パピルス
「私、天使の誘惑に所属している魔導師、カンナヅキっていいます!」
おねえさんはすぐに名乗るなり、スカートの中に隠れていたギルド紋章を見せる。
一部の男たちは少し身を乗り出してそれを見ている。
回復魔導師は、今にも泣きそうだった顔をぱっと笑顔に変えた。
「ありがとう!私はキャリシア・ルイス。早速で悪いけれど、この方に両手を添えてくれるかしら。」
おねえさんは快諾すると、膝をついてキャリシアと名乗った回復魔導師の指示に従う。
キャリシアはすぐに魔力を分け与える魔法の詠唱を始めた。
おねえさんは倒れた青年を挟んで座っているオレンジの髪の女へちらりと視線を流すと、女はおねえさんと目線が合うなり弾かれるようにして顔を逸らした。
女の反応を少しだけ不思議に思うが、おねえさんはもう一つするべき事があった。
「ぼーや!あなたも手伝って、ホラ!」
人混みへ大きく手を振ると、心当たりのない人たちは身体を避けておねえさんに呼ばれた人物を探す。
さながら海を二つに割ったかのような人の道が、ぼーやの前に出来上がってしまった。
ぼーやは、おねえさんが始めから自分も巻き込むつもりだったのだろうと、彼女の曇りない笑顔を見て気がつく。
風魔法という自然現象を生み出す、無尽蔵な魔力を持ち合わせたぼーやを逃がすわけないと、近くまで歩み寄ったぼーやの腕を引くおねえさん。
そしてキャリシアの眩しい魔素に包まれると、おねえさん、ぼーや、オレンジの髪の女、三人の魔力がゆっくりと青年の中へと入っていく。
「だめ…ギブ…。」
魔力を分け与えて魔力欠乏症になってしまっては本末転倒なので、オレンジの髪の女は自身が耐えうる限度まで我慢したが、三人の中で一番に抜ける。
ぼーやはけろりとした表情で魔力を与え続けているが、おねえさんも少しの疲労を汗に滲ませていた。
倒れていた青年は先程より容態も回復に向かっているのが目に見えてわかる程で、呼吸はゆっくりと落ち着いたものになっていた。
「もう…大丈夫。これ…酷い発作の…一つ。でも…これだけ落ち着いたら…助かる…はず。」
オレンジの髪の女は倒れた青年の様子を見て、もう大丈夫だろうと判断を下す。
彼女が語る所によると、ガレオ病と呼ばれる魔力の器が産まれ付き極端に小さいこの病気は日常生活で魔力が枯渇しやすく、魔力欠乏症に陥る発作は日常茶飯事のようだ。
青年の持ち物にも、急な発作に対応するための治療用魔器を持ち合わせていたようだが、稀に通常の発作より重篤な発作が起きる場合がある。
今回青年が倒れたのもおそらく重篤な発作によるものだろうと推測され、その場合は魔力補充をしたとしても急激に魔力を消費される状態が長く続いてしまう。
急激に消費され続ける魔力を補い続けることが出来れば、次第に発作も収まり容態は安定していく。
ただし、これはあくまで発作への治療であって、ガレオ病を完全に治癒させる技術者は今のところ発見されていない。
「ありがとう、貴女の知識で私もこの人も救われたわ。お名前を聞いてもいいかしら。」
キャリシアはそっとオレンジの髪の女の手を包んだ。
それは氷のように冷たく、冷えきっていた。
「…ユキメ。」
ユキメと名乗ったオレンジの髪の女は最初こそ戸惑ったものの、キャリシアのエメラルドグリーンの瞳に見つめられ名乗った。
「お二人も御協力ありがとう。天使の誘惑ってサムエルにある魔導師ギルドよね。」
キャリシアの柔らかい微笑みと、小鳥の囀りのように愛らしい声でお礼を言われ、おねえさんは照れくさそうに服の襟を正す。
「あら、では貴方はあの時の風魔導師さんかしら。」
白くて手入れの届いた綺麗な指先を頬に宛てがい、ぼーやへと尋ねるキャリシア。
ぼーやは「あー、うん、そう。」と歯切れの悪い返事をする。
「そうなのですね、わざわざ星幽体の歌姫にまで来て頂いたのにお力になれず、あなたの事がずっと気になっていたのです。でも、雰囲気が随分と変わっておられて。私の心配は杞憂だったようですね。」
悪意も無く、ただ純粋にぼーやの事を心配していたという様子のキャリシアに対して、ぼーやはあまり思わしくない表情で彼女へ対応している。
おねえさんは「あの時」の事を知らないため、二人の会話をただ聞いている事しか出来ないが、いつも愛想のいいぼーやの態度に疑問を抱く。
