ダンジョンEats
しばらく――お互いに無言だった。
耳が痛くなるようなダンジョンの静寂の中に、自分の呼吸音だけが聞こえ続けた。
しばらくすると――銀髪が口を開いた。
「あ、あなた、な、何者なんですか……?」
ん? と俺は銀髪を見た。
銀髪は少しだけ生気が戻った顔で俺を見つめている。
さっきから思っていたが、なんだか随分スタイルのいい女だ。
今の銀髪が着用しているのは、ポロシャツにデニムという俺とは違い、ダイバースーツと呼ばれるガンダムのパイロットスーツのような服装で、これひとつで下級モンスターの攻撃ぐらいなら防いでしまう優れものだ。
なおかつ目の前の銀髪は、分厚い生地の上からでもその凹凸の明確さがよくわかるし、へたり込んでいる今、膝頭の位置がほぼ目線の高さぐらいだ。つまり、ものすごく手足が長いことになる。
顔立ちそのものも端正だし、反面、どこかに人を惹きつけるような愛嬌もあって、初対面の俺でさえウッカリ無条件に好感を持ってしまいそうな雰囲気がある。
何者だろう、【討伐者】、あるいは【探索者】か――?
と――そこで、俺はあることに気がついた。
銀髪の頭の上、小さなモーターの駆動音とともにふわふわと空中に浮いているドローンと、キラリと光るカメラのレンズ。
そして今更気づいたが、銀髪の左耳には片眼鏡のような電子端末がかけられてもいる。
この女、【配信者】かよ。
ちっ、と舌打ちをして、俺は銀髪から目をそらした。
「配信を切れ」
「え――?」
「俺は【配信者】が嫌いなんだ。切らなきゃ会話しねぇぞ」
「あ、ああ、ごめんなさい……」
そう言って、銀髪はドローンを見つめた。
まるで忠実な使い魔のように銀髪の手元に降りてきたドローンに向かって、銀髪は何かを小声で言った。
:え、配信終わり?
:おい、いいとこなのに終わんな
:ちょっと! ソイツの正体が滅茶苦茶気になるんですけど!
:切るな切るな切るな切るな切るな切るな
:ちょっと待って!
:せめて正体だけでも
「――今、配信終わらせました。勝手に撮影しちゃってすみません……」
「ホントだよ。ったく、なんでこんな妙なものが流行るかねぇ。ダンジョン配信なんてくだらないお遊びがよ」
俺が吐き捨てると、銀髪がわかりやすくムッとしたのがわかった。
「だっ、ダンジョン配信はお遊びじゃないです! 神災の影響でダンジョンが世界に出現してまだ十二年しか経ってないんですよ!? この映像はダンジョンの実態解明のために様々な研究機関の貴重な資料にもなる映像であって――!」
「それで、今日のあんたが研究機関とやらに提供できる映像は、トカゲに追いかけられて悲鳴上げてる映像か?」
俺の皮肉に、銀髪が何も言い返せずに項垂れた。
ほら、だからダンジョン配信者は嫌いなんだ。
みんなみんな、チープなスリルをカネと名声に換えて一発逆転を狙っている低能ばかりだ。
「数ある【潜入者】の中で、【探索者】や【採集者】、【討伐者】はわかる。ダンジョン内の鉱物や生物は貴重な研究サンプルや資源になる。それに、ダンジョンから地上に這い出そうとする危険なモンスターを討伐する人間も世の中には必要だ」
俺はそこで言葉を区切り、腹に力を込めて詰った。
「けれど【配信者】は例外なくクソだ。マナーも悪いしうるせぇし、弱い癖に無茶してよく死体にもなるから稼ぎの効率も悪い。俺が一番相手にしたくねぇお客様だよ――」
お客様。その言葉に、銀髪が顔を上げた。
「お、お客様、って……あなた、改めて、何者なんですか? そっ、そんなに強いなら【討伐者】、いやまさか【探索者】……!?」
「俺か? 俺は【配達者】だよ」
「で、デリバラー……? 聞いたことないんですけど……」
「【D Eats】」
俺が言うと、銀髪が首を傾げた。
そりゃ当然の反応だろうな、と思いつつ、俺は答えた。
「要するに――ダンジョン専門のフードデリバリーサービス……それが俺のバイト先、【D Eats】なんだよ」
ダンジョンイーツ。
その言葉に、銀髪が、え? え? と戸惑い始めた。
「だ、ダンジョン専門のフードデリバリー……!? なんだってそんなことを……!?」
