猫耳モード
俺としては初めて知ったことなのだが、時間というものは楽しく過ごすと早く過ぎるように感じるものらしい。
たくさん学び、たくさん喋り、たくさん身体を動かし――聖鳳学園で過ごす一日は常にあっという間に過ぎてゆく。
そんなこんなで今日も平和に放課後を迎えた俺は、当然、という感じで、藤堂アイリと肩を並べて駅を目指した。
お互いに、あまり会話をすることはなかった。
ゆっくり、なるべく駅までの時間が長くなるように気だるく脚を運びながら、俺たちは時々、アレってどうだったっけ? とか、あそこに鳥がいる、などと、オチのない話を沢山した。
なんでなのか、この人の間に不意に落ちる沈黙は苦痛ではなかったし、焦って楽しませなくていいのだという確信があった。
途中、ファミリーマートがあったので、俺たちはそこでファミチキを二つ買い、齧りながら歩いた。
お嬢様である藤堂アイリはこういうジャンクな食べ物には馴染みがないらしく、俺が教えてやったところその味を大変気に入り、最近は下校の度に買って食べている。
袋を半分剥き、がりり、と衣の音を立ててかぶりついた藤堂アイリが、んーっと声を上げ、実に美味い、というようなリアクションを見せた。
「なんだかガンジュくんと一緒にいると、美味しいものに次々とめぐり逢いますねぇ」
いや、一個数百円のファミチキでこんな美味そうな表情が出来るお前が幸せな人なんだよ、と言おうかと思ったが、心からファミチキを楽しんでいる藤堂アイリの顔を見ると、無慈悲にツッコむのも憚られた。
結局、そりゃどうも、などと俺はブツクサ言い、ファミチキを齧った。
《無所属新人、佐々木鏡石、佐々木鏡石でございます! ご声援ありがとうございます! 今回の県議会選挙では佐々木鏡石、佐々木鏡石を皆様、どうぞよろしくお願い致します――!》
どこかから、けたたましい拡声器の声が聞こえた。
そういえば選挙が近いんだったな……と思っていると、ふと、藤堂アイリがしばらく口を開いていない事に、俺は気がついた。
それは明らかに何かを言い出すタイミングを図っている沈黙で、俺は気づいていないフリをしながら少し緊張した。
「この間のガンジュ君の徳丹城ダンジョンの配信のアーカイブ、全部見終わりましてね」
おう、と俺が言うと、少し不満そうに藤堂アイリが俺を見た。
「それだけ、ですか?」
「いや、それだけか、って……俺が配信したんだぞ?」
「本当に、それだけ?」
「他にどう反応しろって言うんだよ」
「ガンジュ君、最後、魔力切れで死にかけましたよね? 血まで吐いて……」
俺は口を閉じて視線を逸らした。
「……そうだったかな。もう覚えてねぇや」
「もう……変なところでとぼけないでくださいよ」
そう言えば俺はこういうやつだったな。
藤堂アイリはそんな感じで、呆れたように笑った。
「それだけじゃない。あんなにボロボロになって、素手でオークロードを蹴散らして、ジェネラルスコーピオンをバラバラにして、九十回もフロアスキップして……助けに来てくれた時、一目でかなり無茶はしたんだろうなって思ってましたけど、想像以上でしたよ」
藤堂アイリは立ち止まって俺の顔を見上げた。
俺を見るその目に、日に照らされきった泥のような、じっとりと湿った熱を感じた俺は息を呑んだ。
「ねぇ」
「……なんだよ」
「ガンジュ君は、そんなに私のことを助けたかったんですか?」
なんだか妙な質問に感じたし、実際した方の本人も、そう思っているのだろう。
だが一言、そうだよ、と答えれば、俺は質問の裏に隠された何かを肯定してしまう。
そのぐらい、対人スキルが限りなくゼロに近い俺にもわかった。
けれど――そうだよ、とあっけらかんと言える勇気が、俺にはまだなかった。
本当は助けたくて、一刻も早く藤堂アイリに会いたくて、かなり無茶をしたのに。
俺があのとき、どれだけ必死だったのかなんて、配信された動画を見たら一発でわかってしまうのに。
それなのに――俺は俺の口からそう言う勇気が、どうしても奮い起こせなかった。
困ってしまった俺が俯くと、ふぅ、と藤堂アイリが少し嘆息した。
改めて、俺はそういう奴だったな、と納得したようにも、少し落胆したようにも受け取れる反応だった。
「もういいです。別にガンジュ君をいじめたいわけじゃないんですよ?」
「ああ、わかってる」
「けれど――ちょっぴり残念なのも、本当です」
思えば藤堂アイリという人は、ずいぶんストレートに自分の気持ちを口にできる人だ。
率直というのではなく、この人はきっと、どこまでも自分の気持に素直な人なのだ。
それに比べて俺は、やっぱり捻くれていて、変なところで頑固だ。
差し伸べられる手が照れくさくて、そして信じられなくて、ついつい振り払ってしまう――。
情けないなぁ、俺って……と自分で自分に失望していると、俺の眼の前に藤堂アイリの手に握られたファミチキが差し出された。
俺がファミチキと藤堂アイリの顔に視線を往復させても、藤堂アイリははにかんだまま、何も言おうとしない。
ほら、これなら。これならあなたにも出来るでしょう?
