第108話 サキュバスだーーーー!!
大地に横たわるヴォルグの体から、金色の光が漏れ出している。
砕けた銀色の甲冑の傷から、まるで光の血液のようなものが流れ出す。
その光は大気中で蒸発し、渦を巻きながら黒い空に向かって消えていく。
まるで蛍のように、光の粒子が踊るように上昇していく。
砂埃が舞い、粘性のある空気が光を屈折させ、幻想的な光景を作り出していた。
光の粒子は空気の粘性によって歪められ、不思議な軌跡を描く。
青色の太陽が、その光景を見守るように空に浮かんでいる。
その青い光は、ヴォルグから漏れ出す金色の光と混ざり合い、一瞬だけ緑色の光帯を作り出した。
(このまま消えちゃうのかな……)
私は思わず杖を握りしめる。
杖の水晶に、ヴォルグの漏れ出す光が反射して輝く。
敵とはいえ、なかなか潔い人だったと思う。人じゃないけど。
「……ふ」
ヴォルグの口から、かすかな笑みのような声が漏れる。
グレートヘルムの隙間から、金色の光がこぼれ出した。
その光は彼の呼吸のように、ゆっくりと明滅している。
「見事な戦いだった。人間の娘よ」
その声は、先ほどまでの轟くような声とは違い、静かで落ち着いたものだった。
まるで遠くで鳴る雷のような、深い響きを持っている。
ぎしり、と甲冑が軋む音。
砂地に横たわった巨体が軋みを上げ、彼は僅かに首を動かし、私たちの方を向く。
傷ついた甲冑が月明かりを反射し、銀色の輝きを放っている。
「勝者よ。我が最期の礼義を尽くさせてもらおう」
ヴォルグはシャルを見ていた。彼女は頭の後ろで手を組み、リラックスしている様子だ。
赤いポニーテールが、生温かい魔界の風に揺れている。
「お前たちが向かうべき道……そこには四天王が一人、氷姫リリアンが待ち構えている」
ヴォルグの声が、さらに弱くなっていく。
その体からは、より激しく光が漏れ出していた。
光の粒が空中で渦を巻き、まるで金色の竜巻のように見える。
「氷雪の谷、そこに彼女は潜んでいる。策に長けた女だ……警戒するがいい」
「氷雪ねえ。なんか寒そう」
「氷雪の谷……懐かしい響きだ」
イリスの声が震える。
彼の記憶の中で、何かが蘇ってきたようだった。彼女の長い銀髪が、風に揺れている。
「魔王イリスよ、その谷には……」
ヴォルグが何かを言いかけたその時、彼の体が大きく崩れ始めた。
甲冑のあちこちから金色の光が噴き出し、まるで砂時計の砂のように、その巨体が光の粒子となって空へと昇っていく。
「ここまで、か……クロムウェル様、ご武運、を……」
最後まで言葉を紡ごうとする忠義の四天王。
しかし、その声は光と共に消えていった。空気中に漂う光が、徐々に薄れていく。
そうして、残った甲冑から尖ったクリスタルが飛び出してくる。
まるで地面から生えるように、青白い結晶が突き出した。
彼の死体が、クリスタルとなったのだ。
「ヴォルグ……か。敵ながら見事な忠誠だった。惜しむらくは、従うべき相手を見誤ったことか」
イリスの声が、風に消えていく。
彼女の表情には深い悲しみの色が浮かんでいた。その瞳が潤んで見える。
シャルは剣を鞘に収め、私は杖を下ろす。
戦いの余韻が、まだ空気中に残っているようだった。
「次なる目的地は氷雪の谷か。幸か不幸か、クロムウェルの奴の城に向かう道中がその谷だ」
イリスは「氷雪の谷」の方角を指差す。
そちらには、暗闇の中でうっすらと青白く光る山々が見える。
その頂は雲に覆われ、まるで幽霊のような姿をしていた。
山肌には無数の氷柱が張り付き、月明かりを反射して不気味に輝いている。
「リリアン……我の記憶の中でも、その名は聞き覚えがある。父上に仕えていた魔族だったはずだが」
「えー、それじゃ裏切り者ってこと?」
「そうなるな。力も取り戻している今、容赦はせんぞ」
イリスは手の中に赤い光を迸らせる。
まるで小さな炎のような光が、彼女の掌で踊っている。
その力は確かに、ヴォルグ撃破前とは比べ物にならないほど強まっているように見えた。
私は新たに生まれたクリスタルを見つめる。
魔族の死骸から生まれるという、この世界特有の現象。
クリスタルの内部では、かすかな金色の光が脈動している。
他の魔族よりも遥かに大きな、私の身長の倍ほどもある結晶。
その中に、まるでヴォルグの想いが残されているかのような錯覚を覚えた。