「知らねぇよ。これを創業した先代の社長に聞いてくれ。つっても、もう死んだけどな、二年前に」
「あ、あなたレベル5の覚醒者なんでしょ!? そんな実力がありながらそんな訳がわからないバイトを……!」
「それ、二度と言うな」
一瞬、俺は真剣な怒りで口開いた。
途端に、びくっ、と銀髪が怯えた。
「次にわけわからないなんて言ったら、タダじゃおかねぇ。わかったか?」
俺の恫喝に、「す、すみません……」と銀髪は謝罪を口にする。
ほらやっぱり、これだから【配信者】はクソなのだ。
俺は顔を歪めて舌打ちをした。
「で、でも、実際に意味がわかりませんよ! 食事を配達するにしても、なんでよりにもよってダンジョン限定なんですか!? そんなニッチな仕事、需要そのものが――!」
瞬間、きゅう、と音がして、はっと銀髪が口を閉じ、自分の腹部を見た。
俺は銀髪を睨みつけた。
「それなりに需要があるってわかったろ?」
俺の一言に、銀髪が恥じ入ったように顔を赤くした。
ハァ、と俺はため息をつき、立ち上がって銀髪に歩み寄った。
「もう大丈夫だろ、箱返せ」
「あ、え? は、はい……」
「それと……腹減ってんのか?」
「そ、それなりに……結構走ったし、魔力も使ったから……」
「ハァ、ダンジョン潜るなら余分な食料ぐらい計画的に持ってくるもんだぜ。まぁ、あんたらみたいな向こう見ずの馬鹿がいるから、俺もこのバイトが出来るんだけどな……」
どうするか迷ったが、このまま捨て置くのもなんだか気の毒な気が、何故かした。
俺はほぼ真四角のデリバリーボックスを開き、中から丁寧にパッキングされた煮干しラーメンを取り出し、割り箸とともに銀髪に差し出した。
え? と、銀髪が俺とラーメンに視線を往復させる。
「食え」
「え? え?」
「これ、注文したお客様が下層階で死んじまってたんだよ。さっき助けてやっただろ? このままだと荷物になるから、アンタを助けてやった俺への当然の礼として、アンタが食ってくれ」
「えっ、えぇ……!? た、助けてもらった上に食事までなんてそんな……! おっ、おカネ払いますから……!」
「いいよ、さっき防御魔法で守ってくれた分を相殺で。いいから早く受け取ってくれ」
俺の言葉に、銀髪が慌ててラーメンを受け取った。
銀髪が震える手でパッキングを外すと――ふわ、と、煮干し出汁のスープの香ばしい香りが広がった。
「わぁ――」
「一応、ここらでは行列店の料理だぜ。伸びないうちに食え」
「いっ、いただきます……!」
言うが早いか、銀髪は割り箸を割り、器用に食べ始めた。
その髪の色ゆえ、見た目は外国人にしか見えないが、やはり純血の日本人らしい。
まぁ、曲りなりにもダンジョンで活動できるような覚醒者は《《神災の影響であっちとこっちがごちゃまぜだから》》、とかく見た目が一定ではない。
俺のこの赤い瞳と、アホみたいな赤色の髪もそうなんだよなぁ……と俺が前髪を弄り回していると、ズゾゾ、と景気よく一口目を啜った銀髪が、ほっ、とため息を吐いた。
「お、美味しい――! 凄く、凄く美味しいです……!!」
銀髪が歓声を上げ、俺は目を丸くした。
「これ、魚介の味がしますね……! 脂の強さとスープの濃厚さがマッチしてて凄く複雑な味がします! それに煮干し出汁が少し苦いのが食欲をそそると言うか……!」
「なんだか、エラく幸せそうに食べるなぁ……何? アンタ、ラーメン初めて食べたの?」
「はい! 生まれて初めて食べました! ラーメン美味しいです!」
は……? と俺は一瞬、真剣に驚いて銀髪を見た。
銀髪は俺の視線など気が付かない様子で、麺を啜ることができないのか、ニコニコ顔でラーメンを手繰って食べている。
「ずっと気になっていたんですよね、ラーメン! 学校のみんなが部活動帰りに仲良く食べに行ったりしてて! ウチは親が厳しいからそんな身体に悪いものは食べるなとか言われてたんですけど……こんな美味しいなら多少身体に悪くても病みつきになっちゃいますよね!」
これはなんとまた……今どき、ラーメンの一杯も許さないとは。
