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7 花魁道中

 天霧が何枚かの貨幣をかんざしがあったランタンへ入れると、また連なって飛び去ってゆく。人波に飲み込まれ、あっという間に見えなくなった。

「ずいぶん人……ううん、妖怪が多いね」

振り売りが行き交い、露店が開かれている。道に同じように置かれた椅子に妖怪たちが集まり、思い思いに飲み食いしている。そこに声をかける見世の男衆。目当ての見世の迎えなのか、連れ立って去ってゆく。そこにまた、別の妖怪が腰かける。絡む行商を追い払う。


「今夜は特にね。深雪(みゆき)の花魁道中があるから、遠くから見物にやってくる者も多い」

「深雪さん、そんなに有名なんだ」

「この花街一の花魁といえば、『天両屋の深雪』。他のどの見世の花魁も叶わない知名度だ。なにせ伝説の九尾の狐の子孫だから、国のお偉いさんも何人か熱をあげちまって。そのうち国が傾くんじゃないかっていわれているね」

呑気に天霧は言った。


「へえ……まさに『傾国(けいこく)』だね」

「ま、綺麗だがあいつはじゃじゃ馬だ。遠くから眺めるくらいが丁度いい」

「な、仲良くできるかな……」

先程の浦風花魁(うらかぜおいらん)は人が良さそうだったけど、と内心で冷や汗をかく。天霧は肯定とも否定ともつかぬ笑い声をあげた。


 _深雪花魁(みゆきおいらん)の道中だ!始まったぞ!

「おや始まった。ちょうど良いね」

天霧は立ち上がって私の手を引いた。

「えっ!どうしよう、どこに行けばいいの?」

引手茶屋(ひきてちゃや)はこの先だから、ここで待っていればじき通るさ」

「全部計算?」

「まあね」


 面の目が悪戯っぽく瞬きする。やがて、徐々に群衆がつめかけてきてあっという間にひといきれに揉まれる。人の形をしたものは老若男女、そうでないモノはそれはもう色々。蛇の頭の女が隣で黄色い悲鳴をあげた。かすかに、遠くから鈴の音のような音が聞こえてくる。


 _押すな押すな!こっちは遠いとこからはるばる深雪花魁を見に来てるんだ!

 _おい、騒ぎを起こすなよ。天両屋は厳しいんだ、出禁(できん)になっても知らんからな。

 _あら、出禁もなにもこのひとじゃあ立ち入りすらできないでしょう。お大尽(だいじん)様のための見世よ、あれは。

 __ちぇ、深雪がなんだい。どうせ天弓(てんきゅう)に比べれば大したことはないだろうさ。

 __ 天弓(てんきゅう)は伝説になっちまったからねえ。私も一度会ってみたかったよ、天上の神様が降りてきたみたいだったって兄さんが興奮してたっけ。

 _ま、いなくなっちまった娼の話をしても詮無いことだ。


 そんな声も、鈴の音が大きくなるにつれて小さくなってゆく。ひやりと首筋に触れるものがあった。

「っ?!」

道中のために開けられた一本道の上だけに、白く細かい何かが降り注いでいる。肌に触れると体温を奪われる心地がした。


「深雪花魁ッ!!」


 雪だ。思わず空を見上げると、雲一つない夜空に月が冴え冴えと浮かんでいる。澄み渡った紺の空に、雪だけが浮かび上がっては落ちてくる。前方で歓声が上がった。道中の先頭の提灯を持った男衆が降ったばかりの雪に跡を残して通り過ぎる。艶をまとった白と黒の髪を揺らす二人の禿が、黒い振袖(ふりそで)に覆われた腕を前方で組みながらしずしずと後に続く。冷気が強く立ち上ってきた。降り注ぐ雪の粒も段々と大きくなり、吐く息が白い衣を(まとい)いはじめる。


「よっ深雪花魁ッッッ!!!」

「傾国の九尾!!」

「深雪ーッッッ!!!」

歓声が、悲鳴が、あがる。りん、りん、りん。迫る鈴の音が鼓膜に直接擦れるようだった。

「天両屋の深雪は天下一ッッッ!!」

そんな怒声が聞こえてきた瞬間、降ったばかりの雪を踏み分ける高下駄(たかげた)が視界の端に映る。

「っ!」


 そこで初めて鈴の音の正体を目の当たりにした。下駄の歯に大人の握り拳ほどの穴が空いていて大きな鈴が吊り下げられており、それが歩みとともに音を立てるのだ。りん、りん、りん。私は息をつめ、伏せていた顔を上げた。


 _その花魁は、背後の男衆に傘を差しかけられながら、金色(こんじき)の瞳で観衆を見下ろしていた。まるで先程見上げた月のようなその瞳は、睫毛(まつげ)に彩られて吊り上がっている。薄絹(うすぎぬ)で覆われた口元は冷たく引き結ばれ、ぴくりとも動かない。濃紺の打ち掛けには金の蝶々と花々とが縫い取られていた。貝殻のような狐の耳朶(みみたぶ)からは金細工の藤の花が垂れ下がる。


「まあ綺麗……」

深雪の装飾具が月の光を反射するその一瞬に、雪が花のような(あで)やかさを(まと)う。それはまるで生きては死に、死んでは息を吹き返しているように見えた。深雪の身じろぎ一つで生き死にを左右される花。その中心で踊るように歩みを進める彼の横顔は雪よりも白く、血の気が感じられなかった。


「……死神みたい」


 誰かが呟いたのと同時に鈴の音がはたと止まる。


「……?」

月の瞳がこちらに向けられている。風が吹き、彼の纏う薄絹が捲り上がる。血の気が無いと思っていた肌に唯一の真っ赤な紅。雪原に落ちた椿のような真紅(それ)が僅かに緩んで吊り上がる。


「っ!!」


 鼓膜をつんざくような悲鳴があがる。思わず目を(つむ)った一瞬のうちに、深雪はもう前方を向いていた。りん。彼の下駄が鳴ると同時に、くらり、足元がふらつく。なんて大きな意味を持つ一歩だろう。深雪の一歩に観衆は五感を奪われ、惑わされる。それに比べて私の一歩の何と矮小(わいしょう)なことか。


「あまり、」

あれ。どうして、視界が狭くなっているんだろう。天霧の声が、随分遠くに聞こえる。


 __あまり、しっかりあまり!

暗く閉ざされてゆく世界の中で、鈴の音だけがはっきりと鳴り響いていた。


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