「よーし、とりあえずその谷に向かおっか!」
シャルの声が、重たい空気を打ち破る。いつもの明るい調子に戻っていた。
その声に、私は少し安心する。
「あ、でもその前に……」
シャルはヴォルグが変化したクリスタル、その尖った先端を折る。
鋭い結晶がキラキラと輝いている。その断面からは、かすかに金色の光が漏れ出している。
「せっかくだし、ちょっと貰ってくよ。強敵の遺品ってね」
「フ……なるほど、いい考えだ。クリスタルには生前の魔族の意思が少なからず宿るとされる。いずれお前の助けになるかもしれんな」
「そうなんだ! じゃ、よろしくねヴォルグ!」
いや、どうかなぁ……いい戦いをしたとはいえ敵だし、助けてはくれないんじゃ……。
私はそう思いつつも口にはせず、歩き出した二人のあとに付いていった。
■
凍てつく風が頬を撫でていく。
まるで氷の針で刺されるような痛みを感じる。
その冷気は皮膚を突き刺すだけでなく、呼吸するたびに肺の中まで凍りつかせるようだった。
「さ、さささ寒いね……」
私と同様、シャルの歯が小刻みに震えている。
彼女の吐く息が白く凍り、空中で小さな氷の結晶となって落ちていく。
氷雪の谷に近づくにつれ、私たちは異常な寒さを感じ始めていた。
足元には白い霜が降り、一歩進むごとにキュッという音を立てる。
その音は乾いた砂を踏むような感触で、歩くたびに足の裏に違和感を覚える。
どことなくグレイシャルの景色を思い出すが、あれよりもさらに厳しい寒さだ。
(人間界の雪とは違うんだ……)
私は足元の霜を観察する。青白く光る結晶は、まるでガラスの破片のよう。
その結晶は光を屈折させ、まるで小さな宝石のように輝いている。
踏むと砕け散り、青い粉となって空中に舞い上がる。
その粉は風に乗って渦を巻き、不思議な模様を描く。
「ミュウちゃん……その、MPとか余ってない?」
シャルが擦り寄ってくる。彼女の体が小刻みに震えているのがわかる。
赤い髪も、寒気で固くなっているようだった。
なるほど、と私は思い当たる。
私の回復魔法なら、この寒さからの「ダメージ」も防げるかもしれない。
杖の水晶が、その考えに呼応するように微かに温かみを帯びる。
(寒冷回復魔法)
杖を握り、魔力を通す。温かな光が三人を包み込む。
その光は優しく脈打ち、まるで春の日差しのような暖かさを与えてくれる。
はあぁ、あったかい……!
グレイシャルのときは思いつかなかったなぁ。これが当時あればどれだけ快適だっただろう……。
「なんと……寒さを『回復』しおったか」
「あったかーい! さすがミュウちゃん!」
シャルが両手を広げ、歓声を上げる。
その声に驚いたのか、近くの虫のような魔物たちがボソボソと文句を言い始める。
彼らの体には青白い霜が付着し、動きが鈍くなっているようだった。
「寒いんだよチクショウ……」
「凍える! 凍える!」
「あの女ァ、許せねぇぞ……」
不平不満を言いながらも、彼らは私たちに襲いかかってこない。
透き通った翅を震わせながら、襲ってくるようなことはなく……本当にただ震えているだけだ。おそらくこの寒さで、戦う気力もないのだろう。
「ふむ。しかしこの寒さ、明らかに異常だな」
イリスが空を見上げる。三つの赤い月が、青い霧の向こうにぼんやりと浮かんでいる。
その光は霧に遮られ、まるで血に染まったような色を放っていた。
「リリアンの仕業か。ヤツは氷雪の術に長けていたはずだ」
「ねえイリス。リリアンって、もしかしてそこそこ昔からの知り合いなの?」
シャルの質問に、イリスは少し考え込む素振りを見せた。
その表情には、何か思い出そうとする苦悶の色が浮かんでいる。
「確かに……記憶の中で、彼女の姿は鮮明に残っている。だが、なぜだろうな……、っ!?」
しばらく考えこんでいたイリスが声を上げる。
その目が大きく見開かれ、何かを思い出したような表情を浮かべる。
銀髪が風に揺れ、その動きが一瞬止まったかのようだった。
「そうか……そうだったのか。父上が仕留められ、我が封印されたとき……その場にヤツもいた!」
彼女の声が震える。記憶が蘇ってきたのか、イリスは両手で頭を抱える。
その指先がこめかみを強く押さえている。
「父上を倒し、我をも封印した魔法使い。人間の勇者……」
