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大空で風を掴む。  作者: 水族館イコー
王家の谷編
9/15

過去





「それにしても人捜しかぁ。天使の誘惑(うち)のギルドではそーゆーの、得意な人居ないんだよねぇ。」


 天使の誘惑(ハニーエンジェル)の中を歩いて巡りながら、設備の使い方等を一通り話し終えたぼーやは最後にそう呟いた。

 それはおねえさんの探す「風神」と呼ばれる男のこと。


「まずは、分かる範囲でその人について情報をまとめてみよっか!」


 ぼーやは背負っていたリュックを降ろし、手を突っ込むとペンとノートを取り出した。

 適当なページをぱらぱらと捲って見つけ、『風神について分かっていること』とタイトルをつけて書きだす。


「最初に出会ったのはいつ?」


 ぼーやの質問に、おねえさんは瞑目して思案する。

 改めて思い出すあの男と過ごした日々。

 全て良き思い出というわけでは無かったが、もう一度会うため、おねえさんは口を開いた。


「そうね。初めて出会ったのは五歳のとき───。」







───────────────────



「えいッ、ヤアッ、ハァッ!」


 静かな村、青い空に響くこども達の声。

 一定の距離を開けて整列し、声を揃えて突きと回し蹴りの練習をしている。


 場所はツキビト族が住まう村の一つ。


 森の木々で隔離された小さな村は、他種族との一切の交流を禁じ、独自文化の発展を遂げていた。


 現在はツキビト族だけに受け継がれてきた伝統的な武術の稽古の時間。

 村のこども達は総出で稽古に駆り出されるはずだが、ひとり稽古場から離れた丘で遠くを見つめる少女の姿があった。


 少女の名は、カンナヅキ。

 齢にして五歳。

 彼女は、この村で迫害を受けていた。


 カンナヅキの母はツキビト族の掟を破り、他種族の男とのこどもを腹に宿した。

 妊娠中はそのことを隠し続けたが、産まれてすぐに混血だとばれてしまい、両眼を潰し村から追放された。

 母の名も、産まれた日も彼女には伝えられ無かったが、母が唯一遺した彼女の名だけは伝えられた。


 それが、カンナヅキという名前であった。


 母の罪はこども罪ではないと判断した村長によって、産まれてすぐに母の親戚の家で育てられるが、なによりも掟を重要視するツキビト族にとっては、掟破りのこどもを快く受け入れる事が出来なかった。