キャリシアはそれぞれお礼を言い終えると、次に止まる駅で青年を連れて降り、近くの診療所まで送る事に決まり、ぼーやとおねえさんは自分たちが座っていた座席へ帰ってくる。
ユキメと名乗った女は、いつの間にか野次馬の中に姿を消していた。
「キャリシアさんと知り合いだったんだ。」
おねえさんは、ただの疑問をぼーやにぶつけてみた。
やはり、いつもは調子のいいぼーやがキャリシアの名前を出された途端、気まずそうに視線を逸らす。
過去、ぼーやとキャリシアの間に一体何があろうと踏み込むべきでは無いと自覚しているおねえさんは、これ以上の詮索は野暮だと感じ「ふぅん」という返事だけして会話を切り上げた。
そこから次の会話も無く、電車の揺れる音だけが響く。
「僕ね、実は五年以上前の記憶が全部無いんだ。」
沈黙を破ったのは、ぼーやだった。
「五年前、記憶喪失になって、サムエルでちょっと色々あって。それでティアに拾ってもらったんだ。」
おねえさんは、ただ相槌を打つ。
「僕の記憶喪失を治そうって、ティアが知り合いのギルドマスターが経営する回復魔導師ギルドを紹介してくれたのが、星幽体の歌姫なんだ。さっきの人は、その時に会った。」
「記憶喪失はどうなったの?」
「そのまま。魔力の器に何かしらの負荷が掛かったのが原因だってことは分かったけれど、魔力の器まで干渉できる魔法は未だ誰も使えないみたい。」
「名前も?」
「うん。名前も、どこから来たかも、家族は居たのかとかも。全部覚えてないよ。」
淡々と話すぼーやに、おねえさんはそれ以上の言葉を見つけられなかった。
その幼さには似つかない表情や言動があったり、ギルドの寮で一人暮らしている点などから、疑問に思うことはあった。
初めてぼーやと出会い、名前を聞いた時にはぐらかされた理由に今気がつく。
いったいどんな言葉を選べば、彼を傷つけずに済むのだろうか。
そんな風には見えなかった。
大丈夫だよ。
そのうち治るんじゃないかな。
記憶喪失になってから楽しいこともあったはずだよ。
どれも、違う。
ただ、自分が言われて嬉しかった言葉を返そう。
「私も、ぼーやの記憶の手がかりを探すよ。」
強く決意した緑の瞳。
電車の揺れに合わせて、同じ色の髪が少しだけ跳ねる。
思いもしなかったおねえさんの反応に、ぼーやは言葉を忘れる。
「私、ぼーやに風神さんを一緒に探すって言ってくれた時、凄く嬉しかったの。だから、私はぼーやの記憶を一緒に探したいな。」
微笑む。
誰にも言われた事の無かった言葉に、ぼーやは胸が潰れそうな程に痛くなる。
「ありがとう、おねえさん。」
─────────────────────
「ついたわね、ここがパピルス!」
あれから列車に揺られ三時間程、カラッとした空気に強い日差しが肌に刺さる砂漠の地、パピルスに二人は到着した。
まずは、今回の依頼を出したパピルスの町長に詳しく依頼内容を聞かなければいけない。
町長の家まで向かう途中、たった数時間の移動でサムエルとは大きく変わった環境におねえさんは驚いていた。
サムエルではレンガ造りの家が目立っていたが、民家は主に暑さ対策に風通しの良い植物を編んで作ったような家が多くを占めている。
宿屋、食事処、裕福そうな家はレンガ造りの家にもなっているが、それはこの街に両手で数えて足りるほどの少なさだ。
「なに、あのコ!」
おねえさんがそう言って指をさした先に居たのは、大きくて垂直に伸びた二本の角、全身は赤毛の毛皮、足先だけ白い毛皮になっており、胸から臀まで真っ直ぐなかたちをして大きな日詰を持った動物だった。
「あれはゲムズボッケ。王家の谷に自生してて、崖を登るのも得意だし砂漠越えもへっちゃらだから、観光用の乗り物として飼育してるんだ。ほら、あれが貸しゲムズボッケ屋さん。」
ぼーやさした指先を視線で追うと、柵に囲われたゲムズボッケが数頭のんびりと放牧されている。
小さめの瞳は何とも言えない愛らしさで、目が合うと撫でたくなってしまう吸引力があった。
ゲムズボッケにすっかり心を奪われてしまったおねえさんは、視界にゲムズボッケが映る度に視線も奪われ、前を見て歩けない状態。
「ふふ、僕達も王家の谷に行く時は借りようか。」
ぼーやの提案に、おねえさんはバッと振り向き飛び切りの笑顔で返事をした。
駅から真っ直ぐ続く道に伸びる青空市場を抜けて、町長の家に着く。
