第106話 雷帝ヴォルグ(前編)
「さて……目が覚めたようだな」
「え……ひ、ヒィッ!?」
イリスが捕らえた男の前に立つ。さっき逃げた魔族だ。
裏山のような場所に逃げ込もうとしたところを、イリスの魔力で捕まえた。
顔が少し魚っぽい、斧を持った魔族だ。
体は人間みたいなんだけど、皮膚は薄い鱗のような質感をしている。耳の辺りにはエラっぽい器官もある。
その姿は、人間の世界の童話に出てきそうな、ちょっと不気味な魔物という感じ。
「くっ……」
男が顔を背ける。その表情には、恐れと憎しみが混ざっていた。エラがヒクヒクと動いている。
クリスタルの淡い光が、彼の歪んだ表情を浮かび上がらせる。
キラキラとした水晶の輝きは、この状況にそぐわない美しさだった。
「クロムウェルの配下の情報を話してもらおう」
「は、はっ! 我が主、クロムウェル様を裏切るくらいなら……!」
男の叫び声が、粘つく空気の中に響く。
彼の周りの暗紫色の苔が、その声に反応するように赤く染まっていく。
「ほう。その忠誠心、買うべきか」
イリスの口調は冷たい。その目はまるで虫を見るかのようだった。
シャルと私は少し離れた場所で、その様子を見守っている。
イリスの影が陽の光で長く伸び、より威圧感を増していた。
「イリスって、こういう時意外と怖いよね。魔王って感じ」
私も小さく頷く。今のイリスからは、普段の優雅さが消え失せていた。
これが本来の魔王の姿なのかもしれない。私の知っているイリスとは違う人みたいだ。
まるで氷の彫像のように冷たく研ぎ澄まされている。その姿は美しくもあり、怖くもあった。
「よいだろう」
イリスが片手を上げる。その指先に、赤い光が集まり始めた。
光が渦を巻くように集中し、まるで血のような色を帯びていく。
男の顔が青ざめていく。鱗のような皮膚が、みるみる青白くなっていった。
「手に入れたこの力でゆっくりと拷問するとしよう。
先ほどの戦いで分かったが、お前たちに与えられた力などたかが知れている」
「ひっ……!」
「さて、まずは鱗を剥いでやろうか? それとも焼くか――」
「は、はい! 話します! 話しますから!」
イリスの威圧に、男はあっさり音を上げた。冷や汗が彼の頬を伝い落ちる。魚っぽいけど汗はかくんだね……。
というか、イリスも魚っぽいと思ってるんだろうか。拷問の内容がちょっと調理っぽかったけど。
「クロムウェル様の配下には、四天王と呼ばれる強者がおります!
彼らは我らとは比較にならないほどの『核』の力を与えられており……!」
「四天王?」
イリスの声が、少し驚きを帯びる。その手の光が消え、男は安堵の息を漏らした。
エラが大きく開いて、早い呼吸を繰り返している。
「は、はい。四天王筆頭『魔将ガルヴァス』。そして『炎魔アルマゲスト』『氷姫リリアン』。そして……この近くの要塞を治める『雷帝ヴォルグ』」
男の声は震えながらも、確かな情報を伝えてくる。
私たちは黙って耳を傾ける。四天王……なんか強そうだ。よくわからないけど、つよそう。
「ヴォルグ様は、この地域一帯を支配しております。その力は凄まじく、雷を操りありとあらゆる敵を打ち砕く……!」
話すうちに、男の声は恐れから誇りに変わっていく。
エラが開いたり閉じたりするスピードも、興奮を示すように早くなっていた。
どうやら心からクロムウェルの配下を崇拝しているようだ。
「近くにそのような存在が……ふむ」
イリスが腕を組む。その表情には、僅かな不安の色が浮かんでいた。
粘性のある空気が、彼女の周りでわずかにうねるように見える。
「まだ力の戻っていない今、そのような相手とは戦いたくないが……」
彼女の言葉に、シャルが身を乗り出す。背中の剣が僅かに音を立てた。
クリスタルの光を反射して、刀身が青白く輝く。
「ねぇ、イリス。その、雷を操るっていうヴォルグって……どのくらい強いの?」
シャルの問いかけに、私は不安を感じる。
彼女の目が、戦いへの期待に輝いているのが分かったからだ……。シャル、戦う気満々……!