 その嫌悪は伝染し、ぞんざいな扱いを当たり前のものとした。


 大人たちが彼女を迫害し始めた。

 こどもたちも、それにならって彼女を迫害するようになる。


 こうして村の住民全てから煙たがられるようになったカンナヅキは、武術の稽古に参加することさえ許されなかった。

 そのため、カンナヅキは稽古の時間にも関わらずひとりで暇を持て余していたのだ。


 産まれた時からずっと変わらない境遇に、カンナヅキは辟易としていた。


 緑の髪も、緑の瞳も、肌の色も皆と同じなのに。


 そういった理不尽さで、五歳の少女の心は潰れそうになっていた。


「やあ、君は稽古に行かなくてもいいのかい。」


 その出会いは、突然だった。

 月並みに表現するならば、運命を感じた瞬間だった。


 カンナヅキの隣へ音もなく姿を現したのは、陽の光をきらきらと反射させるプラチナ色の長い髪をした青年。

 高い鼻、長いまつ毛までプラチナ色で唇は桜色、瞳は青空のように澄んだ水色。。

 あまりに整った顔立ちに、カンナヅキは急に現れたことよりも、その容姿に驚いた。

 明らかにツキビト族ではなかった。


「あれ、固まっちゃったね。僕を知らないのかな。お勉強とかもサボってるタイプ?」


 くすくすと笑う顔も美しい。

 茶化すようにいくつか質問する青年に、カンナヅキは漸く喉から声が出た。


「あ、えっと、私、お勉強も稽古も仲間に入れてもらえないの。」


 それは何故なのか、理由を伏せて。

 負の感情を抱かずに話してくれる青年に、真実を話して避けられたくないとカンナヅキは考えた。


「へぇ、そんな子が居るなんて話聞いてな、」


 何かを考えながら、青年は言葉を途中で止めてしまった。

 自分が迫害されている理由に思い当たったのではないかと、カンナヅキは小さな拳を強く握る。


「なら、僕が教えようか。」


 思いつきの提案に、カンナヅキは狼狽える。

 大人達に許可されていないのに、何かを学んでもよいのだろうか。

 さらに村での立場が悪くなり、飯や寝る場所も無くなってしまうんじゃないだろうか。

 少女の中では言語化出来ないが、そういった漠然とした不安感ですぐに肯定出来ないでいると、青年がウインクをしながら悪戯っぽく微笑んだ。


「大丈夫。僕が村の皆を説得してあげるから。」


 完璧なまでに美しいその青年に言われると、なんでも出来るような勇気が湧いた。

 カンナヅキがおずおずと首肯すると、花が咲いたと錯覚するような笑みを青年は浮べた。



 翌日から、青年による講義が始まった。

 場所は二人が出会った何も無い丘。


 青年が持ってきた真っ白の本と、筆と墨を貰いまずは字の練習から始めた。

 座学だけでなく、周辺の森を散策し草木や虫、自然についてたくさん学ぶ時もあった。


 カンナヅキは産まれて初めて、幸せだと思う時間を過ごす事が出来た。

 青年は優しく、博識で村の住民のようにカンナヅキを蔑む事は一度も無かった。

 次第に彼へ心を開いていき、カンナヅキは自ら青年へ自分の境遇を打ち明けた。


「──だから、私は掟を破った母から産まれた、混血のこどもなの。」


 ゆっくりと築き上げられた信頼をもとに打ち明けたのは、七歳になる頃のことであった。

 二年という長い期間の付き合いであっても、カンナヅキは緊張のあまり手汗を握っていた。


