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大空で風を掴む。  作者: 水族館イコー
王家の谷編
14/15

女王






 からりとした暑さ。


 自身の両横では女が大きな団扇を持って仰いでいる。


 気がつけば椅子に腰掛けており、背もたれは派手な装飾が施され、天井に届きそうな程大きく作られていた。

 座り心地は決して良いとは言えない出来で、土や岩といった素材で作られているのか、クッション性は皆無だ。

 数分前、ここでは無い場所に居たような気もするが、どこだったのか詳しくは思い出せない。


 腰掛ける椅子に置いた自らの腕を見る。

 褐色の肌と、それに映えるゴールドのアクセサリーがきらきらと光っていた。

 肌の色も、アクセサリーも自分のものではないような違和感で、手を握ったり開いたりとしてみるが何の問題もない。


 目の前には見慣れない服装をした男がこちらへ何かを話しかけてきている。

 話している言語が理解できないのではない。

 身に覚えのない話や、聞き慣れない単語ばかりが飛び出すその言葉が、理解出来ないでいた。

 手を忙しなく動かしたり、きょろきょろとあたりを見回していた様子を見かねたのか、同じように見慣れない装束に身を包んだ男がそっと側へ寄り、耳打ちをした。


「どうかされましたか、アミュニット陛下。」


 そこで漸く己の名を思い出す。

 褐色の肌をもつ黄金の陛下ではない。


 己の名は、カンナヅキ。




────────────────────


「では、本日の政務は以上になります。具合が悪いようでしたら神官をお呼びしますが、如何されますか。」


 場所は変わり、王の私室にて。

 大臣と名乗る男達が入れ替わり立ち代わりで(まつりごと)の申し立てをし、明言を避ける形ではぐらかし早々に終わらせ逃げるように私室へ向かい、現在。

 体調を心配するなにかの大臣を大丈夫だの一点張りで私室を後にさせる。

 周囲を見渡し、人の気配が無くなったことを確認するなり、私室に置かれていた姿見の前へ立ち己の姿を確認する。

 緑の長かった髪は真っ黒なボブカットになり、白かった肌は褐色の肌、露出の多い清潔な服にゴールドのアクセサリーが身体のあちこちで光っている。

 そして、目を奪われる程の端正な顔立ちをした美人な見覚えの無い女性がそこに居た。


「誰、これ。アミュニットさんって呼ばれていたけれど、これはどうなっているの?」


 鏡の前で顔をぺたぺたと触ってみると、確かに自分の顔を触っているのだと視覚と触覚が訴える。

 しかし、手も顔も全て自分のものではないのだ。

 全身に巡る魔力も自分のものではなくて、違和感で全身が寒気立つようだった。

 どうしてこうなったのか思い出そうとしても、直前の記憶が抜け落ちている。

 自身の名前などは覚えている。寧ろ、名前や自分の見た目といった漠然な事しか思い出せず、他の記憶は思考にもやがかかり考えられなくなってしまう。

 これが何かの魔法事象であることは分かるが、こんなにも現実味のある幻術にどう太刀打ちすればよいのかが理解(わか)らない。


 椅子に腰掛け、机に突っ伏してため息をついたその時。


「アミュニットお姉様、私です。トトです。」


 私室の外から、可愛らしい女の子の声が届いた。

 跳ねるようにして身体を飛び起こすと、その声に胸がじんわりと暖かくなるのを感じる。

 大臣達はてきとうに帰らせたというのに、その声を聞くと知らぬ間に足が声の元へと歩き始めていた。

 数歩先にはおずおずと眉を下げて立つ少女。

 トトと名乗るその少女は頭一つぶん程背が小さく、細い腰には抜き身のナイフがぶら下がり、黒髪を長く伸ばし瞳や鼻筋が鏡で見た顔と似ていた。

 お姉様と呼ばれていたことから妹だろうと察すると共に、その視線の高さで大きな瞳に覗かれると何故か心がざわつく。

 何かを思い出せそうなそのモヤモヤに眉をひそめていると、少女は口を開いた。


「顔色が優れませんね、お姉様。神官様の治療を断ったそうですが、やはり呼ばれた方がよろしいのでは?」


 そろそろと伸ばした褐色の小さな手指は、そっとアミュニットの頬を撫ぜる。

 優しい温もりに胸が締め付けられてしまうのは、こうなってしまう前に失ってしまった記憶が原因なのか、身体の持ち主であるアミュニットに原因があるのか。

 ただ、どちらだとしても彼女(トト)をこれ以上心配させて悲しませたくないという心のままに行動することにした。


「心配してくれてありがとう。あなたの忠告通りにしようかしら。神官様を呼んで待つまでの間、私の部屋で話し相手になってくれる?」


 頬に伸びた手をそっと取り、両手で優しく包む。

 すると、トトは大きな瞳をぱちくりと瞬かせ驚きでしばらく固まっていた。

 アミュニットという女性を知るトトの前で、いつもと違う振る舞いをしてしまったのではないかと緊張で背筋がすうっと冷たくなる。

 しかし、トトはすぐに目を細めて笑うとおねえさんからの誘いに快諾した。


 私室に招き、太い脚のテーブルを共に囲んで座る。

 従者を呼びつけると、二人分の果実水を用意するように頼む。

 やはり従者も何かに驚いたような顔を見せたが、すぐに命令通り果実水を持ってきた。

