風神
「で、嬢ちゃんがこいつらを生かして捕らえたんだな。」
傷んだ白髪に、黒いバンダナ。粗野な言葉遣い、無精髭。
それでいて、清廉な白い装束のような隊服に身を包む男。
シュベロとシリアルほか船に乗り合わせていた人身売買者を引取りに来たのは、なんともかったるそうな雰囲気の魔法警備院の人間だった。
「こりゃあ嬢ちゃんにも分け前をやらないとなぁ。」
白髪の男は意地の悪い笑みを浮かべながら、ぼーやを見る。
「分かってるよ。僕だったら殺しちゃってたかもだし。」
ぼーやは男と目をあわせず、唇の先を尖らせる。
冗談と言うには現実味がありすぎる。
「生死を問わねぇとは言ったが、生け捕りが難しい程の厄介な連中って事だからな。」
男の口ぶりから今回の件をぼーやに提案したのは目の前の男だと伺える。
それが確信に変わると、おねえさんは男との距離を詰め、 目尻を釣り上げた。
「こんな小さな子に危ない仕事をさせたのはあなたね!?」
青筋を立て、物凄い剣幕で声を荒らげるおねえさんの熱量に反比例し、男も、ぼーやでさえも、開いた口が塞がらないといった様子。
「人身売買者なんて危険な人達の所へ向かわせて、もし、何かあったらッ!」
おねえさんの怒りはかつての経験からか。
男はおねえさんの首元で鈍く光る首輪を見て、目を細めた。
そして、あろうことか、男は白い歯を覗かせて笑い始めた。
笑えるような話などしていないと、お姉さんの感情はますます煮えたぎり、心のままの罵倒を浴びせようと口を開きかけた時。
「よかったなボウズ、まだお前を心配してくれる子が居て。」
男は本当に楽しそうに、否、嬉しさと安堵を交えて笑い、ぼーやの頭を雑にがしがしと撫でる。
ぼーやだけは男の言葉の意味を理解して、少しだけ恥ずかしそうに男の手を払い除ける。
「嬢ちゃん、このボウズは本当にマセたガキでな。飛び抜けた魔力、前代未聞の強力な風魔法でそこいらの魔導師も敵わない天使の誘惑の『風神』なんて呼ばれた指折りの魔導師だ。」
風神。
おねえさんの、思考が止まる。
奴隷から解放され、ずっと探し続けていた『風神さん』の漸く得た手がかり。
脳裏の記憶を辿る。おねえさんの記憶で生きる風神さんは栗毛でもなければ、少年でもない。長い長いプラチナ色に輝く銀髪、背が高くて美しい青年。
「ふ、風神?ぼーやが───?」
「ああ。大抵の大人はボウズを恐れて、期待する。こいつはそれを全部当たり前のように応えちまうマセガキなんだ。だからこの仕事も実力に見合った依頼で、」
男の言葉は、おねえさんの右耳から左耳へするすると抜ける。
風神さんと同じ異名の正体が探していた風神とは別人だというショックのあまり、おねえさんの思考は止まり、放心する。
「って、聞いてるか?」
先程までの激情はどこへやら。大人しくなったと思えばうんともすんとも言わなくなったおねえさんに、男は苦笑いして顔を覗き込む。が、反応なし。
「え、本当にどうしたの?え、俺変なこと言ったか?」
男はおねえさんとぼーやの顔を交互に見ては反応を求めるが、どちらからも無視されるのであった。
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「はぁ、なるほどな。『風神』って呼ばれる別人を探してたのか。」
漸く我にかえったおねえさんから事情を聞いた男は、無精髭の生えた顎を指で撫でる。
「と言ってもなあ。このヨハン王国で風神なんて呼ばれるほどに風魔法を扱える奴なんて、このボウズぐらいしか居ねぇと思うが。」
男の言葉に、おねえさんもぼーやも口を紡ぐ。
おねえさんも風魔法という自然現象そのものをおこす魔法を扱える人物など、そうそう居ない事を理解していたからだ。
「どうしよう。私、それだけを支えにここまで来たのに。」
出てしまった言葉は、心からの絶望。
「どちらにせよ、その綺麗な緑の髪をぶら下げてちゃまた同じような目に遭うぞ」
緑の髪。最も分かりやすい、ツキビト族の特徴。
「どこかのギルドに入って守ってもらうか、それが嫌なら魔法警備院に身を寄せることもできるが、長くは面倒見てやれるかどうかは。」
どうしてよいのか分からず、黙り込んでしまったおねえさんへ男は二つの提案をした。
安全なのは魔法警備院の世話になることだ。