 しかし、青年は予想の遥か上の反応を示した。


「話してくれて嬉しい、ありがとう。今までつらかったね。」


 彼はそう言って、カンナヅキを抱きしめた。

 カンナヅキがずっと憧れていた、家族がする触れ合いに身体だけでなく、心も暖かくなった。


 青年も打ち明けた。

 カンナヅキの境遇について全て知っていたことを。


 全てを知りながら、いつか話してくれる日を待っていたと。

 ますますカンナヅキの心は暖かいもので満たされ、それが溢れて目から零れ出た。

 ぽろぽろと涙になって流れたそれは、喜びと安堵。


 カンナヅキにとって、唯一無二の信頼出来る場所を見つけた瞬間だった。




「僕はね、ツキビト族のそういった悪い慣習を変えていきたいと思っているんだ。」


 カンナヅキがひとしきり泣き終えた頃、青年は呟いた。

 彼が理想とする悪い慣習が無くなった世界では、村の皆と楽しく遊べるのだろうか、と期待を抱く。


「でも、ツキビト族は強い。そのためには、僕だけの力じゃ出来ないんだ。カンナ、君の力を借りたい。」


 綺麗な水色の瞳には、カンナヅキしか映っていなかった。

 それほどまでに真っ直ぐ見つめられ、必要とされた喜びで心拍は上がり、カッと身体が熱くなった。


「うん、私に出来ることなら、なんでもする。」


 青年の大きくて骨ばった手を、未だ小さくて柔らかい手が包もうと懸命に握った。

 彼は嬉しそうに、けれど少しだけ申し訳なさそうに微笑むと、彼女の手を握りかえす。


「ありがとう。じゃあ早速、今日からはいつもの勉強に足して『魔法』が使えるように勉強しよう。」


 青年の新しい提案に、耳慣れない言葉を聞いたカンナヅキは首をこてんと傾げ、復唱する。


「そう、魔法。身につけられれば大人達だって君に適わなくなるかもしれない、すごい力だ。」


 あの怖い大人達をぎゃふんと言わせられるかもしれない。

 それだけで、カンナヅキには魔法が魅力的なものに思えた。


「でもそれだけすごい力だから、ツキビト族が魔法を使う事は掟で禁止されてるんだ。絶対に、魔法が使えることを誰かにバラしてはいけないよ。いいね?」


 眉尻を上げてそう諭す青年は珍しくて、カンナヅキはこくこくと頷く。

 秘密にしろと言われるほど凄い魔法に、興味が湧いたカンナヅキは、それから魔法についての話を熱心に聞いた。


 それから毎日、本当にいつもの勉強とあわせて魔法の講義も始まった。

 こちらは座学が無く、まず体内の魔力の流れを感じるところから始まり、続いて魔素に変換するという段階へ移っていった。

 カンナヅキの魔法に関する飲み込みは青年が驚くほど早く、三日にして魔法を展開するまでに至った。


天地芸術(ナチュルアート)


 まず、詠唱の第一節を唱える。


 魔法を展開するには最低でも第二節まで詠唱が必要だと教えられた。


 第一節は、今から扱う魔法の属性を固定する役割がある。

 第二節以降は、魔法の動き方を指定する役割がある。


 第一節で風魔法と唱えれば、第二節で刃になれと唱えると風の刃が魔法事象が発生する。

 第一節で水魔法と唱え、第二節で刃になれと唱えると、水の刃が発生する。

 第一節で風魔法と唱え、第二節で上昇しろと唱えれば、上昇する風が発生する。


成長(グロウ)


