第1話 追放×2
「ミュウ、お前をギルドから追放する」
ギルドマスターの声が、狭い執務室に重々しく響き渡る。窓から差し込む夕暮れの光が、部屋を赤く染めている。
私は目の前の威圧的な中年男性――ギルドマスターのグラハムを見上げる。
彼の濃い金の眉毛が険しく寄せられ、額には深いしわが刻まれている。
その表情は、まるで不良品を見るかのようだった。ここ最近、彼は私を見るときは常にこういう顔をしている。
彼の背後の壁に飾られた立派な魔物の剥製が、この場の緊張感をさらに高めているようだ。
しかし、私を追放……? 本気なのだろうか?
私の視線は、グラハムの机の上に置かれた公式の追放通知書へと移る。確かにそこには私の名前――ミュウ・トラザールの名が記されていた。
喉が震える。言葉を発しようと口を開く。唇が微かに動く。
「…………!」
しかし結局、私は何も言えない。ただ、グラハムを見つめ返すことしかできなかった。ああ、いつものことだ……。
(私がいなくなったらたぶん、このギルドやばいですよ!)
そう目で訴えてみるが、睨んでいるようにしか見えないかもしれない。
私は生まれつき目つきがあまり良くない。親にもよく「そのじっと睨むのやめなさい!」と怒られたっけ……。
「そのじっと睨むのやめろ。なんで一言も発さない?」
グラハムが記憶の中の親と同じ言葉で、当然の問いかけを私にする。
彼の声には苛立ちが滲んでいた。執務室の隅に置かれた大きな古時計が、重々しく時を刻む音が聞こえる。
そう、私はたしかに、このギルドに来てからほとんど喋ったことがない。
というか、日常生活でもほぼほぼ人と喋ることはない。
「とにかく、黙っているということは認めるのだな。この追放を」
いやいやいや。認めないけど。
考え直してくれないですか、ギルドマスター! だって――
「我がギルドには、ギルド内に戻りさえすれば傷が治る奇跡の加護がある。
よって、外にも出ずに一日中ギルドにいるようなヒーラーはいらん!
つまり、お前のことだ」
(――それやってるの私だよ!?)
内心で叫びながら、私は唇を噛みしめた。
目を閉じると、つい先ほどまでの日常が蘇る……。
■
騒がしいギルドの広間。いつもの喧噪が私の耳を満たしていた。
(皆賑やかだなぁ……)
私は、いつものように広間の隅のテーブルに座っていた。
古びた木のテーブルは、欠けたり抉られたりしている。周りでは冒険者たちが大声で笑い、酒を飲み、武勇伝を語り合っている。
その喧噪の中で、私はただ静かに座っているだけだ。でも、特に不満はない。誰かと話すよりよっぽどマシだし。
すると突然、広間の重厚な扉が勢いよく開く音がした。冷たい風が一瞬吹き込み、ろうそくの炎が揺らめく。
「誰か! ヒーラーを!」
慌てた様子の若い冒険者が叫ぶ。彼の後ろには、仲間に支えられた負傷者の姿。深手を負っているようだ。血の匂いが広間に漂う。
広間が一瞬静まり返る。そして、すぐに騒然となった。
「早く! ヒーラーはいないのか!?」
「ヒ、ヒーラーは……いないんだよ。けど……」
「おいおい、ずいぶんなケガだぞ……ホントに治るのか……?」
私は座ったまま、運ばれてきた遠くの冒険者の容態を見る。
大げさだなあ。
これくらい死ぬような怪我じゃない。
確かに、傷は深い。普通のヒーラーなら、治療に時間がかかるだろう。でも、私には問題ない。
テーブルのそばに立てかけていた杖を握り、魔力を通す。杖は温かみを帯び、かすかに光る。
一瞬。
そのほんの一瞬で、男の傷が完全に癒えた。傷口が閉じていく様子は、まるで時が巻き戻るかのようだ。
「あ、あれ?」
負傷していた冒険者が驚いた声を上げ、立ち上がる。彼の顔から痛みの色が消え、健康な血色が戻る。
「痛みが……消えた?」
「ふん。だから普段から言っているだろう。我がギルドには聖なる加護が宿ってるのだと!」
少し遅れて、ギルドマスターの登場だ。
これでもかというほどのドヤ顔を貼り付け、腕を組んで出てきた。彼の金の胸章が、ろうそくの光を反射して輝いている。
周囲から歓声が上がる。
「す、すげぇ……! これが本物のギルドの加護かぁ!」
「ギルドに戻れば傷が治るって本当だったんだな……!」
「言ったろ? 俺も何度も世話になってるんだって!」
歓声の中、私はため息を吐き、杖から手を離す。誰も私に気づくことはない。治したのが私ということにも。いつもの事だ。
「遠隔無詠唱ヒール」。どうもいまいち納得はしてないけど、これができる人はほとんどいないそうだ。
