風魔導師
「久々の上物だ。滅多に人里に降りてこねぇツキビト族。しかも、ツキビト族って魔法を覚えられないって聞いたがこいつは魔法を覚えている!」
長い丈の黒コート、色素の薄い髪をハーフアップにしたシュベロという男。
ソファに深々と腰をかけ、おねえさんへ向けた柔らかな笑顔とは真逆の邪悪で意地の悪い笑みを浮かべ、白い犬歯を覗かせる。
彼の傍に立つのは、首から上全てを覆面で覆った、筋肉隆々の男。
「しかし、手錠までかける必要ありますか?シュベロさんの魔法で──。」
覆面の男はそこで言葉を切り、倒れたおねえさんへ視線を投げる。
「まぁそう言うなシリアル。念には念をってやつだ。お前ら傭兵部族は俺たちじゃ手も足も出ないパワーが売りだろ?」
シュベロがシリアルと読んだ覆面の男は、それ以上何も言わなかった。
「ツキビト族には心入魔法は効かないって情報もあったからな。」
二人がそのような会話をしていると、おねえさんは長い緑の髪を揺らし、ゆっくりと起き上がる。
まだはっきりとしない意識を探して、面を上げる。
彼女の目に一番にうつった男は、色素の薄い髪でも、黒いコートでもない。
光をたっぷりあつめてきらきらと反射する、プラチナ色の長髪を頭頂部で一つに結い、同じプラチナ色の長いまつ毛が覆う、海よりも深い色の瞳をした美しい青年。
「風神さん。」
彼女はその酷く美しい青年を見て、涙ながらに彼の呼び名を口にした。
「ン、俺の魔法はバッチリ効いたみたいだな。こいつは今、俺のことがこいつの一番会いたい人物に見えている。」
シュベロを風神さんと呼び、光悦の表情を浮かべる彼女を見て、冷静にシリアルと話す。
「どうして、」
そんな二人の反応も知らず、シュベロを風神さんだと思い込んだおねえさんは、顔を下げて肩を震わせる。
「どうして十年もほったらかしたのよーッ!」
喜びや悲しみのあまりに肩を震わせたのではなく、怒り故に肩を震わせたおねえさんは、感情のままにシュベロへと飛びかかる。
「こりゃ魔法が効きすぎるのも考えもんだな。」
おねえさんにとびかかられ、馬乗りの体勢で潰されたシュベロはなんとかシリアルに助けられ、押さえつけられた腹を手でさすりながら後ずさる。
「この女ッ、」
手錠をかけられ、魔法に心を侵されているとはいえ、傭兵部族のひとつであるツキビト族のおねえさんの力をシリアルは抑えるだけで精一杯だ。
「話せばわかるよ、カンナ。」
興奮しているおねえさんに、どうどうと落ち着くように優しく話しかけながら、シリアルにはあくまでも商品である彼女に乱暴しないように注意する。
このじゃじゃ馬をどうしようかと、考えあぐねた時。
ズズン────。
船が、大きく揺れる。
何かにぶつかったような衝撃に、一悶着を起こしていた三人も身体が固まる。
長くこの船を乗っているシュベロでさえ、経験したことの無い大きな揺れに、何があったのかシリアルに確認にいかせるよう命令する。
「今の揺れなぁに?怖いよ、風神さん」
先程までシュベロに青筋をたてていたおねえさんも、唐突な揺れに身体を縮めてシュベロの側へ寄る。
「大丈夫だ、お前は何も心配しなくていいからな」
シュベロには風神さんという人物の言動なんて知らないが、おねえさんが弱々しく甘えるような様子を見て、てきとうにそれっぽい言葉を返す。
揺れが少し収まったところで、シリアルが部屋から出るためにドアノブを回す。
「誰だ、お前?」
ドアの前には待っていたかのように、否、これからこの部屋に入ろうとしていたかのように立っていた、少年の姿。
「鎌鼬」
少年は両の手を自分の胸の前で合わせるとそう呟く。
少年の合わせた手の間に、一瞬にして魔法陣が展開される。
魔法だと理解しても、遅い。
無から生まれた風の刃がシリアルの身体を刻み通り抜ける。
「────ッ!!シュベロさんっ、敵襲です!」
シリアルは傭兵部族に刻まれた闘争の本能に従い、数歩後ずさった。
そのおかげでなんとか致命傷は避けるが、肩からは血がだらだらと流れている。
あとほんの少しでも後ずさるのが遅ければ絶命していただろう。
「何ッ、魔警か!?」
シリアルが外へ出ることもかなわず後退したことに驚き、おねえさんの肩を抱きながら戦闘態勢をとる。
「わかりません、ただ、年端もいかない子供です。」
まさか、という言葉がシュベロの頭の中を支配した。