 カンナヅキは小さな花に手をかざし、第二節まで唱えた。

 すると花の茎は木の幹のように太くなり、花の背はカンナヅキをゆうに追い越すほど高くなり、花弁は家の屋根程に広がった。


「すごいよ、カンナ!成功だ!すごい、やはり見込んだ通りだ!」


 魔法の成功に、青年はとても喜び、褒めた。

 魔法について学び始めて日が浅いカンナヅキであったが、これをうまく出来ればいつもより褒められる事に気がついて、もっと頑張ろうと心の中で呟いた。


 青年がカンナヅキに教えた魔法は、自然現象を魔法で操るものであった。

 この世には無から有が発生する際、自然現象と魔法事象に分けられる。


 風や雨、地震、マグマといった自然現象を無から有へと創造する魔法は世界の理から離れてしまうため、かなりの魔力を消費することになる。

 治癒や付与(エンチャント)、召喚、心入(マインベート)、何かを操る等は魔法で事象を引き起こすため魔力の消費は少ない。


 カンナヅキは後者の魔法を扱った。


 第二節までの簡単な魔法をすぐにマスターしたカンナヅキは、応用である第三節、第四節まで詠唱する魔法も練習していった。


 魔法の詠唱は第二節以降、情報量の追加をしていく事になる。

 第二節で蔦を成長させ伸ばす、第三節でその蔦に棘を生やし縛り上げる、第四節で蔦の本数を増やし対象の魔力を吸い取る、といったように一度で出来ることが増えていく。

 一節ごとに魔力を消費するため、唱える詠唱が増えるほど強力な魔法になるが、そのぶん難易度も上がる。


 第二節以降はひたすら研鑽を重ねることで、詠唱の無駄な言葉を削ぎ落とし、より強力な情報だけに推敲することで魔導師は強くなってゆく。


 第一節のように、扱う魔法の全てを決定するそれは親や師から受け継いだり、独学で見つけ出すものであり一生言葉が変化する事は無い。

 第二節以降の詠唱を突き詰めれば出来ることが増えてゆくため、第一節を変えて色んな属性の魔法を扱ったりするのは非効率で現実的では無いからだ。

 カンナヅキはそういった魔法についての知識、上達していくためのコツを教わりながら、自己研鑽を積んだ。



 そして、一年程で青年が教えた「天地芸術(ナチュルアート)」という魔法もひとしきり身につけてしまった。




「カンナヅキ」



 彼が待つあの丘へ向かおうとした、ある朝。


 カンナヅキが産まれてから八年間、関わろうともしなかった村長が彼女を呼び止めた。

 翔けようとした足を止め、ゆっくりと声の方へ振り返る。


 あまり良い予感はしなかった。


 そこには村長をはじめ、村の男たち数人が並んでいた。

 今日は何か特別なことがあったかと思案するが、そんなものはない。

 カンナヅキはただ何も言わず、村長の言葉の先を待った。


「おヌシ、魔法を使っているだろう。」


 最悪の想定をしていたにも関わらず、思考と息は止まり鼓動が痛い程に警鐘を鳴らす。

 足先と指先がさあっと冷えていき感覚を失っていくのに比例して、顔が燃えるほどに熱くなる。

 肯定も否定もその場しのぎでは意味が無い。

 が、未だ八歳程度の少女にその場を切り抜ける画期的な策は無く、ただただ続く無言の時間が肯定だと村長に知られていた。


母娘(おやこ)揃って掟を破るとは。()()()に殺しておくべきだったか。」


 村長は長く伸ばした髭を乾いた指先で遊びながら、冷たい目でカンナヅキを見下ろし、そう言った。

 焦燥と緊張が、怒りに変わった瞬間だった。


 母と離された悲しみにも耐え、村八分にされた悲しみにも耐え、漸く手に入れた心の平穏と生きてきた意味を踏みにじられたカンナヅキは、怒りのあまり冷静な思考回路を失った。

 魔法を駆使すれば大人達に抵抗する事ができるかもしれない、かつて魔法を教えてくれた青年の言っていた言葉に期待を抱く。

 例えそれが、自分にとってだけ都合のいい期待だとしても。


天地芸術(ナチュルアート)


