第107話 雷帝ヴォルグ(後編)
「ふぅ……」
シャルが立ち上がる。
髪の先からまだ微かに煙が立ち上っているが、体の焦げ目は完全に消えていた。
静電気で髪の毛が所々逆立ち、赤い髪が面白い形になっている……。
彼女の額から汗が流れ落ちる。その滴が魔界の苔に落ち、赤く染まっていく。
まるで血のような色に染まった苔が、戦いの予兆のように思えた。
イリスとヴォルグは、まるで武人同士のようにお互いを見据えていた。
巨大な甲冑の中から、沈着な声が響く。
その声は魔界の粘つく空気を震わせ、私の胸の奥まで響いてくるような重みがあった。
「……もうよいか?」
イリスが頷く。ヴォルグは大きく息を吸い込み、改めて声を張り上げた。
「まずは小手調べよ……この雷こそ、我、雷帝ヴォルグの力と知れ!」
(同じセリフで仕切り直してくれた……)
シャルが丸焦げになったのは一旦見逃してくれるみたいだ。
優しいというか、ノリがいいというか。
だが一方で、彼の実力は疑いようもない。周りの空気が魔力でうねり始める。
まるで水の中にいるような重さと粘性を帯びた空気が、電気を含んで私たちを取り囲んでいく。髪の毛が逆立ち、肌がピリピリする。
「……なるほど。これが四天王の力か。名乗るだけのことはある」
「無論だ。私の力はクロムウェル様からの賜り物によりさらなるものとなっている!」
イリスの声に、緊張が混じる。
ヴォルグの放つ威圧感は、今まで戦ってきたどの魔族とも違う。
まさに雷雲の中にいるような、そんな圧迫感だった。
シャルが剣を構え直す。その刀身に静かな電気が走る。
青白い火花が、まるで水が流れるように剣を伝っていく。
「イリス、ミュウちゃん。さっき言った通り、雷はあたしが引き受けるから!」
その言葉に、ヴォルグが首を傾げる。グレートヘルムの中から、金色の光が漏れ出す。
その光は彼の目の輝きなのか、魔力の発現なのか。
「ほう、人間風情が。雷に触れれば焦げ落ちる肉体で、私と闘おうと?」
「そ。なんでって――」
シャルの剣に、よりはっきりした青白い光が纏わりつく。
雷が空気を裂く音。その光は、ヴォルグの纏う金色の雷とは違い、より純度の高いものに見えた。
その青白い光は、クリスタルの光よりも美しく、まるで月光のよう。
対して、ヴォルグの金色の雷には何か濁りがあるように見えた。
「あたしにも、雷の力はあるんだよ!」
掲げられた剣から、稲妻が放たれる。
青白い光線が空気を切り裂き、一直線にヴォルグへと向かっていく。
その軌跡が、暗い空間に筋を描く――!
「なに!?」
ヴォルグは驚きの声を上げるも、その光を片手で受け止める。
が、受け止めた腕が大きくぶれた。装甲にかすかな傷跡が残る。
「……ほう。これは予想外。確かに雷の力、それも私よりも純度の高い……」
雷を受け止めたヴォルグの手が震え、稲光が帯電する。
彼の冷静な分析に、シャルが口を尖らせた。
「意外と冷静だね? 『私の雷が負けるはずがないッ!』とかいってキレるかと思ったのに」
「……フ。怒りは動きを曇らす。四天王として、さような無様は晒せぬわ」
ヴォルグの声が低くなる。言葉に反し、その声には明らかな怒りが含まれていた。
グレートヘルムの隙間から漏れる金色の光が、より強く輝きを増す。
彼の全身から、金色の雷光が迸る。
その光は周囲のクリスタルに反射し、まるで黄金の雨だ……!
「何より、力は力! この圧倒的な雷の前では、純度など意味を成さん!」
轟音と共に、無数の雷撃がシャルに向かって放たれる。
金色の光の奔流が、彼女を飲み込もうとする。その量は圧倒的で、雷の壁のように彼女に迫る。
「シャルッ!」
イリスの叫び声。私は即座に回復魔法の準備を始める。でも――
「それはどうかなぁ!」
シャルの剣が、青白い光を纏って円を描く。その軌跡が、盾のように雷撃を防いでいく。
月光のような純度の高い光が、黄金の雷を薙ぎ払う。
二つの雷が激突する度、青白い光と金色の光が散り、まるで火花のような閃光が飛び散る。
その光景に、イリスが目を見開いた。瞳には驚きと期待が混じっている。
「まさか……人間がこれほどの力を」
(シャル、いつの間にかまた強くなってる……!)