この銀髪、立ち居振る舞いや口調、そして雰囲気からわかってはいたが、かなりのいいとこのお嬢様であるらしい。
そんなやんごとなき人物がなんでダンジョン配信なんかしているのか謎だが、ラーメン一杯でこの猛烈な喜びようは、どう見ても嘘や演技ではなかった。
やれやれ、こんな美貌も財産も、そしてちゃんとした家族もいる人がダンジョンで【配信者】やってるなんて世も末だな……。
呆れ果てている俺の耳に、グスッ、と洟を啜る音が聞こえて、俺はぎょっとした。
「す、すみません、なんだか急に、泣けてきちゃって……」
銀髪は――泣いていた。
ぐじぐじと、鼻頭と目尻を真っ赤にして、ラーメンを啜りながら泣いていた。
急な女の涙に密かに動揺している俺の隣で、銀髪は涙に濡れた声で言った。
「ああ、美味しい……凄く美味しい……。うまく言えないけど、生きてる、って感じの味ですね……」
銀髪は生まれて初めてのラーメンの味を噛み締めるのと同時に、自分が生きている喜びをも噛み締めているようだった。
ぐすっ、と再び洟を啜って、銀髪は目元の涙を拭った。
「ああ、美味しい、美味しいなぁ……! こんなに美味しいご飯、私、生まれて初めて食べました……! もう、ダメかと思ったのに、もう、終わりだと思ったのに……!」
ぐじぐじと洟を啜る顔に――なんだか見覚えがあった。
そういえば俺も、先代の社長に拾われた時、今の銀髪のようにラーメンを食べていた。
思えば、今の状況はその時と全く同じだった。
ラーメンを食べながら、ぐじぐじと涙を流す俺を、先代の社長――俺の親父殿は、なんだか救われたような表情で眺めていたっけ。
ふと――右手が勝手に動いた。
俺はほぼ無意識の行動で、銀髪の頭を撫でてしまっていた。
「え――」
銀髪が驚いたように俺を見た。
俺は憮然と答えた。
「いいから、黙ってろ」
名前も知らない初対面の人間の頭を、まるで犬コロのように撫でる所業――。
失礼だとはわかっているけれど、こういうときは、そういう風にするものなのだ。
「どうした、箸止まってんぞ」
「え? あ、ああ、はい――」
俺の指摘に、銀髪がラーメンを食べるのを再開した。
俺は銀髪の頭の上でもぞもぞと手を動かしながら、銀髪がラーメンを啜り終わるのを待った。
しばらくして――汁の一滴まできちんと飲み干した銀髪が、容器を床に置き、合掌して……言った。
「ごちそうさまでした」
ほう、とため息を吐いた銀髪が、うっとりと言う。
「美味しかった、です。人生で一番、美味しい食事でした――」
にっこり、と、銀髪が微笑んで俺を見つめた。
さっき死にかけていたとは思えない、余りにも隙だらけで、なおかつ愛嬌のある笑みに、俺もついつい、釣られて微笑んでしまいそうになる。
その瞬間、急に――俺は今、自分が何をしているのだろうと気が付き、慌てて笑みを引っ込めた。
急に顔色を変えた俺を、銀髪は不思議そうに見つめた。
俺は慌てて立ち上がり、デリバリーボックスを背負い直して、地上に帰る一歩を踏み出した。
それを見ていた銀髪のお嬢様が慌てた。
「え――!? ちょ、ちょっと……! どこ行くんですか!?」
「――どこ行くもなにも、配達終わったから帰る。今日はもう閉店ガラガラだ」
「か、帰るって! 食器はどうするんです!?」
「みんな使い捨て容器だろうがよ、なんで俺に返す。ゴミは持ち帰れよ、ダンジョンを汚すな」
「あ、ちょ! 待ってください! まだあなたには色々と聞きたいことがあるんです!」
「俺にはあんたに聞かれたいことはない」
「そんな! せ、せめて、あなたのお名前だけでも……!」
「俺の名前は名乗るほどのもんじゃない太郎だよ。あと、あんたもお嬢様なら【配信者】なんてクソみたいなことはやめとけ。ちゃんと勉強してちゃんと生活して、真っ当に生きろよ。それじゃ」
まぁ、最後の忠告は余計だったかな――。
俺はそう考えながらダンジョンを歩いた。
ちなみに、俺は最後までずっと、背中に銀髪のお嬢様の視線を感じ続けていた。
◆
二話目です。
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よろしくお願いいたします。