 怒りが潤滑油となり、魔力は今まで体験した事の無い速さで身体の中を駆け巡り、膨大な魔素を巻き込んだ。

 戦術も無く、見通しも無く、感情のままに唱えた第一節。

 そのまま第二節を唱えようと息を吸った刹那。



「遅い」



 詠唱よりも早く、村長の枯れ木のような腕が、確実にカンナヅキの死を掴み取ろうとしていた。

 少女の細首を狙ったその手に、慈悲も躊躇も無い。


 詠唱が間に合わない。

 あと第二節を唱えるだけだったのに。

 どうして。

 死ぬ。

 嫌だ──。


 ゆっくりとした間隔で迫るその死を目の前にして、最後に思い出したのは彼の顔だった。


 名前も知らない、優しいおにいさん。


 最期に縋る彼の名前も知らない絶望に、カンナヅキは全てを諦めて死を覚悟したその時。


「烈風破ァッ!」


 声が、響く。

 怒声にも似た、荒々しい詠唱。


 聞きなれた声なのに、聞いた事のない声。


「っ、ッア"!」


 枯れた手がカンナヅキの首を掴むその一歩手前で、空色の魔法陣が彼女の目の前に展開し、守るような激しい風が吹き荒れる。

 全てを刻み弾かんとするその風に、村長の腕は巻き込まれ血飛沫を四方へ飛び散らし、皺が無数に彫られたその顔が苦痛でさらに歪む。

 それは全て一瞬の出来事で、カンナヅキは何が起きたのか理解出来ないでいると、その小さな肩を誰かが抱いた。

 慣れた匂い、見慣れたやさしい手、暖かな体温。


「たす、けてくれた、の、」


 先程まで死の目の前にいた恐怖で、言葉がたどたどしい。

 最期を察した時、思い浮かべた最も会いたかった人物。

 その顔をまた見れる喜びを味わおうと、視線をゆっくりと上げる。


「当たり前だろう。カンナ。生きててくれてよかった。」


 優しく微笑む、青年。

 その言葉に、カンナヅキは涙を溢れさせ、短い腕を青年の後ろにまわして強く抱きしめる。


「やはり貴方の思惑でしたか。」


 村長は腕の出血を筋肉だけで圧迫止血してみせると、二人のやり取りを無視してゆっくりと近づき、青年をこう呼んだ。


「風神様。」


 凍ったような空気が、緊張感を孕んでいる。


 カンナヅキは青年がそう呼ばれた事にあまり驚かなかった。

 ツキビト族を見守ってくれる「かみさま」が居る事は大人達の会話を盗み聞きした時に知っていた。

 他種族の侵入や交流を一切阻むツキビト族の村の敷地で、明らかにツキビト族とは容姿の事なるはずの彼が、容易にこの村を訪れていることに疑問を抱いていた。

 彼に勉強を教えてもらう事が決まった日から、村の住民たちがカンナヅキに接する態度が少し変わった事も、気がついていた。


 名前を知らないが、呼ばれている名前には察しがついていた。


 けれど、カンナヅキはそのことに関して青年に聞いた事は無かった。

 自分が境遇を打ち明けた時のこと、全てを知りながら話すのを待っていてくれたように、カンナヅキもいつか青年が自分のことを話してくれる日を待っていた。


 風神と呼ばれた青年も、驚く様子の無い聡明な少女に全て見透かされていたのだと、気がつく。



「この混血に魔法を教えていったい何をするつもりでしょうか。」



 じりじりと詰め寄る村長。



「この子には雷神となる素質があり、雷神にするための教育を施していたのだ。」



 聞いた事のない、風神の思惑。



「今更偽りの神をもう一柱据える事に何の意味があるのですか。」



 震える小さな肩。



「雷神こそが三千年前に犯した罪の贖罪になる。僕達とお前たちとの関係は雷神の力をもってして、精算されるんだ。」



 これは、カンナヅキが震えているのでは無かった。



「精算とは虐殺の事を云うのですか。同じように魔法を使い隣の村を滅ぼしたあの事件をお忘れか。」



 カンナヅキを抱く風神の手が、弱々しく震えていた。



「あれも混血のこどもによる仕業だと云う。まさかあの事件にも風神様が関わっているんじゃないですかね。」



 近くなっていく距離に、緊張感は最高潮にまで達していた。



「それは、」


 風神が言い淀み目を逸らしたその時、村長が動いた。


「風魔法ッ、疾風迅雷!」


 動いたと察してすぐに魔法を展開し、風の力を借りてカンナヅキを抱えたまま村長からの攻撃を避ける。

 村長は魔法を使っていないにも関わらず、尋常ではない脚力のみで風魔法の素早さに追いつこうとし、さらには生身の手によって繰り出される手刀は土や岩壁を抉った。