 果実水に口をつけるなり、トトは頬を緩めた。


「お姉様、ご機嫌がよろしいのはやはり先日の戦にて大勝を収められたからでしょうか。」


 実の妹を誤魔化す事は難しいのだろう、遠回しに普段と違う様子について尋ねられている。


「えっと、まぁ、そうなんだけど。そんなに普段と雰囲気が違って見える?」


 トトの話を否定せず、それとなく立ち振る舞いの違和感を尋ねる。

 困ったように考え込むと、トトは慎重に言葉を選びながら口を開いた。


「お姉様はご自分にも他の方にも厳しい方ですから、どのような場でもその威厳を大事にされています。今日は、少しいつもより優しさが目立つな、と。」


 実の姉といえど、アミュニットは女王陛下と呼ばれる存在である以上、トトもその言葉選びや接し方には十分気をつけねばならないのだろう。

 アミュニットへの侮辱に当たらないような言葉を探しながら、違和感の正体はいつもより優しさが目立つ事だと教えられる。

 しかし、トトのような幼い少女にまで保つ威厳など持ち合わせていないカンナヅキは、どう威厳のある態度を取り繕えばよいものかと頭を悩ませた。

 そこで、妙案を思いつく。


「今日から優しさを大事にするように決めたの。」


 気が変わったせいだと伝えておけば、中身が別人になってしまったことがバレないと考えた。

 中身が別人だということを隠す必要はそこまで重要ではないと考えたが、元の姿に戻る確信的なものが無い限りはこの立場であろうとした。

 それに、突然女王が居なくなってしまったら国は混乱に陥るかもしれないという思いもあった。

 唐突な心変わりを告げられたトトは、果実水が入ったグラスを持つ手がぴたりと固まる。

 大きな瞳が不安げに揺らいたが、すぐにトトは笑顔を浮かべた。


「素晴らしいですね。お姉様のお考えになる事ですから、きっと何か考えがあるんですよね。」


 表情の機微を見逃す事は無かったが、考え無しの発言を持ち上げられた困惑に彼女の不穏な表情はすぐに忘れてしまう。

 ただ、苦笑いだけを返した。






─────────────────────


「全然戻れる気配が無い。」


 アミュニットの身体に入ってしまってから数日、戦場に用意された仮設テントの中で疲弊した顔を抱えていた。。

 見知らぬ土地で見知らぬ人物に成りすます生活は、想像していたよりも困難を極めた。

 一つの言葉で、一つの行動で違和感を与えてしまわないかと神経を減らし、少しでも疑問に思っていないか相手の表情筋を伺う事が続き心もすり減らしていた。

 相変わらず(まつりごと)に関しては全く分からず、それでいて政務もこなさなければいけず、またヨハンと名乗る国からの侵攻にも手を打たねばならず、激務が続いていた。

 一刻も早く戻りたいと願う状況でありながら、戻るための機会を見つけるどころか探すための時間すら無かった。

 しかし、トトとの時間は減らさなかった。

 毎日二人きりで話す時間を設け、この国についてや政治、近況などの情報を得つつも、トトに癒しを求めていたからだ。

 しかし、彼女との時間を大切にすればするほど、曇った表情を多く見せるようになっていった。

 どうして浮かない顔をするのか、聞き出せないまま侵略者との開戦日になっていた。


 専用の戦装束を身に纏い、アミュニットが戦場で必ず手にしたと言われている黄金の錫杖を握る。

 戦車の用意が出来るまでテントでの待機となり、一気に不安が押し寄せて来たのだ。

 元に戻れない不安、戦場に赴く不安、トトの暗い表情からくる不安。

 何も解決できる兆しがあらず、ずっとこのまま抜け出せない檻に入れられたままなのではないかと悪い方にばかり考えてしまう。


「陛下、戦車の用意が出来ました。」


 胸中など露知らず、臣下の声が届く。

 なるべく違和感が無いように、と心がけていた胸を張るような歩き方にも慣れてしまった。

 数分後には、戦車に乗り兵を率いて戦場で先陣を斬る。

 もし、死んでしまったら戻れるのだろうか。それともこの知らない世界に閉じ込められたままになるのだろうか。

 そんなことを考えながら、戦場へと向かった。


「お姉様、お姉様ッ、お待ちください!」


 テントが立ち並ぶ戦場で、可愛らしい声が響く。

 その声の主を見なくとも、誰か分かる。

 しかし、彼女は戦場に連れて来ていないはずだと不思議に想いながら振り返る。


 そこに立っていたのは、彼女の手に収まるサイズの小さな短刀を震える手で握ったトトの姿があった。


「トト、どうしてここに?それに、そのナイフ、」


「近寄らないでッ!」


 明らかに只事ではない事を察し、トトの元へ駆け寄ろうとすると顔を真っ赤にして彼女は叫んだ。

 伸ばした手はぴたりと止まり、空を掴む。


「お姉様、ごめんなさい、私の邪な感情が、付け入る隙を与えてしまったのです、私のお姉様を憎む感情が、妬む感情が、全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部、お姉様が、お姉様が悪い、悪い、悪い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い嫌い、嫌い、嫌いッ!」