人間を売り飛ばし、闇の世界で十数年も生きてきた。
そのため、自身のアジトであるこの船の中にはかなりの手練も乗船させている。
それらを突破して、しかも、今の今まで危機を報せる手段すら与えずに、ここまでやって来たのがただの子供などとは、シュベロは信じられなかった。
「──だが、ここには心入魔法の煙を充満させてある。入ったらそいつの終わりだ。」
商品を洗脳させるためとはいえ、部屋には魔法を込めた自身の煙を充満させていたのは、不幸中の幸いだと言える。
ゆっくりと入ってくる少年を、固唾を飲んで待ち構えた。
入ってきたのは、栗毛に、同じ色の大きな瞳、グレーのマフラーを巻いた少年だった。
「あれっ、おねえさんどうしてこんな所に!?」
緊張を孕んだ空気を破るようにして、可愛らしい声が飛ぶ。
おねえさんが数時間前にであった、あの不思議なぼーやだった。
しかし、おねえさんは心入魔法によって、ぼーやに指をさされて話しかけられても、曖昧な返事しかできない。
「なんでお前心入魔法が効いてないんだ!?」
自身の魔法の煙がたっぷりと満ちた部屋に入ってなお、平然としている目の前のぼーやに、シュベロは驚く。
ぼーやは、その幼さからは考えられないほど冷静に、シュベロの言葉から瞬時に状況を判断する。
そして、理解した後のぼーやの行動は早かった。
小さな唇が、ぽつりと呟くために震った刹那、ぼーやの華奢な腕が大きく空中を横に割いた。
それに呼応するように、部屋の窓という窓がひとりでに大破してしまった。
「な────。」
早い。正体不明。殺意。音。強い。反撃。まずい。
思考の断片が、またたきの間に過ぎ去る。
硝子の破片は、陽光をあちこちへ跳ね返しながら、ゆっくりとしたシュベロの視界で舞っていた。
それほどまでに、シュベロの脳はこの状況を打破しようとフル回転しているのだが、思考を行動に起こす門で根詰まりを起こし、かろうじて声が出たのみ。
情けないほどに、文字通り何も出来ずにいると、船がまた大きく揺れる。
脳を、肉を、内臓を揺さぶる大きな揺れに、これもあのぼーやのせいかと恐怖を抱くが、この船がどこを泳いでいるかを漸く思い出した。
「空を飛行中の船の窓を割る奴があるかぁぁああッ!!!」
もうそれはヤケクソだった。
空を飛行している、この船にどうやってバレずに侵入出来たのか、何故ここまで入り込まれたのか。
相当の実力者か策士かと思えば、考え無しに窓を割ってしまうめちゃくちゃさに、シュベロは腹から声を出すことしか出来なかった。
船に施された特殊な魔法のおかげで、この船はかなり高度の高い場所を泳いでも、中に居るものは気圧の変動による影響を受けない。
しかし、いきなり割られた全ての窓は、結界の隙間となってしまった。
窓は全てを吸い込むような風をうみ、胃の内容物が逆流しそうな揺れをおこす。
「シュベロさん!」
窓の方へ身体が吸い込まれそうになった時、彼の肩を抱いてとめたのは、シリアル。
このような過酷な環境でさえ、傭兵部族故か、はたまた彼への忠義心が身体を動かしたのか、シリアルは傍に抱き寄せることでなんとか風からだけでも守ろうとする。
「ん、ここは──?」
身体が勝手に動いていることを思考の端で理解しながら、夢を見ているようだった。
そんな繭のような幻は、激しい風に吹き飛ばされてしまって。
おねえさんは、何か幸せな時間を過ごしていたような気がして、これが朝の目覚めならば、もう一度同じ夢が見れるように祈ってから二度寝しようと考えた。
しかし、遅れてやってくる情報は穏やかな朝の訪れなどではない。
「おねえさん!気がついた?」
状況を理解しようとする彼女の視界に大きく割り込んだのは、柔らかい栗毛に同じ色の大きな瞳、そしてグレーのマフラーをつけた少年。
「んえ、ぼーや?」
数時間前に分かれたような気がするのに、また突然現れたことが不思議で仕方ない。
何が正しい記憶で、何が夢だったのか。
靄のかかった意識の中で、手探り状態であたりを見回すお姉さんに、ぼーやは「ぼーやじゃないやい!」と頬をふくらませる。
「おねえさんてば、もうちょっとで奴隷商人の売り物にされるとこだったんだよ!」
頬をふくらませたあと、そのままの表情でぼーやはおねえさんを叱るように諭す。