しかしそれは単なるその場しのぎでしかなく、いずれはどこかのギルドに入り身元を保証をしてもらうことでギルドの庇護下になることがは?、長期的に安全かつ自立した最善策となる。
しかし、ギルド案内所で門前払いされた時の事を思い出す。
直接ギルドへ訪ねても同じように門前払いされる可能性の方が高い。
どうしようかとおねえさんが考え込んでいると、ぼーやがおねえさんのワンピースの裾を少しつまむ。
「おねえさん。もう一度、僕にチャンスをくれる?」
大きな亜麻色の瞳は切なげに揺らぐ。
少年であるぼーやへ抱くには些か失礼な感情かもしれないが、おねえさんはそのかわいさに胸を締め付けられる。
「僕たちのギルド天使の誘惑に来てくれませんか。」
二度目の、勧誘。
あの時、おねえさんが目当てにしていたギルドはぼーやのギルドだと知らず、断ってしまった。
おもわず男の方へ視線をやる。が、男は無精髭に囲まれた口元を緩めるばかりで、今度は何の助言もしない。
きっと、おねえさんが決めることだからだ。
「一度断ってしまったのに。」
「おかげで僕とおねえさんは魔法の相性がすっごくいいって事が分かったよ。風をうみだす僕と、自然を操るおねえさん。」
「風神さんを探しているから、何か分かったらきっとそっち優先になっちゃう。」
「同じように風神なんて呼ばれる風魔導士は僕も会ってみたいな。だから探すのも手伝いたい。」
どうして、どうしてそんなにも綺麗な瞳で、必要としてくれるのかがおねえさんには理解できなかった。
「どう?断る理由は無くなっちゃったけど。あとはおねえさんの気持ち次第。」
ぼーやは眉を下げて笑う。
名前も知らない少年だが、信じてみたいとその小さな手を取る。
「よろしくお願いします。」
頭を下げる。長い緑色の横髪が、さらりと垂れる。
「ありがとう。」
小さな手が、力強くおねえさんの白くて長い指を握り返す。
「天使の誘惑は魔法法治機関の魔導会で幹部やってる奴がギルドマスターだからよ、安心していいぜ。」
天使の誘惑に入ることを決心したおねえさんの背中を押すように、男は声をかける。
おねえさんは男にも頭を下げて礼を言う。
「じゃあそろそろ院に帰ってアイツらの処理をするわ」
おねえさんの取りあえずを見守った男はすぐに踵を返し、無駄毛の目立つ手をひらひらとさせる。
「バルド」
背中を向けた男をそう呼んで、振り向くのも待たずにぼーやは何かを投げる。
バルドと呼ばれた男も、振り向いて直ぐ視界に入ったそれを素早くキャッチする。
そして手のひらを見てから、ため息をついた。
「あのなあ、これ高ぇんだぞ。粗末に扱うなって。あと返さなくていいつっただろ。」
呆れ顔のバルドに素知らぬ振りをするぼーや。
そんな態度にもう一度ため息をついて、帰りかけていた身体を動かしておねえさんの側まで寄る。
「嬢ちゃんにやることにするよ、これは。」
無骨な手から、青くて透き通った宝石のようにきらきらした石を受け取る。
手にしたことの無いものに、お姉さんは陽の光を透かして珍しがる。
「それは防犯グッズだ。壊すと、ある場所へ持ち主が強制的に転移するようになっててな。座標はこの世で一番安心出来る人物にしてあるから、何かあったらこれを使って逃げて、その先で助けを求めればいい。」
バルドの説明を不思議な宝石を眺めながら聞くおねえさん。
ぼーやが今回の仕事を受けるにあたって、バルドが予め渡していたのだろう。
つくづくお節介だとぼーやは呆れた顔をしてはいるが、気分を悪くはしていない。
「じゃ、本当に今度こそ帰るわ。二人とも仲良くな。」
そう言うと、急にあたりが真っ暗になる。
否、そう錯覚したに過ぎない。
全員、太陽光を遮られた影に浸かる。
おねえさんが慌てて頭上を見上げると、シュベロが乗っていた船よりも大きくて真っ白な船が頭上にて制止していた。
「バルドさん、標的の船の回収、無事終わりました。」
遠い遠い船のデッキから身を乗り出した、バルドと似た装束に身を包んだ女の声が、はっきりと聞こえる。
「了解。」
そう言うと、バルドの周囲に魔力の零れ滓、魔素が漂う。
一瞬にしてバルドの身体が消えたのを合図に、空をいっぱいに覆っていた船も共に消えてしまった。
見たことの無い魔法や現象の次々に、おねえさんは口を開けて眺めることしか出来ない。
「さ、行こうか。僕達のギルド、天使の誘惑に!」