もちろん、町長の家はこの街で数える程しか存在しないレンガ造りだった。
門構えから立派な柵がついており、門番まで両脇に待機していた。
二人は門番へ声をかけ、今回の依頼で来た天使の誘惑の魔導師だと伝えると、門番は一度家の中へ消える。
数分程待った後、門番が戻ってくるなり立派な柵の施錠を解いて二人を歓迎した。
「やあやあやあ、お待ちしておりましたぞ、魔導師様方!」
二人を出迎えたのは恰幅の良い初老の男性で、褐色の肌に映えるゴールドのアクセサリーをじゃらじゃらと鳴らしながら、へこへこと頭を何度も下げる。
あまりにも絵に描いたような成金ぶりを、二人は表情に出てしまわないように注意しながら、身元を名乗る。
「いやいやいや、長旅お疲れ様でした、私は町長のグァンと申します。この後依頼内容を詳しく話した後は、ぜひ一日パピルスでの観光を楽しんで頂き、宿も取ってありますので調査は明日の朝からお願いします。」
自らをグァンと名乗った町長がぺらぺらと離していると、綺麗な若い女性が人数分の茶を置く。
サムエルでよく好まれる紅茶ではなく、パピルスに存在したと言われる古代王国時代から愛されてきた、取っ手のない器に入れられた茶だった。
二人はお茶の礼を言うと、女は無言でお辞儀だけすると部屋を後にした。
「ではではでは、依頼内容なんですがね。」
そこから、グァン町長は依頼内容を詳しく語り出した。
遥か三千年前、ヨハン王国が誕生するより以前、現パピルスを中心に古代王国が築かれていた。
砂漠という厳しい環境でも逞しく繁栄した人々は、とある女王によって統治されていた。
女王の名はアミュニット。
時には戦場で先陣を切る軍神と化し、時には大胆な政治改革で平和をもたらす、民に深い尊敬抱かれた勇気と知恵を併せ持つ女傑だった。
王家の谷に自らの大規模な墓を作ったのもアミュニットが初めてであり、生前からの大規模墓建設により経済が周り古代王国は更なる栄華を極める事になった。
しかし、完全無欠の偉大なる女王にも最期は寿命に抗う事が出来ず、多くの忠臣に看取られながらこの世界を去る。
そして彼女の最大の功績である、王家の谷での埋葬を果たしその名は王家の谷へ永遠に刻まれる事となり、後の王族たちも皆アミュニットにならい王家の谷へ墓を作るようになる。
ここまでが、王家の谷の壁に刻まれていた内容から分かる逸話。
話はさらに続きがあり、女王は寿命で忠臣達に囲われながら
最期を迎えたのではなく、裏切りによって死亡したのではないかという事実が王家の谷研究の中で浮かび上がってきた。
偉大なる女王を裏切った者の正体は、女王の妹。
玉座に憧れた妹はアミュニットへ反旗を翻さんとする輩に利用され、姉である女王を裏切ることとなる。
女王が息を引き取る原因となった事件に使われた、妹のためにアミュニットが用意した精巧な造りの護身用ナイフ。
「アミュニット女王が妹を想い贈ったものが裏切りに使われたそのナイフを、王家の谷で見つけて来て欲しいのです。」
ここまで止まることなく全てを話したグァン町長は、乾いた口を潤すため茶を一気に飲み干した。
「見た目の特徴等はありますか?」
三千年前のアーティファクトが今回の依頼内容だと分かった二人は、漸くこの依頼が何故失敗続きになっているのか理解した。
「はいはいはい、妹殿下の壁画に書かれていたものの写しにはなりますが。」
そう言ってグァン町長が見せたのは、岩壁に彫られたおおよそナイフと思わしきかたちをしたそれ。
ますます依頼成功の兆しが閉じていくようだった。
それから、ぼーやがナイフの手がかりになりそうな情報を引き出そうと質問をいくつかしてみるが、全て曖昧であったりして無駄に終わってしまう。
二人から漏れ出る不安げな雰囲気を察したグァン町長は、ナイフが見つかればパピルスはさらに観光客が訪れ街はさらに発展するだとか、歴史的な大発見になり見つけた者の名前は未来永劫語り継がれるだとか、なんとか二人のやる気を出させようと畳み掛ける。
「わかりました。宿を取って頂いたりとても良くして貰っているので、僕達も善処します。」
グァン町長の泣き落としにも近い怒涛のマシンガントークを、ぼーやは営業スマイルでさらりと躱す。
今回の依頼主との対応は全て自分がやるから見ていて、と言われたおねえさんはなるほどと頷きながら対応の仕方を頭に叩き込んだ。