 少しでもタイミングをずらしてしまえば、二人の頭蓋など岩よりも簡単に崩れてしまうだろうという恐怖を与えた。


「らちがあかないな。仕方ない、心入魔法(マインベート)。」


 カンナヅキを抱えての攻防に分が悪いと感じた風神は、風魔法とは事なる第一節を唱えた。

 第二節まで唱えるのをカンナヅキはその目で見たのだが、どのような詠唱であったのかは抜け落ちたように記憶に穴があいている。

 風神が新しい魔法を唱えた途端、今まで的確に二人の急所を狙っていた手刀が大きく外れた。

 すると次は、狙いが外れたという程度では有り得ない場所へ手刀を繰り出す。

 そうして村長は、カンナヅキと風神が逃げる真反対の方向へ行ってしまったのだ。


 森へ入り、草木を分けて逃げている最中、カンナヅキは聞きたい事でたくさんだった。

 だが、何から聞いていいのか分からないことと、どういうふうに聞けばいいのかもわからない、そしてやっぱり話してくれるまで待とうと心に決めたのであった。

 二人の道中は、森が奏でる音以外は静かなものであった。

 追手の気配も無く、周囲を見渡した風神はゆっくりとカンナヅキを降ろした。


「風神さん、鼻から血が。」


 抱きかかえられて移動していたため、カンナヅキは風神が鼻から出血していることに今気がつく。

 風神は眉を下げて笑うと、服の裾で鼻血を拭った。


「ああ、僕は魔力の器が小さいから、魔法の連発は身体に負荷がかかるんだ。」


 諦観にも似た表情に、カンナヅキはどんな言葉をかけたらよいのか迷い、ただその小さな指で風神の頬を撫ぜた。

 それが幼い少女なりの気遣いだと察した風神は、悲しそうな表情に変わる。


「さっきの会話を聞いて、僕に聞きたい事があるでしょ。」


 無言の、肯定。

 聞き慣れない言葉に、もう一人居るという混血のこども。

 風神は何を考えているのか。

 そういった質問の言葉を全て飲み込んで、カンナヅキは別の言葉を舌に乗せた。


「うん、聞きたい。でも、聞いたりしないよ。」


 大きな緑色の瞳に、まっすぐと風神の姿がうつる。

 風神の顔は呆然としていた。


「どうしてなんだい?」


 困惑を交えながら、理由を聞く。

 するとカンナヅキは、優しく微笑んだ。



「だって、風神さんも私が話すまで待っててくれたでしょ。」



 純粋でまっすぐな優しさに、風神の顔はさらに苦しそうに歪んだ。

 何か傷つけるような事でも言ってしまったか、とカンナヅキは慌てて風神の顔を覗き込む。

 すると、風神は強く、強く、カンナヅキを抱きしめた。

 この抱擁に風神がどのような感情を乗せているのか分からなかった。しかし、カンナヅキはただ背中に回した腕で優しく抱き返した。


「ありがとう、カンナ。」


 抱きしめられ、頭の後ろから聞こえる風神の声はいつもと変わっている気がした。

 少しだけ不安になって、風神の背中を優しく撫ぜる。


「もうさ、村長達からこのまま逃げて、君の産まれた村を捨てて、どこか遠くへ一緒に行こうって言ったら、ついてきてくれる?」


 カンナヅキは暫く思案する。

 自分の産まれ育った村に、思い残す事を数えようとしていた。

 自分を迫害し、先程まで躊躇なく殺そうとしてきた大人達の居る村と、優しくて賢くて、生きる楽しみを教えてくれた風神を天秤にかける。

 それは分かりきった二択だった。


「うんっ、風神さんとだったらどこでも嬉しい!」


 大人達に隠れずに魔法を勉強しながら、朝起きる時も夜眠る時も共にして、色んなご飯を食べて、沢山のおしゃべりをしながら過ごす日常。

 そんな未来を頭の中に描いてみると、このまま一緒にどこかへ行く恐怖など無かった。

 カンナヅキの快諾に風神はもう一度礼を言うと、ひとしきり抱きしめた後で身体を離した。


「一緒に逃げきれたら、全部話すね。」


 見つめ合う。

 青い瞳は揺れて、少し赤くなっている。

 ただ、先程のような悲しい表情はどこにも無い。

 風神の言葉にカンナヅキは小指を差し出して、笑う。




 森を歩いて暫く経つ。

 似たような景色ばかり広がって、数十分、数時間歩いたのか時間感覚さえも麻痺させる。

 それは二人にとってかなりのストレスで、歩き慣れない道を歩いている事もあり、疲労は限界にまで達していた。

 しかし、どちらも泣き言は言わなかった。

 このまま進めば、明日があると信じて。



「また魔法を使い我々を騙すのですか、風神様。」


 

