ぼーや
「おねえさん、魔導師だよね?」
背後から投げかけられた言葉へ、振り返る。
先程の下品な男たちと同じように突然「おねえさん」と呼ばれたにも関わらず、少女はその声の主に不快感を全く感じなかった。
寧ろ、どこか懐かしさを覚えるような。
そう思考したところで、何故声を掛けられたのかという理由へ思考をとばす。
もしかすると先程の現場を見られていたかもしれない、どう言い訳をしようか、どのようにすれば穏便に切り抜けられるか。
そのような数秒先の事に思考を走らせながら、声の主を見ると。
「ぼーや?えっと、私に何か用?」
栗毛が特徴の、グレーのマフラーを巻いた少年がそこには居た。
少女より頭一つぶんも背の低い少年に見覚えなどない。
であれば、少年が声を掛けてきた理由は先程の現場を見られた故の可能性が高い。
しかし、そうであったとして何故魔導師かどうかを尋ねられるのか、少女は目の前の少年の思考がまったく読めずにいた。
「ぼーやじゃないやいっ!」
柔和な笑顔で話しかけてきたぼーやは、そう呼ばれた途端背伸びをして眉を釣り上げる。
年齢は十二、三ほど。
可愛らしい顔だちで怒る様子を、少女はかわいいと思ってしまう。
先程まで言動が読めない目の前のぼーやに警戒していた少女だが、愛らしい姿に緊張が溶ける。
「あぁ、ごめんごめん。君の言った通り魔導師だけれど、それがどうしたの?」
怒っていても愛らしいそのぼーやに、少女は呼ばれたとおりにおねえさんという態度で接しようとし、背を丸めて視線を合わせにっこり微笑む
そういったこども扱いが不服なのだろう、ぼーやは口を尖らせているが、それ以上の指摘は話が進まないだけだと判断して、口を開いた。
「さっきの戦いぶりを見ていたんだ。おねえさん、とっても強いんだね!」
大きな瞳をさらに大きく輝かせて、ぼーやはおねえさんへ一歩近づく。
やはり見られていた。しかし、見た上で声をかけられた。
ぼーやの表情からすると、この街を守る治安部隊に通報するようには見えない。
おねえさんは、あ、ちが、と短く単語を発しながら、どう誤魔化そうか、もう一度シナプスを繋ぐ。
「よかったら僕たちの魔導師ギルドに来ない!?」
「へ」
一体どのような詰め寄られ方をするのだろうかと覚悟を決めた時、ぼーやの口からはおねえさんの想像も出来ないような言葉が飛び出してきた。
ギルド。
それはヨハン王国に存在する私営の職業案内施設である。
商人ギルドや音楽ギルド服飾ギルドなど、専門家を集め、ギルドに所属する職人たちへ仕事を斡旋し、仲介手数料を取る事で成り立ったその施設は王国のあちこちで展開している。
ヨハン王国の国民の殆どはどこかしらのギルドに所属し、収入を得ているほど。
そのギルドの一つである、魔導師ギルド。
名前の通り魔導師達が所属し、ギルドに寄せられる依頼をこなすことで、報酬を得る。
この国では魔導師ギルドが、どのギルドよりも群を抜いて多い。受注できる依頼が幅広く需要が高いためだ。
数が多い魔導師ギルドは、他の魔導師ギルドと差別化を謀るため、優秀な魔導師を常に求めている。
おねえさんの目の前に立ったぼーやも、若いとはいえ魔導師ギルドの経営を思い、魔導師を勧誘している一人なのだろう。
しかし。
「えっと、私、その。もう行きたい魔導師ギルドが決まってて。」
あまりにも真っ直ぐな視線に、おねえさんは直視する事がつらくなり、明後日の方向を向きながら言葉を濁す。
左手の中にある雑誌を握る力が、強くなる。
「────そっか。」
自分よりも幼い男の子を悲しませるのは胸が痛む、とおねえさんは気まずそうに、レンガの地面へ視線を落としたが、彼の反応は予想外にもあっさりしたものだった。
駄々をこねるわけでもなく、悲しむわけでもなく、しつこく勧誘するわけでもなく、ぼーやはけろりとした表情で引き下がった。
あまりにも淡白な引き下がり方に拍子抜けしそうになるが、悲しまれたりするよりは幾分も心が助かる。
「じゃあ、引き止めて悪いことをしちゃったね。ばいばい、おねえさん!」
ぼーやはリュックを背負いなおすと、薄い唇で弧を描き、踵を返した。
そしてもう一度、顔だけ振り向き手を振った。
"──────さあ、お行き。"
「ぼーや、待って!」
おねえさんの脳裏に焼き付いて離れない、あの男の残像が再生される。
何度も何度も夢に見た、別れの瞬間。
ぼーやが立ち去ろうとするその姿が、あの男の影と重なって見えた。
そして、おねえさんが気がついた時には、ぼーやを引き止めていた。
「む、ぼーやじゃないやい。」
引き止められた事に、栗色の瞳は驚きで揺らすが、すぐにぼーやと呼ばれたことにむくれつらを浮かべる表情へ変わる。
その視線には「なに?」という言葉が乗って投げかけられる。
「えっと。そう、そうだ。君の名前は?ぼーやじゃないんでしょ?」
誰かの面影と重ねて引き止めただなんて気味悪がられるだろうと思い、なんとか話題を振り絞った。
客観的に見れば明らかに不自然だったが、おねえさんは滞りなく誤魔化せたと、心の中でガッツポーズを掲げる。
「名前、か」
それまで無邪気な笑みを浮かべていたぼーやが、そうぽつりと呟くなり、見た目にはそぐわない達観したような、そして寂しげな笑みを浮かべた。
「もし、おねえさんの頬を撫ぜる風が吹いたとして。」
この街の騒がしさが、一瞬にして消え去ったような感覚を覚えた。
街ゆく人々も消え、会話も、喧騒も、全て白に潰されるような。
ただこの世界に、自身と目の前のぼーやだけが取り残されたような、そんな錯覚。
「おねえさんは、その風にいちいち名前をつけるかい?」
あまりにも寂しげな笑顔と、言葉。
つられて泣き出してしまいそうなほどに。
年端もいかぬ少年が、浮かべるようなものではない。
「つまり、そういうことさ」
鉛のように重くなった手足はぴくりとも動かない。
何故教えてくれないのか、何故そんなにも悲しそうな顔を、何故そんなにも───あの男に似た表情をするのか。
問いただしたくても、思考だけが舌の上にのったままで、それを吐き出すことは出来なかった。
ぼーやは右手をおねえさんの前へ、ゆっくり差し出す。
ぱちん。
指は乾いた音を鳴らすと、それをきっかけとするかのように、風の波がおねえさんへ押し寄せた。
あまりにも強い風に、目を閉じてしまう。
「あ──。」
街は人々や馬車の騒がしさを取り戻し、不思議な少年を飲み込んで、どこかへやってしまった。