グァン町長の屋敷を後にした二人は、部屋を取ってあるという宿屋にチェックインし荷物を預けた頃、時刻は正午を過ぎていた。
昼食を摂れるか尋ねたところ、宿屋では食事サービスを行っていないようで、青空市場にある屋台が観光客に人気だと教えられたので二人は青空市場に訪れていた。
先程も通りがかった青空市場は昼時という事もあり一層賑わいを増していた。
太陽からの熱気、人々の熱気、屋台からの熱気、賑わいと熱の雰囲気に酔ってしまいそうな程だった。
「見て、ゲムズボッケカステラだって!」
観光客向けの屋台から、地元の人も贔屓にしている屋台まで様々で、おねえさんとぼーやは屋台の串焼きやカステラ、冷やし野菜等を購入して食べ歩いた。
「すごい人混みだね。わっ、」
屋台を見ようにも、この人混みから抜け出そうにも、人に埋もれてしまったおねえさんは足元を見る余裕がなく、誰かの落し物を踏んでバランスを崩す。
「危ない!」
倒れ込んでしまう、そう思った時ぼーやの手がおねえさんの手首を引っ張ってなんとか支える。
「ありがとう、」
人混みの中でよろけてこけてしまったかもしれない、という恐怖に鼓動がとても早くなっている。
ぼーやはおねえさんのお礼を聞くとすぐに手の力を抜いたが、その手を名残惜しそうに引き止める、指。
「おねえさん、」
「ごめん、またこけたら嫌だし、はぐれても嫌だし。手、繋ご?」
こけかけたのが相当参ったのか、眉を下げながら照れくさそうに頼むおねえさん。
今度はぼーやの鼓動が早くなっていき、拒否するのも変だからと自分に言い聞かせ、ゆっくり頷く。
「ありがとう。」
断られなくてよかった、とおねえさんは上機嫌でぼーやの手を引いて屋台巡りを再開させる。
ぼーやは手から緊張が伝わってしまわないように祈りながら、その手に引かれるがままを楽しんだ。
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「夕焼け、綺麗だね。」
グァン町長が二人のために取っておいた宿屋の部屋はこの街一番の部屋で、内装もシャンデリアや厚みのあるカーペット、精巧な刺繍の施されたカーテンにキングサイズのベッド、どこかの王様になったかのように豪奢な部屋だった。
中でも、二人の心を動かしたのは砂漠の海に沈んでゆく夕日だった。
宿屋の主人から夕陽が綺麗だと教わったので、夕食を早めに摂って部屋に帰ってきていた。
「明日の調査、うまくいくといいね。」
おねえさんは真っ赤な夕陽に照らされながら、呟くようにそう言った。
ぼーやはゆっくり頷いて返事をした。
不安な点は数えればキリが無い。
しかし、おねえさんはぼーやとなら今まで何度も失敗に終わっていたこの依頼も、成功出来そうだと確信めいたものを感じていた。
「さっき屋台のおじさんにさ、姉弟でおつかいかって聞かれたけど、今思い出すと笑っちゃうね。」
おねえさんは青空市場でのことを思い出して笑う。
二人手を繋いで屋台を覗いていたら、そう声をかけられたのだ。
すぐに否定したのだが、おねえさんはまんざらでも無さそうで。
「でもね、私はそう言われて嬉しかったよ。それだけ仲良しに見えてるんだって。」
ぼーやは少しだけ複雑そうな顔をしている。
「それに、ぼーやは初めて会った時から懐かしさを感じるっていうか、他人とは思えないんだよね。だから姉弟って言われてすごくしっくりしちゃった。」
「うん。僕もおねえさんとは初めて会った気がしなかったよ。でも、」
そこで言葉を濁すぼーやの顔をちらりと見る。
ずっと夕陽を見ていたせいか、ぼーやの輪郭がぼやける。
「でも?」
「姉弟じゃなくて、」
じっと見つめるおねえさんの顔は、逆光に照らされており表情が読めない。
赤くなった顔はうまく夕焼けで誤魔化せてたらいいな、なんてぼーやは他人事のように考える。
「じゃなくて?」
「もっと、仲良しなのがいい。」
ゆっくりと陽が沈んでゆく。
ぼーやの緊張と紅潮を描いた輪郭がゆっくりかたち取っていき、おねえさんの驚いたような表情も段々と浮かび上がってくる。
「いいね、それ。」
驚いた表情は、ぱっと笑顔に変わる。
恐らく自分の真意は届いていないだろうと察するぼーやだが、それはそれで良かったような安堵も覚えた。
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