なんだか藤堂アイリの顔は、そんなことを言いたげに見えた。
結局、俺は藤堂アイリの差し出したファミチキに、がりりとかぶりついた。
そのまま、鶏肉の繊維を毟り取るように齧り取ると、ああっ! と藤堂アイリが悲鳴を上げた。
「ちょ、ガンジュ君! 一口で半分以上行っちゃうなんて……!」
「るせー、お前がやらせたんだろうが。それに俺がそういうデリカシーとか遠慮がない男だっていうのは知ってるだろ。お前が悪いよ」
「そ、それにしたって、あと三分の一もなくなっちゃうなんて……!」
ああああ、と嘆き声を上げている藤堂アイリに、流石に俺も自分のしたことを反省するような気持ちになった。
俺は俺のファミチキを、藤堂アイリの眼の前に差し出した。
えっ? と目を丸くした藤堂アイリの視線から逃れるように、ぷい、と俺は横を向いた。
「……悪かったよ、俺のもやるから、そんな顔するな」
俺がぼそぼそと言い、早くしろよというように右手で催促すると、にっこり、という感じで藤堂アイリが笑い、俺のファミチキを一口で半分以上齧り取った。
これで、おあいこだ。俺と藤堂アイリがなんだか照れくさく笑い合ってしまうと、ボスッ、という感じで、藤堂アイリが俺の胸に自分の頭を押し付けてきて、俺は滅茶苦茶慌てた。
「とっ、藤堂……!?」
「えへへ、ガンジュ君、顔真っ赤です。ぐりぐりぐりぐり~」
「ちょ、擦り付けるなって! ファンデーションで制服が汚れる!」
「いいじゃないですかマーキングですよ! ……うぇへへ、ガンジュ君の匂いがしますね。落ち着く、すごく、落ち着く匂い……」
やべぇ、こんなの、俺の心臓が持たない――。
そのまま、俺の胸で妙に落ち着いてしまった藤堂アイリを間近で見下ろした俺の心臓が、胸壁を突き破らんばかりにバクバクと鳴り、血圧が急上昇して気分が悪くなる。
かといって、離れろ! と一喝する勇気もなく、仕方なく俺はそのまま硬直する他なかった。
俺は明確に、何かに「敗北」した。
『最後の言葉はアイリちゃんの方から言わせたらダメだよ? そこは男の子しなきゃ。思いを伝えるのは絶対にガンちゃんから、わかった?』
今朝方、冬子さんに言われた言葉が、余計なタイミングで頭の中に響き渡った。
おそらく、おそらくだけど、俺はその「最後の言葉」とやらを、藤堂アイリに向かって言いたがっている。
藤堂アイリの方も、俺が勇気を奮い起こしてくれるのを、ずっと待っている。
それは確信だったし、決して俺の勘違いではない気がした。
すぅ、はぁ、と、俺は悟られないように深呼吸を繰り返した。
こういうとき、なんと言えばいいのかなんて、俺にわかるはずがなかった。
わかるはずがなかったけれど……とにかく、俺はその言葉を、口にしなければならない。
俺は藤堂アイリの頭に、左手で触れた。
「あの、藤堂」
俺が改まった声で言うと、藤堂アイリが不思議そうに顔を上げた。
そして、俺の赤い両目に、何らかの決意の色が浮かんでいるのを見て、藤堂アイリの白い顔が少しずつ桜色に染まっていく。
俺はありったけの勇気と度胸とをかき集め、まだ食べきっていないファミチキを掴んだまま、藤堂アイリの両肩に手を置き、その顔を覗き込んだ。
「あの、さ。急に悪い。まず、聞きたいんだけど、これは俺の、俺の勘違いでは、ないと思う……それでいいか?」
俺が情けなく尋ねると、一層赤くなった顔を俯け、藤堂アイリはコクコクと何度も小刻みに頷いた。
よかった、と莫大に安堵して、俺は更に言った。
「さっ、更に、場の雰囲気に流された結果でもない……それであってるか?」
コクコク。藤堂アイリが俺の顔の真下で首肯した。
ゴクリ、と、俺は喉仏を鳴らして唾を飲み込んだ。
「最後に……藤堂は、俺がもしその言葉を言っちゃったら、その、とりあえず、喜んでくれる……それで、それで本当に、いいのか?」
「……うん」
藤堂アイリが甘えたような声で肯定した。