続けて何かを思い出していくイリス。
しかし、それ以上は何も思い出せないようだった。
その瞳が宙を彷徨い、記憶の欠片を追いかけている……。
(魔法使い……って、もしかして……)
私の頭に浮かぶのは、やはりマーリンの姿だ。
彼は行く先々の出来事に関わっている。
千年前のこととなれば、ますます彼の関連を疑ってしまう。
「……リリアンは、我が封印される瞬間を見ていたはずだ。ヤツに問いただせば、もう少し当時のことを思い出せよう」
彼女の表情には、困惑と焦りが混ざっていた。その紅色の瞳には、どこか迷いの色が浮かんでいる。
「なるほど。じゃ、力を取り戻しつつ、記憶も取り戻しつつ……あと城にも向かいつつで、一石三鳥ってわけだね!」
シャルの明るい声に、私は頷く。イリスは肩を竦めて苦笑した。その表情には、かすかな安堵の色が見える。
風が強くなり、青い霧が私たちを包み込んでいく。
その霧は生き物のように蠢き、まるで私たちを誘うかのように前方へと流れていく。
……だんだんと、嫌な魔力が近づいてきている。
――その時。
青い霧の中から、不吉な魔力が一気に加速して迫ってくる。
その魔力は肌を刺すような冷たさを帯びていた。
シャルが剣を構え、イリスの手には赤い光が宿る。私も杖を強く握りしめた。
手のひらに伝わる杖の感触が、なぜか心臓の鼓動と同期しているように感じる。
寒冷回復魔法を強め、凍えないように注意する。
「来るぞ!」
イリスの警告の直後、霧が渦を巻き始めた。
青白い霧は、まるで生き物のように蠢き、中心から外側へと広がっていく。
その中心から、ゆっくりと人影が現れる。
「まぁ、ご丁寧に自らお越しくださるとは。氷姫リリアン、参上いたしましたわ」
氷の鈴を鳴らすような艶のある声が、凍てつく大気に響く。
その声には甘い響きがあり、聞いているだけで背筋が凍るような感覚を覚える。
霧が晴れ、その姿が明らかになる。イリスの体が強張るのを感じる。
シャルも一瞬息を呑んだ。霧の向こうから漂う魔力が、私たちの体を包み込む。
(……!?)
「リリアン……やはり、お前か」
「お久しぶりですわね、イリス様。いえ、元魔王様、かしら? フフフ」
……リ、リリアンは氷で作られた玉座に腰かけていた。
透き通る氷の玉座は、まるで宝石細工のように光を屈折させ、幻想的な輝きを放っている。
その表情には、余裕と打算が混ざり合っている。……真紅の唇が、優雅な笑みを形作る。
彼女が軽く指を鳴らすと、空間が凍てついた。
氷が空中に形成され、それが階段の形に変わる。
まるでガラスのような透明度を持つ氷の階段が空中に浮かぶ。
「わたくし、魔王クロムウェル様にお仕えする忠実なる四天王が一人……昔とは違いますわよ」
そう言いながら、リリアンは氷の階段を一歩ずつ降りてくる。階段を踏むたびに、氷の結晶が舞い散る。
……長い……長い、脚が、氷のように透き通って見える。
その肌は月明かりのように白く……。
……ていうか、あの。
透き通るような白い肌。緩やかなカーブを描く角。大きく広げられた黒い翼。
その翼は夜空のように漆黒で、端から青い炎のような模様が浮かび上がっている。
そして――ほとんど布とは呼べないような薄衣。
白い布が最低限の部分だけを覆い、まるで雪の結晶が舞い落ちたかのような装飾が施されている。
その布の下には、なんかもう……すごく、大きな胸が……惜しげもなくアピールされていた。
むしろ「布で隠していない部分」の方が多いかもしれない。
氷のような白い肌がどこもかしこもあらわになっている。
(え――えええ、えっちな恰好してる……!!!)
私はリリアンからできるだけ目を逸らす。ちょ、直視できない……!
「奴は四天王であり、もともと強力なサキュバスでもある。気を抜くなよ!」
「大丈夫! そういう状態異常系の敵はミュウちゃん得意……ミュウちゃん?」
「…………!!」
視線を彷徨わせ、何を見ればいいのかわからなくなる。氷の階段? 翼? 顔? 胸……!?
戦闘が始まろうとしていた。のに、私は敵の服装が気になりすぎていた……。
しょうがないじゃん! こんなえっちな服装の人見たことないんだから!!
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