シャルの口元が、少しだけ歪む。
その瞳に戦いへの期待が宿っているのが分かった。彼女の目が、青白い光を帯びて輝いている。
……か、かっこいいなあ。ちょっと胸が重くなる感じがした。
いつもの朗らかなシャルとは違う、戦士としての凛々しさがある……。
「さあ! 本気でやろうか!」
その言葉に、ヴォルグが低く唸る。その声が雷鳴のように轟いていた。
甲冑の隙間から漏れる金色の光が、さらに強さを増していく。
シャルの剣が、青白い光を纏いながら連続で斬撃を繰り出す。
その動きは目が追えないほどの速さで、まるで光の残像のように見えた。
剣を振るう度に空気が裂け、電光が走る。
対してヴォルグはほとんど動かない。
巨大な手から無数の金色の雷撃を放ち、シャルの攻撃を迎え撃つ。
その姿は異質かつ圧倒的で、魔界の空気さえも重く沈んでいく。
両者の雷が何度もぶつかり合う。
激しい閃光が空間を切り裂く度、粘性のある空気が大きく揺らめいた。
ゼリーが揺れるように、視界が歪んでいく。
「そりゃそりゃそりゃあっ!」
シャルの掛け声が響く。彼女の剣筋は荒々しく、まるで嵐のよう。
その姿はもはや、赤い残像となって空間を駆け巡る。
彼女の纏う青白い雷は、剣の軌跡を追うように光の帯を描いていく。
それに対し、ヴォルグの雷撃は一切の無駄がない。
まるで機械のような正確さで、シャルの攻撃を受け止める。
彼の放つ金色の雷は、幾何学的な模様を描きながら広がっていく。
「無駄な動きが多いぞ、人間」
「うるさいっ!」
二人の対比は鮮やかだった。
シャルの荒々しい攻撃は、まさに自然の雷のよう。
予測不能で、曲感的な動きが特徴的だ。剣を振るう度に空気が大きくうねる。
一方ヴォルグは、まるで工場で作られたような雷を放つ。
冷静で、計算された動きばかり。その姿はさながら雷を操る機械の巨人だった。
装甲の隙間から漏れる光までも、幾何学的な模様を描いている。
「私の雷は完璧な力だ。何者であれ、この防御を打ち砕くことなど――」
ヴォルグの言葉が途切れる。
シャルの剣が、彼の装甲の隙間を捉えたのだ。青白い光が、金色の隙間に滑り込む。
「むっ!?」
青白い光がヴォルグの肉体を焼く。だが、傷は深くない。
装甲の中から金色の光が漏れ出すが、すぐに傷口が塞がれていく。
まるで液体金属のように、装甲が自己修復していく様子が見える。
「防御を打ち砕くことなど?」
「ふん……まぐれに過ぎん!」
シャルの反撃にヴォルグが腕を上げる。
甲冑がきしむ音と共に、彼の周りに金色の雷が渦巻き始める。
その光が装甲の隙間から溢れ出し、黄金の霧が広がっていく。
「雷よ、列を成せ! 格子となりて罪人を裁け!」
雷がシャルを包囲していく。それは壁となって、彼女の退路を完全に塞いでいた。
何重もの電撃の檻が組み上がり、その中にシャルが閉じ込められる。
(やばい、シャルが囲まれた……!)
私は回復魔法の準備を整える。でも、シャルの表情は余裕そのものだった。
瞳が、青白い光を帯びて輝いている。
「なるほどね。なら……!」
シャルは懐の勾玉を強く握る。
その瞬間、彼女の周りに渦巻いていた青白い光が爆発的に増大した。
「あたしも、もっとやっちゃうよ!」
金色と青白の雷がぶつかり合う。
眩い光が、魔界の空間を切り裂いていく。
その激しい衝突で体が吹き飛びそうになる私を、イリスが掴んで止めてくれた。
衝撃で周囲のクリスタルが大きく共鳴し、けたたましい音を立て始めた。
無数の水晶が一斉に震え、不協和音の嵐を生み出す。
「な、なんだと!?」
ヴォルグが驚きの声を上げる。
シャルの雷が、彼の金色の光を少しずつ押し返していく。
純度の高い青白い光が、黄金の光を浄化するように飲み込んでいった。
「この程度の量なら、質で押し切れるでしょ!」
シャルの掛け声と共に、青白い光の奔流がヴォルグの雷を打ち破った。
水晶のような透明感を持つ雷が、濁った金色の光を突き破っていく。
光の中から飛び出したシャルの剣が、彼の胸元を大きく切り裂く。
鎧が砕け、大きな裂け目が生まれる。
切断された装甲が、火花を散らしながら宙を舞う。
「ぐっ……まさか、これほどの力とは……!」
ヴォルグの声が苦しげに響く。
その姿は、もはや最初の威厳ある様子からは程遠かった。
装甲の隙間から漏れる光も、乱れ始めている。
だが――シャルの呼吸も乱れ始めている。汗が額を伝い落ちる。赤い髪が汗で濡れ、肩に張り付いていた。
どうやら、これだけの雷を扱うのは相当な負担があるようだ。
「あー、さすがにちょっと疲れてきたね……!」
「ふっ、やはり人間の身体では限界があるということか」
シャルの動きが鈍くなっていく。
ヴォルグもそれを見逃さない。彼の巨体が、新たな攻撃の構えを取る。
金色の雷撃が、再びシャルを取り囲んでいく。
まるで蜘蛛の巣のように、電撃の網が張り巡らされる。
(やばい。長期戦は不利かも……!)