 死神の足音のような声が、空から降ってくる。

 二人同時に上を見上げれば、村長と村の大人数人が木の枝に立って見下ろしていた。

 風神は追いつかれた事に驚愕するも、すぐにカンナヅキの背中を押した。


「カンナ、君だけでも逃げるんだ!」


 嫌だ、と声をあげようとした時には既に、村長が弾丸のような速度でこちらへ攻撃をしかけようとしていた。


「させませんよ。」

「風魔法ッ、天空貫壁ッ!」


 風神の背から広範囲に広がる風の壁がごうごうと轟きながら立ち昇る。

 それはカンナヅキから見て、風神を含めた大人達全てを閉じ込める風の檻のようで。

 幼いながらに、風神がどうしてこのような魔法を使ったのかを察した。

 カンナヅキを逃がすために、この風の檻で足止めさせるつもりだ。

 己の命にかえても。


「嫌ッ、風神さん、ヤダッ、一緒に逃げるって言ったのに!」


 カンナヅキは悲鳴に似た声を上げながら、その指を風の檻へ伸ばす。

 しかし、身を切り刻むような豪風に弾かれ、衝撃で尻もちをついてしまった。


 中の様子も見えず、何も聞こえず、例え風神さんがこの檻の中で苦しめられていようと、知ることも、助けることもできない。

 あまりの己の無力さに、地面を叩いて泣き声をあげた。

 魔法を使いすぎると負荷がかかる体質だと教えてくれた時は、自分が魔法で風神さんを補助しようと決意したのに。

 何もかもが己の未熟故だと、腕に食い込む指の力が強くなり、肉が爪で抉られる。

 自身を責めて責めて責めて責めて責めて責めて、憎くなり殺してしまいたくなる程に責めて。


 ここで風神さんが死んでしまうのならば、自分も死んでしまいたいとカンナヅキは願った。


 生きる理由を与えてくれた人を世界が認めないのならば、こちらからそんな世界を捨ててしまいたかった。

 どうせ死ぬのならば、風神の風に全て千切られて死んでしまおう、腕を伸ばせば、少しだけ、風神に触れられるかもしれない。

 何故風神が彼女だけでも逃がそうとした理由を考えることを、彼女自身が放棄していた。


 暴風の壁へ、もう一度腕を伸ばす。

 全てを弾かんとするその風に、無理矢理腕を捩じ込むと、待っていたのは激痛の応酬。


 切って、千切れて、抉って、巻き上げて、刻んで、捻れて。


 肉が千切れる音も、骨が痛む音も、指先が細かく千切りのように刻まれる音も、風が産み出す轟音に掻き消された。

 溢れ出る血潮もとめどなく吹き飛ばされ、まばらな鮮血が舞っていた。


 感覚がもう無くなってしまったのか、手から先の痛みがぽっかりと無くなる。

 もしかすると、手首から吹き飛んだのかも、なんて想像するとカンナヅキは幸福感と恐れの混じった笑みをこぼした。

 このまま全身を委ねてしまおうと、全身の力を抜いたその時。


「──?」


 腕の痛みが全て無くなり、指先に暖かな感触。

 ゆっくりと()()はカンナヅキの指先から手のひらを締め付けると、名残惜しそうに離れた。


「生きて、カンナ。」


 そう言われた、気がした。

 幻聴かもしれない、楽観的で都合のいい夢かもしれない。

 しかし、指先に残った温もりは、真実だった。


 風の壁はゆっくりと、カンナヅキを傷つけずに押し出すようにして排除する。

 これが風神の想いを全て代弁しているようであった。


 あの手を握られた感触も、温もりも、馬鹿な自傷行為による痛みによって上書きされて、もう残っていない。

 しかし、風神の想いだけはカンナヅキの心に残った。

 地面から膝を離し、立ち上がる。

 細い足は森の草木に遊ばれるだろう。

 短い足は深い森に行く手を阻まれるだろう。

 けれど、カンナヅキは進むしかなかった。


 風神が最期に贈ってくれた、明日があると信じて。








───────────────────






「───風神さんの話はこれで終わり。ちょっと詳しく話をしすぎたかもしれないけど、風神さんを探す手がかりになりそうなものってあったかな。」


 自身の過去を語り終えたところで、ぼーやの反応をちらりと伺う。

 何しろ十年近く前の記憶であるため、ところどころ不確かなものがあったり、思い返して補足した部分もあって分かりにくかったかもしれない、と考えたからだ。

 しかし、ぼーやの反応は予想とは違ったもので。


「お"ね"え"ざん"ッ!」

「カンナちゃん"ん"!」

「カンナ!おめぇちっせぇのに苦労してんだなァ!」


 ぼーやは突然涙を流し、いつの間にか話を聞いて傍に居たレーヌとネリーも涙ぐんでいた。

 確かに苦労したと言われれば、かなり苦労した幼少期なのだろうと思うが、今の幸せを享受しているおねえさんはなんだかこそばゆい気持ちになる。


「聞いてくれてありがとう、皆。でも、私もう今ですっごく幸せ。こんな優しい仲間が居るギルドに入れたんだもん。」


 三人を気遣った訳でもないがただ本心のままにそう言うと、三人は互いに顔を見合わせてまた号泣しだす。


「「「良い子だ〜!!」」」



 この後、おねえさんは三人が落ち着きを取り戻すために数十分は苦労たこと、「風神についてわかっていること」のページが涙でぐちゃぐちゃになり、何が書いているか分からなくなってしまったのは別の話。












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