そういう事情も相まって、私はいつも隅にいるだけだ。脚光を浴びたことなど一度もない。
(……ま、これであの人が死なずに済んだなら、それに越したことはないよね)
私にヒールを教えてくれた人も言っていた。「癒やしの力とは、とにかく誰かを救うためのもの。それに付随する感謝や金は二の次だ」……って。
なので私は今日も、誰にも気づかれなくともヒールをするのだ。会話、したくないし。
グラハムが新入りの冒険者に自慢げに語る声が聞こえてくる。
彼の声は、まるで市場の呼び込みのように大きく、広間中に響き渡っていた。
「我がギルドには不思議な力があってな。ここに戻りさえすれば、どんな傷でも治るんだ。
おそらく、多くの冒険者を輩出してきたこのギルドに、神の加護が宿ったんだろう」
(そんなのあるわけないじゃん……)
私は内心で小さくため息をつく。でも別にいい。いや、グラハムのドヤ顔はちょっと腹立つけど。
そんなふうに、ギルドの午前は過ぎていった……んだけど。
■
「おい、ミュウ!」
突然、ギルドマスターの声が私を現実に引き戻す。その声にはいつもの威厳に加えて、ひどく厳しいものが混じっている。
午後になってから私が呼び出されたギルドマスターの部屋は、広間とは打って変わって静寂に包まれていた。
厚手の深緑のカーペットが足音を吸い込み、壁一面に並ぶ古めかしい本棚が話し声を遮る。
窓からは夕暮れの柔らかな光が差し込み、室内を赤く染めている。
その光は、部屋の隅に置かれた鎧の展示品に反射し、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
グラハムは、重厚な樫の木の机の向こうで椅子に座ったまま、厳しい表情で私を見つめていた。
その目には、怒りよりもむしろ諦めのような色が浮かんでいる。
彼の指は、机の上に広げられた書類の端をトントンと叩いていた。
「ミュウ」
グラハムの声が、静寂を破る。
「…………」
私は黙ったまま、彼を見つめ返す。
「お前は、このギルドに何をしに来ている?」
私は首を傾げる。
(何って……ヒーラーとして働いてるんじゃないの?)
「答えろ」
グラハムの声が低く響く。私は小さく息を吐き、口を開こうとするが、やはり言葉が出てこない。
「……ぁ……あの……それは、あ……ええと……」
……そう。私が会話をしたくない理由とはただ1つ。
私は、致命的なコミュ障だ。
人里離れたところでヒーラーの修行をしていたせいで、とにかく人と話す機会がなく……気づけばこれだ。
ほら、よく例え話で、「人と話すとMP使うよね〜(笑)」とか言うじゃない?
私の場合、コミュ障すぎて本当にそれが起きるのだ。
……私が苦労して覚えた魔法に、最大回復魔法というものがある。
死んでさえいなければどんな負傷でもすぐに治す、そうそう習得できない魔法だ。これの消費MPは45……かなり大きい方だろう。
一方、私が初対面の人に「おはようございます、今日もいい天気ですね」と話しかけたとする……その消費MP、およそ180。
最大回復魔法の4倍である。メンタルに負担がかかりすぎる。会話なんかしていたらすぐに魔力が尽きてしまう。
「まったく」
グラハムは深いため息をつく。その息は、彼の苛立ちを物語っているようだった。私が話し出すのをしばらく待っていたが、諦めたらしい。
「お前は、ギルドに入ってからずっとこうだ。誰ともパーティーを組まず、挨拶もせず、たまに低ランクの依頼を一人でこなすだけ。それ以外は、ただギルドにこもっているだけだ」
(それは……ごめんなさい……。だってパーティーとか絶対ムリだし……一緒に移動してるだけでMPがゴリゴリ削れるし……)
「我がギルドには、ここに戻りさえすれば傷が治る加護がある。そんな状況で、外に出ようともしないヒーラーに何の価値がある?」
グラハムの言葉に、私は目を見開いた。彼の声には、怒りと共に深い失望が滲んでいた。
(いや、でも違う! その加護なんてものはないんだって! 全部私が……!)
「お前は、ギルドの資源を無駄遣いしているだけだ。他の冒険者たちは、命がけで依頼をこなし、ギルドに貢献している。だが、お前は――」
グラハムは言葉を切り、机の上の書類に目を落とす。その書類には、私の名前が大きく書かれているのが見えた。
「もう1度言おう、ミュウ。お前をギルドから追放する」
その言葉に、部屋の空気が凍りつく。窓の外で鳴いていた小鳥の声も、この瞬間だけ止まったように感じた。
私は必死に言葉を絞り出そうとする。でも、なんて言っていいのかわからない。こんな状況で何を言えば……?