 涙を浮かべて声を振り絞っていたかと思うと、その顔はだんだんと怒りの表情に染まっていき、普段の可憐な姿からは想像も出来ない程、憤怒の皺が顔に刻み込まれる。


「ずっと、ずっとずっとお姉様の下だった、お姉様は優秀で私は愚図で馬鹿で何を成してもお姉様以下ッ、優秀な臣下はお姉様に忠誠を誓って、私に言いよる臣下なんて、お姉様のその王という座しか見てない事なんて分かってた!分かってたッ、分かってたのに、それ以上に全部持ってるお姉様が妬ましく憎くて、そのせいで、そのせいで、私は、私は──。」


 罪を告解するようにべらべらと語り出すトト。

 それは言葉として成り立っていない発音も多く、そして文章も支離滅裂で何かからの干渉があることは明らかだった。

 しかし、その吐露はあまりに彼女が心に蓋をしてきた感情そのもので、カンナヅキは、アミュニットは圧倒され動けないでいた。


「どうして、私にずっと冷たく当たってきたお姉様が、どうして、計画決行の数日前に、突然、優しくなるのですか───。」


 トトによる襲撃は、この戦争の日に決行出来るよう予め練られていたものだと察した。

 そのための入念な準備は、三日三晩で出来るようなものでは無かったのだろう。

 だから、カンナヅキがトトへ優しく接する度に、彼女は複雑そうな表情を見せていたのだ。

 泣きじゃくる少女の顔に、心が潰れそうになる。

 アミュニット自身が、今、どのような言葉を選ぶのかは分からなかったが、アミュニットの心は分かるような気がした。

 彼女を見る度に暖かくなっていた心は、アミュニットのものだと。


「トトを嫌った事なんて一度も無いよ。ただ、優しすぎるあなたが臣下に利用されないような強い心を持って欲しくて、強くあり続ける姿を見せていたんだよ。」


 彼女に抱く優しい気持ちの正体を、カンナヅキが代わりに打ち明けた。


「突然優しくなったのは、こうなる事が分かっていたからかもしれない。貴方に殺される前に、どうせこうなるのならば、もっと姉妹らしく優しさばかりに満ちた時間を過ごせばよかったと後悔しないように。」


 優しくなった理由は自分がアミュニットではないからだと告白しようとしたところで、カンナヅキの言葉は思っていたものと違うものを発していた。

 それは、この身体の持ち主であるアミュニットの本当の言葉なのかもしれない。


「全て、分かって───。」


 トトの言葉は泣き声にかき消された。

 そして、朧気だった瞳が決心したような強い眼差しになると、短刀を持ち替え、自身の腹部に突き立てた。


「トトッ!」


 名を呼んで、今度こそ駆け寄ってその小さな肩を抱いた。

 小さな褐色の手指はべったりと彼女自身の血で濡れていて、力なく四肢を放り出している。

 本来ならば縁遠くあるべきはずの凄惨な姿に反して、トトは漸く笑みを浮かべた。


「操られるような不甲斐ない私が、悪いのです、どうか、悲しまないで、お姉様、その、お姉様の玉声が、私の闇を、祓ったのです、やはり、お姉様こそが、この国の、王に相応しい、私なんかでは、無理だって、」


 途切れ途切れに声を紡ぐ。

 トトはこれが最期の言葉になるのだと分かっていて、言葉を紡ぐことを止めなかった。

 回復魔法を心得ていないカンナヅキは、どうすることもできず、ただその肩を抱き、小さな手を握りしめ、見えなくなっていくトトの視界でも分かるよう、傍で支え続けた。



「ごめんなさい、お姉様。大好きでした───。」



 そう言うと、満足したように目を閉じる。

 口の端に浮いていた血の泡は、ゆっくりと顎へ伝って落ちていく。

 何度も彼女の名を叫ぶ声が、響いた。



「魔法が途切れたと思って来たら、計画と違っているじゃないか。」



 聞き慣れぬ男の声。

 突如現れたその謎の人物の口ぶりからして、トトの心の隙間に漬け込んで操った張本人であることを察した。

 どうしてこんなにもか弱い少女を傷つける必要があったのか、怒りのままに男へと視線を飛ばす。


「な、」


 目の前に立っていたのは、プラチナ色の長い髪を結い、同じ色の長いまつ毛に閉じ込められた空色の瞳をもつ男。

 ざわざわと木々が揺れるように、記憶の枝葉が刺激され、全てを思い出してゆく。


「おにいさ、風神さん──!!!」


 その男の姿は、ずっと追い求めていた「風神」そのものであった。















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