あの男ふたりは裏の世界ではそれなりに名の知れた奴隷商人であり、様々な手口で種族性別問わず誘拐していること、自身はあの男達を捕まえに来たことをぼーやはおねえさんに伝える。
漸く事のあらましが理解出来たおねえさんは、自らの腕を抱いて身体を震わせた。
完全に己の過失だったことを悔いながら、有り得たかもしれない恐ろしい未来に怯えた。
奴隷であった日々を思い出し、恐怖の坩堝に嵌りそうになる思考を振り払うようにして、自分の頬を叩く。
「ありがとう、ぼーや。私も協力するわ。」
目の前のぼーやを射抜くような、強い視線。
「うんっ」
射抜かれたぼーやは、しばらく自失する。
それほどまでに力強い眼差しに、笑顔で頷くことで応えた。
ぼーやの返事を見届けると、おねえさんは目の端でシュベロとシリアルを探した。
二人は、窓から吸い込むような強い風に抵抗しているばかりで、こちらに危害を加える余裕もない、といった様子だった。
奇妙なことに、気がついてしまった。
同じ空間に居るにも関わらず、おねえさんとぼーやは揺れに身を任せる事までは一緒だが、風による影響をまったく受けていない。
「ねぇ、ぼーや。あの人達は風の影響をすごく受けているのに、どうして私たちは平気なの?」
おねえさんだって、その気になれば風の影響を排除することはできる。
だがまだ何もしていないというのに、自分たちだけ何ともないのはおそらく目の前のぼーやが原因だろうと考えた。
「僕は風魔導師なんだ。これぐらいの風よけ、なんともないよ。」
胸の奥が、痛む。
望郷に似た切なさ。
しかし、彼女はもうあの土地に恋しさなど感じていない。
ただ、その土地に捕らわれていた風神との懐かしさに、胸の内の傷口が抉られる。
「風魔法なんて、そんな珍しい魔法、」
自然の現象を生み出し操る魔導師は、とにかく魔力の燃費が悪いため滅多に居ない。
そのため、風神さんを探す手がかりは「風魔導士」という条件だけでじゅうぶんだと考えていた。
しかし、目の前に居る頭一つ分背が小さいぼーやは、彼女が探し続けている風神さんとは程遠い背格好をしている。
もう少し思考する時間が欲しいと願ったところで、船内の揺れがおさまる。
「やっと揺れと風がおさまったか」
にやりと口の端をあげたシュベロが、膝を漸く床から離す。
何度も裏の世界で修羅場をくぐってきた二人は、突然の魔導師の襲来などでは屈していない。
寧ろここからの逆転劇を、脳裏に描いてさえいる。
「じゃあさっさとお仕事しちゃおうか」
大の男二人を相手取っても物怖じせず、むしろこれからの闘いに喜びを見せたぼーやは、自身の胸の前で手をあわせた。
「風魔法」
詠唱の第一節。
たったそれだけなのに、膨大な魔力が小さな体から溢れるのを痛いほどに肌で感じる。
それはシュベロとシリアルも同じようで、遊離する規格外な量の魔素を見てただ口を開けて驚愕していた。
「鎌鼬」
直ぐに詠唱を終えたぼーやは、胸の前に魔法陣を展開しかき消すように両腕を前に出した。
まさに目にも止まらぬスピードでぼーやが前に出した腕からうまれた風が、船内をシュベロとシリアルの二人めがけて駆ける。
ただの風ではなく、ぼーやが明らかな敵意をもってうみだした風は、対象でないはずのおねえさんも肝が冷えるような、不気味な殺気が乗っていた。
その異様さにはシリアルも気が付き、シュベロを抱きかかえて体を逸らし、なんとか致命傷を避ける。
が、シリアルが被っていたマスクは風の刃の餌食となってしまった。
いとも容易く、スパン、と切れたマスクはシリアルの顔を覆い隠す役目を果たしきれず、はらりと落ちていく。
マスクの下に隠されていた素顔は、筋肉隆々の武骨な身体からは想像出来ないほどに整っており、空色の長い髪がふわりと舞うように晒された。
「その髪色。どうりで頑丈なわけだ。」
ぼーやは独り言のように、呟く。
おねえさんも、シリアルの空色の髪を見て彼が岩鳥族の者だと気がつく。
「理解してどうする?降参するか?」
自身の正体に気づかれたことを察したシリアルは表情を崩さず、真顔で冗談めいたことを宣う。
「まさか。」
対するぼーやは、笑みを浮かべた。
おねえさんにむけるような、大きな目を輝かせる可愛らしい笑顔などではなく、その歳の少年には不釣り合いでしかない、邪悪で歪みきった笑顔を浮かべた。
「あの岩鳥族が、僕に手も足も出せずにボロボロにされちゃう姿が見れるかと思うとワクワクするよ。」