ギルドの加護とかいうのが誤解だって伝えようにも、どこからどこまで説明すればいいんだろう。ストレスで胃が痛くなってきた……。
そうしてグラハムは私の沈黙を、反論の放棄と捉えたようだ。
「これ以上、ギルドの部屋を無駄にはできん。今すぐ荷物をまとめろ」
……私は、ただ頷くことしかできなかった。
(パーティーの件はたしかに私も悪かったけど……ギルドの評判を上げたのは私なのに)
例の、グラハムが自慢げに語っていた神の加護がどうのという話。
アレに惹かれてギルドに所属した人間は、私の知る限りでも37人はいたはず。十分貢献したと思ったんだけどなぁ。だめだったかぁ……。
部屋を出ようとする私に、グラハムが最後の言葉をかける。
「まったく。人と話さないんだったら冒険者なんか無理だ。やめちまえ」
「……」
私は振り返らず、静かにドアを開けた。彼のその言葉には、さすがに胸が痛んだ。
ギルドマスターの部屋を出た私は、自分用の小さな部屋へと向かう。
廊下は夕暮れの薄暗がりに包まれていた。壁に並ぶよくわからない肖像画の目が、私を見送っているようだ。
部屋に着くと、荷物をまとめ始める。
といっても、私の持ち物はそう多くない。杖、数冊の魔法書、着替え、そして昔から大切にしている水晶のペンダント。
これらを古びた革の鞄に詰めていく間、廊下の騒がしい声が耳に入ってきた。
「聞いたか?あのコミュ障のヒーラーの子、追放されたらしいぜ」
「マジか。まあ、あいつよくわかんないやつだったしな。顔は可愛いんだけど、声聞いたこともないし」
「ギルドに戻れば傷は治るんだから、外に出ないヒーラーなんて要らないんだろうな」
(……ああ、噂はもう広まったんだ)
私は小さくため息をつく。彼らの言葉は耳障りだけど、別に反論する気にもならない。
だって、説明するのに必要なMPを考えたら……ゾッとする。
荷物をまとめ終えると、最後にもう一度部屋を見回した。
私の部屋はギルドの中でも一番奥まった場所にあり、広場への移動が若干面倒な場所だった。
壁には簡素な本棚が置かれ、そこには魔法書と薬草の図鑑が整然と並んでいる。
ベッドの横には小さな机と椅子があり、机の上には未完成の魔法陣の設計図が広げられたままになっていた。
13歳の頃から、1年間過ごした場所。決して居心地が良かったわけじゃないけど、それでも少し寂しい。
窓辺に置いていた小さな鉢植えの花を見て一瞬躊躇したが、結局置いていくことにした。
(さて、これからどうしよう)
ギルドを出る準備は整った。でも、行き先は決まっていない。
街の外れにある安宿にでも泊まろうか。それとも、もう街を出てしまおうか。
そんなことを考えながら、私は重い足取りでギルドの出口へと向かった。
ギルドの大きな扉を開け、外の空気を吸い込む。冷えた空気が肺に入ってくる。
夕暮れの街はオレンジ色に染まっていた。石畳の通りには、帰宅を急ぐ人々の影が長く伸びている。
(さようなら、ギルド。まあ、悪い思い出ばかりじゃなかったかなぁ。拾ってもらったことは感謝してるし)
ただ1つ気になるのは、これからのギルドのことだ。
私がいなくなったら当然、ギルドの加護とやらは消える。
それをアテにして、グラハムはヒーラーの確保をサボりまくっていた。あのギルド、ほんとに大丈夫なんだろうか。
(ま……なんとかなるか。私の力なんてそんな大したことないし)
そんなふうに、ギルドの方を振り向きながら歩いていたら、何かにぶつかった。荷物の重さも相まって、後ろに倒れてしまう。
「……!」
「あっ、ごめんごめん! 大丈夫? あれ? 君いつもギルドの端っこにいるヒーラーの子だよね?」
私の腕を掴んで助け起こしつつ、すごい早口で喋りだす女の人。
私より4,5歳くらい上だろうか? 赤い髪をポニーテールにまとめた、快活そうな剣士だ。
彼女の明るい緑色の目が、好奇心に満ちて私を見つめている。
背中には大きな両手剣が括り付けられており、その柄には何か赤い飾りがついていた。
「いやー、ついよそ見しちゃってさ。ていうかどうしたのそんな大荷物。もしかしてギルドやめちゃうの?」
「……」
「えっ、適当言ったのにまさか本当にそうなの!? ごめん! これじゃあたしすごいノンデリみたいじゃない!?」
(すごい喋るな……)
「お詫びとお別れになんか奢ってあげたいんだけど、あたしも今ちょっとマスターに呼ばれてるんだよね! だからちょっとだけ待っててもらってもいい?」
そのまま彼女は私の返事も聞かずにギルドの奥へと走っていってしまった。
……嵐のような人だ。何なんだろう、一体。別に奢ってもらう必要なんてないんだけど……。
でも、このままバックれるのはそれはそれで嫌だ……。ああいう陽キャの要求を無視したりすると、後日報復のためにギルドの裏に呼び出されたりしそう……。ギルドやめるけど。
それからしばらく待っていると、奥からやけに荷物の多いあの女の人が出てきた。
なんか、旅にでも出るような荷物量だ。大きなリュックに寝袋、調理器具らしきものまでぶら下げている。
「なんかさ」
彼女はニコリとこちらに笑いかける。汗で少し乱れた前髪を手で払いながら。
「あたしもクビになっちゃった! あはは!」
……なにがアハハなの!?
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