イイ匂いの猫
その後、狂暴な獣や腐肉喰らいへの対処を叩きこまれ、へとへとになって迷宮を出る。
石造りの街並みが真っ赤に染まる夕暮れで、返り血に染まった姿も気にならない。嘘です、臭いので早く着替えたい。
「臭い~、早く着替えたい~」
「お前の鼻はよくわかんねぇな。ずっとこの臭いだぞ?」
「そんなのウソでーす、迷宮の中は美味しい匂いでした! あー、お腹すいた!」
「普通、初めて迷宮入った連中は吐いたり寝込んだり、しばらく飯が喉を通らないなんて事になるんだが」
ライゼルさんは呆れたように私の顔を覗き込むとニヤリと笑った。
「迷宮出てすぐに腹減ったなんて言える図太さは、いい資質なのかもしれないな」
「図太さってなんですか! 他にも褒める所いっぱいあったでしょう?!」
鼻のおかしいライゼルさんの背中をバシバシ叩きながら、迷宮退出の手続きをする。
入ったまま長時間出てこないと、救助隊を出してくれるのだ。もちろん有料で。
高額な救助費用を請求されない為にもキチンと退出の手続きをしていると、交代でやってきた夜勤の門番さんが猫を抱えてやってきた。
「お疲れ様です」
「リーチェッタちゃん、今日が初ダンジョン? ようやく中に入れて良かったね、楽しかったかい」
「いい匂いでしたー」
「わははは」
「どうしたんですか、猫なんて抱えて」
「この猫、何度追い払っても迷宮に入ろうとするんッスよ。水入りポーション瓶とか並べようかな」
「そんなの置いても効かないし歩きにくいですよ」
抱えられた白い猫が不機嫌そうに脱力している。
「ふむ。あの子も余程迷宮が好きなのかな。いい匂い!」
思わず呟くと、ライゼルさんが驚いた顔で振り向いた。
「え、あの猫はいい匂いなのか? ……迷宮に入っていないのに?」
「そういえば、これだけ離れてても匂いしますね。お父さんの革鎧くらいには」
「この距離で革鎧級か。近寄ったらもっと匂い強くなると思うか?」
「顔をうずめてモフモフしながらすーーーっって吸い込んだらご飯が二杯か三杯食べられますね。匂いが濃いです。宝箱級かな……」
やや香ばしいような、どこかで嗅いだことのある匂いに似ている。
ライゼルさんは顎髭に手を当ててじっと考え込むと、少し背をかがめて顔を近づけると奇妙な事を言い出した。
「リーチェ。お前さ、ちょっとあの猫連れて帰れ」
「なんで?」
「お前の言ういい匂いって魔力の濃さじゃねぇかなと思うんだ」
「なんで?!」
そんなこと考えた事も無かった。
魔力溜まりというものがある以上、場所によって濃い薄いの違いはあるのだろう。けれど、魔力に匂いがあるなんて事は学校でも聞いた事が無い。
「組合の魔力溜まりってのは、高レベルの魔法使いが魔力感知を調べたものだ。でも俺はな、組合の指定する魔力溜まり以外の稼ぎ場所を探すために、髭とかパン屑をあちこちにおいて劣化の速さを調べている」
ライゼルさんが私の頭を片手でがっちりと掴んだ。
「お前が良い匂いだって言って涎垂らしていた場所はな、魔力が他よりも濃い場所ばかりだ。お前は魔力を匂いとして感知する体質なんだろうよ」
猫と目が合った。
お父さんの鎧より、宝箱より、迷宮よりも、いい匂いがした。
「私、この子連れて帰ります」