年齢にそぐわぬ歪な笑みに、お姉さんは何も言えなかった。
「鎌鼬」
もう一度、ぼーやは両手を自身の胸の前であわせて、短い詠唱の一節を呟く。
しかし、今回は無数の魔法陣が刹那にして描かれ、膨大な魔素の圧力が全員の肺を締め付ける。
「シリアルッ、俺を下ろせッ、」
シュベロは、自身を庇うために抱き上げるシリアルに抵抗する。
が、風の刃は二人もろとも射程範囲内にとらえる。
「ッ、あ"っ、あぁッ、」
幾つもの風の刃が、空色の髪を、鋼のような肉体を、庇おうとする腕を、守ろうとする足を、全てを弄ぶように切り刻む。
シリアルの悲痛な叫びだけが響く。
「やめろ、俺なんかを、庇うな」
シュベロは無傷の顔をぐちゃぐちゃに歪めて、シリアルに懇願する。
しかし、言葉を聞く耳すらも、削げ落ちてしまった。
声の響きを受け取る鼓膜さえも風圧に負け、破れてしまった。
シュベロの唇の動きを読み取る両目さえも、切り刻まれてしまったのか、ただ血で濡れてしまったのか、もうどちらか分からない程に潰れてしまった。
左腕はだらりと垂れて、ぴくりとも動かない。
右足は腱を切られ、力を入れることすらままならない。
合計で七本の指が、血まみれの床に転げ落ちている。
それでもなお、シュベロが無傷でいられたのは、もはや彼の執念という他に無い。
「──ヒュッ、──カヒュッ─。」
シリアルは、なにかをシュベロに伝えようとした。
しかし、絶え絶えの息が漏れるのみ。
「そんなお荷物をかかえたままじゃあ勝負にならないよ!」
まるで卓上の玩具で遊んでいるかのように、勝ち誇って無邪気に笑うぼーや。
「悪かった、自首する、自主するから、頼むからこいつの命だけは、」
「そうやって懇願した人たちを、何人売り飛ばしたの?」
シュベロの涙混じりの懇願を、ぼーやは冷たい声で突き返した。
「家族のある人間も売り飛ばして、夢のある人間も売り飛ばして、謝ったって、お願いしたって、怒ったって、泣いたって、自分達の金稼ぎのために売り飛ばしたお前たちが、今更都合よく助けてもらえると思ってるの?」
因果応報、自業自得。
一切無慈悲、大きな亜麻色の瞳は二人を映す。
「僕は被害者たちの"憤怒"の代行者。なんてヒーローぶるつもりはないけれど。今までの行いに対する、当然の報いだとは思わないかい。」
自身の行いを正義だと、義憤だと信じたぼーやはまた、両手を胸の前であわせる。
先程よりも、膨大な魔素がぼーやを中心に蠢く。
本能に、恐怖心という形で訴えかけるその力に、シリアルは身体を丸め、なんとかシュベロを庇いきろうとする。
その命と引き換えに守ったとして、その先に光明があるわけでも無いのに。
その命と引き換えに、守るような命でもないのに。
シュベロは、何も言葉を発せずにいた。
どこで、なにを間違えた?
ただ、そんな、もうどうしようも無いような思考が、空白の中にただひとつ浮かび上がっていた。
「疾風怒濤ッ、」
「天地芸術。」
強い風が、渦巻いた。
逆巻いた。
暴れた。
内臓を揺らし。
身を浮かせ。
風と呼ぶには凶暴すぎる嵐。
それが船内ではち切れんばかりに広がる。
が。
突然訪れる静寂。
突如として姿を消す嵐。
シュベロも、ぼーやでもさえも、突然の空白に自失する。
「"風"──っと。」
ぼーやがうみだした風を全て消したのは、拳銃を手にしたおねえさんだった。
「な、」
あまりの動揺に、ぼーやは口をあけたまま呆然としていた。
シュベロとシリアルも、何が起きたのかは分からなかったが、これを好機だと捉え、シリアルは左足に力を込める。
傭兵部族にとっては、男を片腕で抱えたまま、片足で逃げようとすることは不可能ではない。
「行かせないわ。」
そして、それを止めることも、同じ傭兵部族であるおねえさんにとっては容易いこと。
おねえさんは右手で、動かなくなったシリアルの太い腕を掴む。
「別にあなた達を助けたわけじゃない。ただ、あんな小さな子の手を、あなた達の血で汚させたくなかった。」
そう話しながら、左手で持った拳銃を自身の口元まで近づけて、安全装置を下ろす。
「あと。きちんと裁かれて、罪を償いなさい。」
銃口は、迷いなくシュベロを抱えたシリアルに向けられる。
腕を捕まれた近距離の射撃に、為す術など無い。
耳を劈くような破裂音が響いた─────。