「いや、シャル。まだ戦うには早い」
「……!」
イリスが即座に否定する。私も同意して高速で頷く。
「私の力はまだ十分ではない。四天王とあれば、相応の力を持っているはずだ」
「でもさ」
シャルは懐から勾玉を取り出す。するとその手の中から、青白い光が漏れ始めた。
その光は純度が高く、クリスタルの光よりも澄んで見える。
「この勾玉が……なんていうか、反応してるの。雷の気配を感じ取ってる」
「勾玉? なんだそれは」
「黄龍の勾玉って言ってね。まぁ詳しくはよくわかんないけど、とりあえず雷の力を操れるっぽいんだ」
「ほう……雷。なるほど、ヴォルグの操る力と同種ということか」
「うん。同じ雷属性なら、あたしなら戦えるかもしれないでしょ? それにさ」
シャルは捕らえた男を見やる。男は勾玉の光を見て、さらに青ざめていた。
「クロムウェルの配下は、『核』ってのから力を分けてもらってるんでしょ? ってことは、四天王ともなればかなりの量の力を持ってるはず!」
「なるほど」
イリスが頷く。その表情が真剣味を帯びる。
周囲の空気が、彼女の緊張に呼応するように重くなっていく。
「確かに、ヴォルグを倒せば、私の力もかなり戻るだろう。だが、それでも危険が大きすぎる。彼らは――」
「でも、早く動かないとまずくない?」
シャルの言葉に、私も考える。それは、確かにそうかもしれない。
(もしイリスの力が戻らないうちに、クロムウェルが動き出したら……)
イリスの復活を知ったクロムウェルは、今の所適当な刺客を送ってくることしかしていない。
しかし、イリスが力を取り戻し始めたことを知れば、より強力な刺客を送ってくる可能性もある。
今は四天王の一人だけを相手にできる状況だが、もし四天王が総出で出てきたりしたら……。
そう考えると、少し背筋が冷たくなる。
「……ミュウまでそう思うのか」
イリスが深いため息をつく。銀色の髪が、その吐息に揺れる。
クリスタルの光を受けて、まるで月光のように輝いていた。
「分かった。行こう」
「そうこなくっちゃね!」
そうして私たちは、ヴォルグの要塞を目指すことになった。
■
要塞に近づくにつれ、空気が変わり始める。
もともと粘性のある魔界の空気が、さらに重たく、そして帯電したように感じる。なんか髪の毛が逆立つ感じがある……。
時折、遠くで雷鳴が轟く。
その音が、魔界特有の空気の粘性で歪んで聞こえる。まるで水中で聞こえる音みたいに、こもっていた。
「すごい威圧感……」
シャルの声にも、緊張が混じる。が、その目は真っ直ぐに前を見据えていた。
彼女の勾玉が、その雷鳴に呼応するように輝きを増していく。
青白い光が、シャルの手の中で脈打つように明滅する。
やがて、要塞が見えてきた。
灰色の巨大な建造物。
その壁には無数のクリスタルが埋め込まれ、それぞれが不気味な金の光を放っている。
壁面全体が生きているみたいに、クリスタルが息づくように明滅していた。
建物の頂上には、巨大な光球が浮かんでいた。
その表面と奥底に、何本もの稲妻が見える。雷鳴はその光球から発せられているらしい。
「あれがヴォルグの力の源か……?」
「うーん、そうっぽいけど。あの雷、なんていうか……混ざり物が多いっていうか」
「混ざり物?」
「そう。まぁ感覚的なものだけどね! アレならあたしの雷のほうが強いんじゃない?」
シャルの言葉に強く不安を感じる……! そんな負けそうなことをわざわざ言わなくても……!
シャルの力を信じてないわけじゃないけど、あんまり油断はしてほしくない。私はじっとシャルを見る。
「あはは、大丈夫大丈夫! 無理はしないから安心してよ」
シャルは私の頭をぐしゃぐしゃ撫でる。
……フードを被っていないぶん、視線もダイレクトに伝わってしまうようだ。
「よし、あたしが雷は引き受ける! イリスは他の守備隊、ミュウちゃんは回復を頼むね!」
シャルの声に、私たちは頷く。
その瞬間、要塞が大きく明滅した。
クリスタルの輝きが、まるで警報のように激しさを増す。
金色の光が、不規則なリズムで点滅を始める。
「おい、見つかったぞ」
「マジ!?」
イリスの言葉と共に、要塞の頂から巨大な雷が放たれた。
それは地を這うように襲いかかってくる。
空気が裂ける音と、魔力のうなりが混ざり合う中、金色の光が大地を焼き焦がしていく。
シャルが剣を構え、勾玉を握り締める。青白い光が彼女の体を包み込む。
その姿は、今までに見たことのないほど凛々しく見えた。
「行くよ、みんな!」
――と、その時だった。
「ぎゃーーーーーーーーっ!?」
要塞から放たれた雷が、シャルを直撃。黄金色の光線が彼女の体を貫く。
派手な閃光と共に、彼女の体が漫画みたいにカチカチっと痙攣する。
青白い火花を散らしながら、シャルの体が跳ね回った。
「シャルっ!?」
「あ、あばばばっ……!」
シャルの髪の毛が逆立ち、ポニーテールがまるでホウキみたいに広がる。
全身が真っ黒こげに。その姿はまるで、炭にした魚みたいだった。白目を剥いて、口から煙を吐いている。
シャルは地面に倒れこんだ。暗紫色の苔の上で、ピクピクと痙攣している。
……だ、大丈夫。息はある。
たぶんシャルは、勾玉の影響で多少雷に耐性があるようだ。普通の人なら即死レベルの攻撃だったはず。
そのとき、ドスンと轟音とともに何かが降り立つ。空気が揺れ、地面が大きく振動した。
現れたのは腕を組んだ甲冑姿の巨人。
全身を銀色の鎧で覆い、身長は5メートルほどはあるだろう。
その装甲からは不規則な雷光が漏れ出し、まるで生きているかのようだった。
完全に頭を覆い尽くすグレートヘルム。
その視界の穴から金色の光が漏れ、そこから厳かな声が響いてくる。
「まずは小手調べよ……この雷こそ、我、雷帝ヴォルグの力と知――」
「しばし待て、ヴォルグとやら」
イリスが手を広げ、彼を制す。
すると彼は大人しく言葉を区切り、腕を組んだままこちらを見ていた。鎧が軋む。
「……回復しろ、ミュウ」
「う、うん……!」
私は最大回復魔法で、黒焦げのシャルを回復した……!
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