これで、99.999999……%は、お互いの気持が確定した。
後は――俺が勇気を出すだけなのだ。
俺はありったけの度胸をかき集め、震える声を絞り出した。
「藤堂、藤堂アイリさん。もしよかったら、俺と――」
世界が、俺を取り巻く世界が、運命の時を迎えようとした、その途端。
「あのっ、ダンジョンイーツさんですよね!?」
――その時、俺は藤堂アイリの肩に両手を置いておいて、本当に良かった。
そうでなければその瞬間、俺は「空気読めやあああああああ!!!!!」の一言と共に激昂し、《肉体強化》120%の状態でその声に向かって食べかけのファミチキを投げつけていたかもしれなかったからだ。
ファミチキは、外はパリッと、中はジュワッとだ。その衣は割と硬い。超音速で投擲されれば衝撃波を伴って空中を疾駆し、人間の頭蓋骨など簡単に粉砕するだろう。
俺はあやうく、ファミチキで人を殺した初めての人類になりかけたのだ。
コトを邪魔された俺と藤堂アイリはぎょっとして身体を離した。
そして、振り返ったその先には――物凄くケミカルなピンク色の髪を戴いた頭があった。
この制服――聖鳳学園の制服だ。
だが、藤堂アイリが着ている制服とは、リボンの色が違う。
藤堂アイリの制服のリボンは青で、この女子生徒のは赤だ。
ということは、この生徒、中等部の生徒――?
そう当たりをつけると、ピンク色の髪の生徒は物凄くもじもじとしながら、俺の言葉を待っていた。
「あ、ああ、そうだけど……何?」
俺がそれだけ言うと、何かを思い詰めていた女子生徒の顔がそれだけでパッと輝いた。
だが輝いた瞬間、その女子生徒はなんだかハッとして何かを思い出し、また表情を曇らせてしまう。
えぇ、なんだコイツ、何者だ?
俺に何を言おうとしている……などと思った、その途端。
俺はある可能性に思い当たり、ぎょっと身を固くした。
「うぇッ――!? ま、まさか、このタイミングでか!?」
「えっ? ガンジュ君、どうしたんです?」
「あ、あの、まさか、これってそういうこと!? おっ、俺、困るよ!」
俺は年上、先輩としての威厳もへったくれもなく困惑した。
後輩、女子生徒、そしてこの表情――俺の貧しい対人経験から考えても、これはそういうことと考えていいはずだ。
「あの、ゴメン! 俺、そういうのはちょっと――!」
「あの、ダンジョンイーツさん、突然すみません、私みたいな人間が急にお声がけしちゃって……でも、どうしてもダンジョンイーツさんにお願いしたいことがあって……!」
「こっ、困る! あのな君、よく考えてくれ! こんなぶっきらぼうで死んだ魚の目してる男なんかじゃなく、君にはもっともっと素敵な人がいる! そ、それに俺、もう好きな人が――!」
「あのっ、ダンジョンイーツさん、お願いです!」
途端、ピンク頭が、がばっと俺に向かって最敬礼し。
愛の告白よりも、もっともっと思いがけないことを言った。
「お願いです、ダンジョンイーツさん! 私を、私を弟子にしてくださいッ!!」
――時が、止まったような気がした。
弟子。恋人じゃないんかよ。
その一言に、俺が安堵するか拍子抜けするか決めかねているあたりで――女子生徒の頭の上に、ぴょこん、とばかりに飛び出てきたものがある。
それは一対の――猫の耳、としか言えない、獣の耳。
もう情報量についてけねぇ。正直、そう思った。
――俺はその日、人生で初めて、他人から「あなたの弟子になりたい」という、告白をされた。
しかも、エロゲのメインヒロインのような物凄く甲高い声の、物凄くケミカルなピンク色の髪をした、とどめに猫耳の後輩少女に、である。
「面白い」
「続きが気になる」
「弟子ができてよかったね」
そう思っていただけましたなら
「( ゜∀゜)o彡°」
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