや我にこの姿を出させるとは。だがこの姿にて、魔将ガルヴァスの真の恐ろしさを教えてくれる!」
そしてついに、その霧が晴れる。そこから現れたのは……巨大な……。
……巨大な宝箱だ。
表面は黒ずみ、棘やヒビが入った禍々しい姿となっている。
その高さはだいたい一メートルくらい。宝箱としては破格の大きさ……だけど。
「――いや宝箱のまんまじゃん!!」
シャルの声が広場に響き渡った。
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