まずいと思った私は、シャルに回復魔法を放とうとした。が――
「魔法は通さんぞ!」
ヴォルグが私の方に雷の壁を飛ばし、私の魔法を遮った。金色の障壁が、私とシャルの間を遮る。
彼は自分の体の傷も気にせず、シャルを追い詰めることに集中していた。
装甲の隙間から血のような赤い光が漏れているのも、まるで気にしていない。
私とイリスの介入を防ぎながら、シャルを追い詰めていく。その姿には執念すら感じられた。
(シャル……!)
その時、シャルが小さく笑った。口元がかすかに歪んでいる。
「大丈夫だよ、ミュウちゃん」
彼女は再び剣を構える。その刃に、より強い光が宿り始める。
青白い雷光が、水晶のように透明な輝きを放ち始めた。
「今なら、多分あたしの切り札が使えるから!」
「切り札だと?」
ヴォルグの声が響く。その声には、僅かな動揺が混じっていた。
装甲の隙間から漏れる金色の光が、不規則に明滅する。
「ふん……ならば私も切り札で答えてやろう。この私の究極の一撃で――」
ヴォルグが両腕を掲げる。
甲冑のあちこちから金色の光が漏れ出し、その体が内側から光り始める。
「全ての力を注ぎ込む。消えろ、人間よ!」
彼の体から、渦を巻くような金色の雷光が立ち上る。
次第にその渦は大きくなり、魔界の空へと伸びていく。
それは巨大な竜巻のようだった。金色の光の渦が、空をも覆い隠すほどの高さにまで達する。
(やばい、規模が違う……!)
今までの比ではない魔力の奔流。
粘性を帯びた空気が大きくうねり、耳をつんざくような音が響き渡る。
「これが四天王の力よ! 天からの裁きを受けるがいい!」
ヴォルグの雷の渦が、巨大な竜の形を作り上げる。
空間が歪むほどの魔力が、シャルへと襲いかかる。
だが、シャルは剣を構えたまま動かない。どうして……!?
「へぇ、すっごい迫力! でも――」
そのとき、シャルの剣や体に纏われていた雷がふっと消える。
……!?
そ、そんな。まさか体力切れ!?
心配する私をよそに、雷を解いたシャルの表情は晴れやかだ。負ける心配など何もないかのように。
「受けてあげる!」
シャルは剣を突き上げ、迫るヴォルグの雷を真正面から受け止めた。
「なっ!?」
金色の雷が、シャルの剣に呑み込まれていく。
いや、違う。
彼女の剣に触れた瞬間、金色の雷が浄化され、青い雷へと変化していくのだ。
「ば、馬鹿な! 私の雷が……!?」
動揺の声を上げるヴォルグ。だが、もう止めることはできない。
「やれると思ったんだ。雷の力なら、受け止めてあたしのものにできるんじゃないかってね。
――返すよ! 超必殺! 超巨竜の雷!!」
シャルが剣を振り下ろす。
その瞬間、彼女の周りに渦巻いていた透明な雷が一斉に解放された。
雷を固めて作った刃のよう。ヴォルグの雷を浄化して作り上げた一撃が、彼の胸を貫く。
「ぐああああっ……!」
シャルの雷の一撃に装甲が砕け散り、中から赤い光が漏れ出す。
「バカな……私が、四天王が……こんな、人間などに……」
ヴォルグの巨体が、光の中でゆっくりと崩れ落ちる。
装甲の破片が、まるで金色の雨のように降り注ぐ。
そして、彼の体から放出される赤い魔力が、まるで意思を持つかのようにイリスへと吸収されていった。
「ふぅ……案外、うまく決まったね!」
シャルの声が響く。が、その直後、彼女の体がくずおれるように倒れ込んだ。
「シャル!」
私は即座に駆け寄り、回復魔法を放つ。青白い光が彼女を包み込む。
「大丈夫、大丈夫! ちょっと疲れただけ。でも勝てたよ!」
シャルが無邪気に笑う。その表情は、まるで楽しい遊びを終えた子供のよう。
私は思わず、回復を終えたシャルに抱きついた。体温がいつもより高い。
「おっと。どしたのさミュウちゃん!」
「……!」
そんな私たちを見て、イリスが溜息をつく。
だが、その表情には明らかな安堵の色が浮かんでいた。
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